破壁の彼方 4/朝食(1)

 地平線から陽の光が僅かに広がるころ、宿舎の外は薄白いもやと静寂に包まれていた。

 訓練所の周りには緑豊かな木々が立ち並び、時折鳥たちのさえずりがこだまする。

 空気は冷ややかに澄み、大地からは湿り気を感じながら大きく息を吸い込む。

 遠く視線の先には、山々のシルエットが朝日に映えていた。

 

 ゲルヴァニア国の二人と研究員の沢渡さんを除いた俺たちは、早朝の訓練を終え、宿舎の裏手に流れる小川にて汗を拭いていた。

 昨日、行き先も知らされず電車とトラックを乗り継いで着いた場所、岩谷県 遠野郷にある訓練施設。

 夕刻に着いた俺たちは、携帯していた食料で夕食を済ませると、挨拶もそこそこに各自の部屋で休息をとった。沢渡さんの疲労が限界を超えていたので持ち越した形だ。

 そして、早朝。施設の周りを確かめながらのランニング。柳田副長の解説付き。

 至る所に魔道訓練用の機材やスペースが確保されていた。

 ぐるりと敷地を周り、普段通りの筋トレをして今に至る。

 

 五十鈴は朝食の準備をするため、早々に宿舎に入り汗を流している。

 残された男5名は、肌着に近いシャツを脱ぐと上半身裸になりタオルを清流に浸して、熱った体を冷ましていた。


「しっかし、本当に綺麗なところだな」

「ああ、童話の世界のようだ」

「うん…… こんな所に訓練所があるなんて、なんか信じられないね」


 勢いよく顔を洗い頭髪まで濡らした久重が、一息吐きながら辺りを見渡す。

 固く絞ったタオルで体を拭きながら、俺も龍士と共に久重の言葉に同意する。

 余りにも美しい風景、そんな中で戦闘訓練を行うのだ。昨日から疑問と言うより違和感を覚えていた。

 久重と龍士同様のようだ。


「ふん、大日帝国に生まれ、魔道士であるのに分からんのか?」


 呆れた声で清十郎。大きめの岩に腰掛け、タオルを首にかけた彼へ視線が集まる。


「お前は最初から知ってたっていうのかよ?」

「いや、流石に軍事施設だ。知りようはずもない」

「あっ⁈ どういう事だ⁈」


 段々と喧嘩腰になる久重へ答えたのは柳田副長であった。


「堂上、魔道訓練施設がこの場所にある『理由』って事さ。な? 安倍」


 口角を上げ笑みを浮かべながら清十郎が頷く。

 柳田副長の「話してやれ」と視線を受けた彼が俺たちに『理由』を教えてくれた。


「遠野郷は古くから多くの魔物、妖魔伝説に彩られた地域だ。この地には他の場所と比べても魔素が非常に豊富に存在している。この魔素は妖魔にとって力の源となり、それが豊富なこの地は魔物を集める。遠野郷は妖魔の住みつく場所として有名だ。ここまでは皆知っているよな」


 俺、久重、龍士は黙って頷くと満足そうに清十郎も頷き、先を続けた。


「そんな魔素の濃度が高い場所であるなら、我々魔道士にとっても良い影響が出るだろう。なので、この場所に訓練所があるのは可笑しい話では無い。ですよね? 柳田副長」


 清十郎からバトンを渡された柳田が水筒の水を飲みながら肯定した。


「そういう事だ。付け加えるならば…… 遠野郷には『人と妖魔の境界線』と呼ばれる特別な場所が存在する。この境界線は、人間の世界と魔物の世界を隔てる役割を果たしていて、時折、両方の世界が交差し合う。そのため、この境界線の近くでは、予期せぬ遭遇や交流が生じる事件も少なくなかった」


 妖魔との境界線? 思わず唾を飲み込み柳田副長の言葉に聞き入る。


「さっき走った時、敷地の一番奥にほこらみたいのがあっただろう。あの辺が『境界線』だな。そこで、軍部は遠野郷に訓練所を建設したんだ。ここでの訓練は、魔素が豊富な土地での実戦に近い環境で行われるため、訓練生たちにとっては非常に価値のある経験となっている」

「マジっすか……」


 久重が瞠目しながら呟く。俺も同じ顔だっただろう。

 同じく聞き入っていた龍士が恐る恐る尋ねた。


「で、では…… 今回の訓練は……」

「もちろん、最終的には妖魔とも戦ってもらう」


 これには清十郎も少し驚いたようだ。

 訓練兵だった俺たちが、一足飛びに特務魔道部隊へ入隊し、いきなり妖魔との実践……。

 驚くなという方が無理である。

 青ざめた顔をした俺たちを見て柳田副長は笑い出す。


「ああ、そんな心配すんな! ちゃんと鍛えてやるから。実戦はその後だ」


 その一言で肺の中の空気を吐き出す。しかし、それも続かず――


「ただな、『境界線』から現れる妖魔のレベルは低くはないぜ。時にはB級と同等、いやそれ以上も出るかもな」


 ニヤリと笑いを残して柳田副長は「飯だ飯だ」と先に宿舎へ向かっていく。「ま、そんな強い妖魔が出たなんて伝承でしか無いけどな」と誰にも聞こえぬ声で呟いて。

 

 俺たちは絶望に近い表情で柳田副長の背中を見送った。


    ◇

 

 訓練施設の入り口付近に建つ宿舎は、雨晒しの木材の風合いが時間の長さを物語る古びた雰囲気を持っていた。

 大ぶりな木材が組み合わされて、壁には時の流れと共に深まる色合いの木の板が使われている。

 その横、2階建ての宿舎とは別に、40人ほどが一堂に食事できる広い食堂専用の建屋がある。

 天井は高く、大きめの窓からは自然の光が差し込む。

 古き良き時代の手工芸のテーブルや椅子が配置されており、全体に和やかで落ち着いた空間が広がっていた。

 

 着替えを済ませた倫道たちは、着座すると鼻腔をくすぐる香ばしい香りに腹の虫を鳴す。


「随分といい匂いがするな」

「ああ、こりゃぁ……」


 倫道の横に座る久重が鼻をクンクンと鳴らし、御馳走を前にした犬の様に笑いかける。

 龍士も人数分のお茶を入れると「なんだか美味しそうだね」と皆の席に湯呑みを置きながら笑顔を浮かべた。

 

 基本的に訓練中の食事は当番制となる。食材は前日のうちに用意されていた。

 今朝の食事当番は五十鈴1人のはずであるが、ゲルヴァニアの二人組の姿が見えない。

 大きなテーブルには静かに本を読む清十郎、昨日の疲れが取れないのか、眠そうな顔をした沢渡と彼女に話しかける柳田の姿だけであった。


 やがて皆の前に食事が運ばれ並ぶ。

 メニューは、地元の食材を使った味噌汁とごはん、豪快に焼いた猪肉のローストだった。


「おっ、おい…… 朝から肉かよ。……まあ、いいけど」

 

 食卓に並んだ料理を見て柳田が驚いた顔で五十鈴を見上げると、彼女は当惑した表情で肩をすくめた。


「私が厨房に入った時にはお二人が既に料理をしてまして…… なので私はご飯と味噌汁だけ作りました」

 

 そう言うと、厨房から出てきた二人組へ視線を移す。

 皆の視線も同じく彼女たちへ注がれると、カタリーナが胸の前でパンと手を打った。


「今朝はご挨拶がわりに私たちの祖国の料理を作りました。特にこの娘が頑張ったので、美味しく食べてもらえれば嬉しいです」


 オレンジ色の髪を揺らし、薄い水色の瞳を輝やかせ微笑みかける。そして、頑張ったと言ったところで後ろにいたデルグレーネの背中を押して前に突き出す。

 いきなり前に立たされた金髪の少女は、皆の視線がカタリーナから自分へ移るのを感じ、顔を赤くして俯いた。


「……どうぞ、食べてください」


 一言だけ言って逃げる様に席へ座り、湯呑みを手にし口へ運ぶ。


「アツッ⁈」

 

 お茶の熱さに驚き奇声をあげる。

 慌てて飲んだために口の中を火傷したようだ。

 落ち着いているようでワタワタとするデルグレーネの姿を見て小さな笑い声が出る。


「……あ〜、分かりました。ありがたく頂きます。お前ら、お二人に感謝して食え」


 全員が彼女たちに礼を言い、朝食に箸をつけていく。

 皆んな若く、早朝の訓練、さらに昨日から碌な物を口にしていなかったため、勢いよく猪肉のローストを頬張る。

 倫道、久重、清十郎、竜二はもちろん、大人の男性の柳田、そして女性の五十鈴も嬉しそうに肉を口に運んでいた。

 しかし、ただ1人だけ渋い顔をしてノロノロと箸を動かす人物がいる。

 研究員の沢渡だ。

 彼女は昨日の疲れも抜けないままボリューム満点の朝食を前にして、胸焼けを起こしていた。

 肉を遠ざけ、味噌汁をおかずに白米をモソモソと食べていると、元気な男の声がかかる。


「あれ? 沢渡さん、肉食べないんですか?」


 物欲しそうな笑顔を向けた久重だった。

 彼女はこれ幸いとばかりに大きく頷く。


「ええ、ちょっと体調が思わしくなくて…… 申し訳ないけど食べてくれる?」

「マジっすか⁈ ありがとうございます!」


 嬉々として素早く皿を受け取り、自分の分と一緒にする。

 五十鈴が呆れて「意地汚いんだから」と文句を言っていたが、倫道は心の中で親友を誇らしく思っていた。

 

(沢渡さんの体調が悪いのを見越して声をかけたんだろうな。俺には到底出来ない……)


 そんな風に思いながら久重を見ると、そこには心底嬉しそうな笑顔で肉を頬張る久重がいた。

 倫道が「あれ?」と首を傾げた横では、女性陣が詫びの言い合いをしている。


「ディクスゴードさん、リーグさん、せっかく作ってもらったのに申し訳ありません」

「いいえ、体調悪いとは知らずすみません。気が利かずすみません」

「いえいえ――」


 そんな彼女たちの横で、緩慢に食事をとる少女がいた。

 デルグレーネは、横目でチラチラと倫道を盗み見ている。

 どうも自分の作った料理に倫道の反応が気になる様子である。


「しかし、本当に美味いな!」

 

 彼が感想を口にする。

 それを聞いたデルグレーネは顔を伏せた。『にやけた顔』が止まらない。


(私が作った料理を食べてくれた……美味しいって。そういえば、料理なんていつぶりだろう)


 不意に脇腹へくすぐったい感触が起こる。

 カタリーナが肘で突いてきたのだ。


「良かったね。美味しいってさ」


 彼女にしか聞こえない声で耳打ちする。

 少し揶揄からかう言い方にデルグレーネが怒ると思ったが、彼女は静かに「うん」と言うだけ。

 拍子抜けしたカタリーナだったが、俯く少女を見る目は温かかった。

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