逆巻く怒涛 5/調律者として

 大きく開いた窓際に座り、見事な満月を眺めていた。

 台風が雲を連れ去った夜空は晴れ渡り、月明かりが黒鉛色の草原を柔らかく照らしている。

 満点の星空を堪能した後、いつしか私の視線は少し遠く、緑陽台地の訓練所の宿舎へと向けられていた。


「……レーネ、眠れないの?」


 薄暗い部屋の中、布団の中からカタリーナが体を起こし、瞼を擦りながら眠たそうに声を上げた。

 

「ん…… 喉が乾いて…… 水を飲んだ後に月を眺めていたの。それに、何か心が落ち着かなくて……」


 月明かりに照らされたカタリーナの顔は、どこか呆れた様に惚けていた。


「心が落ち着かない…… ねぇ……」

「……なに?」

「別に〜。しかし…… 暑くて嫌になるわね…… それに、何か臭いし……」

「もう、また不満ばっかり言って……」

「いや、そんな『何か文句ある?』みたいな顔されても……」


 両腕を伸ばし大欠伸をしたカタリーナは、膝の上の肌掛け布団を取り払い、四つん這いで卓袱台ちゃぶだいと呼ばれている背の低いテーブルへ近づく。

 水差しからグラスに水を注ぎ、ゴクゴクと飲み干した後、ふーっと息を吐き出し、目を細めてじっと見つめてきた。


「ねえ、レーネ? この部屋って何処だっけ?」


 リーナの言いたい事を察した私は、何も聞こえないフリで窓の外へ視線を向ける。


「そう、監視塔の倉庫部屋。倫道くんたちの眠る宿舎が見える訓練所の敷地内に立つ! 私が! なんで! こんな所で! 寝ないといけないの⁈」


 リーナが枕を両手でポンポンと殴りつける。

 そう、私たちはリーナによる魔法感知を防ぐ結界を張って訓練施設の敷地に建つ、今は使用されていない監視塔に潜んでいた。

 その倉庫に布団など最低限の生活必需品を持ち込み、倫道たちの生活を盗み見…… 監視している。

 

「誰のせいでこんな倉庫の床に寝なきゃならないと思っているの?」

 

 どうやら私の態度が気に入らなかったらしく、リーネの逆鱗に触れたようだ。


「ちょっと、聞いてるの⁈ 何すっ惚けた顔してんのよ! あんたの我儘わがままでこんな所で寝かされてるっていうのに! ……ああ、こんなぺちゃんこな布団で寝かされて体が痛いのよ…… ホテルのふかふかベッドで寝たい……」


 ついにカタリーナがぶつぶつと不満を漏らす。

 そんな彼女に少しだけ申し訳なく思う。


「気持ちは分かるけど、あと数日で私たちも彼らの部隊に編入される手筈は整っているのよ。それなのに……」

「……ごめん、リーナ。どうしても彼の側にいたくて……」

「もう……、どんだけなのよ」


 ガックリと肩を落とすカタリーナ。

 申し訳ない気持ちをどうにか伝えたいと、色々と考えて一つの提案をする。


「だから、私1人でも――」

「私が居なくなって、魔法効果が切れたらどうするの? 何度も話したでしょ」


 それも分かっていた。

 最初は遠くから眺めているだけで良かったのだが、一回近くに寄ってしまうともうダメだった。

 リーナの能力に甘えて、彼女の魔法を頼りに自分の欲求を通していたのだ。


「……ごめん」

 

 彼女へ向かい頭を下げる。

 すると大きなため息が頭の先で聞こえた。


「はぁ、もういいわ。まあ、あと少しの辛抱だからね。寝心地が悪かったから文句が言いたくなったの。気にしていないわ」


 透明な水色をした瞳を柔らかくして、リーナは微笑んだ。

 思わずホッとして大きく息を吐いた。


「もう…… 意地悪言わないで」

「なによ。それぐらい権利はあるわよ。それに監視対象も皆んな若すぎるし、教官連中は歳をとった脳筋おじさんばかり…… 私はちっとも楽しくないのよ。どうせ見守るなら脳筋ではなく、物静かな細身のインテリがいい!」

「……もう少し早く来てればね。ゲルヴァニア国からの魔道技師がそんな感じだったのに」

「えっ⁈ 何それ? ちょっと詳しく話しなさいよ。喉も乾いたし、紅茶入れてちょうだい」

「はいはい」


 リーナのリクエストに応えて紅茶を淹れる。

 魔法で瞬間的に湯を沸かし、ティーポットへ注ぐと深夜の倉庫に茶葉の芳香がふわりと広がった。

 砂糖をたっぷりと入れた紅茶を美味しそうにすするカタリーナ。

 私もフウフウと冷ましながら、その香りと甘さに心を溶かした。


 そんな私の表情を見て、彼女は少しだけ複雑な表情を浮かべた。


「でも、レーネ。私たちはただの調律者ハーモナイザー。これから倫道さんたちと交流する事はあっても、基本的に深く関わるのは許されていないわ。それに……」


 リーナが言葉を止めた。

 私は紅茶をテーブルに置き、素早く窓際まで移動する。

 その視線の先には、正門から続く道を走る2台の車のヘッドライトが光っていた。


「こんな時間に……」


 カタリーナも窓際へと近づき、訝しげな表情で2台のトラックを見つめる。


「トラックが2台…… 何かおかしいわね」


 通常の基地と違い、訓練施設へわざわざ夜中に来る理由が思い当たらない。

 だが、それが何かの訓練の一環なのかと考えている間に、異常な雰囲気を持つ兵士たちがトラックから飛び降りてきた。何かが起きているのは明らかだった。

 2人の視線は一ヶ所に集まり、同時に感じ取った。


「リーナ、あなたも感じた?」


 私の問いに対し、カタリーナは黙って頷いた。

 彼女が感じ取った“何か”とは…… 敵意を持った部隊が、倫道たちの寝ている宿舎を襲おうとする敵意だった。

 標的は直感で分かった。カオスナイトメアを倒したと言われる倫道たち訓練兵5名だ。

 

 私は直ぐに立ち上がり、倫道たちの助けに向かおうとした。

 

「レーネ、待って!」


 しかし、その動きを止めたのはカタリーナだった。

 彼女は私の腕を掴み、強く引き留めた。


「私たちは調律者ハーモナイザー。我々の使命はただ監視するだけ。魔物モンスターが現れたわけでもない。人間同士の争いに直接介入しては駄目よ!」


 カタリーナの厳しい声に、私は思わずグッと言葉を詰まらせる。

 しかし、どんな言葉で引き止められようが、私は揺るぎない決意を秘めていた。


「そんな事は知ってる、カタリーナ。でも、彼らは…… 倫道たちはただの訓練兵。彼らには何の罪もない。そもそも彼らが狙われる切っ掛けは、私がカオスナイトメアを倒したから! 原因を作った私がただ見ているだけで良いの?」


 感情を露わにして悲痛な声で問いかける。

 その声を聞いたカタリーナは一瞬ためらいを見せたが、再び彼らの元へ向かおうとする私を強く引き留めた。


「デルグレーネ、私たちの立場をわきまえなさい!」


 その瞬間、私たちの間に緊張が走った。

 重苦しい重圧プレッシャーがこの場を支配し、ピーンと張り詰めた空気の中、窓ガラスに映る自分の姿に驚いた。

 知らずのうちに元の魔人の姿に姿を変えていたのだ。

 意思とは関係なく、勝手に体が戦闘準備の終えてカタリーナへ威圧するために。


 その姿に瞠目し、構えをとったカタリーナ。

 しかし、その緊張感が一瞬で霧散したのは、カタリーナが折れてくれたからだ。


「……分かったわよ。私も一緒に行くわ」


 彼女は大きく息を吐いて、自分自身へも言い聞かす様に呟く。


「大日帝国の軍部への内偵、彼らの部隊への潜入は指示されていた。その対象者に危害が及ぶ場合、それの保護は過度な干渉とは認められないでしょう」


 カタリーナの声は静かだったが、その瞳には微かな揺れがあった。

 その視線に応えるべく、私も頭を下げて人間の姿に戻る。


「気にしないで。……貴女の気持ちもわかるから」


 先ほどの強張った顔から、いつも浮かべる笑顔に戻るのを見届けると、急いで扉を開き部屋を飛び出そうとした時、リーナから鋭い声がかかった。


「待ちなさい!」


 まだ何かあるのかと眉をひそめて彼女へ振り返る。


「慌てないで。その格好はまずいわ。私たちはゲルヴァニア国から派遣された魔法士として彼らの救出をしなければならない。さあ、早く着替えて」


 私が焦れて文句を言おうとしたが彼女は私の姿を指さした。


「後で説明がつきやすくするためよ。ぐずぐずしない! ……それに、本当にその格好で彼の前に出る気?」


 リーナの言葉を受けて自分の格好を一瞥する。

 そこにはシャツだけを羽織り、下にはショーツしかつけていない、あられもない姿であった。


「〜〜〜〜〜〜っ⁈」

 

 人の悪い笑顔をしたリーナの手から畳まれた暗い黄緑色モスグリーンの軍服を奪い取り、慌てて袖を通す。

 いつの間に用意したのか不思議に思ったが、それよりもリーナのニヤけた視線のせいで頬が熱くなる。

 

 急いでゲルヴァニアの軍服に身を包むと、開け放たれた窓から飛び降りる。


「ちょっと! ここは4階よ!」

「早くしないと!」

「もう、しょうがないわね!」


 カタリーナも後に続いて窓からその身を投げ出すと、彼女は着地する瞬間に風魔法で衝撃を緩和した。

 私たち2人は倫道を助けるために監視塔を出て、寄宿舎へと急いだ。

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