逆巻く怒涛 2/暗躍の影(2)

 赤く仄暗い潜水艦の発令所では、船体にこだまする海流音のほか、熱を帯びた呼吸音が静かに重く響いていた。

 不規則に穴の開いた細長いテープには、彼らアルカナ・シャドウズの面々を驚かせる内容が記載されていたからだ。

 暗号化された指令書を読み上げるジェイコブの顔は徐々に強張り、最後にはその内容を見て一瞬言葉を失う。


(これは……)

 

 彼らアルカナ・シャドウズは戦場で命を捧げる覚悟を持っていたが、それは敵対する軍人や魔物モンスターに対してだ。

 まだ訓練兵、いわば一般人を標的とする指令に、彼は大きな衝撃と同時に苦悩を感じていた。


(いくらA級の魔物を討伐したからと言っても、訓練兵を…… 何か理由が……)

 

 ジェイコブが眉間に皺を寄せ、左手で顎にある深い傷跡を触る。

 彼のよくやる癖であり、多くが無表情の彼が見せる感情の起伏でもあった。

 喜怒哀楽、その都度に違った意味で同じ仕草にて顎を撫でる。

 

 そんな彼の仕草を視線が縫いつく様に固定するエヴリン・スカーレットは眉を顰める。

 ジェイコブを一番近くで見ているエヴリンにとっては、現在の彼が何に苦悩しているのか手にとるほど理解できた。

 エヴリンは兵士としての実力だけでは無く、高潔な性格の彼を尊敬し、それは崇拝の域まで達している。そして、それ以上の感情も胸の中に秘めていた。

 そんな彼女は長い赤髪を揺らし一歩前へ出ると、彼が口にする前へ先んじて現実を語る。


「私たちは大日帝国の訓練兵、カオスナイトメア事件の関係者たちを、第1目的として身柄を確保し本国へ移送。……第2目的として身柄を確保できない場合は殺害する任務を命じられました。確保する身柄リストは後ほど現地にて回収。襲撃先は彼らの訓練施設がある緑陽台地。以上を元に作戦を立案します。良いでしょうかジェイコブ隊長?」


 エヴリンの静かで毅然とした言葉に発令所は一瞬の沈黙が訪れ、今までの会話の残滓ざんしが一掃される。

 彼女の声は固く、しかし静かにその任務の本質を語った。

 アンソニーとデビットは彼女の言葉に一瞬落ち着きを取り戻させたが、その瞳の中に浮かんだ困惑の色は決して消えてはいなかった。


「……問題ない。エヴリン、君が中心となり他のアルカナ・シャドウズメンバーへ通達、各自の兵装を準備させてくれ。アンソニーとデビットはサポートを」

「はい」


 エヴリンは再度、ジェイコブの顔を見る。

 彼の顔は固く引き締まり、まるで鋼の様に無表情だった。しかし、その深く蒼い瞳には明らかに失望の色が見てとれた。

 

艦長キャプテン、当該目標地点への到達時間及びどの程度まで接近できるか教えてくれ」

「分かりました。航海図と地形図を用意してくれ」


 ジェイコブの依頼に艦長キャプテンは航海士へそれぞれの地図を持ってくるよう指示を出す。

 指示を受けた航海士は迅速に発令所中央にある航海図が広がる台の上に地形図も用意した。


「隊長、では我々はアルカナ・シャドウズメンバーへ情報を共有してまいります」

「頼む。終わり次第、エヴリン、君は発令所に戻ってきてくれ。襲撃作戦の立案を手伝ってくれ」

「了解しました」


 エヴリンはジェイコブへ敬礼をすると長く鮮やかな赤髪を揺らし踵を返して発令所を後にし、心の中で溜め息をつく。

 彼女はジェイコブの心情を理解していた一方で、この指令が全ての事態を複雑にする可能性も理解していたからだ。

 これから起こる事態を想定し、どうすれば全ての任務を最良の形で遂行できるかを考える事となる。

 歩きながら頭の回転を早めていると、後ろからアンソニーとデビットが続いてくる。


「……おいおい、冗談だろ。この人数で大日帝国の本土、それも訓練施設を襲撃しようって言うのか⁈」

「それに…… 標的が訓練兵というのも…… 司令部は何を考えてるんだ」

「アンソニーの言う通りだ。正規兵でもない者を襲うなんて…… それとも…… その訓練兵たちは何か特別な力でも持っているのか……」

「特別な力だって? 冗談はよせよ」

「いや、そうでも考えなきゃ俺たちに『ただの訓練兵』の誘拐指令なんてくるかよ」

「……なあ、エヴリン。アンタはどう思っているんだ?」


 潜水艦の狭い廊下を一列で並びながらアンソニーとデビットが各々疑問を口にすると、エヴリンが足を止めて振り返る。

 彼女は豊な森の様に深い翠色の瞳を細め其々の顔を睨んだ。


「あなたたち。命令に文句があるの? 私たちはアルカナ・シャドウズ。どんな命令であろうとも遂行するだけよ」

「分かってるよ…… だけど、なあ?」


 デビットの言いたい事も分かる。

 確かに今まで受けてきた指令とは違う異質な命令であった事はエヴリンも感じていた。

 だが彼女は自身が感じた疑念を胸の中に仕舞い込むと、深く息を吸い、2人に向けて話し始める。


「確かに不可解な事が多いけど…… まず本土の軍施設への襲撃ですが、これは逆に少人数でなければ成功しません。何も殲滅する訳でないのだから。いかに秘密裏に動くかが鍵になります。それは私たちのチームが得意とし、他のどのチームより優れている。 ……それに、今回の指令には大日帝国から当該の魔法士訓練兵を保護する一面も持ち合わせています」


 エヴリンは短く一息つき、2人の瞳へ呼びかける。


「我々の目的は、可能な限り死傷を避け、訓練兵たちの生命を保護するのが最優先です。……それが不可能な場合、我々はとして、その訓練兵たちを排除することとなります。司令部は優秀な魔法士を戦場に出させないためと、大日帝国への揺さぶりを期待しているのでしょう。今後に備えて脅威となる可能性を潰す。局地的な問題かもしれないけど、これは我がユナイタス合衆国の未来を左右する大きな切っ掛けになるかも知れません」


 アンソニーとデビット、それぞれの双眸に視線を送り念を押すように瞳に圧を込める。

 彼女の圧力を受けて兵士としての自分達を取り戻す。

 彼らの瞳に疑念の色が取れたのを確認するとクルリと転身し、数歩進んでその足を止める。

 そして、自分自身にも言い聞かせる様にエヴリンは言い放った。


「我々の存在理由は、祖国の為にどんな理由、どんな状況下でも全ての任務を遂行する事よ」


 目の前に続く暗い通路を見つめ言い放つエヴリン。

 母国の未来、その言葉をアンソニーとデビットは重く受け止めていた。

 彼女の声は、2人にとって重い鉛の様に心に突き刺さった。

 

 ややあって小さな歩幅で音をさせずに歩き出す。

 アンソニーとデビットが視線を合わせ頷き合うと、彼女に続いて潜水艦の通路を行く。


 エヴリンは漂う雰囲気から彼らが動揺から立ち直り、次の展開へ気持ちを切り替えた事に安堵する。

 それは自分にも同じ事が言えたのだが。

 そして、揺れる心中を吹き飛ばすための奇襲作戦が、すでに彼女の頭の中で形になりつつあった。


「安心してください。全てが上手くいく作戦を考えます」


 その日、大日帝国の近海で、ユナイタス合衆国の精鋭部隊アルカナ・シャドウズの奇襲作戦が始まった。

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