蠢動 3/始まりの回想

 多くの人が楽しげに会話しながら料理を口に運び、ご機嫌にグラスを鳴らし酒を酌み交わす。

 多様な人種で賑わうレストランのホールは満席となり、最繁時を迎えていた。

 そんな賑わいをよそに、私は目の前にいるカタリーナの儚くも寂しい笑顔に過去の記憶が映っていた。

 自分がオルティア王国で調律者ハーモナイザーの修行を始めた頃を。

 そして、初めてカタリーナと出会った日を思い起こしていたのだ。


    ◇

 

 アルサス村での惨劇。

 目の前でヴィートを、家族友人を惨殺されたあの日。

 この世界の管理者たちに勧められ調律者ハーモナイザーとして生きる選択をした私は、生き残った魔法士アン=クリスティン・ティレスタムと共に王国の王都オルリアンでの生活を始めた。


 王宮騎士団と共に村に訪れた王宮魔法士アン=クリスティン・ティレスタムは、魔物に洗脳され裏切った王宮騎士副団長のハンス・オーベリソンと戦い、彼女だけが生き残った。

 相打ちに等しい決着であり、ハンスの命が尽きた後に、彼女もまた死を待つだけであった。

 掠れる意識のなか、携帯用の回復薬を飲もうとしたが、彼女はそこで力尽きてしまうのだが。

 

 しかし、彼女は生き残った。

 生き残れた理由。それは、敗色濃厚であったハンスが形勢逆転のために人質として捕まえた少女のおかげであった。

 その少女はアン=クリスティンの降伏を条件として一命を取り止め、その場から解放された。だが、恐怖で遠くに逃げることは出来ず、少し距離を取ると物陰に隠れ潜み2人の戦いを見守っていたのだ。

 激しい戦いの後、動かなくなった2人に恐る恐る近づくと微かに息をしているアン=クリスティンに気がつく。

 そして瀕死の彼女が手にしていた回復薬を喉へ流し込んだおかげで奇跡的に生き残ったのだ。

 

 アンはよく当時の話を私にして聞かせた。

 ハンスが卑怯にも小さな少女を人質に取り、アンの命と引き換える要求をしたと。

 そこで『愛のかたまり』である彼女(自称)はその提案を受け入れ、儚くも美しい最後を迎えようとしていた。

 しかし、『王国随一の魔法の使い手であり天才的な頭脳を持つ』アン(自称)は、殺される瞬間を狙って逆転の魔法を発動し、ハンスを見事に打ち負かしたのだと。

 まあ、結局は相打ちとなり回復薬を飲もうとして力尽きたらしいのだが、救った少女が戻り薬を飲ませてくれたおかげで生きながらえたと自慢していた。

 全ては日頃の行い、そして『愛は人を救う』のだと。


 そんな彼女の明るさに私は何度も助けてもらった。

 全ての知り合いを亡くした私の心の拠り所は、彼女だけだったのかもしれない。

 最愛の人たちを目の前で殺され、大きなショックを抱えながら慣れない王都の生活を、彼女は献身的にサポートしてくれた。

 また、彼女の夫であるオルリアン王国に古くから使える魔法士サロモ・ティレスタムも無愛想な男であったが魔法の基礎学など教えてくれた。

 サロモも元は〈魔世界/デーモニア〉出身の魔人であり、調律者ハーモナイザーとはならなかったが、管理者やその関係者たちと深い関係性を築いていた。

 そんなサロモを愛したからこそ、私を他人と思えなかったのかもしれない。


 私はアンとサロモの2人から魔法は勿論、日常的な事柄から世界情勢など様々なものを学んだ。

 そうして新しい生活に慣れてきた頃、戦いの傷が元でアンは亡くなってしまった。

 簡単に、呆気なく……

 あの事件から3年ほどが過ぎた頃であった。


 彼女の葬儀の時、サロモは10歳になった子供を抱きしめて止めどなく涙を流していた。

 そして私にだけに聞こえる様に語った。

 多くの時間を生きてきた彼が、なるべく自分のそばに人を置かなかった理由。

 自分より先に愛する者を失う気持ちは慣れはしないと。

 最後に私へ尋ねる。君はどうだと。

 

 それが切っ掛けであった。

 私は悲しみから逃げる為に、全ての人間から心を閉ざした。

 いや、〈魔世界/デーモニア〉にいた頃へ戻った。

 それからの私は、まるで凍てついた湖の様に冷たく、硬く、誰にも心を開いこうとしなかった。

 馴れ合えれば情が芽生え、誰かと親密になるのを恐れていた。

 そんな時だった、カタリーナ・ディクスゴードと出会ったのは。


「ラウラ・リーグ、あなたは一体何を考えているの?」


 サロモの元を出て数十年後。調律者ハーモナイザーとして慣れてきた頃、赴いた現場で彼女に言われた最初の言葉。

 オルティア王国の辺境の村にて人に害をなす魔物モンスターの討伐命令が私に下され、その監視役として彼女が派遣されたのだ。


「……別に」

「……別に じゃないでしょう! この惨状ありさまは何⁈」

 

 辺りを見渡す。

 所々に地面は抉れ、谷を渡る橋が燃えて崩れていた。

 多くの木々が薙ぎ倒され、森の一部も燃えている。焦げ臭い匂いが鼻をつく。


「……魔物モンスターが逃げ回るから…… しょうがない」


 カタリーナはくびれた腰に手を当て、深く深くため息を吐いた。

 オレンジ色をした髪を大きく振りながら、眉間に皺を寄せて。


「しょうがないで片付けないで。あの程度の魔物モンスターなら上手く立ち回れば、周りに被害を出さずに倒せたわ」

 

 私は彼女の物言いにムッとなり思わず反論した。


「……別に関係ない――」


 乾いた音と共に、私の左頬が焼けるほど熱くなった。

 一瞬、何が起こったか分からなかった。ただただ呆然とする。

 やがてジンジンと左頬が疼いて、すぐに頬を平手で叩かれたと理解する。


「なにするの!」


 左頬を押さえながらズレた視線を勢いよく戻すと、カタリーナは表情なく私を見つめていた。


「あなたは調律者ハーモナイザーを、私たちの仕事を理解していない」

「はぁ? 人に仇をなす魔物モンスターを狩る! それが私の仕事でしょ!」

「違うわ。私たちの仕事は『人を守る』ことよ」


 私は彼女の言っている言葉の意味が分からなかった。

 何が違うのか?

 人が襲われない為に魔物モンスターを狩った。それが守る事で無いならなんだと言うのだ。

 混乱している私へ向かいカタリーナは静かに話し始めた。


「いい? 確かにラウラ、貴女は魔物モンスターを倒した。これで襲われる村人はいなくなるでしょう」


 私は当たり前だと頷く。


「でも、村の人たちの生活は大きく揺らぐ事になるわ」

「……?」

「ラウラ、貴女が燃やして崩れてしまった橋。あれが村人たちの唯一の外部との連絡口だったのよ。それが燃え落ちてしまった。これから数ヶ月は村の外に出られないわね」

「――あっ⁈」

 

 私はここでカタリーナが言わんとする事を理解した。


「そう、深い谷の先にある村への交通手段を貴女は何も考えずに壊したのよ。行商人も通れず村の生活はどうなるのかしら? それに村で対処できない病人や怪我人が出たら?」


 そう、魔物モンスターを倒す事だけを考えて、周りなど全く見えていなかったのだと。

 

 私を拾い助けてくれた養父グスタフを思い出す。

 彼は腕利きの大工であった。また、ヴィートもその背中を追いかけて父親と同じ大工となっていた。

 そんな彼らの仕事を見て、時には手伝っていた頃を思い出す。

 交通手段の構築は何よりも大切な仕事だと、多くの人間が命をかけて橋を建設していた。

 そんな大事な物を何も考えず壊してしまった……


「どうやら気がついたようね。……そう、私たち調律者ハーモナイザーは、人にその存在を知られず彼らの脅威となる者を排除する。そして、なるべく彼らの生活に干渉しない。村人たちには自分達が守られたなんて気取らせてはいけないの。ましてや、私たちのおかげで彼らに危害が及ぶ事があってはならないのよ」


 カタリーナの言葉が胸に重くのしかかる。

 視線の先にある燃え落ちた橋が私の心を抉った。

 

「……ごめんなさい」


 素直に謝る事しかできなかった私に、カタリーナは快晴の空のような水色の瞳を弓なりにして微笑む。

 

「ラウラ、貴女が『人を守る』と言う本当の意味を理解してくれて良かった。もし出来ないようだったら……」

「私を殺したの?」

「さあ? どうでしょうね」


 彼女はカラカラと笑い、私を抱きしめた。


「ラウラ、私たち調律者ハーモナイザーの道は孤独だと思うかもしれない。確かに、私たちは他人に理解も感謝もされはしない。だからと言って、自分自身を閉ざしてしまうのは違うのよ」

 

 優しく背中をさすると、私の瞳をじっと見つめながら続けた。


「私たちは調律者ハーモナイザーとして、人々を守るために力を使う。でもね、その力は私たち一人一人の内にあるものだけではないの。人々と繋がり、彼らの願いや想いを胸に抱き、それを力に変える事ができる。だからラウラ、自分を閉じこもらず、心を開いて、周囲の人々と繋がろう。その経験がきっと、あなたを強くする」


 そう言って彼女はもう一度私を強く抱きしめた。


    ◇


「――ねえ、レ〜〜〜ネ。聞いてる〜〜?」


 だいぶ酔いが回っているカタリーナに頬をつねられた。

 いつの間にかレストランの中は客の数もまばらになり、奥の厨房では片付けを始めたようである。


「ん、ちょっと昔を思い出してた。リーナと初めて会った時のこと」


 未だワインを飲み続けているリーナを見て思わず笑みがこぼれた。

 

「あ〜、あの頃は何も分からずに右往左往してたわね。可愛いもんだったわ」


 リーナは思い出を語りながら微笑み返す。

 グラスに残った最後のワインを飲み干し、空になったボトルを未練がましく振るがもう雫も落ちなかった。

 チェッと口を尖らせて名残惜しそうにグラスを置くと、スッと目を細めた。


「レーネ、さっきの話だけど…… ちょっと感情的になっただけだから。それに…… 仮に今の彼がヴィートの記憶を取り戻したとしても…… 貴女が幸せになるとは限らない」


 静かに語りかけるカタリーナの言葉に、私はしばしの沈黙を保つ。

 リーナの葛藤と心配がわかる、そして私を思う優しさが嬉しかった。

 

「彼がヴィートの記憶を思い出す日が来るのか、私には分からないけど。……それでも、私は彼の成長を見守りたい」


 彼女は「そう」と静かに呟くと、私たちは空になったグラスを虚に眺めていた。

 ほどなくしてテーブルに店員が店の終わりを告げる支払い伝票を置いた。


「さあ! もう一軒行くわよ!」

「ええっ⁈」

「久しぶりに会ったんだもん! 当然でしょ! それとも何? 私とは付き合えないってーの? あの倫道くんのところに行きたいってーの?」

「な、な、なに言ってんの⁈」

「なに赤くなってんのよ? 変な事でも想像した? 幼い顔してエッチね〜」


 ……ああ、そうだった。

 カタリーナは飲むと面倒臭くなるのだった。久しぶりだから忘れていた……

 彼女を無視して立ち上がり、店員へ料金を支払う。


「ちょっと〜、無視しないでよ〜」


 店の扉をくぐると後ろから抱きついて頬にキスをしてくる。

 随分と酒臭い。


「もう! いい加減に――」

「あら、ちょっとは成長したかと思ってたけど……、こっちは残念ね〜」


 背後から手を回され、私の胸を弄るように揉みしだかれた。


「…………」

「ぐへへへ、可愛いねぇ〜」


 そうそう、カタリーナはこんなだった。

 美しい相貌に騙されてはいけない。

 見た目は美女でも中身はおっさんなのだ。

 だから親しくなった人間からモテない残念な人だったのだ。


「さあ〜、もう一軒行くぞ〜〜〜〜」


 そんな残念な先輩に私は腕をがっちりと組まれて夜の街へ連行されて行った。

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