蠢動 2/掘り起こされた心

 目の前で広がる訓練現場の光景を眺めながら、私とカタリーナは久しぶりの再会を喜んだ。

 遠くで訓練を続ける道の姿を眺め、リーナが耳元で尋ねる。


「ねえ、こんな遠くで彼が見えるの?」

「うん、しっかり見えてる…… これ以上近寄ると私たちの存在を感知できる人もいるかもしれないし……」

「まあ、魔法士の訓練場だからね」

「リーナは見えないの?」

「そこまではっきりとは見えないかな。私は元が人間だからね。レーネと違って元の能力が低いのよ。身体強化をしてもそこまで向上はしないわ」

「そっか……」

「それに私は隠密行動に特化した魔法が得意だからねぇ。近くに寄ってじっくり見れるから、遠視の魔法は覚えてないんだよ」


 彼女の言葉に私は頭の中がスパーク、名案を閃いた。


「あっ! じゃぁ、リーナの魔法で気配遮断すれば彼の側まで近寄れる⁈」

「ん? まあ、ある程度なら――」

「じゃぁ、行こう! 今すぐ!」

「ちょっ、ちょっと待ちなって。時間も時間だ。明日からでいいでしょ?」


 気がつけば照りつけていた太陽は西の空へ傾き、黄金色の輝きを放っていた。


「ああ、もう日が暮れる……」

「そういうこと。彼らももう訓練は終わりでしょ? 今日は終わりにして、久しぶりの再会を祝って美味しいものでも食べよう!」

 

 私はリーナの言葉に同意しながらも、私の瞳はまだ訓練場へ向いたままだった。


    ◇


 東地区は帝都の一角に位置する外国人居住地。

 華やかな海外文化が融合していて、帝都の中でも特段と色彩豊かな街並みが広がっている。

 メインストリートとも言える商店や飲食店の立ち並ぶ一角。白木で彩られたレストランにて、私はカタリーナと久しぶりの再会を祝してゆっくりと時間を過ごしていた。

 緑陽台地の訓練場近くでは外国人は目立つために帝都東光まで足を伸ばしていたのだ。

 

「う〜ん、このお店、ちゃんとゲルヴァニアの味がするわよね。私、好みだわ」


 大きく切り分けた豚の血入り腸詰ブルートヴルストを頬張りながらリーナが笑顔を向ける。

 彼女の表情は明るく、周りの優しい雰囲気に溶け込んでいた。

 私も次々に運ばれてくる料理に舌鼓を打ちながら相槌を打った。


「……それにしても、相変わらずよく食べるわね。どんだけ頼むのよ」


 リーナの呆れた声に思わず喉を詰まらせると、彼女は笑いながら水滴のついたグラスを差し出す。

 少しむせながらグラスを受け取ると、涙目の私は一気に飲み干した。


「あははは。そんなに慌てず、ゆっくり食べなよ」

「……人を大食漢みたいに言わないで。最近…… いや、ここ数ヶ月は碌な料理モノを食べてなかったから」


 そう、調律者ハーモナイザーの任務で貨物船を監視に始まり、カオスナイトメアが暴れて倫道を見つけた後にずっと見守っていた…… 外食なんてしている暇がなかったのだ。

 だからしょうがないとリーナへ訴えるが、彼女はさらに笑う。


「ただの食いしん坊でしょ」

「……う゛っ」


 豚脚のローストシュバイネハクセに手を伸ばした私に身も蓋もない指摘をする。

 もう抵抗する気も失せ、認めた方が楽になる。

 そうだ。私は美味しい物が好きだ。

 この骨付き豚すね肉は骨の周りが美味しいのだ。


「……ゲルヴァニア料理好きなの?」

 

 私が骨の周りを熱心に食べてるとリーナが頬を赤らめて笑いかける。

 ワインを口にする彼女は美しく妖艶な姿であり、妙齢の女性として私にも魅力的に見えた。

 背も169センチと高い方で、手足は長くメリハリのある魅惑的な体をしている。

 オレンジ色のサラサラな髪は、薄い水色の瞳と合いまって彼女の明るい性格を写しているようだ。

 ショートカットの髪型が端正な顔をより引き立たせていた。


「……うん。デーモニアから落ちてきて、最初に食べた国の料理だし…… ヴィートの生まれた国だし」

「そっかそっか。私と会ったのもゲルヴァニア国になる前のオルティア王国だったしね」

「そう。調律者ハーモナイザーとなるために連れて行かれた王都のオルリアンにも長かったし」

「故郷の味って感じ?」

「……よく分からないけど、そんな感じ…… なのかな」

「故郷…… か……」


 リーナはグラスに残っていた葡萄茶色えびちゃいろの酒をグイッと一気に飲み干す。

 美味しそうな吐息をつくとボトルからグラスへワインをなみなみに注いだ。

 私のグラスにも注ごうとしたが手をかかげて断る。

 飲めなくはないが、あまりアルコールの美味しさを感じることはなかった。

 私の見た目も10代のままなので、他人の目も気になるし。


「ねえ、リーナの故郷って確か北欧よね?」


 もう一口、勢いよくワインを煽るリーナへ質問をすると、トロンとした瞳を物憂げに宙へ彷徨わせる。


「そう、北欧の片田舎。冬の厳しい寂しい場所……」

「有名な魔法士の家系で生まれたんでしょ?」

「まあね。古くから続く名門ディクスゴード家のご令嬢として、それはもう愛されて育ったわ」

「ふふっ、ご令嬢って」

「何よ、これでも小さい頃は可愛かったのよ」


 頬を膨らませて抗議するリーナ。

 いつも通り大酒を喰らう彼女であったが、なんだか今日はいつもと違っていた気がした。

 そんな彼女に思わず聞いてしまう。


「そんな可愛いご令嬢がなんで調律者ハーモナイザーなんかやってるの?」


 今までフニャフニャと首を動かしていたリーナがテーブルに肘をつき頬杖をする。

 その双眸はしっかりと開かれ、瞳はどこか暗い影を落としていた。


「珍しいわね。レーネが他人の話を聞くなんて……」


 調律者ハーモナイザーになる者たちは過去になんらかの理由がある。

 それは過去の傷でもあり、その理由を聞くのは不文律となっていた。

 私の場合は特殊な例として、少なくない数の者たちが知っていたのだが。

 特に興味もなかったと言うのも私が尋ねなかった理由でもある。

 しかし、今日のリーナを見ているとどうしても聞いてみたくなってしまったのだ。


「ごめん…… でも、気になった」

「……そう」


 リーナはクスクスと笑うと、また一口でワイングラスを開ける。

 空いたグラスに注ごうとしてボトルを持ち上げると空なのに気がつき、店員にお代わりを頼んだ。

 彼は上品な礼を残しホールから姿を消すと、すぐに同じワインのボトルを手にして、柔かな笑顔と共にテーブルに戻る。

 慣れた手つきでコルクを抜くと、優雅な所作でルビー色のワインをグラスへ注いだ。


「別に大層な理由じゃないわ……」


 店員へ見惚れる様な微笑を返してワイングラスを手に取ると、中の液体を回しながら彼女はグラス越しに私を見つめた。


「私も…… 貴女と似た感じかな…… 愛した人といずれ再会する日を夢見て…… ね」

「えっ⁈」


 思いもしなかった告白に手からフォークが落ちた。


「……そんなに驚く事ではないわよ。結構よくある話だから」

「…………」

「私はレーネとちょうど反対と言ったところかしら。私は人間、相手は魔物だったから」

 

 彼女は寂しげに笑うと、回していたワインを口に含む。


「私の先祖も魔物の血が入っているから純然たる人間てわけでもないけどね。色々あって彼とは死に別れてしまったわ。魔法士の家柄から、この世のことわりは理解していたし、管理者の存在も知っていた。……まあ、絶望をしていた私をアフロディアが勧誘して…… いつの間にかって感じね」


 静かにワイングラスをテーブルに置くとリーナは窓の外へその美しい瞳を向ける。

 私も釣られてそちらへ顔を向ける。

 窓の外では未だ多くの人々が行き交っていた。

 子供の手を取り家族3人で仲睦まじく歩く姿、肩を寄せ合い楽しげに話をする恋人同士。

 

「実はね…… 転生した彼と会うなんて出来ないと諦めていたんだ。だってそうよね、生まれてくるのは前世の記憶もない別人…… だもの」


 まだ窓の外を見ながらリーナは続けた。


「でも、今回。レーネが想い人の魂を持った人と出会ったのを実際に目にして…… 希望というか…… なんかよく分からない感情が湧きあがった。でも、私の場合はレーネとは違い、魂にマーカーが付いている訳じゃないから難しいのも理解しているの。でもね…… 遥か昔に…… 忘れていた気持ちが溢れてきてね……」


 初めてみるリーナの涙。

 その涙は美しく、とても悲しい色をしていた。

 彼女は私の手をそっと握ると。


「レーネ。貴女が私の希望でもあるの。だから貴女の横でこれからの貴女たちを見させて……」

 

 頬を伝う雫がグラスに落ちる。

 儚く笑う彼女、青く透明に輝く瞳の奥では、彼女が背負っていたあらゆる感情が虹のように色を変える。

 私はカタリーナの心を初めて覗いた気がしていた。

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