変遷 8/訓練

 重々しい空気の中、喚問も終わり魔道兵器戦略会議は閉幕した。


「やあ、倫道! それに久重、清十郎も! 体は大丈夫かい?」

 

 幹部の方々を見送り、最後に会議室を退出するとバーリさんが廊下で待っていた。

 丸い眼鏡の奥にのぞく深い緑色の瞳を弓なりにして笑顔で手を差し出してくる。


「はい、無事に回復したので明日から訓練に戻ります」

「そうかい。それは良かった!」


 差し出された手を掴むと力強く握り返された。

 続けて、久重と清十郎と握手をし、無事を喜び久重の肩を叩く。


「先日は本当にありがとう。改めてお礼を言うよ」

「いえ、もう何度もいただいています。お気になさらずに」

「いや、君たちには何度お礼を言っても足りないさ。危険をかえりみみず、勇気ある行動のおかげで僕の命は救われたんだ。本当に感謝しているよ」

「自分達もバーリさんが守ってくれたおかげで、こうして生きています。ありがとうございました」

「そうですよ。結局、俺たちは何もできなかったもんな。なあ、清十郎」

「ああ…… そうだな。なのでもう感謝するのはやめてください」


 真剣な眼差しで頭を下げたバーリさんへ俺たちも感謝の言葉を伝える。

 頭を上げたバーリさんは少しだけ照れ臭そうに、困ったふうにまなじりを下げた。


「OK、わかった。お互いこれで最後にしよう」


 彼はそう言うと白銀の髪をかきあげ笑う。

 そうして俺たちはしばしの間、バーリさんと雑談をして再会を喜んだ。


「……ところで、バーリ中尉は先ほど何故あのような証言を……」


 会話が少し途切れた時、清十郎がバーリさんへ尋ねる。

 それは俺もいつ聞こうか迷っていたが、先に清十郎が聞いてくれた。


「ん? なんの話だい?」

「カオスナイトメアが疲弊していたと言うところです」


 バーリさんは清十郎から俺へ視線を移す。

 彼の瞳を真っ直ぐに見返して大きく頷いた。


「ん〜〜〜〜」


 まるで外国の俳優然とした整った顔を、眉や額の辺りにシワを寄せて唸る。

 やがて瞼を開くとニヤリと口元を引き上げた。


「あの状況、全てを話しても信じてもらえないだろう。そもそもあの場にいた誰も最後を見ていないのだから。私は倫道が立ち向かっていくその背中を見たのは覚えている。その後は分からない。そして、その倫道でさえ分からないと言うのだ。だから事実だけを考えた。カオスナイトメアが倒された事実だけをね」


 彼の言葉、それは俺を庇ってくれたほかない。

 バーリさんが肯定してくれたおかげで俺は厳しい追及から逃れたのだ。

 彼の気遣いに心が熱くなる。


「ありがとうございます。バーリさん……」


 頭を下げようとした俺を彼は手で抑えた。


「もう最後にするって言っただろ」

 

 バーリさんは微笑むと眼鏡を指で直す。


「さあ、もう行かなければならないな。これからある場所へ行く予定なんだ」

「ある場所…… ですか?」

「そうさ、ある場所だ」


 俺が困惑しながら尋ねると、バーリさんは悪戯っ子のような笑顔を向けたまま答えた。


「うん、それがどこで何をするのかは、また次に会ったときにでも話すとしよう。では、また会おう」


 その言葉と共に、バーリ・グランフェルト中尉は俺たちの前で踵を返し廊下を進んでいく。

 残された俺たちは、3人で顔を見合わせると彼の背中を見送った。


 そんなバーリさんの後ろ姿を思い出していると、教官の大声が響いた。


「よーし、各自休憩! 1520ヒトゴーフタマルより限界訓練フィールドアスレチックを行う! 装備一式を身につけ集合せよ」

 

     ◇


 初夏の日差しが照りつける訓練場のアスレチックフィールドには、時折飛んでくる教官の叱咤と返事ともならない唸り声が響いている。

 休憩という名ばかりの準備時間を使い、俺たちは野戦用装備一式を整えて通称『限界訓練フィールドアスレチック』を行なっていた。

 砂袋で重さを増した背嚢はいのうを背負い、刃の付いていない模造刀を腰に差し、弾の入っていない重いだけの自動小銃をぶら下げて。

 筋肉が緊張と解放を繰り返し、汗が地面を濡らす。

 俺たちは、強くなるため、生き抜くために一切の余裕を捨てて訓練に励んでいた。


 区画をされ、魔道大隊専用のフィールドには巨大な壁や吊り橋、ロープクライミング、バランスビームなど、様々なアスレチックが巧みに配置されており、それぞれが異なる訓練の目的を持っていた。


「神室! さっさと渡れ! バランスビームを渡る時にいちいち焦るな!」

「〜〜〜〜〜はい‼︎」


 低い平均台に似た角材の上を、落ちることなく駆け抜ける。

 角材はノコギリの刃の如く一定の距離へ行くとその向きを変え、踏破を困難にしていた。

 一歩でも踏み外せば『死』…… では無く、死よりも苦しいペナルティを与えられ最初からやり直しだ。

 また制限時間もあり、それを過ぎると同じくペナルティを与えられやり直し。

 落ちずにギリギリの速さで渡る、すなわちバランスとスピードが要求される。


(くっ⁈ 背中の背嚢はいのうが方向を変えるときにブレる……)


 背嚢はいのうの重さに振り回されながら精一杯のスピードで駆ける、細心の注意を払ってだ。

 汗が滴り容赦なく目に入るが、手に構えている小銃が顔を拭くことを許さない。


「よーし! 休むな! さっさと壁を登れ!」

「……はい!」


 やっとバランスビームを走り抜けると、目の前には3メートルを超える巨大な木の壁がそびえる。

 小銃を肩に担ぐと、吊るされたロープを両手でしっかりと掴む。

 壁に足をかけロープクライミングをして頂上から反対側へ垂直降下。

 そして休む暇もなく地面をぬかるませたトンネルをくぐり抜けた。


「堂上! 神室に遅れているぞ!」

「――はい!」


 俺のすぐ後を久重が追ってくる。

 ちらりと一瞥すると、泥だらけの顔を苦しそうにしかめていた。

 しかし、その眼光だけは熱く燃えている。


「……はぁ、はぁ…… 負けねーぞ……」

「……俺だって……」


 追いすがる久重へ思わず口角が上がる。負けじと精一杯の痩せ我慢だ。

 ほぼ同時に重機用の巨大なタイヤが積まれた前まで駆け寄ると、それを協力して運ぶ。

 競争から一転、共同作業をする。


「うぉおおおおおおお――」

「オラァアアアアア!」


 200キログラムはあるタイヤを所定の位置まで運び、積み上げる。

 腕は痙攣けいれんし震えるが、腹の底に力を入れて持ち上げる。


 疲労困憊ひろうこんぱい、足元がフラフラになるが前へ前へと膝を動かす。

 最後となる魔法発動の訓練だ。

 

 俺たち魔道士の訓練場が一般兵と区分けされている理由がここにある。

 この施設をぐるりと囲む高い壁と天井、そして魔法に対する強力な結界に覆われた魔法射撃訓練場。

 まだ未熟な訓練生が魔法を暴発させても他所へ被害が及ばないように。


 20メートルほど先に標的となる木人形が並ぶ。

 大きく開け放たれた扉から室内に入り、肩で息をしながら準備を進める。やっとクソ重い背嚢はいのうを背中からおろせた。

 しかし、今からがこの訓練の本番だ。


 限界訓練には意味がある。

 極限まで体を苛め抜かれた俺たちは息も絶え絶え、体力もほとんど残っていない。

 酸欠状態で頭の中は真っ白となり、呪文の詠唱もままならない。

 魔力は残っているが、それを制御するための精神力と思考が追いつかないのだ。


「早くしろ! 敵は待ってはくれないぞ!」


 一段と激しい檄が飛ぶ。


「……はっ、……はっぁ、黒姫――!」


 呼吸を整える暇もなく、右手の魔法印に意識を集中し、黒姫を顕現させると魔法発動へとその形を変化させた。


「【黒焔針――‼︎】」


 直径3センチ、長さ20センチほどの太く鋭利な漆黒のニードルが2本浮かび上がる。

 それを人型の木像へ投げつけるように腕を振り疾走させた。

 2本のうち1本が胴体に突き刺さり、漆黒の炎を舞い上がらせる。

 

「神室――! 1本外したぞ! 次!」

「――はい! 【黒焔針‼︎】」


 叱責され、すぐさま第2矢を放つ。

 今度は2本とも木人形へ突き刺さったが、炎が弱い。

 碌に魔力を練らず形だけの黒焔針を飛ばした結果だ。

 また叱責され、すぐに第3の矢を放つ…… それが後5回続いた。


 魔力を全て使い果たして、体力と精神力を極限まですり減らした俺は、足元をフラつかせながら訓練終了の許しを得た。

 教官への挨拶すらまともに出来ず、倒れ込みそうになった体を横から抱きかかえてくれたのは五十鈴であった。


「――大丈夫⁈」

「……ああ、大丈夫 だ よ」

 

 先に訓練を終わらせていた五十鈴は、心配そうに覗き込みながら俺を地面へ座らせると、手に持っていた水筒を渡してくれる。

 力の入らない腕で水筒を受け取ると、一気に喉を鳴らして流し込む。


「……全魔力を使うなんて。まだ万全じゃないんだから無理しないで」


 眉を八の字にしながら心配する五十鈴に大きく頷くと、射撃場へ視線を向けた。


「……揺蕩たゆたう宇宙の 脈動よ、……地の息吹と共鳴し、我が 意志に応えて力を解き放て。――落ちろ【重煌破じゅうこうは!】」


 久重が詠唱を終えると1体の木人形が上からの見えない圧力により地面へめり込み、歪な形で粉砕した。

 彼の得意魔法である重力魔法【重煌破じゅうこうは】だ。

 詠唱に時間がかかるため、俺よりもいささか遅れて訓練を終わらせた。


「……お、お〜 おわ った ぜ」


 大きく息を切らしながらもしっかりとした足取りで俺の横まで歩いてくると、どかりと腰を落とした。


「ほら、久重も」

「おお…… 悪りぃな……」


 久重は五十鈴から水筒を受け取ると一気に飲み干して、安堵の息を深く吐いた。


「流石に…… きついな…… また倫道に負けた」

「……いや、俺はもう動けない。まだ余裕のあるお前の勝ちだよ」


 俺は素直に底なしの体力を持つ久重を賞賛する。

 すると背後から声がかかった。


「確かに戦場だったら堂上のほうが上かもしれんな。魔法を発動して倒れていたら話にならん」


 青い顔をした清十郎が久重を誉めるでもなく、俺へ文句をつける。

 言い返したいところだが、的を得た指摘に思わず押し黙った。


「で、でも…… 清十郎くんも倒れていたよね……」


 龍士に背後から刺された清十郎は、俺からそっと視線を外した後、キッと龍士を睨んだ。


「……余計なことは言わないでいい」

「あ、ご、ごめん。でも本当の――」


 眼鏡の奥で燻んだ黒灰色の瞳が光ったのを見て、口に手を当てて黙る龍士。

 そんな2人のやり取りに俺たちは顔を見合わせると声を出して笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る