変遷 5/緑陽台地

 巨大な訓練施設が広がる緑陽台地。

 帝都東光からは少し離れているが、帝国を代表する山と海を一望できる鮮烈な風景が広がっている。

 一段高くなっている高台から海岸線沿いを見れば、遠くに須賀湾も視界に入った。


 遠くでは乾いた銃声、飛び交う流弾が笛に似た甲高い音を響かせる。

 訓練施設の先には軍事的訓練を行う広大な演習場も併設されている。

 ここ緑陽台地では、大日帝国の兵士や訓練生たちが己を鍛え上げるため懸命に訓練へ励んでいた。


「「「いっち! いっち! いっちにい! そーれ!」」」

「おい! チンタラ走ってんじゃねーぞ!」

「「「はい!」」」

「分かってんだったらスピード上げろ!」

「「「はい!」」」


 ジリジリと太陽が照りつける訓練場には、さまざまな施設があり、そこには多くの器具が設置されている。

 馬術訓練場の横にあるトラックでは、午前中の講習を終えた訓練生が1時間半以上前から走らされていた。

 

「あと5分! 各自全力で走れ――!」

「「「はい!」」」


 やっと終わりが見えた。

 後5分!

 今までは隊列を組んで走っていたが、各自全力の号令がかかった途端に列は解ける。

 いきなりの競争に、俺たちは全速力で駆け出した。

 

 暴れる心臓を抑え込み、張り裂けそうな肺へ空気を送り込む。

 痛む横っ腹を抑えながら、力が抜けそうになる足を必死に進める。

 何分経った? 終わりの号令は?

 まるで時が永遠に引き伸ばされた感覚。

 酸欠で目の前が真っ白くボヤけ始める。

 つんのめりそうになりながら必死に前へ前へと足を伸ばしていると――


「1位、神室倫道!」


 教官の声で自分がゴールしたと知る。

 胸一杯に酸素を吸い込み、意識が戻る。目の前に色が戻り、血液が身体中を激しく巡っている音が聞こえた。

 ゴールから数歩横にそれると膝から崩れ落ち、はしゃぐ犬みたいに浅く体全体で呼吸をした。


「2位、堂上久重〜」

 

 やや遅れて久重が俺の横へ倒れ込んでくる。

 獣の様に四つん這いになりながら胸を上下させ、息も絶え絶えながら悔しがる。

 とめどなく流れる汗が、額から顎先から滴り落ち地面を黒く濡らした。


「ちくしょう…… また、倫道に…… 負けた……」

 

 端正な顔を苦しさに歪め、双眸を深い皺になるほど強く瞑る。

 やがて少しずつ息が整うと、俺の視線に気がつき見つめ合うこと数秒、思わず吹き出す。

 お互い真っ赤にして苦しげな汗まみれの顔に笑ってしまった。

 

「おい、随分とひでぇ顔してるぞ……」

「お前こそ……」


 上半身を起こし、まだ大きく呼吸をして揺れ動く頭で次々にゴールしていく者を眺めていると――


「5位、十條五十鈴」


 俺たちの横までフラフラな足取りながら、五十鈴は倒れ込まずに歩いてくる。


「ふう、ふぅ…… 流石に早いわね……」


 後ろで束ねた黒髪を大きく揺さぶりながら肩で大きく息を整える。

 汗で張り付く訓練着、一緒に揺れる胸部。俺たちは視線を逸らしながら感嘆の声を上げた。


「五十鈴こそ…… 凄いな」


 24名からなる教練部隊。そのうち5名は女性である。

 その中でも五十鈴は抜群の運動能力と技能で上位5名に入る。

 今も自分より体格も勝る男子に体力で引けを取るどころか勝つのだから恐ろしい。


「なに言っているの…… 倫道の方こそ最近すごいじゃない」

「違いねぇな」


 そう言って笑う幼馴染の2人は笑顔を浮かべる。

 息を飲み込むように深く深呼吸すると、俺はやっとのことで立ち上がった。


「そうかな?」

「そうよ」

 

 未だ滴り落ちる汗を訓練服の袖で拭うと、五十鈴が心配そうな顔で覗き込んできた。


「ねえ? 本当に体の方は大丈夫?」


 須賀湾での警戒任務に駆り出され、脅威レベルがA級の妖魔『カオスナイトメア』と遭遇。

 初めての実践でとんでもない化け物と俺たちは戦った。

 運よく命は取り留めたが、ひどい怪我を負って先日まで入院していたのだ。

 そんな俺たちの体を心配し、憂わしげな表情で見つめてくる。


「もう大丈夫だ。通常の治療と共に何度も回復魔法をかけてもらえたからな」

「でもまだ2週間ちょっとしか経ってないのよ?」

「ああ、問題ない」


 五十鈴を安心させるため精一杯の笑顔を作ると、横から久重が不満げな顔で俺の肩口に顎を乗せた。


「俺も入院していたんですがね」

「あら久重、あんたは頑丈さだけが取り柄でしょ? あんたの場合、唾つけときゃ治るのよ」

「なんだと⁈ 人を化け物みたいに言うな!」

「何よ! 褒めてるのに怒らないでよ」

「褒めてねぇーんだよ!」


 お互いの額をグリグリと擦り付け睨み合う久重と五十鈴。

 仲がいいのか悪いのか…… いつもの光景だ。

 軽くため息をつき続々とゴールする同期の様子を見ようと2人から視線を外すと、氷川龍士が大きく深呼吸しながら近づいてきた。


「相変わらずだね…… 怒られちゃうよ」

「ああ、何度言っても変わらないんだ」

「くくっ、倫道くんも苦労するね」

 

 明るい茶色をした前髪で目元は隠れているが、口の端をあげて笑う龍士。

 背は俺より低く大人しい印象だが、実力はこの部隊でも5本の指に入る。

 氷系の魔法を得意とし、独特な格闘術を会得していた。

 思わず得意の氷魔法で冷やしてくれと頼みそうになったが、勝手に魔法を発動して教官に見つかると大目玉を喰らうので止めておく。


「何位だった?」

「なんとか8位に入ったよ」

「そうか…… お疲れ」

「うん……」


 龍士はいささかゲンナリした言い方で順位を言う。

 それには訳があった。

 ゴールした順位番号に準じて腕立てのペナルティが設けられているのである。

 俺の場合は、1位なので1×10回の腕立て伏せをする。龍士は8位なので80回の腕立て伏せをする訳だ。

 だから皆、死に物狂いで誰よりも早くゴールを目指す。


「……まあ、僕はまだいい方かな……」


 たった今、ゴールをした青年へ顔を向けて龍士はボソリと呟いた。

 俺たち5名の班、最後の1人、安倍清十郎。

 膝から崩れ落ち、四つん這いで大きく肩で息をする。


 俺たちは、ゼーゼーと苦しそうに息をする清十郎の元まで近寄ると久重が人の悪い笑みを浮かべる。


「おい、22位って…… 女子にも負けてんぞ」

「…………」


 中腰になり顔を近づけて揶揄からかう久重に、キッと鋭い視線で睨むが激しく息をするだけの清十郎。

 激しい呼吸で、とても言葉を出せる状態ではない。

 少しずつ呼吸が治まるのを見計らい、俺は彼の前に手を差し出す。

 鋭い視線のまま見上げて大きく息を吐き出すと、俺の手を勢いよく握り立ち上がった。


「……俺は、お前らみたいな…… 体力バカとは…… 違う……」


 ごくりと唾を飲み込み方で息をする清十郎は、こんな時でも言われっぱなしではない。

 古くから続く呪術の名家でもある安倍家の嫡男としてのプライドだろうか。

 はたまた、ただの負けず嫌いなのか。


「お? 負け惜しみか?」

「……ふん」


 流れる汗を拭き取ると、胸ポケットに仕舞っていた眼鏡を取り出す。

 清十郎のトレードマークとも言える四角く細い黒縁の眼鏡だ。

 眼鏡をかけた彼は黒灰色の髪をかけ上げ、久重の挑発を横目で軽くあしらった。


 俺たち5人は、この教練部隊でも同じ班であり、それはこの部隊で成績上位5名であることを意味する。先日の須賀湾への警備任務で一緒にいた理由でもある。

 馬の合わない久重と清十郎がそばにいるのは、同じ班だからだ。

 まあ、実際は仲は悪くない…… と思う。

 そんなことを考えていると、上官の厳しい声が耳朶じだに突き刺さった。


「コラー‼︎ いつまで寝っ転がってるんだ! 弛んどるぞー」

「「「はい!」」」

「よーし! 貴様ら、分かってるな! 腕立てよーい! 始め!」

「「「はい!」」」


 皆が一斉に腹ばいとなり、一心不乱に体を小刻みに持ち上げる。

 早々にペナルティの腕立て伏せを終えた俺は皆が終わるのを待った。

 

 同じく早く終わらせた久重は、わざわざ清十郎の前まで行き数を数えている。

 その光景を笑いながら見ていると、訓練場の脇に立つ隊庁舎へ向かう数名の男たちに気がついた。

 八神晴人教練教官を先頭に、3名の屈強な男性。

 その研ぎ澄まされた所作に、同じ大日帝国の軍人であることをうかがわせる。

 何より、そのうちの1人には見覚えがあった。

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