変遷 4/錯綜する心

「やっと…… 解放された……」


 ぐったりとテーブルに突っ伏したデルグレーネ。

 疲労困憊ひろうこんぱい、魂が抜けて呆けた状態。

 しばらくボーッとうつ伏せになっていた彼女の顔の横、コトリと陶器の鳴る音と共に湯気の立ったカップが置かれた。

 立ち上る湯気は鼻をくすぐり、コーヒーの魅惑的な香りに誘われ思わず起き上がる。

 そこには自分を見捨てて部屋を出ていったエヴァン・モリスが笑いながらテーブルに腰掛けて彼女を見下ろしていた。


「たっぷりとミルクの入ったカフェオレだ。砂糖も入ってるぞ」

「さっき無いって言ってた……」

「君のために買ってきてもらったんだ」

「……ふ〜ん、そりゃどうも……」


 少しだけ機嫌を直したデルグレーネはカップを手にすると、あらためて部屋を見渡す。

 

 調和の守護者ガーディアンズの拠点である洋館、20畳ほどの広さのダイニング。

 落ち着いた色合いで統一された内装は、豪奢な作りの中、歴史を感じさせた。

 10人がゆうに座れる大きなアンティーク調のテーブルが中央に置かれ、エヴァンはデルグレーネと2つほど席を開けて天板に腰掛けている。

 

「それにしても…… 広さの割に人の気配を感じない……」


「ほうっ」と一息。

 薄紅色の唇をカップにつけ、カフェオレの甘さに頬を緩めながら静まり返った屋敷へ呟く。

 エヴァンは軽く笑うと丸型のサングラスを湯気に曇盛らせて紅茶をすする。


「ああ、今は担当も少なくなってね。それに調律者ハーモナイザーは報告をするだけしたら直ぐに帰ってしまうからね。昔の君みたいにね……」


 ニヤリと意地悪な笑顔を向けられ、渋い顔のデルグレーネ。

 思わず昔を思い出してしまった。

 彼とは調律者ハーモナイザーになって駆け出しの頃、欧州方面にて一緒に仕事をした経緯がある。

 今と同様に領域マネージャーであった彼には、今思い出すと随分と迷惑をかけたと思う。

 そんな居心地の悪さから、思わず話を逸らした。


「でも、さっき買ってきてもらったって……」

「ああ、手伝いの人間を雇ってるんだ。もちろん、こちら側の人間だけどね。彼女たちには日常的なサポートをお願いしている。特に物資の買い付けなどはね」

「自分では行かないの?」


 彼はカップを置くと、笑いながら静かに頷いてみせた。


「この大日帝国では外人が珍しいようでね。私みたいな肌の黒い大柄な男は特に」

「ああ……」

「30年ほど前に来た時は色々と大変だった。結構、幾度も拠点は移り変わったよ」

「じゃあ…… 外には出ないの?」

「そうだな、特に外へ出なければならない理由もないし。ほとんど部屋にいるかな。こう見えても忙しいんだよ」

「……ふ〜ん」


 外出もせず、日々変わる事なく調和の守護者ガーディアンズの領域マネージャーとして働く。

 何のためになどと思わず疑問が湧き上がるが、それは飲み込んだ。

 自分達は日陰者。何らかの秘密を心の奥底に持っているのは知っていたから。


 

 人間界オートピア、黎明期から現代に至るまで、人類の歴史はいつの時代も『本来は違う世界の存在』に脅かされ、そして守護されてきた。

 その守護者たちは『調律者ハーモナイザー』と呼ばれ、自らの生命を賭けて人類の調和と平和を守る役割を担っている。

 やがて彼らは組織化され、『調和の守護者ガーディアンズ』と名乗り、世界各国に広がる対魔物組織として機能すると、国々の上層部から秘密裏にその存在を黙認されたのだ。


 調律者ハーモナイザーの日常は、人間社会がまだ認識していない脅威、魔物モンスターを狩ることで占められていた。

 彼らの存在は、一般社会にはほとんど知られず、多くの場合、その活動は人知れず行われている。


 この世界は3つの並行世界〈魔世界/デーモニア〉〈人間界/オートピア〉〈死世界/タナトピア〉で成り立つ。

 オートピアとデーモニアで生を受けた者は、死を迎えるとエネルギー体の『魂』となり、タナトピアへ取り込まれる。

 転生に備えてそのエネルギーを貯め、準備が完了するとオートピアかデーモニアで転生される。

 そうして転生された者はその世界で一生を終えるのだが……

 まれに『時の揺らぎ』と呼ばれる現象が起こり、2つの世界が繋がると、意図せず魔物が人間界へ、人間が魔界へ落ちることがある。

 また『時の揺らぎ』から流れ出る大量の魔素が影響し、人間界で魔物が生まれる場合も多々あった。

 

 ゆえに魔物は、本来人間の世界に存在してはならない存在なのである。

 彼らが引き起こす混乱と破壊は、人間社会にとって莫大な被害をもたらし、その世界の未来を悪戯に変えてしまい終焉を早めるきっかけとなる。

 それを良しとしないフォルセティたち管理者より、世界の調和のため任命されたのが調律者ハーモナイザーである。


 だが、人類も守られてばかりではない。

 多くの国で、古くから魔物へ対抗するために独自の対策を講じていた。

 今では国家レベルでの対魔物組織を設立し、専門の人員を育成している。

 大日帝国では、帝より任命された陰陽師から始まり、今は軍隊の一部として魔道部隊が設立されている。

 しかし、元々の思惑から外れて、世界は魔物モンスターの力を兵器転用を考えるなど、調和の守護者ガーディアンズと違う道を歩き出している。

 世界の調和を願う調和の守護者ガーディアンズは、その監視の目を各国の内部にまで及ぼさなければいけなくなっていた。


 

 キナ臭くなった世界情勢、以前と比べて魔物モンスターの出現頻度も多くなっている。

 デルグレーネが調律者ハーモナイザーとなる以前からこの世界を見ているエヴァンの目にはどう映っているのか……

 そんなことを漠然と考えていると、彼から先ほどより少し柔らかい声で問いかけられた。


「君が調律者ハーモナイザーとなった理由…… そのきっかけとなった人物と出会ったのかい?」


 思わずピクリと肩を震わし、先ほどまでの考えは吹き飛んだ。

 ヴィートの魂が輪廻したであろう『神室倫道』。青年の顔が脳裏に浮かぶ。

 約300年前にアルサス村で天に還った魂は、死世界タナトピアを経てこの時代に転生した。

 彼を見つけた幸運を感じながら、同様に不安も恐怖も感じていた。


「まだ…… 確定したわけではないけど……」

「でも、感じたんだろう? その彼の魂を」

「……うん」


 エヴァンは「そうか」と呟くと天板から腰を浮かせて、大きな出窓まで歩くと差し込む日差しを背に受け、クルリとデルグレーネへ顔を向ける。

 出窓の淵へ腰を乗せると、手に持っていたカップを窓の床板へ置いた。


「それで、君はどうしたい?」

「どうって…… フォルセティの言う通り、大日帝国の軍部へ潜り込んで……」

「違う。君自身はどうしたいかを聞いている」


 エヴァンの表情は逆光となり、伺えはしない。

 どの様な感情で彼は聞いているのか。

 ただ彼の丸いサングラスが、彼女の困り曇った表情を映す。


「……どうしたいかなんて、私にも分からない…… 彼はヴィートではないし、ヴィートの記憶もない…… そんな彼に私はどうすれば……」

「…………」

「……でも、今は、今だけは彼のそばに…… 居たい」

 

 まだ湯気の立つカップを両手で包み込みながら、半分残ったカフェオレを揺らす。


「それは辛い現実を見るかもしれないぞ」


 エヴァンはデルグレーネから視線を外し、窓の外の景色へ顔を向ける。

 彼の横顔から何を言いたいのか察した。


「……分かっている。彼には今の生活が全て。今の彼が何を思い、誰を愛するかは――」


 口にすると胸の奥がズキッと痛み、言葉に詰まる。

 頭では理解しているが心が追いつかない。

 どうしても身勝手な希望を願ってしまう。私を思い出してと。


「――でも、それでも私を…… 抱きしめてほしい! ラウラって。ヴィートにもう一度抱きしめてほしい‼︎ 彼の、彼のそばに居たい!」


 300年間、デルグレーネが抑えていた感情が溢れ出す。

 心を閉ざし、多くの感情に蓋をして過ごしてきた。

 彼に会うために。

 ならば、その感情が爆発するのも当たり前かもしれない。

 彼女がここまで生きてきた意味が目の前に現れたのだから。

 いつの間にか彼女の頬には煌めく雫がとめどなく流れていた。


「それは調律者ハーモナイザーを辞めると……」

「…………」

「君たち調律者ハーモナイザーが存在するのは、魔物モンスターとの戦いが終わらない証拠。我々調和の守護者ガーディアンズは人類世界のより良い未来へ導くため、そのために命懸けで戦っている」


 彼の言葉にデルグレーネは少なからず動揺し、悲しそうな顔で首のチョーカーを触る。


「私は…… ヴィートとまた会うために調律者ハーモナイザーになった。でも…… そうだね。生まれ変わった彼と会った後のことは考えてもいなかったし、管理者フォルセティたちとも話しはなかった。……ねえエヴァン、私はどうすればいいのかな?」


 白金色の瞳ですがるようにエヴァンを見つめると、彼は首を横に振った。

 

「それは、俺には分からない」


 床板に置いたカップを再び手にし、冷めたカフェオレを喉に流し込むと徐に立ち上がる。

 廊下へ続く扉に向かいながら、彼は憂い俯いているデルグレーネへ告げた。

 

「……君を大日帝国の軍部へ潜入させるにはそれなりの工作をしなければならない。先ずはゲルヴァニア国へ根回しをして、かの国からの魔道士として派遣する。その辺は軍上層部へ圧力をかければ問題はないと思うが、派遣先を指定するとなると大日帝国へも色々と動かなければならん」


 ドアノブへ手を伸ばし、振り向きながら続ける。


「兎も角、君を大日帝国の軍部へ潜り込ませるには時間がかかると言うことだ。その間は、この地域の見回りとカオスナイトメアと戦った者たちの監視を命じる」

「え⁈ それって……」


 デルグレーネの瞠目した白金色の瞳が輝き潤む。

 

「やはり砂糖入りのコーヒーは私には合わないな」


 サングラスの奥でウインクをした高身長の領域マネージャーは、少しき身を屈めながら扉を開けて部屋を後にした。

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