変遷 2/調和の守護者
帝都から30キロほど離れた山間、古めかしくも
漆喰で塗り固めた白亜の壁は年月を感じさせ、建物を覆うツル植物がその茎を伸ばし青々と茂っている。
外では虫や蛙の声が響く洋館の一室、エヴァン・モリスの執務室。
窓ひとつないこの部屋の壁一面には多くの地図が掛けられ、棚には古ぼけた本が山と積まれていた。
奥には重厚なデスクが置かれ、
デスクに肘をついて指を組み、薄い色味のサングラスの奥から報告者の様子を伺う。
その彼の前に立つのは、同じく
「エヴァン、
「ああ…… そのようだな。しかし……」
デルグレーネの首に巻かれたチョーカーを薄く色の付いたガラスの奥、深い茶色の瞳で見つめる。
視線を感じた彼女は思わず指でなぞった。
「……何かあったのか?」
「別に…… 何も……」
視線を外しぶっきらぼうに答えると、エヴァンは短く刈り上げた黒人特有のクセの強い黒髪を掻きながら首を振る。
「何もないは無いだろう? チョーカーのリミッターが作動した。一時的に君の魔力が跳ね上がった証拠だ。私はその理由を知らなくてはならない。分かっているとは思うが……」
「ええ、分かってる…… 私は特別な監視対象だからね」
自虐的に笑うデルグレーネは、もう一度、首に巻かれたチョーカーをなぞり忌々しそうに吐き捨てる。
白く細い首に巻かれた漆黒のチョーカー。
それはただのアクセサリーではなく、魔力の抑制と通信機能をもつ重要な装置だった。
そして、その装置が今、デルグレーネの魔力が急激に跳ね上がった事実を示していた。
エヴァンはため息を漏らすと、重厚な造りの椅子を引き立ちあがった。
アフリカ系の黒人である彼は、細身であるがかなり背が高い。
2メートルほどあるだろうか。
一般的な家屋より階高の高い洋館でさえ、彼には少し窮屈に感じてしまう。
そんな彼が足取り重くデルグレーネの横を通り過ぎると、パチンと指を鳴らし魔法具にて湯を沸騰させた。
この部屋唯一の棚からカップを2つ取り出し、上品な所作でコーヒーを淹れる。
鼻をくすぐるアロマが部屋中に充満し、ほろ苦い味を連想させた。
「ほら、君もどうだい」
湯気の立つカップを手渡され両手で受け取る。
エヴァンはデスクに尻を乗せ、旨そうにコーヒを楽しんでいる。
「……砂糖とミルク」
ボソリと呟くデルグレーネへ、エヴァンは謝罪をしながら笑う。
「すまないね。ちょうど切らしていて。今度は用意しておくよ」
「……いつもでしょ。 ……にが」
舌を出して眉を八の字にする彼女の顔を愉快そうに眺めると、さらにもう一口飲み込んだ。
「それで、理由なんだけど――」
エヴァンの言葉を遮り、デスクの上に置いてある水晶が鈍い音と共に発光した。
彼は肩をすくめると「ほらね」と言いながら、デスクから尻をどかし水晶へ向き直る。
丸型のサングラスを正して彼女へ視線を送ると、その横にデルグレーネも並ぶ。彼女は小さなため息をついてカップをデスクへ置いた。
『やあエヴァン。 ……それにデルグレーネも』
水晶から優しげな男性の声が響く。
声の主、それはこの世界の管理者を名乗るフォルセティであった。
『お久しぶりですね、デルグレーネ。元気でしたか?』
「ええ、まあ……」
『それは何より。貴女の報告はいつも目を通しています。真面目に取り組んでいるようですね』
「……どうも」
水晶へ向かって軽く頭を下げる。
これは神々が住まう天上界アースガルズとこの世界をつなぐマジックアイテムであり、通信手段として調和の
双方の音声通信と一方的にこちらの映像は向こうへ見えているらしい。
「フォルセティ様、今日はどのようなご用件で」
エヴァンが無愛想なデルグレーネへ変わり、通信の要件を尋ねる。
分かりきってはいたが、一応、この極東地域の領域マネージャーとして振る舞う。
『ええ、ご存知の通りです。デルグレーネの魔力が急激に跳ね上がり、それを感知したリミッターが作動しました。その件の詳細を聞きたいと思いましてね』
◇
神々が住まうアースガルズ。
天空に広がる神聖な領域、その中心に立つのは『世界樹』と称される壮大な巨木。
静寂と清浄の光に包まれた世界は広がりを見せ、世界樹の周囲に中空に浮かんだ神の住居となる宮殿が並ぶ。
それら荘厳な建築物は四方八方に散在しており、その1つ1つが神々の性格や特性を表した多種多様な形状で構成されていた。
中でも目立つ建築物が『黄金宮グリトニル』だ。
神の一柱、女神フレイヤによって創り出されたこの宮殿は、玉葱型の屋根であるクーポルに見事な金彩が施されてた、その名の通り金色に輝く白亜の宮殿であり、世界樹の中心近くに位置している。
その広大な宮殿内には、大小さまざまな部屋やホールが存在し、それぞれに特定の役割を持つ。
ある部屋では新しい星や生物が生み出され、またある部屋では既存の世界の進化の過程が映し出されていた。
それらの部屋を使い様々な実験や観測を行う者を『管理者』と呼ぶ。
女神フレイヤより任命された地位であり役職、
管理者たちは、彼らの名前の通り、それぞれの世界の様々な出来事や生物たちの進化を監視し、必要に応じて介入する。その役目は重く、失敗は許されない。
フレイヤの神意は、すべての生命が幸福な世界の構築。
そのためには、進化の過程や環境の変化を見守ることが必要だった。彼女は、管理者たちにその重要な役目を託していた。
1つの世界の誕生から終わりまで、その成長を見届ける。
彼らはその役割を誇りに思い、永劫の時を超えて日々の業務を
ブラウンを基調とした組み木細工の濃淡が美しい壁と色彩豊かな天井の一室。
黄金宮グリトニルの中、『調和の間』と呼ばれる部屋。
この部屋の壁やあるいは中空に、様々な場所を映す数多くのスクリーンが浮かんでいる。
世界の情報をリアルタイムに表示し、この部屋の管理者たちがそれらを通じて観測しているのだ。
その中のひとつ、色とりどりに場面が切り替わるモニターとは別に男女が並んだ画面へ管理者フォルセティは話しかける。
〈魔世界/デーモニア〉〈人間界/オートピア〉〈死世界/タナトピア〉の3世界を観測する3人の管理者のうち1人である。
「やあエヴァン。 ……それにデルグレーネも」
数あるスクリーンの中でひとつの映像を覗き込みながら話しかける。
そこには見知った2人の
薄暗い部屋に、かなり身長差のある2人が並んでいる。
画面越しには暗くて顔色などはよく見て取れないが、特に問題はなさそうである。
フォルセティはその
デルグレーネの魔力上昇の件だ。
『特に…… 私自身に何かあった訳じゃないです……』
なんとも要領を得ない解答だとフォルセティは苦笑いをする。
「魔力の急激な上昇値が今までの記録から類を見ないほど大きかったのですよ。討伐対象はカオスナイトメアだったのでしょう? 確かに強敵かもしれないが、貴女の力を考えればそれほど動揺する相手ではないですよね」
やや間があってデルグレーネが返答を寄越すが、その表情はあまりよく見えない。
『……死体だと思っていたのに、いきなり生き返ったから。ビックリして……』
「ふむ、確かに動揺するかもしれません。貴女自身も積荷の確認はした訳ですよね?」
『はい…… 私が確認した時も間違いなく死んでいると感じました。でも生きていた……』
「なるほど……」
フォルセティが腕を組み、鮮やかなフレスコ画が描かれている天井を見上げていると、彼の肩口から1人の女性がぬっと顔を出す。
「あら? デルグレーネじゃない! ふふふ…… 相変わらず美しいわねぇ」
熱い吐息が耳元にかかり、フォルセティは鳥肌を立たせて肩をすくめながら勢いよく振り向く。
相変わらず変質的な愛情をデルグレーネへ持ち続けているのかと、いささか呆れながら。
フォルセティと同格であり〈魔世界/デーモニア〉〈人間界/オートピア〉〈死世界/タナトピア〉の3世界を一緒のチームで観察・管理をしている女性。
管理者アフロディア。
緩くウェーブのかかった前髪を書き上げて、深い蒼黒の瞳を輝かせモニターを食い入るように覗き込む。
同じく管理者ザイオンと一緒に調和の間へ入ってきたようだった。
「ねぇ、フォルセティ? ひとりでデルグレーネと話をしていたの?」
「いえ、少し緊急の確認があったものですから……」
「あら? 彼女の観測は3人で共有すると決めたわよねぇ」
「もちろん後で報告はするつもりでしたよ」
「ダメ! 彼女と話す時は必ず同席させなさい。彼女は特別…… ザイオンもそう思うでしょう?」
「む…… 私は報告が上がって来ればそれで構わない」
「……あら、そ。でも私は違う。覚えておいてねフォルセティ」
「はい。分かりました。アフロディア」
鼻息の荒いアフロディアを刺激しないよう謝ると、ザイオンへチラリと視線を投げる。
彼は自分の席へ書類を置くと、遠巻きにモニターを見える位置へ動いた。
なんだかんだで気になるようであった。
「それで確認て何?」
ザイオンへ投げかけていた視線を慌てて戻すと、アフロディアの美しい顔が間近に迫る。
思わず苦笑しながら先ほどまでの会話をかいつまんで説明した。
「なるほどね…… それはちょっと気になるわね。強敵と言っても普通に戦えばデルグレーネが勝つのは分かっているし…… まあ、死んでると思ってたのが動いたら驚く……か。そもそも、死んでいなかったのに分からなかった?」
眉間に皺を寄せて小首を傾げる。どうも腑に落ちないといった顔だ。
ザイオンを一瞥すると、無表情ではあるが何か考えているようであった。
フォルセティはこちらの会話を聞かせないために止めていた通信を再開させる。
「失礼、お待たせしました」
会話中に突然途切れた通信を訝しげに待っていた2人もフォルセティの声に姿勢を正す。
「デルグレーネ。貴女の言い分は分かりました。状況も特殊ですからね。それではカオスナイトメアの死体が動いた件を調べてください。生者を屍人とみせる何か新しい薬や技術があるかもしれません。ゲルヴァニア国に戻り――」
『あ! あの‼︎ ひとついいですか?』
次の指示を与えている最中にデルグレーネが割り込んできたので、フォルセティはおろかアフロディアとザイオンも瞠目した。
思わず顔を見合わせると、水晶へ前のめりに近づいているデルグレーネをまじまじと見つめる。
水晶越しの彼女は白金色の瞳を見開き、どこか強い想いが伺える。
「ふふふ…… 珍しいわね貴女が自分から話すなんて。言ってごらんなさい」
アフロディアが嬉々として話しかけると、どこか思案するように目線を彷徨わせ――
決意に満ちた強い眼差しで願いを口にした。
『私を…… この国にしばらく居させて…… ください』
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