再会 2/鼓動

「もう間も無くですね? 船長キャプテン

 

 真夜中の海、ディーゼルエンジンの低い騒音と黒い煙に覆われ、輸送船は静かに航行を続けていた。

 ゲルヴァニア国からの出港からすでに3週間、船はようやく目的地である大日帝国の軍港である須賀湾へ到着しつつあった。


「ええ、後1時間弱で着港の予定です」

 

 船長キャプテンと呼ばれた初老の男性が、腕時計を見ながらにこやかに笑う。

 輸送船の船橋ブリッジでは、ゲルヴァニア国から派遣された魔道技師バーリ・グランフェルトと船長が、漆黒の海の先に灯る淡い光を眺めていた。


「ようやく到着か〜。やっと船酔いから解放されます」

「ははは、今回の航海では大きな嵐に見舞われることなく順調だったんですよ」

「あれ以上に揺られるなんて…… 考えただけでも気分が悪くなりますね」

「では帰国の際には、飛行機で? 最近は航続距離も伸びたと聞きますし」

「う〜ん、まだ乗ったことはないのですが…… 飛行機もかなり揺れると聞きます。それに、距離が伸びたと言っても大日帝国から帰るには何度も乗り換えが必要ですからね。何より墜落が怖い……」

「なら一度、海軍の訓練を受けられたらいかがですか? 航海が楽しくなりますよ」

「いやいやいや、勘弁してください。私は陸で研究している方が性に合っています」


 お互い顔を見合わせて笑い合う。

 バーリは翠かかった美しい金の頭髪をかきあげ、対岸に見える黒いシルエットの山並みへ視線を投げる。


「しかし…… 敵国からの追尾もなく、本当に無事に着いてよかった」

「はい、心からそう思います」

 

 銀縁の丸眼鏡の奥、深い灰色の瞳を細めて感慨深げに呟いたバーリへ船長はにっこりと微笑み、同意した。


「私たちが3週間もこの海を航海してきたのは、ただ一つの目的のためですからね。大日帝国との共同研究、それが成功すれば、今までの努力が報われる」

「戦争が目前に迫っている中で、大日帝国との共同研究は我々の未来を左右するものになるでしょう。魔道兵器の開発、それは新たな時代の幕開けを意味している」


 船長は艦橋のガラス越しに映る空を見上げると、夜空にうっすらと光る星々へ、未来への期待を抱いていた。

 2人の会話は、航海の騒音と混ざり合い、夜の海へと消えていく。

 船首は須賀湾へ真っ直ぐに向かい、その航路は新たな時代への道筋と思えた。

 


 時は先の大戦から二十数年。

 世界は急速な近代化の波を受け、覇権主義が各国に蔓延していく。

 刀から拳銃、馬から車へ。武器はより強力になり、競いあう各国の兵器開発が争いをより大きく拡大する。

 人類は戦争の傷跡を癒やしながらも、新たな紛争の匂いを感じ取っていた。

 各地で小規模な争いが続発し、平和を祈る声は一部の理想と狂気を声高に語る者たちに飲み込まれ、世界は再び不安定な足場へと戻りつつあった。


 世界各地から緊張と焦燥の匂いが立ち込めていた矢先に、大日帝国とゲルヴァニア国の間で結ばれた同盟は、既に高まっていた国際情勢をさらに緊迫させていた。

 かつての宿敵同士、大日帝国とゲルヴァニア国との間に形成された同盟は、世界各国へ重大なインパクトを与えた。対するユナイタス合衆国を中心とした連合国は、来たる脅威に備えて軍備の増強を急いでいく。

 両陣営の緊張は一層高まり、戦争の火花が再び飛び散る日は、着実に近づいていると誰もが気づいている。


 一方、大日帝国に一部占領されている華陽人民共和国も、領土奪還の機会をうかがっていた。

 虎視眈々こしたんたんと、戦局の隙を狙い続ける華陽人民共和国の動きは、既に不穏な世界情勢をさらに揺さぶっていた。


 そして、これらの緊張関係の背後には、急速な化学の発達に加え、魔法の研究と魔道士の育成を急務とした各国の競争もあった。

 魔法の研究と魔道士の育成は、今や国家の重要な課題となっており、各国はこれに多額の資金と人材を投じていた。

 魔法と科学、人間と魔物、古代の知識と現代の技術が融合し、未知なる力の開発……

 魔法の力、覇権を取るために重要な鍵となることを、各国の指導者たちは理解していたのだ。


 大日帝国とゲルヴァニア国は、未知なる力の開発のために同盟を締結したと言ってもよい。

 その先陣として、ゲルヴァニア国から国内でもトップクラスである魔道技師バーリ・グランフェルトを派遣したのであった。


    ◇


 バーリが船橋ブリッジにて船長と未来を語っていた頃、同輸送船の貨物室では着港に備えて積荷の搬出準備に追われていた。


「そろそろ着岸するぞー、各自搬出の順番を確認しておけ」


 中年の恰幅のよい甲板長が書類を片手に、ゾロゾロと集まってくる甲板員へ指示を出す。

 30人ほどの甲板員は、各々が甲板長の手から書類を1枚とると、数チームに分かれて持ち場へ移動する。

 積荷の中でも特殊な鋼鉄製のコンテナ、通常のコンテナとは違う積荷を前に、甲板員のカイルとローマンは箱の状態を確かめた。


「どうだー? ローマン、そっちは」

「ああ、こっちも水漏れなどの異常は無しだ。ストッパーにきっちり固定されてる」

「こちらも問題なしだ」


 通常のコンテナより一回りほど小さいが、それでも奥行きは5メートル程ある。

 奥からローマンが顔を出し、固定金具を確認しながらカイルの元まで戻ってきた。


「しかし、この箱はなんだろうな? 他のコンテナとは違うし、妙に重かったのを覚えてるわ。カイルはこの荷物の担当だから聞いてるんだろ?」

「……聞いてはいるがな」

 

 カイルは周りを見渡し、近くに船員がいないことを確かめると、ローマンに近づくように手招きする。

 ニヤリと笑いながら、箱を指の節でこんこんと叩き、中に入っている『物』を教えた。

 

「こいつにはカオスナイトメアっていう魔物モンスターの死体が入っている。かなりヤバい奴だったらしい」

「マジかよ⁈ なんだってそんな物を」

「ちょっと聞いた話じゃ、ゲルヴァニアと大日帝国とで研究するんだとよ」

「死体なんか研究してどうすんだよ?」

「俺が知るわけねーだろ。ふふ、まあ碌でもねーことは確かだ。だからこれは秘密の積荷ってやつだな」

「マジかよ……」


 ローマンは改めてコンテナを食い入るように見つめると、悪い笑顔をカイルに向ける。


「なあ、このコンテナの予備鍵スペアキーは持ってるんだろ?」

「ん? まあ預かってるけど……」

「ちょっと中を見てみようぜ」

「ああ⁈ お前、何言って――」

「お前だって本物の魔物モンスターなんて見たことねーだろ」

「そりゃあ…… 無いけど……」


 ローマンは辺りを伺うように首を振る。

 船倉の最奥に位置するこの辺りには他の甲板員ら船員の姿は見当たらない。先ほどまで数名はいたが、すでに確認を終えて甲板へ向かったのだろう。


「今なら誰もいねぇ。ちょっと見るだけだって。そんなヤベェ魔物なんか、この先お目にかかる機会なんざねぇぞ! なあ、お前だって興味あるだろ?」

「……ったく、しょうがねぇな」

 

 ローマンの誘惑にそそのかされ、カイルは腰から掛けている数本の鍵の中から1本を取り出した。

 音を立てないように慎重に鍵を回すと、ガチャリと解錠する重い音が響く。


「絶対に秘密だぞ!」

「ああ、わかってるって」


 2人は悪戯を考えている子供のような笑顔で頷き合う。

 慎重に分厚い扉を数十センチほど開けると、開けた隙間からコンテナ内へ滑り込む。


「真っ暗で何も見えねぇな」

「ちょっと待て、今ライトつけるから」


 ローマンが携帯していた懐中電灯のスイッチを入れると、目の前には浴槽に似た鉄製の箱が現れる。

 上部がガラスぽい透明な板で覆われた箱の中を覗き込むと、驚くほど大きな魔物モンスターが横たわっていた。


「「ヒィィ――‼︎」」


 思わず叫び声をあげ、カイルは後退り、ローマンは懐中電灯を落としそうになる。


「おっ、落ち着けって。死体なんだからよ」

「お前だって驚いてたじゃーねーか」


 ヒソヒソと声を潜めて、照れ隠しをするべくお互いを罵る。

 落ち着きを取り戻したローマンは、改めて懐中電灯のライトで魔物モンスターを照らした。


 箱の中は透明な液体で満たされており、その中で固定された人間に似た体格。手足を投げ出し水中に沈む。

 およそ3.5メートルほどの体長に、赤黒く硬質な短い毛で覆われた肌。

 顔を照らすと馬と牛を合わせたような頭部。

 筋肉が盛り上がり厚い胸板から鋼にも似た堅そうな腹筋が続く。

 下半身は膨張した筋肉の上に、上半身より長めの体毛が覆っていた。


「すげぇ……」

「ああ、こんなもんがこの世界にいるとは……」

 

 冷たく硬くなったカオスナイトメアの死体は『鉄製の棺』に入れられ、コンテナ内を縦横に張り巡らされたロープにより固定されていた。

 死体といえ、圧倒的な存在感に2人は身震いを覚える。

 

 ローマンがカオスナイトメアの顔に再度の光をあてる。

 光に反射する見開いた瞳は、ガラス玉みたいに透き通っており、その死を示していた。

 しかし、目の前の化け物が生きて動いていた、その生前の恐ろしさを想像するだけで、カイルとローマンは背筋が凍りつくほどの恐怖を覚えていた。


「……もう十分だろ」

「……ああ」


 初めて見る魔物モンスターを十分に堪能して、2人は頷く。

 張り巡らされたロープを慎重に跨ぎながら、少しだけ開いているコンテナの扉から差し込む光に緊張が解けた。

 

「いやしかし…… 良いもん見られたな。ラッキーだぜ。それに今回の航海は荒れることなく楽だったし」

「おいおい、まだ着いてないつーの。でも、そうだな。神のご加護に感謝だ」

「全くだ。早く港に入って酒でも――」

 

 コンテナから出ようとした時、室内に重く何かを打つような音が響いた。


「んん⁈」


 カイルが扉から顔だけを覗かせ、貨物室内を見渡す。

 重要な積荷の中へ勝手に入った事実がバレては、注意だけでは済まないだろう。

 そっと扉を内側から閉め、少しだけ開けた隙間から外の様子を伺う。


「どうした?」

「し! 何か音が聞こえた。外に誰か――」


 だがその時、コンテナの床から奇妙な振動が伝わってきた。

 まるで鼓動のような……


 ドン、ドンと響く振動。それは間違いなく『鉄製の棺』から発していた。

 慌てて箱の前に戻り懐中電灯を当てガラスの中を覗き込む。


『ゴボッ――』

 

 カイルとローマンは目を疑った。

 空気の塊が液体で満たされているガラス面にぶつかる。

 やがてカオスナイトメアの金属のように凍てついた肌が、ほんの僅かに震え始め、ガラス玉のように冷たく透き通った眼が、微かに赤みを帯び始めた。

 それはまるで地獄の炎が燃え盛るような、深紅の光を怪しく輝かせた。

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