第1章

再会 1/引かれる魂

 深夜の港、須賀湾すがわん

 黒い海が汽笛の音と共に揺れている。

 生暖かい風が潮と鉄の匂いを運び、わずかに光る赤いシグナルライトだけが港内を照らしていた。


 大日帝国の軍港である須賀湾は、国内屈指の広さを持ち、首都である帝都東光ていととうこうから最も近い重要な拠点である。

 そのため湾内には、数多の軍艦や貨物船が係留されていた。

 今日も一隻の輸送船が着港予定として、厳重な警戒体制の中、深夜にも関わらず作業員を含めた多くの人間が、その任をまっとうする。

 

 

 貨物用クレーンの上、20メートルほどの高さから、一人の少女が静かに見つめていた。

 調和の守護者ガーディアンズから指令を受けた調律者ハーモナイザーである彼女の名はデルグレーネ。

 闇に溶け込む色をした身を包むフード付きのマントが風に軽く揺れている。

 沿岸を見渡せば、灯りの少ない街並み、ほとんどの人間が眠っていることを伝えていた。

 

 彼女はゲルヴァニア国から大日帝国へ向かって出港した輸送船を監視していた。

 長い航海を終え、一足先に先回りをして、着港を見守っている。

 やがて監視対象の輸送船は暗闇から抜け出すように、海面に浮かぶ巨大な船体がゆっくりと近づいてきていた。

 しかし、デルグレーネの視線は着港間近な輸送船ではなく、眼下に散らばる大日帝国の兵たちに向けられていた。


「見つ けた…… 見つけた⁈ 見つけた‼︎ 見つけた――」

 

 彼女の射るような視線の先、大日帝国の軍服を着た兵士。

 彼らの中に、1人、他とは違う魔力のオーラを放つ者がいた。

 それは彼女だけが分かる微妙なものだが、決して見逃すことはなかった。

 300数年間、彼女が探し続けていた存在……


「あの魔力の波動…… 色…… 間違いない……」


 デルグレーネの心臓が一瞬止まったかのように感じた。

 その瞬間、およそ300年に及ぶ長い時間が、彼女の心の中を一瞬で駆け抜けた。

 数々の時代を越え、遥かな地を旅し、無数の困難を乗り越えて――


 やっと、やっと、やっと…… 彼女は一人の青年を見つけ出した。

 

 白金色の瞳を弓形に細め、青年の顔を食い入りながら見つめる。

 自分自身を抱きしめ、ガタガタと震える体を爪が腕に食い込むほど強く押さえつけた。

 やがて彼女の美しく白い頬に熱い涙が糸を引き、止めどなく流れ落ちる。

 

 彼女は、喜び、悲しみ、希望、不安、痛み、安堵など様々な感情が入り乱れ混乱し、全身は痺れて、呼吸すらまともにできない。


 300数年――。

 

 長き時間を生き抜く中で、彼女は自分自身を何度も見失った。

 愛する者を失った痛みは、時が過ぎても決して薄れることはなかった。

 想い人の死に対する悔恨かいこんと自責の念は、彼女の心に深い傷痕を残していたのだ。


「ごめんなさい…… 私、もっと早くに見つけるべきだった。もっと早く貴方のそばに来るべきだった……」


 薄曇りの夜空へ白金色の瞳を細めながら、腹の底から悔やみ呟く。

 震える声で絞り出す言葉には、痛みと苦しみが込められていた。


 しかし、同時に彼女の心には別の感情も湧き上がっていた。

 それは、ついに愛する人の生まれ変わりを見つけたという心が震えるほどの感激の念だ。

 彼女の胸は、期待と興奮そして多幸感で塗りつぶされていく。


「ようやく…… ようやくあなたに会えた。あなたがここにいること、それ自体が奇跡……」


 泉のように湧き出る喜びは、彼女の心を温かく包んでいった。

 300年の孤独が、彼女の中から溶け出していくようであった。


「ヴィート、これからは二度とあなたを置いてはいかない。あなたを守ることを誓うよ」


 白金色の双眸には決意の炎が宿り、彼女の声は力強く闇に刻まれた。


    ◇


 海風が吹き抜ける須賀湾、桟橋にほど近い物資搬入倉庫前。

 間もなく着港予定であるゲルヴァニア国からの輸送船を受け入れるために忙しく動く作業員達を見守りながら、大日帝国の兵士たちが肩から小銃をかけて警戒をしていた。

 

 この夜の闇に包まれた港で、神室倫道は教練部隊の訓練の一環として、同僚であり同班の堂上久重、安倍清十郎、十條五十鈴、氷川龍士らと共に警備任務についていた。


「おい、倫道。どうした? ボーッとして」

「……ん? ああ、なんでもない」

「なんだその顔、……倫道。また今朝の夢の事を考えているのか?」


 隣に立つ久重が、困惑した表情を浮かべて深緑色の瞳で俺を見つめる。

 

「……子供の頃は頻繁に見ていたんだが、最近は見てなかったからな。なんだか気になって。それに……」

「それに?」

「なんというか…… 今まで見た夢より鮮明というか…… 何か重要な事を忘れているような……」

「ふ〜ん、そりゃ、やっぱり前世の記憶ってやつだぜ。前から言ってるだろ」

「前世の記憶って…… なんだか外国のようだったし」

「お前も俺みたいに外国の血が混じってんじゃねーのか? わははは」


 明るく笑って俺の背中を無遠慮に叩く堂上久重は、幼い頃からの幼馴染だ。

 背も高く体格も大きい久重は、一見すると大雑把に見えるが、細かい感情の機微は感じとる。

 いつも落ち込んだ時など、彼なりの気遣いをしてくれる。

 今も心配をして明るく話を聞いてくれる親友に、どこか引っ掛かっていた心が軽くなったようだ。


「しっかし……、訓練兵が警備に借り出されるとはな〜。しかもこんな夜中に。これ明日も普通に訓練あるんだよな? 正規兵の皆さんでやってくれって感じだよな」


 久重の明け透けな言葉に思わず苦笑する。

 同意する返事をしようとした刹那、ふと視線を感じて空を見上げた。

 しかし、そこには船からの資材を搬入するクレーンが闇夜に浮き上がるようにそびえ立つだけであった。


「神室! 堂上! 私語を慎め!」


 星があまり見えない薄曇りの空へ視線を投げていると、対面にいる安倍清十郎から叱責を受け、思わず首をすくめる。

 安倍清十郎。

 古くから続く名門、安倍家の御曹司だ。

 真面目で融通の効かない性格は、その涼しげな相貌にも現れており、眼鏡の奥の瞳も冷ややかである。

 班長でもある清十郎は、自他ともに厳しく律するため、お調子者の久重とぶつかることが多い。


「警備任務中に何をやっているんだ! 弛んでるぞ!」

「うるせーよ清十郎、いちいち近寄ってくるんじゃねーよ」

「何を言っている、堂上。警備任務は訓練の一環だ。真剣にやるべきだろうが!」

「だからその警備任務中に持ち場を離れてサボっているのはお前も一緒だろ?」

「なんだと!」


 顔を突き合わせて睨み合う久重と清十郎。

 言い争いを始めた2人の間に入ろうとした時、もう1人の幼馴染が艶やかな黒髪を揺らし呆れたように声をかけた。


「はいはい、2人とも止めなさい。久重! 清十郎くんの言う通りよ。任務中に私語をしている方が悪いわ。ほら、倫道も一緒に謝って」

「……五十鈴、関係ねーんだから入って――」

「なに? 言いたいことあるの?」

「――うぇ⁈」


 十条五十鈴、さすが剣術の大家である十条流の娘。

 薄く茶色い瞳に殺気を乗せて一睨すると、久重は気圧され言葉に詰まった。

 俺も久重も幼い頃から十条流の道場で剣術を習っており、十条五十鈴は幼馴染でもあり姉弟子でもある。

 稽古では散々と痛い目に遭わされた幼い頃のトラウマか、久重は五十鈴には逆らえない。それは俺も同じであるのだが。

 

「清十郎のいう通りだな。任務中に気を抜いたのは俺だ。悪かった」


 固まった空気を動かすため、俺は頭を下げた。

 元は俺が気を抜いたせいであるので謝るのは難しくなかったのだが。しかし、久重はそうでもなく――


「ちっ…… 悪かったよー」

「お前⁈」

「久重! あんたその態度――」


 悪びれる様子もなく口だけの謝罪をした久重に、2人の怒りはヒートアップしていく。

 久重に詰め寄る2人の間に入って、なんとか怒りを収めようとするが余計に彼らの怒りは増していった。

 収拾がつかなくなり困っていると、後ろからヒソヒソと小声で氷川龍士が声をかけてきた。


「あ、あの〜、もう少し声を抑えないと……」


 龍士の声を遮る男の声が響く。

 

「貴様ら‼︎ 何をしとる!」


 見回りにきた正規兵に見つかり、大声で怒鳴られた。

 

「……ほらね」

 

 龍士は大声に肩をすくめてから、ガックリと項垂れた。

 前髪で双眸が隠れているため表情は分かり辛いが、たぶん苦々しげな顔をしているだろう。

 大人しく静観していた彼にとっては、全くの巻き込まれ事故である。

 

 俺たちはその場で背筋を伸ばし、目線を上げて直立不動の姿勢をとる。

 叱咤した兵士が勢いよく近づくと、一人ひとりの顔に鼻先を寄せて顔をしゃくりながら睨みつけてきた。


「所属と名を名乗れ!」

「魔道教練部隊、神室倫道訓練生であります!」


 俺の顔前に止まり、息が掛かるほどの近さで怒鳴られる。

 反射的に皆んなを代表して答えた。

 

「貴様らー、訓練兵の癖にたるみよって! 貴様らの上官は誰か?」

「ハッ、八神訓練教官であります!」

「八神教官……、そうかそうか。厳重に注意しておくので、楽しみにしていろ!」

「「「「「はい!」」」」」

 

 目の前の兵士の顔が楽しそうに、そして少しだけ気の毒そうに変化する。

 八神晴人訓練教官。

 俺たちの専任教官であり、鬼の八神と呼ばれている人物。

 その呼び名の通り、一切の妥協もない厳しい訓練を課す教官として有名である。

 目の前の兵士も八神教官の訓練を受けた者なのだろうか、少しだけ顔が青くなっていた。当時を思い出したのかもしれない。

 

 俺たちは暗澹あんたんたる気持ちで兵士の説教を聞いていると、闇夜を切り裂き、体を揺らすほどの轟音が鳴り響いた。


「「「うおっ――!」」」

「キャァ⁈」


 驚き、思わず耳を塞ぐ。五十鈴は驚きで体を縮こませた。

 まるで山が崩壊したと思わせる地鳴りが腹の底を響かせ、実際に地面も揺れているようだ。

 地を揺らす衝突音とギャリギャリと金属が擦れる不快な音が大音量で港全体に鳴り響き続けていた。


 尋常ではない事態に慌てた兵士が、轟音のする方へ走り出したのを見てとると、俺も思わず後に続いて駆け出した。

 清十郎が「待て」と言ってたような気がしたが、他の皆んなも後に続いた。

 兵士の後を追いかけ、倉庫の角を曲がりエプロンへ出ると――


 巨大な輸送船が桟橋に突っ込み、その船体を大きく歪ませた、にわかには信じられない光景が広がっていた。

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