第40話 いつか訪れるその時は、遠い未来であれ
翌日。ヘラルドは無事に目を覚ました。自分が倒れたことも覚えていないようで、小屋の中にクレツィオがいることにびっくりしていた。
意識を取り戻してから十数日後、症状も順調に快復していき、肺の炎症も治まった。ほぼ完治したものの療養中ずっとベッドで寝ていたからか、ヘラルドの体力が倒れる前と比べるとすごく落ちてしまった。もう風邪を引いていないのにもかかわらず、ベッドの上で日々を過ごすことが多くなった。
ついこの間まで世界を飛び回っていたのが嘘みたいだ。
そのこともあって、ヘラルドが治るまでいてくれる予定だったクレツィオは、このままここでわたしたちの面倒を見てくれることになった。
本当は街に行ってもっといい場所で看病してもらった方がいいんだけど、ヘラルドがここがいいって言うから、クレツィオには無理を承知でお願いした。看病もそうだけど、食料を買いに行くのが一番大変だから。そう説明したら、二つ返事で快諾してくれた。
今日はちょうどその食料を買いに行っている日で、夜まで戻ってこないから、わたしがヘラルドの様子を見ていた。いつも通り小屋の窓から顔を中に入れて、ヘラルドと他愛ない会話をしていると、それまで表情を綻ばせていたのに急に真剣な眼差しになって、わたしの名前を呼んだ。
「ヨリ」
なにかを決心した目だった。わたしの好きなヘラルドの目。だけど、今日はなぜか胸騒ぎがした。この後に続く言葉を聞いたら、だめな気がする。その予感は見事に的中してしまった。
「……多分、俺、もう、そう長くないと思うんだ」
(っそんなことない! こんなに元気なのに!)
「気持ちは元気なんだけど、身体はそうはいかないみたい。倒れたことで、余計に近付いたんだろうね」
(ヘラルドはまだ、まだ……!)
まだ元気で、まだ毎日を過ごして、まだ――わたしと一緒にいるんだ。
きっと病気になって、心が少し後ろ向きになっているだけ。きっと気のせいで。
「もちろん、明日にすぐってわけではないと思うけど、……その日が来た時のことを、今のうちに話しておこうかなって思って」
(っ! わたしは、嫌だ! そんな話したくない!)
「、そっか。……なら、今からは俺の独り言だから、気にしないで」
わたしの精一杯の反抗は虚しく、ヘラルドはぽつりぽつりと話し始めた。
「残ったお金は全部機関に寄付するつもり。俺がいなくなってからのヨリのことも、その中から出してもらおうかな」
――わたしのことは、ずっとヘラルドが見ていてよ。
「アルヴァレス家とは縁を切ったから……入るお墓はないかな」
ヘラルドは少し悲しそうに言った。返事をするつもりはなかったけど、その表情に思わず反応してしまった。
(ヘ、ヘラルド……!)
「ん?」
(その、どこの国が、一番好きだった?)
「国? そうだなぁ……ルメジャンはよかったね。海が綺麗で」
なにかを思い出すように視線を斜め上に向けて言った。
ルメジャンは漁業が盛んな国で、中心街も港町になっていて、海がすぐそこにあった。いつもは基本的に野菜かお肉を食べていたけど、ルメジャンでは魚をたくさん食べた。前世のこともあって、新鮮なお刺身は舌によく馴染んだ。
ヘラルドがこの国を挙げるのは意外だった。大きな出来事があったわけでも、有名なスイーツがあるわけでもないから。もしかして、ヘラルドは。
(海、好き?)
「海が、というよりは、海に興奮したヨリが好きかな」
(えっ!?)
予想外の答えに、つい驚きの声が大きくなる。そんなにテンションあがっていた記憶がないけど、わたしなにしたっけ……。
「海面ギリギリを楽しそうに飛んでたヨリ、かわいかったなぁ」
(そういえば、そんなことしたような……って、そうじゃなくて!)
「うん?」
(その、ルメジャンに海が見えるような小高くて街から離れた場所、あったかなぁって)
わたしの言葉を聞いたヘラルドは少し目を見張ったあと、なにかを察したように瞼をゆっくりと閉じて優しい表情になった。
「……どうして?」
(そういう場所があったら、ヘラっ……ヘラルドの、ねっ)
涙が勝手に
ヘラルドのお墓を建てたい。
そう全部言ってしまったら、死がもうそこにあるように思えてしまうから。
まだなのに。まだまだ、ずっと先のことのはずなのに。
「鱗をどれだけ剥ぎ取られても、泣いてなかったのにね。ヨリは優しいから」
ヘラルドはそう微笑みながら、ベッドから手を伸ばしてわたしの涙を拭ってくれる。
あの日、わたしを助けてくれた日、差し伸べてくれた手より少し小さくなった手。でも、そのぬくもりはなにも変わっていなかった。
「ヨリが今後もここで暮らすって言うなら、ここに建ててもいいんだけど……」
(ヘラルドのだから、ヘラルドの、好きなところ、が、いいっ)
「んー……分かった」
(、それに)
「それに?」
ヘラルドは軽く首を傾げながら、言ったことを繰り返して、わたしに問いかけてくる。
(わたしが、ヘラルドのところに、行けばいい、から)
「……ヨリが、俺の墓守をしてくれるってこと?」
(はかもり……、うん、するっ!)
大切な、大好きなヘラルドのことはわたしが守る。いつもいつもわたしのことを守ってくれていたから、今度はわたしの番だ。
(ぁ、でも、お墓建てるのとか、誰かに手伝ってもらわないと……)
「そうだね。……クレツィオと本部の数人に頼もうか」
(やってくれる、かな?)
「おそらくね。クレツィオはヨリのことよく分かっているみたいだし」
わたしもそれほど人間と関わってきたわけではないけど、その中でもクレツィオは、わたしの言葉が分からないはずなのに、だいたいのことは身振り手振りや視線で分かってくれる。ヘラルドが起きてからは、はいといいえのサインを決めたり、他の簡易的な答えにもジェスチャーを考えたりしたから、より細かく伝わるようになった。
自分のことより、わたしやヘラルドのことを優先してくれる心優しい人だから、クレツィオが引き受けてくれたら嬉しい。
「それに、彼はもうここに住んでいるから、ちょうど良くてね」
(?)
「俺が死んだことに、早く気付いてもらえるから」
(そ、っか……)
ヘラルドから目を背けながら返事をした。
嫌だって、そんなこと言わないでって、泣きわめきたかったけど、困らせるようなことをしたくなかったからなんとか我慢して、それがバレないように表情や言葉を取り繕った。
今、一番苦しいのは、ヘラルドだと思うから。
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