……………9-(5) 

 小春が選んだコンサートホールは、こじんまりとした音楽ホールだった。木造建築で木の質感を大切にした空間は、その空間に居る者に、安心感とやすらぎを与えてくれる。小春も一度舞台に立ったことのある思い出のホールの一つでもあった。座席は一五〇人くらいの収容だ。

 既に準備は進んでいた。舞台の床の上に、バレエ用のマットを引き、舞台袖の両サイドのバックヤードには、入り口付近にカーテンで区切って、着替え室を用意した。観客を入れる予定ではなかった為、舞台の真正面の客席は身内だけが座っている。右サイドの観客席を礼央奈が機器のフル装備で占めている。

 準備スタッフは後方の観客席に座り、出演メンバーも最前席から見るため、全て丸見えの状態だが、雛元の社員たちも逆にそれを喜んで、二階席へと移動した。

 和真は最前列の中央に座り、SONAスタッフの準備の様子を眺めながら、

「いやあ、こんなふうに裏側も全て見えるのっていいな…」

「そうだね」

 優美は和真の隣に座ると、

「朔真パパの写真持ってきたの?」

「ああ、きっと見たがると思って…」

 深沢は隣の椅子に置かれた写真を見つめると、

「きっと楽しみにされていたでしょうね」

「ああ…」

 準備が整ったのか、舞台の照明が落ちる。スタッフの何人かが席に着いた。深沢の隣に座ったユーゴは腕を組んで、

「なんか今日はいいものが見れそうだ…」

「こんな席で観れることなんてないから、役得だね」

 鷹東の喜んだ表情に、

「食事の世話で大変だったんですから、ゆっくり楽しんでください。リハなしのぶっつけ本番。礼一兄さん、潤子始めるよ?」

 みんなが大きく頷くのを確認して、深沢が礼央奈に手をあげた。

「…会場の皆様、今日は新藤なつめの誕生日会に来て下さり、有難うございます。身内だけの特別プログラムとなっておりますので、拙い所もあるかと思いますが、楽しんで頂けましたら幸いです」

 礼央奈のアナウンスが響き、舞台にスポットライトがあたる。緩やかな足音が聞こえてくる。

「では、第一部…。新藤なつめ、新藤小春親子による共演です。くるみ割り人形『チョコレートスペイン踊り』振付は、新藤小春オリジナルです」

 舞台の照明が切り替わると、深沢と和真は目を見開いた。深紅の大輪のような華やかな丈の短いドレスの小春と、深紅の羽根の付いた丈の長いコートに、細身のパンツのなつめの華やかさに目が奪われる。同じ化粧をしているため、双子のようにそっくりの表情。その二人の視線が観客席の中央に置かれている朔真の写真に目を止めると、数秒眩しそうに見つめた。

「………」

 そっと二人が視線を合わせると、曲が始まる。小春はトウシューズを履いていて、まだ現役を続行出来そうなくらい優雅に踊る。なつめは、昔朔真と何度も練習して、踊っていたことを思い出していた。

『小春はここで頭を傾げるんだ。きっとクセだよな』

 朔真の笑い声が聞こえる。全く同じように頭を傾げて、笑みを浮かべる。小春はその様子を横目で見て、息を飲んだ。

『さあ、次の決めのポーズ。小春は満面の笑みで会場中を見るんだ』

「……っ!」

 かつての自分を見ているような錯覚さえする。小春はそっと朔真の写真を見ると、

『小春、踊っている時、何を考えてるんだ?』

『えぇ? うーん。だって、観客は朔真となつめだけだって思ってるから。二人が笑ってるから、私も笑ってるのよ』

 会場を見渡しながら、満足げになつめと最後のポーズをとった。側に立つなつめを見ると、楽しそうに笑っている。そう、だから小春は楽しそうに笑った。大切な家族の思い出が蘇った。胸に込みあげる思いに、唇を噛み締めた。

「これだけでも、大収穫だわ…」

 なつめが不思議そうな顔をすると、

「なつめ、誕生日おめでとう」

 頬にキスをすると、なつめは嬉しそうに笑って、観客席の朔真を見た。きっと朔真なら、

『ああ、二人でずるいよ。俺も仲間に入れて…』

 そう言いながら、割り込んで来ただろう。今思い出すのは楽しかった思い出だけだ。なつめは観客席の深沢を見つめると、幸せそうに笑って深くお辞儀をした。小春と腕を組んで舞台を後にした。

 舞台の照明が落ちると、深沢は関心したように、

「ユーゴ、お前よくドレスなんて作れたな…」

「未知の世界へ突入だ。また、視界が広がったよ」

「あのドレスは二人によく似合ってたよ」

「いや、小春さんがあのドレスを着こなした事に賞賛するよ」

「あの足の長さはさすが…」

 檀の純粋な感想に、まりもは大きく頷いた。

「私は着れない…」

 それに誰も返事は出来なかった。

 舞台では、次のステージの用意がされている。

「さて、ここからだ」

 深沢は舞台から音が聞こえなくなったのを確認して、舞台袖から衣装のまま、小春が歩いて来ているのを待った。小春は、朔真の写真を抱き締め、そのままその椅子に座った。

「小春、なつめとの共演はどうだった?」

 和真の楽しそうな表情に、

「いつかは一緒に舞台に立ってみたかったの。また、夢が一つ叶ったわ。ありがとう」

 小春は満足げに笑みを浮かべた。

「でも、あのまねっこ小僧め。私よりも、数センチ足を上げる角度が高かったわ」

 深沢は笑いながら、

「でも、今回の舞台は、なつめにとって意外にも、いや、それ以上に重いものでしたよ」

 小春は頭を傾げると、

「えっ? そう?」

「はい。なぜなら、なつめは自分から一人で踊りたいって思ったことがないんですよ」

「……!」

 小春は感じていた違和感にようやく辿り着いた。

「バレエでは、教室以外の時、朔真さんがずっと側にいて小春さんのビデオを見て、教えてくれていたそうです。だから、朔真さんが亡くなって、バレエをする意味がなくなったと言ってました。なつめにとって、バレエは小春さんと朔真さんを繋ぐ一つの手段だったんじゃないでしょうか」

 小春は真後ろの座席に座っている椎葉と視線を合わせた。

「………」

「多分、居場所じゃないですか…。なつめ君は、逃げ出したんじゃなくて、自分の居場所じゃないと感じていたんだと思います」

「居場所ね…」

 小春は朔真の写真をみて、

「私も何度も考えたわ。もしも、私がバレエを続けなければどうなっていたかしらって…」

 親子三人幸せに暮らせたのだろうかって。

 小春の苦笑した顔を見つめ、和真は笑みを浮かべた。

「…違うな。きっとバレエをやってきたから、君たち親子の結び付きはとても強いんだと思うよ。辛い事も多かっただろうけど、幸せの瞬間は、その時しか感じないよ。思い描いた幸せなんて幻だよ」

「和真…」

 深沢は舞台袖にいるだろうなつめを思いながら、

「俺もそう思います。それに同じダンサーとして、なつめには一人で踊ってみないかって言った事があります。今回、二部で踊るルーティンはその時考えたやつです」

「へぇ、あの子なんて?」

「手が付けられないほど、号泣でした」

「えっ!」

 小春は驚いたように固まった。深沢とのペアで踊っているビデオを見た時、あれだけのダンスが踊れるなら、一人で踊らせてみたいと純粋に思ったから、今回言ってみたのだが。

「一人で踊ると、幸せや楽しさを感じないそうです。悲しい事や辛い事しか思い出さないから、心が苦しくなる。そう言って子供のように泣いてました。だから、今回一人で踊る事を了解したことに逆に驚きましたが…」

 その時の光景を思い出したユーゴと静流と椎葉は、深い溜息を吐き出した。

 あの時のルーティンを全部教えて欲しいって言われた時、深沢は正直ためらった。でも、その顔を見て、あの時とは何か違う気がして了承した。実際、何かを掴み掛け始めた感がある。それが、今回花開くだろう。それがどんなものになるのか、楽しみで仕方がなかった。

「そう…。なら、何か心境の変化があったってことね」

「はい…、楽しみにしてやってください」

 舞台袖からスタッフのサインを受け、深沢は礼央奈に手を上げる。

「第二部に参ります。第一ヴァイオリン ヨハン シミット ジレ ヨンクヘール 第二ヴァイオリンとピアノ 渚 秋穂 ダンサー 新藤なつめ サブダンサー エルナン フェリペです」

 照明が落ちると、雷の落ちる音が木霊す。光センサーによる雷に三人のシルエットが浮かべ上がってくる。舞台の中央と左右の天井から強大なスクリーンが三つ下りてくる。そこには、それぞれのシルエットが映し出されていて、ユーゴが思わず、顔を引き攣らせた。

「おいおい…、いいのか凄い事になってるぞ」

 乾いた笑いをした檀が、

「誰も礼央奈を止められないだろう」

 みんなして、伺うようにして礼央奈を見ると、恐ろしい笑みを浮かべている。鷹東は大きな溜息を吐くと、両手で顔を覆った。

 雷が小さくなっていくと、シルエットが少しずつはっきりしてくる。スクリーンに三人の姿が現れると、ヨハンと渚がヴァイオリンを構え演奏し始めた。

 曲は『パイレーツ オブ カリビアン Up is Down』

 中央に立つなつめは、紫色の丈の長いジャケットに、体のラインがはっきりとした黒の衣装はとてもスレンダーでカッコよく見える。右手を振り上げると、持っていた金の棒の先端についている鈴が響いた。

 光による大輪の花が咲き、両サイドに立つ、光沢のあるシルバーブルーに、銀の刺繍が入った丈の長い燕尾服を見事に着こなしたヨハンは、シルクハットを被り、優雅に笑みを浮かべた。渚はクリーム色の燕尾服に緊張した面持ちで、ヨハンの横顔を見ている。三人が舞台中央に歩いてくる。

「ねぇ、なんで鈴?」

 小声で呟いた小春の疑問に、ユーゴが小さな声で呟いた。

「あれは…、礼央奈が全く音感なくて、カウントに合わせられなかったんだよ」

「………」

 誰もが黙ると、礼央奈が恐ろしい顔で振り向いた。

 スクリーンに名前の紹介が終わると、光の花は風に吹かれて消える。なつめが鈴を鳴らすと、ライトが切り替わった。

 ヨハンの口許から笑みが消え、真剣な眼差しが鋭い。渚は目を閉じて、ヴァイオリンを構える。二人の光と影のような立ち位置に、張り詰めた緊張感が漂う。 

 ヨハンが弓を上げると、小刻みな低音から駆け上がるように、二人の息の合った音色に、絶妙なタイミングでなつめが踊り始めた。

 曲は『パイレーツ オブ カリビアン Theme song』

 少しアップテンポな曲に合わせて、右手に持っている棒が妙に合っていて、剣舞のようにも見える。ヨハンの強く激しい音に、なつめの切れのある動きも激しく、どこか憂いのある切ない音色になると、柔軟性のある優雅な踊りがとても合っていた。ヨハンに合わせている渚の安定感したリズムに、三人の息が自然と合っているのが伺える。

「……っ…」

 なつめは奥歯を噛み締めると、最後のポーズへと向かい、反動から右足を高く、バシッと振り上げ決めた。

 どんな流れになっても、ヨハンと渚はきっと合わせてくれる。絶対的な信頼がよりなつめを力強く際立たせた。それは見ている者に伝わる程、自信に溢れた演技となった。

 リズミカルなテンポに切り替わった時、綺麗なピンク色の丈の長いジャケットを着たエルナンが入ってくる。弾むステップに、軽快な足捌き、複雑なステップは見ている者を楽しくさせる。同じセンターに立つ圧倒的なパフォーマンスはエルナンのほうが際立つ。だが、その陰にならないエルナンの光をも引き寄せるように、なつめの光がより強く輝いた。合わせていても、強い光同士のぶつかり合いに、思わず真剣に見入っていた。

 佳境に入った時、ユーゴの視線が鋭くなる。

「さて、どうなるかな…」

 なつめとエルナンがそれぞれの衣装の袖を掴むと、大きく引っ張った。

「───!」

 衣装のデザインが一瞬で変化する見栄えのするシーンだが、二人そろって固まった。お互いが顔を近付けただけで、額に汗が流れる。

「………」

 掴む場所を二人して間違えた。ヨハンは目を見開いて、

「プッ…!」

 横を向いて吹き出した。口許に堪えた笑みを浮かべると、アドリブで再度リズミカルな曲で誤魔化し始めた。

「なにやってんだよ、あいつら!」

「クッ…!」

 皆して、俯いて笑いを堪えてる。

「おかしい…っ」

「馬鹿野郎。後でお仕置きだ。こんな時、宗司だったら完璧なのに。お前、本当に脱がすの上手いもんな…」

 ユーゴの愚痴に、

「お前、人聞きの悪い事言うなよ」

 深沢は笑いを押さえると、ユーゴを睨みつけた。

 なつめとエルナンは、即座にヨハンが弾き始めた曲に頷き合った。静流の姿を探すと、二人して踊りながら舞台から飛び降りた。目の前に来た二人に、静流は顔を顰めた。

「なんだよ…」

「静流さん、助けて…」

「静流、お願い!」

「えぇ!」

 静流を強引に舞台の上に連れて行くと、ヨハンと渚は笑いながら、何度も同じ曲を繰り返している。リズミカルなあの曲に、みんなの策略に嵌められた静流は、

「もう! あとで覚えてといてよ!」

 渋々ながら、大きな溜息を吐くと、舞台で踊るはめになった。楽しそうに三人で踊る姿に、小春も可笑しそうに笑いながら、

「あの三人って、背丈も体型も変わらないのね。面白い組み合わせだわ」

「まあ、仲もいいですからね」

 静流はニヤッと笑うと、驚いている二人の服を力一杯引っ張って、衣装を変化させた。

「うわあ!」

「凄いっ!静流さん、格好いい!」

「茅野、最高!」

 事情を全く知らない二階の観客は、純粋に喜んで歓声をあげた。二階からの歓声に、静流はびっくりして固まった。

「ぎゃああ! 誰だ! 今日は観客なしだって言ったのは!」

 走って舞台から消えた。皆して、静流に言うのを忘れていたのを思い出した。というより、今の今まで全く気付いていなかった事に呆れた。

 切り替わった衣装で、なつめは緊張から解けたように楽しそうに踊っている。舞台には一人じゃない。大切な仲間がいる。深沢は伸び伸びと踊っているなつめを眩しそうに見つめた。


  

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