……………9-(4)
「………」
チャポンと水の音が響く。規則正しい呼吸に揺られながら、水のなかを漂っている。覚め掛けた眠りに縋りつくように、顔の向きを変えると、
「目覚めたのか…」
深沢の声に、なつめは仕方なく目を開けた。
「あれ? 風呂?」
それも別荘の大きな風呂に浸かっている。深沢の逞しい胸板の上に頬を乗せていた。深沢の大きな手が、優しく頭を撫でる。
「覚えてるか?」
「レッスン室で、力尽きたところは覚えている」
「その後、オーナーの車で移動している間中、お風呂お風呂って寝言を言ってたからな」
「えっ……」
その記憶は全くない。また、静流にからかわれるのかと諦めの溜息を吐いていると、深沢は可笑しそうに笑った。その表情があまりにも久し振りに感じて見惚れていると、
「そんなに見つめるな」
「…だってさ」
頬を膨らませると、顔を寄せキスをしながら、瞳を見つめた。
「…最近、教室に掛かりきりで、宗司こっちに来ないんだもん」
「三日くらいだっただろう?」
「三日もだよ!」
「あれは…」
深沢は言葉を濁したが、
「…悪かった」
なつめは深沢の体を抱き締めると、
「寂しかったよ…」
耳元で呟かれた言葉に、深沢は大きな溜息を吐き出した。
「最近、お前に見つめられると堪らなくなるんだ」
「禁欲生活だからね…」
なつめの潤んだ目に、深沢は体の奥に火が灯ってくる。眉間に皺を寄せ、体を離そうとすると、
「もっともっと欲しくなる」
「駄目だ…」
「なぜ? 少しくらい」
「今は止まらなくなるからだ。最優先事項があるだろう」
「そうだけど…」
誕生日会は確かに今一番大切だけど、目の前の深沢は比べられないくらい大切な存在だ。今は与えられたノルマを達成するだけで精一杯。それを乗り越える為にも、自分の満たされない心に深沢という栄養が必要だ。
「じゃあさ、二回」
「………」
深沢は眉間に皺を寄せたまま、首を横に振る。
「一回だな…」
「…っ…!」
「そんな顔しても、駄目だ」
「絶対、二回っ!」
真剣な顔に、深沢は一瞬呆気に取られると、吹き出して笑った。
「っ! なんで笑うんだよ」
「いや、そんなに不自由させていたのかと思って…」
「宗司の愛が足らない…」
「………」
その辛そうな表情に、深沢は苦笑した。なつめの体を抱き締め、その唇を甘く噛んだ。
「分かった。二回…」
「…うん!」
ベッドに移動して、優しく大切に愛されている途中で、なつめは詰めた息を吐き出した。最奥に深沢の熱を感じて、乾いていた飢えが少し解消された。
「宗司…、んんっ…」
長い足を腰に絡めて、もっと欲しがるように締め付ける。深沢は奥歯を噛み締めると、
「お前が頑張っている姿を見て…。俺は今、一番幸せを感じている。この思いをどうやったら、お前に伝わる?」
なつめは深沢の顔を覗き込むと、その唇を吸いながら、
「伝わってる…」
「なつめ…」
「認めて貰うことは大変だよ。でも…」
ヨハンも渚も、変れるかも知れないって自分と戦っている。一人では無理でも、お互いに支え合えば、きっと乗り越えるって信じたい。
「みんながいるから、きっと頑張れる」
「そうか…」
「一番は宗司だよ。俺は、愛している人を信じる。それが何よりも力になるから」
「………」
深沢は込み上げる感情を押し殺すと、
「俺だって、今が一番幸せだもん。宗司を愛してる」
その眩しいほどの微笑みに、深沢は顔を逸らすと震える唇を噛み締めた。
「…なら、俺の全部をくれてやる。不安にならないくらい全部持っていけ」
「…っ……」
なつめは唇を噛み締めると、目頭が熱くなる。込み上げる思いに、言葉は出ないが大きく頷いた。心が満たされていく。思いが重なる度に、心の底から温かくなっていく。途端に重くなってきた瞼に抵抗していると、
「もう安心して眠れ…」
「………」
深沢の優しい手の温もりに、安心したように力が抜けていく。笑みを浮かべて、幸せのまま眠りに落ちた。
「…体は大丈夫そうか?」
朝焼けを見つめていると、後ろから優しく抱き締められて、その温かさに心がもっと幸せを感じる。
「うん…、まだまだ物足りないくらいだけど…」
「腰砕けたら、叱られるぞ」
「ハハハ、そうだね」
楽しそうに笑ったなつめの顔を見る。
「ま、これが終わったら、一週間くらいベッドで過ごすか?」
「また、静流さんからエッチ三昧って、食事の配達に来られちゃうよ」
「……だな」
指を絡めて、抱き締める腕の力が強くなる。そっと体の向きを変えると、深沢の顔を見上げた。
「宗司…」
首に腕を回して、深いキスをする。何度も角度を変えて、その愛情を感じると、厚い胸板に顔を埋めた。
「…今日はきっといい日になる」
そう呟いて顔を上げたなつめの目には、確固たる強い意志が見える。不安も感じないほどに、その表情は輝いて見えた。深沢は眩しそうに見つめ、
「お前、ずっと何か探していただろう? きっと今日は道が開けるぞ」
「えっ、知ってたの?」
ブスッとした顔で見上げると、深沢は吹き出して笑う。
「あの感覚は、練習じゃ掴めないんだ。本番の幻のようなものだ。だから、奇跡のような瞬間が本番は訪れる」
「そっか…」
「皆の思いが交わるんだ。楽しみだろう?」
「うん!」
昨日は、深沢と二人だけでイチャイチャしながら食事をした。十分な休息とまではいかなくても、本番を乗り切れるだけの気力は戻った。今朝は、食事を受け取りに出たなつめの顔を見て、静流は安心したように笑った。
静流の言っていた『別荘でちょっと抜いてきたら』って言葉を思い出した。心と体が満たされる。こういった時間がとても大切だと改めて知った。
深沢とタクシーで自宅に戻り、玄関の前に立っていた。準備が出来て、玄関のドアを開けたヨハン達は、その表情を見て含み笑いをした。朝日をバッグに立つなつめの存在に、
「さて、行くぞ」
みんなの士気が一気に高まった。
その家の前に停まった十人乗りのバスにそれぞれが乗り込んでいく。優美や和真も一緒なので、なんか可笑しなバスツアーに小春も笑っている。
「凄いわね! 誰がこのバス頼んだの? こんなお金にもならない誕生日会なのに、この待遇はなにかしら? なつめ感謝しなさいよ」
なつめはむうと顔を顰めたが不思議そうに、
「えっ? 母さんじゃないの?」
「………」
二人が不思議そうに顔を見合わせていると、前のほうに乗っていた礼央奈が振り返った。
「あっ、言うのを忘れていましたが、今回の会場以外の支出は、全て雛元のほうで賄います。SONAプロジェクトは社内でも人気があり、一度見て見たい要望が多かったんです。ということで、今回社員を招待しています」
「……!」
礼央奈の爆弾発言はいつもの事だが、誰も何も言えず、押し黙った。とんだ誕生日会になったと、深沢となつめは大きな溜息を吐いた。
会場に着くと、既に入り口には静流と鷹東と相模原がいた。マンションにはタクシーが向かっており、程なくして全員が集まった。
みんな揃って会場に入ると、ホールロビーのソファに座っていた潤子が思わず立ち上がった。顔色悪く、緊張したような顔で、深沢の側に寄ってくる。
「宗司…!」
大きなお腹で小走りしそうになって、
「馬鹿! 走るな」
深沢の静止に、大きく頷いて止まった。なつめは、走って潤子の側に寄ると、
「潤子さん、顔色悪いですよ…」
「本当よ、妊婦がそんな顔をしない。幸せなことだけを考えなさい」
なつめの後ろから現れた小春に、潤子は驚きながらも返事をした。
「あっ、はい…」
なつめは小春を睨みながら、その腕を引っ張る。
「潤子さん、母の小春です」
「初めまして、雛元潤子です」
「あぁ、あなたが。初めまして、新藤小春です。そんなに心配しなくても、何も取って食いやしないわ」
「…まあ、潤子にとっては一大事なので」
そっと潤子の背後から、雛元が現れる。穏やかな笑みを浮かべているが、今まで見たことがない貫禄で、潤子の肩を抱いた。
「初めまして…」
「雛元さんね。初めまして」
「噂はかねがね伺っていましたが…。宗司、もうクリア出来たのか…」
深沢は苦笑しながら、
「これから、クリアするんだよ」
「やはり、関係があるのね…」
雛元と深沢を見比べて、小春は探るような笑みを浮かべた。
「バレるのが早くないか?」
「観察眼が鋭くてな…」
深沢は目元を指差すと、雛元はクスッと笑った。
「深沢の家系の特徴という所かな。私は宗司の叔父ですよ」
「深沢カンパニー、雛元財閥、旧家の橘、不動産王の鷹東と揃いも揃ったものね。バッグがデカ過ぎるわ。恩恵にあやかりたいくらいだわ」
雛元は小春の表情を伺いながら、不安そうな潤子を見つめた。
「そんなに褒められると、背中が痒いですね」
いつもの能天気な言い方だが、目が笑っていなかった。相手の判断を見誤るとあとで大きなしっぺ返しがくる。隙のない攻防を繰り広げていると、
「何を難しい話をされているんですか? 紹介が終わったのでしたら、さっさと行きましょう」
礼央奈が二人の間に割って入ると、雛元と潤子を見下ろし、笑みを浮かべた。
「小春さんは大丈夫ですよ…」
「礼央奈…」
潤子はホッと胸を撫でおろした。小春は自ら作った大きなオーラを押さえると、
「もう礼央奈! 折角、二人の関係を探ろうとしていたのに…」
「えぇ! そんな面倒臭い事しないで、普通に聞けばいいじゃないですか」
「そうだよ」
潤子を守るように立ったなつめが怒ったように呟く。深沢は苦笑しているだけで、何も言わなかった。
「面白かったのに…」
小春の様子を後ろから見ていた潤子は、
「あ、あの…、宗司は私の大切な家族です」
小春は驚いたように振り返ると、笑みを浮かべた。潤子の冷たい手に触れた。
「そう…。また、変わった関係なのね」
「はい…」
呟いた潤子の恵まれなかった家庭環境を感じた小春は、溜息を吐くと、
「嫌がらせをするのも、結構力いるのよ」
「無駄な力使うなよ…、もう…」
なつめの呆れた視線に、小春は潤子の肩を抱くと、
「あの未熟者が、どんな演技するのか楽しみよね」
「はあ…」
なつめはぐったりと肩を落とした。
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