第8話 新藤 小春(1)
「来月って、なつめ君の誕生日なんだ」
カレンダーについている丸印を不思議そうに眺めた静流は、なつめを振り返って見た。
「うん。八月三日なんだ。うちは家族みんな季節が入った名前だし…」
「あっ?そうなのか?」
深沢の不思議そうな顔に、
「俺がなつめで夏、母さんが
「へぇ、面白いね」
深沢は少し考え、なつめの顔色を伺いながら、
「お父さんってどんな人?」
「元々、体が弱かったから。十五の時に病気で亡くなったんだけど」
「そうか…」
深沢の悲しそうな顔に、なつめは笑みを浮かべながら、その手を掴んだ。
「とても優しい人で、いつも手を繋いでいた気がする。寂しい時は、何も言わなくても、いつも抱き締めてくれたから」
いつも旅立っていく小春を、空港から二人で泣きながら見上げていた。
『なつめ、約束しよう』
それは忘れることなく、心のなかに深く残っている。
なつめはうとうとしながら、ソファに転がっていた。ショーを今後二人でするにあたり、調整期間が必要になったため、一か月の休みが出来た。深沢と初めて一週間の旅行に出掛けた。旅行でのまったりとした時間が抜けず、ご飯を食べた後、そのままソファで寝てしまっていた。ゆっくりと目を開けると、隣でソファに凭れて寝ている深沢を見て、思わず目が覚めた。
「……っ!」
ちなつが深沢の膝の上にのって、逞しい胸に顔を持たれて寝ている。いつも自分も同じことをしているが、それは棚に上げて、なんとなく、自分の居場所を取られたような感じに、
「ち…、ちなつ、おいで…」
「………」
ちなつは眠たそうな顔で、反対側に顔を向ける。
「あっ…」
なつめの声に、深沢が目を覚ました。隣に複雑な顔をしたなつめを見て、自分の膝の上に乗っているちなつを見た。
「また、おまえか…」
「もう目を覚ましたんだ…、面白かったのに」
静流はなつめを見ながら、含み笑いをする。なつめが頬を膨らませると、キッチンからまりもが呟く。
「なつめ君、大人気ない。少しくらいいいじゃない、減るもんじゃないし…」
「大人げない…?」
眉間に皺を寄せると、なつめはまりもを睨む。
「まりも、この前俺のプリン食べただろう」
「誤ったじゃない。もうっ!」
言い合いをしているなつめとまりもに、ユーゴがデザートを差し出す。
「お前ら、煩いな。これでも食ってろ…」
大人しくなった二人に溜息を吐く。深沢はユーゴからデザートを受け取ると、
「ユーゴ、お前なんか世帯じみてきたな」
自分もデザートを食べながら、
「あぁ…。ちなつが俺の側から離れないんだ。俺の部屋は、針もミシンもあるからな。それで危ないから、一度背負って仕事をしたんだ」
「お前が…?」
その光景を思い浮かべた深沢は吹き出して笑った。
「お前な…」
怒りの表情に、深沢は笑いを消した。
「子供の学習能力を甘く見てたぜ。次から同じ紐を取ってきて、同じように両手を広げて、待ってるんだぞ!」
ユーゴは仕方なく、もう何度も背負ったまま、仕事をする羽目になっている。申し訳なさそうなまりもに、静流は笑いながら、
「僕も経験あるよ。父さんがおぶって、旅をしていたからさ。おぶって貰えると思って準備してたら、もう十歳になったんだから、歩けるだけ歩いてもらえないかなぁって打診されたよ。切って捨てたけどね…」
コーヒーを飲んでいた鷹東は何となく、そんな昔の会話を思い出して、苦笑いをした。
「お前は寝てるときに抱っこだけだろう。それも大体、なつめと勘違いして好きにさせてるだけだろう? 一緒にするな!」
ユーゴは食べているデザートを、口を開けて待っているちなつに、
「ほら…」
食事の世話までしている。そんな光景を見ながら、深沢が言いかけると、
「待て! やめろ! 絶対いうなよ! 大変なことになる」
「………」
深沢は言葉を飲み込んだ。
静流と鷹東は可笑しそうに笑っている。リビングのドアが開くと、エルナンと渚が話しながらやってきた。何となく、不思議な関係だが、馬が合ったのか、エルナンは渚の部屋に泊まっているようだ。エルナンは皆の顔を見るなり、
「なんかない?」
「冷蔵庫にデザートがある…」
二人でソファに座ると、デザートを食べ始める。もうこの光景に慣れたので、誰も気にしなくなった。
「なんか、僕このまま此処のメンバーに入ろうかな」
スプーンを銜えたまま、エルナンが呟いた。
「お前はあっちがあるだろう?」
何言ってるんだって感じで、静流が言うと、
「絶対、こっちが面白いって…。契約も来年で終わるし、ママも帰ってくるみたいだし…それに」
「ママって誰の?」
「あっ? なつめの…」
「えっ!」
なつめが驚きの声を上げた。深沢と視線を合わせると、エルナンを見る。
「俺は何も聞いてないけど、母さんが帰ってくるって本当? 誕生日の前後なら、いつもの事だけど、帰ってくるって言わないよね」
エルナンは考え込むが、首を横に振った。
「ママの劇団がやっと軌道にのってきたから、やっと日本に帰れるって言ってたよ。今帰国が遅れてるのは、その準備に時間が掛かってるだけで、だから、僕が先に来たわけ」
「うわぁ、爆弾発言…」
静流は頭を抱えると、なつめと深沢は意味深な視線を交わしている。鷹東は少しの間考えると、
「それは、なつめ君のお母さんは全て知っているってことでいいのかな」
「そうだね。僕に様子見て来いって言ったくらいだから」
「それで、どんな報告をしたのかな」
静流の引き攣った笑みに、エルナンは満面の笑みで、
「日本語でなんて言ったかな。ミイラ取りがミイラになったってやつ?」
「うーん。素直に喜べないな…」
静流は口をへの字にして、腕を組んだ。
「考えても仕方ないだろう。俺らは今の俺らで行くしかないだろう。お前らがそれで別れるなら、それも運命だと思って諦めろ」
ユーゴは真剣な顔で深沢を見た。少し前、二人きりになった時、深沢は新藤小春の話をした。暫く考えたユーゴは、余程の覚悟がないと超えられない壁もあるって話をしたばかりだ。深沢は笑みを浮かべると、
「いつかはこうなるって事は予想がついていた訳だからな。受けて立つしかないな」
「宗司…」
なつめは不安が拭えない顔だったが、唇を噛み締め、大きく頷いた。そんな二人に笑みを浮かべたエルナンは、
「あぁ、忘れてた。ママはなつめの誕生日に、どこかのホールを貸し切ったみたいだよ。何かをやらせようとしている事は確かだよね」
「……っ!」
部屋中に不穏な空気が漂った。腕を組んで考えていたユーゴは、
「ということは、二人だけじゃなくて、俺らに対しての挑戦状ってことだな」
すると、ダイニングドアがドンッと開き、礼央奈が仁王立ちになった。
「私たちの力を見せてやりましょう。誰にも文句は言わせませんよ!」
礼央奈の振り上げた拳に、誰も賛同出来なかった。
なつめと深沢は、なかなかダンスに集中出来ないまま、数日が過ぎ去った。なつめは自分の誕生日が来るのが、こんなにも嫌な気持ちになるのは初めてだった。
「なつめ…、なつめ、大丈夫か?」
「…っ…」
心配そうな顔に、なつめは苦笑いを浮かべて頷いた。すると、携帯が鳴り響く。着信音を変えているため、誰が掛けてきたのかすぐに分かる。案の定、画面の表示には、母さんとある。
「………」
少しの間、深沢と画面を見つめていたが、息を飲み、ボタンを押した。
「はいっ…」
『久し振りね。元気にしていたかしら? その声からして、エルナンに頼んでおいた伝言は伝わったようね』
「そんなまどろっこしい事しないで、俺に直接言えばいいじゃないか」
『そうやって、陰でこそこそ逃げ回るでしょう?』
「陰でこそこそなんか…」
『もういいわ。明日には家に戻るから、あなたも家に帰って来なさい』
「俺は…」
『あなたの家に帰りなさい』
「でも…」
『未熟者! 話はあとよ。じゃあ』
プチッと切れた。なつめは切ない思いで、携帯を見つめた。大体、会話は筒抜けだったが、深沢はそっとなつめの体を抱き締めた。
「なんて?」
「明日には戻るから、家に帰れって…」
「なら、家に帰ってやれ」
「でも…」
「俺たちの事の話なら、俺も伺って話をする。会場を押さえているなら、何か考えあっての事だろう? 俺たちを引き離すのが目的なら、そんな必要がないからな。ショーが関わるなら、様子を見よう」
「……うん」
「不安なのか? 不安になったらいつでも戻ってこい。…すぐに呼べば、俺も行くから」
「宗司…」
「俺たちにはもう強い絆があるだろう?」
そっと左手の指輪を握り締める。なつめは大きく頷いた。
次の日、なつめは久し振りに家に帰った。
「なつめ、元気かしら!」
玄関を入るなり、ハイテンションの小春は叫んだ。ワンレンの艶のある黒髪は肩よりは長く、サングラスを外して微笑んだ。面長の綺麗な顔立ちは、なつめが小春そっくりなのがよく分かる。サマーコートを脱ぐと、スタイルの良さが際立った。
なつめは大きな溜息を吐くと、沢山の荷物を眺めた。
「今回は物凄い荷物だね…」
「劇団も落ち着いたし、私の役目は終わりかしら。当分は日本にいるわ…」
「どのくらい?」
「分からないわ」
「………」
複雑な心境は置いておいて、取り合えず笑いながら、小春の前に立ち、その体を抱き締めた。
「…お帰り…」
「だだいま。なつめ、朔真」
「………」
小春はそっと体を離すと、
「なんだか、大きくなったわね」
「もう成長期じゃないんだから、身長なんか変わらないよ。それに半年前に会ったじゃないか」
「ふふっ、それもそうね」
小春はそっと家のなかに入り、家中を大きく深呼吸しながら、見て回った。
「あんまり、空気が淀んでないわね」
「週一で来て、窓は開けてるから…」
「………」
一階の奥の襖を開けると、仏壇に朔真の写真が飾ってある。
「朔真、ただいま…」
話始めた小春に、なつめは側を離れた。小春は帰ってくるとああやって一時間ほど話して過ごす。玄関にある沢山の荷物を近くの居間へと運んでいく。大方片付くと、キッチンでお湯を沸かす。小春は日本茶しか飲まないので、お茶を入れていると、
「あぁ、いい香り…。やっぱり我が家でのお茶がいいわね…」
「父さんに報告は終わった?」
「大体ね、あとでまたゆっくり話すから…」
髪を一つに纏め、ゆっくりとお茶を飲み始める。会話もなく、静かな時間が過ぎていく。小春はお気に入りの焼き物のコップの温もりを感じていると、外を眺めながら呟いた。
「…それで、あなたは今どこにいるの?」
なつめは椅子を引いて座ると、
「俺は今、好きな人と一緒に暮らしてる」
「そう、その指輪は貰ったの?」
なつめは指輪をしている手を握り締めると、
「…うん。俺は隠れて、こそこそなんか…」
小春は厳しい視線でなつめを凝視する。
「でも、実際、あなたはこうして聞くまで言わなかった。私はあなたに言ったでしょう。今度自分で選んだ道は全うしなさいって」
「覚えてるよ。だから、自分で選んだ道も、選んだ人も絶対に諦めない」
「本当に?」
「うん……」
なつめの揺るぎない視線に、小春は大きな溜息を吐いた。
「そう…、なら…。私には納得するものが何もないの。だから、あなたの誕生日に会場を押さえたわ。そこで、あなた達の演技を見せてもらうわ」
「それなら、別に…。ショーを見に来ればいいじゃないか」
「何を言ってるの? あなたの誕生日だと言ったでしょう。あなたの誕生日には、今まで私がなつめと朔真のために踊ってきたわ。今回、なつめには私とダブル共演をしてもらう」
「えっ!バレエはもう…」
「未熟者! 認めて欲しいなら、根性入れなさい。そして、あなたには、どんな踊りでもいいわ。一曲ソロで踊ってもらう」
「……っ!」
なつめは飛び上がって、テーブルを離れた。
「あなたは一人で踊る事から逃げた。周りの所為にしても、一度逃げた事の恐怖心は消えないでしょう。だからあえて、自分自身と戦いなさい」
「………」
「そこで負けたら、あなたは二度と舞台に立てないでしょう。舞台に立てないあなたを、彼はどう思うのかしら?」
「母さん…」
「さっき、選んだ道も、選んだ人も絶対に諦めないってそう言ったわよね。なら、証明してみせて…。完璧なものなんて求めていないわ。どんな形でもいい。あなたが最後まで舞台に立ち続けたなら、私は認めるわ」
「本当だね…」
「えぇ……」
「父さんに誓って…」
「朔真に誓って…」
「分かった…」
なつめは真剣な眼差しで、自分の部屋に戻った。
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