……………………7-(2)

「ワン&ツー&…、ワン&ツー&……」

 深沢はなつめと変わらない身長の彼と組んで三日になる。ダークブラウン色の柔らかい髪に、ブルーの瞳、年齢よりは童顔な彼の思うままに踊らされている。なつめは、彼の背後でそのステップを見ながら、ステップを踏んでいる。

 複雑なステップに、ボレオ(鞭)やガンチョ(鍵)がふんだんに入った技に、始めは笑っていたなつめも、二日目からは笑みもなく、無心でステップを覚えている。

「早く覚えないと僕が取っちゃうよ。こんないい男とずっと踊れるなんて役得役得…、静流、訳してよ」

「ヤダ!」

 貸し切ったスタジオのソファで転がったまま、静流はカメラを掃除している。

 なつめは首筋を流れる汗を拭うと、

「バランスが…」

 エルナンはなつめを振り返ると、

「それは、君がコネクションの基本が出来ていないからだ」

 静流が通訳すると、なつめはクッと悔しそうな顔をする。

「君が気になるのは、僕が彼にくっついているからだろう? 本来なら、アブラッソ(抱擁)だよ。もっと抱きつきたいくらいなんだ」

 そっと深沢の体を引き寄せると、なつめの眉間に皺を寄せる。

「静流、ちゃんと訳してよ」

「ヤダっ!」

「静流っ!」

 深沢は必要以上の接触を引き剝がすと、足が止まったなつめの側に寄る。

「なつめ、無理してもいいことにはならない」

 力なく膝をついたなつめの腕を掴むと、

「先生、俺の何がいけないんだろう?」

「なつめ……」

 エルナンはなつめの前に来ると腕を組み見下ろした。

「さぁ、君と僕の違い、現実を知る時が来たよ。ステップは大体、頭に入ったはずだ。まずは僕と踊ろう…」

 エルナンはなつめの手を掴むと、スタジオの真ん中に立つ。音楽をリベルタンゴに切り替えた。

「実際の公演ではバンドが演奏する。君たちは一番最初に『リベルタンゴ』を踊ってもらう。成功すれば、前座としては最高、失敗しても皆そんなに期待してないさ。なんせ、僕らを見に来てるんだから」

「………」

 静流の訳した言葉に、なつめは唇を噛み締めた。その表情に満足したのか、ニコッと笑みを浮かべる。スタートを押すと、今までの音楽と変わって、バンドネオンの音に耳を傾ける。全く動く気配のないエルナンを見ると、目を閉じている。その存在が大きく襲い掛かってくる。その集中力に、なつめは繋いだ手から、その世界とオーラを感じ取る。飲み込まれるそう感じた時、

「……っ!」

「さあ、力を抜いて…」

 耳元で囁かれた言葉は、日本語だった。フッと力を抜いた瞬間、体が宙を浮いたような錯覚で始まった。覚えたステップを考えるまでもなく、リードで導かれて行く。思ったよりも広い腕の中で、強く抱き締められているような…。

「ボレオ!」

「…っ…!」

 早い足捌きに、バランスが揺らぐ。そのなつめの体を抱き寄せ、

「ガンチョ!遅い!」

 足を払われて、バランスを崩しても、エルナンの重心は全く動かない。尚も、出来るまで早い足捌きを繰り返していく。疲れ果てて何も言えなくなったなつめを、楽しそうに横目で見ながら、ソファに座らせる。

「………っ」

 なつめの側に静流が駆け寄る。肩で息をしているなつめを横目に、深沢へと手を差し出す。深沢はなつめの意気消沈している姿に、側に駆け寄ろうとしたが、エルナンがその間に立ち、手を差し出す。深沢は大きな息を吐き出すと、その手を掴んだ。

「…宗司っ…」

「なつめ君、大丈夫?」

 ゆっくりと静流に支えられて、深沢の姿を目で追った。

 音楽が始まると、エルナンの表情が変わった。深沢のリードで、二人の攻防のようなダンスが始まる。それでも、エルナンの真っ直ぐに芯の通った姿勢は全く崩れることなく、

「そんなところに居たら、蹴っちゃうよ」

 深沢の背中を、振り上げた足でトンと蹴る。姿勢を修正した深沢は、エルナンの素早いステップにもついていっている。

「へぇ…やるなぁ…」

 深沢の体を引き寄せ、アブラッソする。深沢に抱かれて踊るエルナンの妖艶さに、なつめは見ていられなくて俯いてしまった。そんななつめを横目で見て、エルナンはニヤッと笑う。だが、静流の怒りの表情に、

「………」

 しまったと天井を見上げて、ソッポを向いた。それでも、深沢のレベルの高さに、思わぬ誤算が生じた。ちょっと本気で踊ってしまった。これは面白いことになったと内心喜んだ。

「うーん。楽しかった…」

「………」

 怒り捲っている静流に、エルナンはドウドウと諭す。

「静流?…シーズー」

「人を犬みたいに呼ぶな!」

「お前は短気だなぁ…相変わらず…」

「なにっ!」

 日本語で言い合いをしている事に気付き、エルナンはハタッと止まった。なつめと深沢の視線に、

「僕、日本語喋ってる?」

 びっくりしたみたいな反応だが、静流が止めを刺す。

「お前、途中から日本語で喋ってたよ」

「あれ? マジ?」

 エルナンは苦笑いを浮かべた。

「まあ、もういいか。なら、次のレッスンが必要なら、三日後でいいかな」

「………」

 二人から返事がないことに、それもいいかとそっと背を向けた。

「…分かりました。お願いします」

 なつめの苦しそうな声に、エルナンは笑みを浮かべると手を振って出て行った。なつめと深沢の深刻そうな顔に、静流は心配そうに溜息を吐いた。


 別荘の家のなかは静まり返っていた。数日前は、あんなに愛し合って幸せだった場所なのに、二人はベッドに横になったまま、寝ることも出来ず、転がったままだった。なつめは動く気力もなく、脱力したままだ。

「なんか、もっと楽しいかと思ってた」

 なつめの掠れた声に、深沢はなつめを見る。

「ずっと宗司と踊ってるのが、一番楽しかったのに…」

「楽しくなくなったのか…」

 なつめの脳裏を、エルナンを抱いて踊る深沢の姿が離れない。妖艶な笑みを浮かべ、深沢にすがり、激しく情熱的に踊る様はとても綺麗だった。あんなふうに深沢と心を重ねて踊りたい。

「宗司が本気で踊っているのを、久しぶりにみた」

 深沢はエルナンの挑発に乗ってしまった事に、

「あれは……」

「俺では駄目だ。今の俺では…」

「何言ってるんだ?」

 なつめは起き上がると、拳を握り締めた。

「だって、俺ではあんなふうに踊れない」

「………っ!」

「宗司があんなにも本気で踊ってて…。凄く悔しんだ…」

 深沢は何か言いかけたが、首を横に振った。

「なら、もう止めるか?」

「………」

「お前からそんなふうに責められるなら、もう踊りたくない」

「……っ!」

 なつめの頬を涙が溢れる。玄関から呼び鈴が鳴るが、二人は動かない。少しして、階段を上がってくる足音する。ゆっくりとドアが開くと、静流とユーゴが立っていた。

 静流は颯爽と歩くと、なつめの側に寄る。

「なつめ君、なつめ君!」

 肩を揺すられて、なつめは目を開けると、静流の顔を見て、その体にしがみついた。ユーゴは頭を抱えた深沢の側に寄ると、その肩を抱いた。二人の心が離れて、その辛さに大きな溜息を吐いた。


「あれ? どうしたの?」

 なつめと深沢はソッポを向いて、ソファに座っている。静流とユーゴはブスッとしたまま、二人の間に座っている。つかつかと歩み寄ると静流は、エルナンの服を鷲掴んだ。

「エルナン!」

「うわぁ、なんでそんなに怒ってるんだよ!」

「お前の所為だろうが!」

 なつめの泣き腫らした目と、深沢の眉間の皺に、あちゃ~と頭を抱えた。こんなに脆いとは思わなかった。予想通りだが、これまたエルナンの予想を裏切ってくれた。

 エルナンは二人のソッポを向いている姿を見て、プッと吹き出した。

「……っ!」

 なつめと深沢の怒りの表情に、両手を上げて、

「待って待って…。この前の事なら、僕が調子に乗り過ぎたから、許してくれないかな?」

「………」

 なつめと深沢は顔を見合わせた。

 エルナンは二人の間の床に座ると、二人を見つめた。

「君は繊細なんだろうね。それが時にダンスにも出てる。僕が言ったコネクションの重要性を真剣に考えたかい? 君の柔軟性は素晴らしい。けど、それははっきり言って、彼のリードがあるからだ」

 深沢を指差すと、なつめは驚きに目を見開いた。

「たった三日で、僕と踊っているうちに、リードをほぼマスターしていた。天才的な勘だね。リーダーの瞬間的に決める即効性はとても重要なんだ」

 なつめを真面目な顔で見つめ、

「君に必要なのは、君のなかの一本の柱だ。コネクションもそうだし、心も体もバランスもね」

「宗司に頼ってるってこと?」

 エルナンは大きく頷いた。

「アソシエーションはくっつく。ディソシエイションは離れる。時には離れて見て、冷静に自分を観察して、自分の心と向き合うことも必要だと言いたかったんだけど、日本語って難しいなぁ」

 静流に問いかけるが、腕を組んでまだ怒ってる。

「もう許してよ。静流!」

「僕は始めに言ったはずだ。僕の友達に手を出したら、許さないって」

 エルナンは真剣な顔で、

「僕も言ったよ。君に嫌われたくない。これは本心だと」

 ムムッと口をへの字にしたが、苦笑いをした。

「…もう。なつめ君、深セン、許してやって…」

 エルナンの頭を深く下げさせた。

 なつめはクスッと笑うと、

「うん。大丈夫じゃないけど、今ので少し目が覚めた気がした」

「えぇ、そんなに彼が取られるのが心配だった。あんなにぞっこんなのに?」

「……っ!」

 深沢は知らんぷりでソッポを向いた。組んで見れば、その人の心がどこにあるのか、気持ちがどこに向いてるのかすぐに分かる。深沢の深い愛情のなかで、なつめは輝いている。

「羨ましいくらいの熱愛ぶりだね」

 なら当然、あの時感じた魂の震えるような感覚は、本物だろう。

「これは楽しみだ。さあ、僕たちの公演に出る気はまだあるかい?」

「うん!」

 エルナンは満面の笑みを浮かべると、

「よし!最高のものにしよう。どんどんしごくよ!」

「えっ!」

 なつめの引き攣った笑みに、深沢も可笑しそうに笑った。それから、一週間びっしりと根を上げることもなく、レッスンし続けた。エルナンは鷹東からの差し入れに、物凄く感激して熱の籠ったレッスンになった。


   

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