第7話 エルナン・フェリペ(1)
「どうかしら、聞き入れてくれるかしら?」
問い掛けには答えず、豪華な部屋のなかを見回した。年季の入ったデスクの引き出しの中には、大切にしまっている家族の写真が入っている事を知っている。腕を組むと、
「僕に二人を引き裂いてこいって事だろう?」
「貴方の意見を聞いてる訳じゃないわ。イエスかノー。それだけでいいの」
「………」
深く座ったソファから空を見上げる。
「…分かったわ。別れさせたい訳じゃない。何処まで、本気なのか知りたいだけ…」
「そういう事なら、引き受けようかな…」
「まったくもう…」
深い溜息を吐いてるその姿に、
「貴方が直接行けばいいじゃないか」
「今は駄目。それにあの子はね、私によく似ているのよ」
「ハハッ…、自分の事なのによく分かるんだね。僕もさ、彼の側には昔の知り合いがいるんだ。とても大切な…」
ホームページの紹介を指差すと、
「あぁ、この子は…」
「貴方も会った事あるでしょ? 大切な友達なんだ。嫌われたくない」
「分かったわ…」
「じゃあ、次の公演をぶつけてみるよ。これは楽しみだな」
「大丈夫かしら…」
話は終わったとばかりに、豪華な私室から楽しそうに笑って出ていった。
雛元の本社に呼ばれた深沢たちは、来賓用の豪華な部屋に通された。SONAプロジェクトも軌道に乗り始めたので、労いということらしい。珍しく雛元社長が既に座っており、笑って迎えてくれた。
「ようこそ、初めての方も居られるかな?」
深沢は緊張しているなつめを連れて、雛元の側へ行く。
「宗司、久しぶりだな。一段と男前が増したか…。君がなつめ君か初めまして…」
「は、初めまして…」
「映像で見るより、柔らかい感じの男の子なんだな」
「………」
初めて見る雛元社長を、なつめはジィと凝視している。落ち着いた大人の渋さに、高級なスーツがとても似合っており、貫禄さえあるのに、何処か親しみがあり、初めての感じがしない。
「なかなかよく見ているね。ばらしてもいいのか?」
深沢が笑って頷くと、
「宗司と私は少し…、多分、目のこの辺りが似てないか?」
大きく頷いたなつめに、
「私は、宗司の父親の年の離れた弟。三男だった私は、元々、子供のいない母方の雛元へ、養子に出される事は決まっていた。家を潰さなければいいって、それだけでいいのなら、まぁいいかって感じでね」
あまりの軽さに、なつめは深沢を見た。深沢は肩を竦めると、
「でもね、退屈なんだよ。高級クラブでも通ってみようかと思って行ってみれば、偶然宗司と出くわしてね。あれはびっくりした」
「それはこっちもだ」
「事情を聞けば、潤子にお客が付かないように来ているっていうじゃないか。そんなに惚れた女なら、嫁にすればいいのにって思うだろう?」
潤子はクスクス笑いながら、
「私の母も水商売だったから、私もこの商売しかないって思い込んでいたから…」
「でも、話を聞いていても、二人からは甘い言葉もなく、ほぼ兄弟のような会話をしているんだ。可笑しいなぁと思って、半年程通った時に、私と結婚するかって潤子に聞いてみたんだ」
潤子の笑いが止まった。
「もしかして、冗談だったの?」
額に怒りのマークが見える。
「いや、冗談ではないよ。結婚するなら、綺麗な奥さんが良いに決まっているじゃないか。でも十五も違うんだよ。普通は断ると思うだろう?」
「………!」
潤子の怒りのオーラに、深沢となつめは離れた。詰め寄られて、言い訳している雛元を皆遠巻きに見ている。急に始まった夫婦喧嘩に、なつめは詰めた息を吐き出した。
「潤子さん、怖かった…」
「まあ途中から、潤子が叔父を好きになっていくのが分かったから、安心して任せたんだ」
怒られて助けを求める様に、深沢は複雑な顔をした。ユーゴと檀は関わらないように、豪華な食事を既に食べている。
ユーゴはそうだと潤子を振り返った。
「そうだ、潤子! スタッフにもう一人入れるか?」
「そうね。構わないけど…」
「なつめの化粧というか、ボディペンティングをしているやつで、衣装のイメージに合わせたもう少し特殊なメイクをしたいんだ」
潤子は大きく頷き、
「そういうことなら、了解よ」
深沢となつめが仲良く食事している側まで行くと、
「それでね、宗司。ショーの依頼も変わってきているから、相談なんだけど、二人だけでショーが出来る?」
それに皆がシーンと静まり返った。慌てたように椎葉が速足で歩いてくる。
「ゲストのショーではもう勿体ないでしょう。先程のユーゴの知り合いをスタッフに加えるなら、うちで全部準備できる。どうかしら?」
深沢は腕を組んで構成を考える。椎葉は心配そうに、深沢と視線を交わした。
「確かにな。やれないことではない…。だが、ユーゴ! 一曲ずつ衣装を変えるのか!」
「当たり前だ!」
「なら、その時間繋ぎをどうするかが問題だ」
「そうよね」
「ならさ、その空き時間にお客からのリクエストを取って、映像で時間繋ぎはどうだろう?」
静流の言葉に、礼央奈が大きく頷いた。
「良いアイデアですね。その辺りは、即座に私とまりもで対応ができます」
お皿に山積みした料理をフォークで指して、礼央奈が胸を張った。
「なら、今後の活動は本格的に二人のショーメインで行くわよ!」
潤子のノリノリの勢いに、深沢はそっと雛元の耳元で囁いた。
「礼一兄さん、大丈夫なのか?」
「子供が出来てから、益々逞しくなってしまって…」
「何か言った?」
深沢と雛元はソッポを向いた。そこへ、鷹東が礼央奈を連れてやってきた。
「雛元さん、本当にご連絡が遅くなって、申し訳ありません。礼央奈がご迷惑をお掛けしていたみたいで…」
深く頭を下げる鷹東に、雛元は深い笑みを浮かべた。
「潤子が面白いものを拾ってくるのはいつもの事で…、あ、いやっ…。まあ、旧家の橘の事は耳に入っていましたから、名前を聞いた時もなんとなく理解もしてました」
「………」
礼央奈はしょんぼりとしている。
「それでも、なかなか働きは大したもので、違法ギリギリは頂けないとしても、会社の役にはかなり役立っていますよ」
「………」
耳を疑うような言葉を聞いて、鷹東は信じられないように礼央奈を見上げた。
「ハハハッ…」
乾いた笑いをしながら、顔を逸らした礼央奈を睨む。
「ギリギリです。超えてません!」
「ギリギリでも駄目!」
「はいっ…」
可笑しそうに見ていた雛元は、
「鷹東さんが遠縁にあたるとは存じなくて…。これからは日向の世界を歩きますって、成長したね」
「はいっ、社長なんでも言って下さい」
雛元は穏やかな笑みを浮かべて、礼央奈を見上げた。
「では、遠慮なく。橘礼央奈を本日付で、正規社員として採用」
「あっ、はい!」
満面の笑みで返事をした。
「そして、取締役としても命じる」
「……っ!」
礼央奈は喜んだ顔から、しょんぼりと肩を落とした。
「なんだい。取締役は気に入らなかった?」
「だって、社長も橘の名前が欲しかったのかなって…」
「………」
雛元は椅子に優雅に座ると、
「私も名前に縛られた人生を送っているよ。退屈な人生を、潤子や君たちは楽しくしてくれている。感謝しているくらいだ。礼央奈、そんな限られた世界のなかで、今をどう生きるかが大切なんだ」
「社長…」
「橘の名前は重い。君が陽の当たる道を選んだなら、それなりの対応が必要だということだ。君を守る意味でも、その役職が必要なんだ」
「……っ…」
「何かあった時には、雛元が動く。その意味合いが含まれていると思ってくれ」
「ありがとうございます」
涙を流している礼央奈の頭を撫でると、鷹東は雛元に頭を下げた。潤子は礼央奈にハンカチを出すと、抱きついてくる礼央奈の背中をさすった。
豪勢な料理をお腹一杯食べて終わると、潤子が思い出したように呟いた。
「そういえば、一つ変わった依頼が来ているんだけど」
「あぁ、深沢にはまだ伝えてないんだ…」
椎葉は礼央奈からリモコンを受け取ると、テレビを付け、録画した映像を再生する。優雅な音楽と共に、CMプロモーションが流れる。バンドネオンの弾むような音楽に、なつめと深沢は真剣な目で見る。他のメンバーもテレビの前に立ち、皆で見た。静流一人が飛び上がって驚いたが、アルゼンチンタンゴの日本公演のCMだった。
「うわぁぁ、凄いね」
なつめは画面に食いついて見ている。社交ダンスのタンゴとはまた違い、音楽もステップも全く違う。映像は途中から公演の一部へと変わり、穏やかなワルツのような曲に、ヴァイオリンの音色を聴きながら、なつめは昔の友達を思い出した。
「…宗司、これ踊ったことある?」
「うーん。はっきり言うとないな。これを見るからでも、俺のタンゴとは違う」
「そうなんだ…」
終わってしまった映像を名残惜しそうに眺めていたなつめに、椎葉は笑いながら聞く。
「なつめ君、アルゼンチンタンゴ踊ってみたい?」
耳に残っているヴァイオリンの音に、何か高まる感情が芽生えた。
「俺、この曲が好きなんだ…」
「ポル・ウナ・カベーサ?」
静流の言葉に、なつめは小さく頷いた。椎葉は深沢を見つめると、
「このアルゼンチンタンゴ公演の出演者から、ゲストの依頼が来ているんだ。どうする?」
「……っ!」
「当然、アルゼンチンタンゴを踊れってことだよな」
深沢の呟いた言葉に、椎葉は笑いながら頷いた。なつめは腕を組んで考えている深沢を見つめる。深沢はチラッとなつめを見ると、
「…踊りたいのか?」
「うん…」
即答した。深沢はもう一度目を閉じる。そろっと片目を開くと可笑しそうに笑った。なつめの顔に笑みが浮かぶ。
「やってみるか…」
「うん!」
「甘いなぁ…、後で大変な目に合っても知らないからな」
ユーゴのぼやきに、深沢となつめは笑った。
突然、携帯の着信音が響く。静流は飛び上がって驚くが、知らない振りをする。鷹東は静流のポケットから鳴っている携帯を取ると、
「電話なってるよ…」
目の前に出されて、顔を引き攣らせる。
「あぁ、もう! 誰だよ!」
「………」
聞こえてきたスペイン語に押し黙った。静流の険しい顔付に、鷹東は心配そうに見る。
「お前、この番号どうやって調べた?」
突然静流がスペイン語を喋りだすと、皆一斉に静流を見る。
「やっぱり。静流さん、バイリンガル?」
「あぁ、それもかなりのな」
静流にしては、低い声で怒ったような言い方に、なつめも心配そうに見る。静流は大きな溜息を吐き、電話を切った。心配そうな鷹東に笑みを浮かべると、
「さっき見たCMの出演者のなかに、僕の知り合いがいる。エルナン フェリペ。多分、一番の踊り手だろうけど…」
とても知り合いの会話ではなかったが、静流は少しの間考えると、
「…ゲストを受けるなら…。彼が公演までの二週間のうちの十日間、レッスン指導してくれるそうだよ。どうする」
「それは願ってもない事だが…」
何か嫌な予感がする。深沢はなつめの顔を見つめると、
「断る理由もないか…」
「分かった。通訳も必要だろうから、二人のレッスンには僕も同行してもいい?」
「あぁ、構わない」
「では、その予定で行きましょう」
潤子は笑みを浮かべ、椎葉も頷いた。
静流と鷹東は話を終えると、早々に帰っていった。
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