第6話 橘 礼央奈(1)

 家族が集まる食事が大嫌いだった。ひとりで楽しく食事をしていると、急にみんなの視線が自分を見ていることに気付いた。食事が喉を通らなくて箸を置いた。

「あら、食事を残すなんて、お行儀の悪い…」

「かまうな、飯がまずくなる」

「だって…」

 両親から愛されていると感じた事はなかった。いつも横目でチラッと見ては、視線を逸らされる。そんな扱いでも、大きな屋敷で何不自由なく育ててもらっている。世間体が一番の両親が、仕方なく家族の振りをして過ごしている。父にも母にも愛人が数人いて、入れ替わり立ち代わり。家のなかを我が物顔で自由に過ごしていた。そのうちの一人が、自分に手を出そうとして襲い掛かってきた。

「いやぁ!」

 笑っている両親に拳を握り締めた。相手を殴り捨て、怯んだ両親を睨みつけた。もう此処にいる必要はない。名残惜しくはないが、大好きだった叔父が買ってくれたパソコンを抱えて、夜の町中を走った。

『ロボットちゃん…、お誕生日おめでとう』

 ただ一人自分に優しかった叔父の笑顔が忘れられない。

「叔父さま…」

 十八歳の誕生日は明日なのに、もう一度会いたかった。


「うわぁぁ、なつめ君。凄いビルだね」

「ほんと倒れてきそうで怖いよな」

「もう、そこ?」

 嚙み合わない会話に、まりもは頬を膨らませた。なつめは不思議そうにまりもを見ると、何も言わずに玄関へと向かう。まりもをスタッフとして、採用になった旨を伝えると、潤子に会社まで来てほしいと言われた。まりもは、なつめの服を引っ張りながら、

「なつめ君、こんな会社に入るなんて怖いよう…」

「ばぁか! 俺達には関係ないだろう…」

「えぇぇ…」

 神経が図太いなぁと泣きが入りながら、真っ直ぐ受付に向かっていく。

「すみません。雛元潤子さんをお願いします」

 受付嬢は、なつめの顔を動じず見つめた。

「少々お待ち下さい」

 パソコンの操作をすると、カウンターにあるカメラが動いた。なつめはそれに手を振ると、受付嬢は笑みを浮かべた。

「あそこに見えるエレベーターの一番奥に、専用の別のエレベーターがあります。階を指定しましたので、それにお乗りください」

「ありがとう」

 なつめは言われるまま、頷いて向かう。まりもはなつめの服を掴んだまま離さない。離したら、絶対に置いて行かれると確信を持っている。

「これか…」

 すでに開いているエレベーターに乗ると、

「凄いな。何もない…」

「全部コンピューターで管理しているんじゃない? さっきの赤外線付きのカメラも最新式だったもん。これだけのビルの管理をしている人って、どんな人なんだろうね」

「…お前、意外とコンピューター関係強いな」

「だって、そっち関係の仕事ばかり選んでいたから」

「まあ、いろいろ大変だったんだろうけど。俺らはそれで助かった訳だし。考えようによっては、何一つ無駄な事はないってことだよな」

「……っ!」

 まりもは込み上げてきた涙を拭うと、笑いながら大きく頷いた。エレベーターを降りて、

「あっ、此処かな…」

 開けようとしたドアが向こうから開いた。

「おっと…」

「あら? 遅いじゃない…」

 潤子は淡いピンクのハイネックに、濃紺のスーツを着ていた。真珠のネックレスが綺麗に輝いている。まりもはなつめの影から覗くと、

「うわぁぁあ、綺麗な人」

「あら、ありがとう」

 潤子はにこっと笑みを浮かべ、部屋の中へと促した。入り口には秘書が座っており、深く頭を下げる。会釈をして、奥のソファに座った。

「会うのは久しぶりね」

「はい…」

 なつめを暫く見つめ、潤子は安心したように溜息を吐き出した。

「この前のショーはとても良かったわ…」

 椎葉が送ってきたビデオを見て、二人の深い交わりを見つめ、込み上げる涙を拭うことも忘れるくらい、何度も繰り返し見た。

「なんか素の宗司を見れて良かったわ。あなた達はまだまだ昇り詰めることが出来るわね。立ち上げたかいがあったわ。これからも期待してるわよ」

「はい……」

 なつめは大きく頷いた。潤子に認めて貰えることが純粋に嬉しかった。

「そうそう、スタッフを増やすって?」

 なつめは隣のまりもを見た。

「あっ、はい。私です。森萬里もりまりです。宜しくお願いします」

「俺の小学校の同級生です…」

 暫く見つめ、潤子はプッと笑った。まりもは笑われた事に傷付いて悲しそうな顔をした。

「いえ、違うの。あまりも違うから…」

「なにが…?」

 二人して頭を傾げると、一枚の写真がテーブルの上に置かれる。ショーの写真だが、なつめがバランスの状態から、苦しそうに手を指し伸ばしている。その視線の先には、まりもが手で口を押え、溢れる涙がライトで輝き、伸ばされた指先が控えめで、暗闇のはずなのに、そこだけスポットライトが当たっているかのように、二人の心の距離が重なったワンシーン。

「うわぁ、凄い! これ!」

「あぁあああああ! これ私?」

 二人の悲鳴に潤子は笑った。静流から送られていた今回のショーのワンショットの数枚のうちの一枚だ。どれも静流ならではの素晴らしい心の描写を捉えたものばかりだった。プロとしても、十分やっていけるだろうが、本人の固い意志で、身内しか撮らないってポリシーがあるようだ。

「ほんと静流さんって、凄いな」

「……ほんと」

「まあ、スタッフの増員は考えないでもないだけど、ユーゴがうるさいのよね。ユーゴのお店のネット環境とかもどうにかしてくれって頼まれてるんだけど」

「あっ、それでしたら、この前全部改善しておきました」

 まりもの言葉に、潤子は目を丸くした。

「今回も音楽機器のトラブルでさ。まりもの手助けでなんとかなったんだよな」

「あっ、いえ。もう一人助っ人がいて、お礼言いたかったのにいなくなってて…」

「そうなの。それなら、ちょっと考えがあるわ。芹沢さん、レオナを呼んで…」

「はい、かしこまりました」

 出されたコーヒーを飲みながら少し待っていると、ノックなしでドアが開いた。

「潤子さ~ん、なんですか?」

 長い髪がぼさぼさで、黒縁眼鏡をかけ直しながら、白の長いシャツ、黒のスパッツにシューズと、とてもラフな格好に、潤子は大きな溜息を吐いた。

「もう、なにその恰好。また、会社に寝泊まりしてるんじゃないでしょうね」

「えぇと…。会社のメールにウイルスが忍び込んでいるのを見つけまして。退治し、向こうのパソコンを探し出し、警察に届けて再起不能にしておきました」

「───」

 潤子と芹沢は言葉もなく、大きな溜息を吐き出した。これで、また警察から連絡がきて、いらない仕事が増えるわけである。

「とっても優秀なんだけど」

「けど?」

 なつめの問いかけに、潤子は珍しく愚痴を零し始めた。

「うちの管理を一任するほど優秀なんだけど、管理室を自室にして寝泊まりしてるのよ。本当は数人でやってもらいたい所なんだけど、レオナについていける人がいない。夜な夜なネットや会社中の情報を覗き見ては、楽しそうに報告してくれる事が毎回大変な事でね」

「そ、それは! 心外です。会社に侵入してくる輩を退治しているだけで…」

 潤子は大きな溜息を吐いて、レオナを睨む。レオナはウッと押し黙り、視線を逸らした。趣味で楽しんでいる事は本当なので、そこはあえて突っ込まれると痛い。二人の無言の攻防に、なつめとまりもは二人して、

「この前、会ったよね?」

「……っ…!」

 レオナの肩が動いた。まりもは側に寄り見上げた。

「あぁ、やっぱり…。この前ショーで私を助けてくれた人です。お礼を言いたかったの。ありがとう」

「うん。助かったよ。ありがとう」

「………」

 二人にお礼を言われて、レオナは真っ赤になるとソッポを向いた。その様子を見ていた潤子は笑みを浮かべて、

「レオナ、私はこの『SONA ショータイム』のホームページのレベルアップを依頼したわよね」

「…はい。伺いました。ですから、自分の目で見て、どれほどのレベルアップが出来るのかを観に行ってきました」

 始めはチラッとイメージを掴めれば、それだけでいいと思っていた。自分の手に掛かれば、潤子がいうイメージ以上のものを作成する自信があった。

 でも…。そこで見て感じた事はレオナの心を大きく揺り動かした。深沢となつめの周りには、仲間と呼ばれるスタッフで構成されたチームがいた。自分にはない仲間というものに羨ましさはあった。遠巻きで見ていただけなのに、何故か、いつの間にか自然と体が動いていた。状況を判断し、自分の車に戻り、USBオーディオインターフェースを掴み、急いで戻ってきていた。

 音楽機器の前で、悩んでいるまりもの一生懸命さに、思わず声をかけていた。何より深沢となつめの実演を見て動けなくなった。映像ではなく、生の演技を見た時、もう枯れてでなくなったと思っていた涙が溢れた。唯一、優しかったあの人の面影が、心の中で大きく広がった。

 レオナは、脇に抱えていたパソコンを開くと、

「これが新しく作成したホームページです」

「───!」

 潤子は言葉も出なかった。もっとシンプルで万人受けする感じで、文句の言いようのないものを作ってくると思っていた。それが前面に激しい情熱を感じるようなホームページになっていた。静流の一押しマークの付いていた写真がふんだんに使われている。深沢となつめのアップの表情の編集と、細かな情報を織り込んだ熱のこもった力作である。

「凄いわね…」

「うん……」

 なつめとまりもも覗き込んだが、返事しか出来なかった。

「あれ、ここは?」

 空白の場所を指すと、潤子は笑った。

「そこには、静流くんの写真ギャラリーを作るように依頼しているの。本人にも確認取ったし、彼もこれからはプロのカメラマン茅野静流として活動してもらう。当然、父親の茅野一命の名前も出さないわけにはいかないんだけど。もう父親の名前に負ける彼ではないから、大丈夫でしょう」

「そうなんだ。静流さんもプロなんだ」

「でも、本人あくまでも身内しか撮らないから、うちの専属でってありがたいお話よ」

「えっ? 身内?」

 なつめの不思議そうな顔に、潤子は笑って、

「彼にとっての身内は、あなたたちだけでしょ?」

「そういう意味なんだ…」

 静流らしいと含み笑いをした。

「なつめ君、見て見て…。ユーゴさんのプロフィールまである」

「ほんとだ」

「問い合わせが来るから、ユーゴからももう面倒くさいから出してくれって言われたのよ」

 凄いホームページになっていて、なつめは溜息を吐いた。

「それで、レオナ。貴方が自ら手助けしたってことは、まりもちゃんの事を少なからず、いい印象を抱いているんでしょ?」

「………」

「まりもちゃんを貴方の助手にはできないかしら? ユーゴと宗司が雇うらしいけど、なんならうちで雇って、ユーゴと宗司に貸し出しするほうが便利なんだけど?」

「でも…」

 ちょっと迷ったレオナに、まりもは唇を噛み締め、落ち着いた声で、

「以前、確か会った事あるよね?」

「………」

 まりもの言葉に、レオナは視線を逸らした。お互いにまだ誰にも言えない複雑を抱えている。まりもは笑いながら、

「潤子さん、私はこのままで大丈夫です」

 二人の複雑な何かを感じると、

「…分かったわ」

「あっ、いえ…。嫌な訳ではなく、私でいいのかなって…思いまして…」

 レオナの言葉に、潤子とまりもは笑みを浮かべた。

「何を遠慮してるの? いつもの貴方らしくない」

「でも…」

「それに、会社に寝泊まりは止めて。これでも一応、心配をしているのよ」

 潤子の車の前に飛び出してきたレオナを拾ったのは、もう何年も前のこと。熱を出して、うなされ続けたレオナを看病した。行く宛がなく、何処か生きることに不安を抱えているレオナをほおっとけなくて、会社で好きにさせていたら、今の状態になってしまった。

「…家というものに帰りたくないんです」

「……っ!」

 その言葉の複雑さに、レオナの深い悲しみにまた触れてしまったようで、潤子は黙った。まりもはそんなレオナに、自分と同じ悲しみを感じた。

「…なら、私と一緒に住みませんか?」

 何も考えなく呟いていた。

 なつめは驚いて、まりもを凝視した。

「まりも…」

「なつめ君は黙ってて…」

「いや、お前居候だろう?」

「………っ!」

 思い出したのか撃沈した。

 潤子は面白いものでも見るように笑い、

「まりもちゃんは居候なの?」

「はい。ユーゴさんの所に…」

「えっ! ユーゴ?」

 潤子は思わず絶句すると、

「それもいろいろと問題があるわね。じゃあ、レオナがまりもちゃんの同居を受け入れるなら、会社のほうで住む所を用意するわ。どうする?」

 レオナはまりもを見つめると、

「私でいいんですか? 生活壊滅的ですよ」

「多分、私も変わらない…」

「…だな。うちで飯食ってるくらいだから…」

「どうして、此処でばらすの」

「潤子さんに礼言えよ。あの食材ほぼ潤子さんが手配してくれているんだからな」

「ええぇ、そうなんですか。ご馳走様です」

 潤子は可笑しそうに、なつめとまりもを温かく見つめる。この二人やあのメンバー達がいれば、レオナも変わるかも知れない。

「では、前に進めるわね。また連絡するから」

 なつめとまりもが立ち上がると、レオナと潤子も立ち上がった。

「……っ!」

 なつめは、隣のレオナを見上げると、

「えぇ、でかい!」

「……シッ!」

 潤子とまりもに指さされて、なつめは口を押えた。どう見ても、深沢と変わらない身長。きっと一八〇センチ以上はあるだろう。レオナは傷付いたように、壁に凭れている。

「いつものことだから気にしないで。そうだわ、宗司に伝えて欲しい事があるの」

 潤子は嬉しそうに笑った。


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