…………………5-(5) 

 ショーの始まりはいつも独特の緊張感がある。今まで楽しく踊っていた人が少しずつ席に戻っていく。プロの厳しい視線や、過剰な程の期待感に、なつめは胸に手をあて、自分の緊張と戦っていた。ショーまでまだ時間はあるが、そろそろ準備に入らないといけない。

 深沢は椎葉と何か面倒事なのか、さっきからずっと話し込んでいる。毎回、何らかの問題は多少なり生じる。まりもは、なつめの側で衣装のバッグを抱えていた。

「まりも…」

 緊張しているまりもの耳元で、

「いいか。俺たちはショーゲストだけど、いい感情抱いている人ばかりではないからな。気を付けろ…」

「……うん」

 そう言った側から、まりもが誰かとぶつかった。

「おい、邪魔だ…」

「あ、ごめんなさい」

 睨んでくる男性に怯える。なつめは、そっとまりもを後ろに庇うと、

「申し訳ありません。場所を移動しますので…」

「ちょっと待て! お前、今日のゲストか?」

 なつめは一瞬黙るが、にっこりと笑って振り返る。

「はい。宜しくお願いします…」

 頭を下げたなつめを、脂下がった視線で撫でまわす。なつめの腕を掴むと、

「…なら、ちょっと踊ってくれよ」

「………」

 衣装前のスエットのままだが、化粧はバッチリされているため、性別は分からないだろうが、失礼極まりない。深沢と視線が合うと、なつめは首を振った。

「…すみませんが」

「…すみませんが、衣装合わせに入りますので宜しいでしょうか」

「あ?」

 側に立つ無表情のユーゴに驚いたのか、男は思わず手を離した。その間に、静流がさっさとなつめとまりもの腕を引っ張っていく。深沢の手招きするほうへ行き、用意された部屋のドアを閉めた。

「今回、どうやら、控室が用意されていなかったり、いろんな邪魔が入っている。此処は好意的な古い知り合いだし、出来るだけ迷惑を掛けたくない。トラブルは身内で処理する。みんな注意してくれ」

「うん、分かった」

 会場ではゲームなどで盛り上がっているみたいだ。なつめは衣装に着替えると、軽い準備運動をする。深沢といつものように手を合わせると、そのまま集中する。

「あ、すみません…」

 ドアのノックする音と同時に、ドアが少し開いた。会場のスタッフの顔色に、深沢は眉間に皺を寄せた。

「…深沢さん、あの…」

 スタッフは困った顔でドアを閉めた。

「先程、お預かりしたCDなんですが、壊れているみたいで再生出来ないんです」

 スタッフに歩み寄ると、椎葉が驚いたように駆け寄る。

「車で再生した時は、大丈夫だったよな」

「あぁ、問題なかった」

「さて、どうするかな」

 深沢は腕を組むと、椎葉の持っているパソコンを見つめる。

「コピーはパソコンにあるが、新しいCDがない」

 時計を見ると、ショーまで二〇分もない。買いに行ってる時間などなかった。

「でも、パソコンにあるなら…」

「そちらに、パソコンに詳しい方が居られますか? このパソコンを音響機器に接続して再生できる…」

「うーん、それは…」

「あ、あの、あの……」

 小さな声が響いた。なつめは不思議そうに、

「まりも?」

 なつめを見て、深沢を見上げる。

「私にやらせてください。他に方法がないなら…。絶対出来るって言えないけど、少し時間を貰えたら…」

 なつめは立ち上がると、まりもの肩を叩いた。

「なら、任せる…」

「なつめ君…」

「時間なら任せろ…」

 なつめは笑って、深沢を見つめた。深沢は笑みを浮かべると、

「最悪、歌いながら踊るか…?」

「それもいいね…」

 静流は笑みを浮かべると部屋を出ていく。ユーゴは眉をあげて、まりもの頭を撫でていく。

「ダメもとでいいからやってみろ。…誰も期待してないから」

「酷いっ!」

「では、こっちへ…」

 まりもと椎葉はスタッフと一緒に走って出ていく。舞台袖の影で机を引き寄せると、パソコンを開く。まりもが速いタッチでキーボードを叩いていく。

「椎葉さん、コピーがあるのは…」

「うーんと、ここだ」

「はい…」

 普段のぼんやりしたイメージとは違い、真剣な視線で画面に見つめるまりもに、椎葉は苦笑した。編集ソフトを見つけると、それを開く。

「これですね…」

 あとは、パソコンから音響機器へ接続をしようと、音響機器を眺めた。

「アナログ端子とヘッドホン端子、どっちがいいのかな」

 そこに、同じように音響機器を眺める人がいる。

「アナログはダメダメ。パソコンからだとノイズを拾うから…」

「そうなんだ。じゃあ、ヘッドホン?」

「いえ、多分音量やいろんな調整が必要になってくる」

「ふぇええん…、どうしよう」

 困って泣きそうな顔のまりもにプッと吹き出すと、

「…笑わないで下さいよ」

「ほら、これを使うといいわよ」

「USBオーディオインターフェース? こんなのどこから。…あれ? あなたは?」

 どうやら、椎葉と話しているつもりだったみたいで、驚いて女の人を見た。長い髪を一つに纏めて、黒縁眼鏡に表情の硬い整った顔立ちの女の人だった。

「ほらほら…急いで。アナウンスの人のお喋りも終わりそうよ」

 途中から追いやられて、二人の作業を見ていた椎葉は苦笑しながら、

「そのトライヤルを流して…、そうすれば、深沢に伝わるから…」

 椎葉の指さすファルダをクイックすると、スピーカーから緩やかな音が流れる。反対側に立っている深沢は大きく腕をあげた。なつめは、まりもにグーサインを送ってくれる。

「…良かった」

「なんとか、間に合ったようね」

 笑っている女の人に、まりもはどこかで会ったような気がして、ジッと見つめた。彼女はその視線から逃げるように、

「……っ…」

「おいっ、よくやったな」

 まりもの側に立ったユーゴが、ぼそりっと呟いて行った。まりもは、その後姿を見ながら、大きく頷くと涙を拭った。

 深沢となつめが舞台に立つと、会場中がシーンと静まり返る。

「スタート」

 椎葉の合図に合わせて、曲をクイックする。サンバの軽快なリズムが始まる。会場からも盛り上げる合いの手が入る。そこで、踊るなつめと深沢の踊りは会場を魅了するほど切れがあり、技も美しかった。真正面の客の後方ではユーゴが腕を組んで、ドレスのチェックをしている。

「椎葉さん…」

「んっ?」

「私ね、なつめ君がいない時に…。深沢先生に、なつめ君を私に下さいって言った事があったの」

「ぶっ…、深沢どうした?」

「───」

 あれはユーゴと同居し始めて二、三日くらい経った頃だった。深沢の部屋の玄関で、そう言うと、深沢は腕を組んだままで、玄関のドアに凭れていた。

「うーん。君が本気なら、俺は受けて立つよ?」

「そんなに格好良くて、お金持ちで、女の人にも困ってなさそうなのに、どうしてなつめ君なんですか」

 深沢は散々言われてきた言葉に唸る。まりもは見上げるしんどさに、

「部屋に入れてください」

「それはダメだな」

「なんで…」

「…俺は下半身に信用がないのでね。それに君の策略に落ちる訳にはいかない。なつめが悲しむことをしたくないだけだ」

「………」

「君にとって、なつめは何?」

「私にとってはヒーローです」

「あぁ、それでか。納得したよ。でも、それは君の思いであり、なつめの気持ちじゃない。なつめの気持ちを考えたことがあるかな?」

 まりもは自分の気持ちばかりが一杯で、それ以上何も言えなかった───。

 椎葉は複雑な笑みを浮かべ、

「深沢はあの容姿だから、何処にいても目立つんだ。当然女にももてる。でも、ダンスに掛ける情熱は今も昔も変わらない。その深沢のダンスの世界観を共有し、表現出来る人を俺は見たことがない。なつめ君を除いてね」

「………」

「プロのダンサーとしての地位を捨て、なつめ君と組むためにショーダンサーとして転向した時も、彼なりの葛藤はあったと思うよ」

 椎葉は、深沢となつめに一番深く関わってきていた。だから、二人のこれまでの思いを見つめ、これからも支えて行こうと思っている。始めはここまでの成果は期待していなかった。難しい道のりだが、着実に二人は成果を積み上げている。

「やっぱり、なつめ君じゃないといけないんだ」

「それを強く望んだのが、なつめ君だからね」

「───!」

 ステージで輝いているなつめを見つめた。その側でなつめを輝かせている深沢の存在の大きさに、やっぱり叶わないなぁと呟いた。

 ステージではパソドブレに曲が切り替わり、圧倒的な存在感の深沢と、なつめの柔軟な技に会場中に溜息が漏れた。なつめの深沢に対する絶対的な信頼と、二人の息の合った技に思わず、見入ってしまった。

「…凄いっ!」

 高まる拍手に、二人が息をあげて走ってやってくる。

「まりも、サンキューな!」

 そう言って、なつめは走り去っていく。

「えっ?」

「もう一曲あるから、衣装替え」

 深沢はミネラルウォーターを飲み干すと、激しく息を整えている。全身汗でびっしょりになっていた。ユーゴからシャツの交換を受け取ると、まりもの側に寄ってくる。

「まりもちゃん、ありがとう」

「ううん…」

 嬉しそうに首を横に振った。

 衣装替えしたなつめがやってくる。落ち着いたブルーに、首や腕やパンツの端々から、真っ白なシースルーが見え隠れしている。先程の派手な衣装に比べると、随分と落ち着き過ぎていて、まりもは頭を傾げた。

 衣装のチェックを終えると、ユーゴが緊張した面持ちで振り返る。

「おい、椎葉。お前、真正面でビデオを撮れ! あんた悪いけど、もう少しそこ頼めるか」

 音響機器の側に座っている女の人は、

「いいわ。問題なしよ」

「よし! 風が吹くぞ」

「えぇ、マジで…」

 椎葉がビデオカメラを持ってゆっくりと走る。ユーゴはまりもを見ると、

「まりも、お前は静流の所へ行け!」

「えっ、なんで…、はい!」

 ユーゴの睨みが怖くて急いで走る。慌てて静流を探すと、カメラのフラッシュが光っている。暗闇のなかを周りに謝りながら、静流の側に行く。

「…ユーゴさんが、静流さんの所に行けって…」

 半泣き状態で言うと、静流は笑いながら椅子を差し出す。

「はい、此処に座って…」

「わあぁぁ、特等席?」

 真正面から右の角の一番前。こんなところで観れるなんて、まりもが嬉しそうに座っていると、

「ユーゴは何か言ってた?」

「うん。風が吹くって…」

「やっぱり…、さが!」

 静流はニヤッと笑うと、相模原を呼ぶ。

「僕はこの角度を狙うから、さがは真正面から。絶対見逃すなよ」

「ってことは…」

 相模原は大きく頷くと、急いで移動する。

「なんか、みんな忙しそう…」

 まりもはわくわくしながら待っていると、照明が落ちた。ゆっくりとステージを歩いてくる深沢となつめに、声援や揶揄が響く。

「……っ…」

 中央で礼をすると、そっと視線を上げたなつめがまりもを見た。

「………?」

 なつめがそっと目を閉じると音楽が鳴り響く。ルンバの曲に目を見開いた。

「………!」

 マライア・キャリーの『HERO』だった。優雅に舞うなつめの動きは、とても美しくて、呼吸をするのを忘れてしまう。深沢の腕のなかを柔らかくすり抜けて、舞うように絡む。今までとは違う雰囲気と二人の距離感。見つめあう視線が甘くて、指先までの動きが綺麗で、うっとりと見てしまう。

 また、なつめの視線がまりもを見た。

「………」

 これは自分のために、なつめが踊ってくれていることに気付いた。まりもは服の裾を強く握り締めると、その真っ直ぐな視線を受け止める。なつめの思いを瞬きもせずに見つめる。

『俺は自分で選んだ道で頑張ってる。だから、お前も頑張れ』

 なつめは回転しながら、バランスを保ち、まりものすぐ近くで止まる。伸ばされた指先が、あと一歩の間隔で、まりもに伸びてくる。苦しそうに見つめられる熱い視線に、まりもの頬を涙が流れた。

「なつめ君…」

「……っ…」

 まりもがそっと指先を動かして、なつめに向かって手を伸ばそうとすると、なつめの伸ばされた片足が深沢に手によって、瞬時にニメートル程体ごと引き戻される。振り上げた右足を高く上げ、開脚したラインの美しさ。柔らかい体は、深沢の手によって、優雅に舞う。そして、座った状態から、片足で床にゆっくりと円を描いていく。深沢のアシストでそのまま回転しながら、頭の高さまで足先が上がる。それはトルネードツリーのように美しく、

「…綺麗っ…」

 会場のあっちこっちから小さな呟きが漏れる。

 ふいに深沢の背中にしがみつき、甘えるようにその体を抱き締めた。笑った深沢が振り返り、そっとなつめの頬に触れ、その手は細い首にかかり、肩の濃紺の衣装を掴むと勢いよく振り取った。なつめは両手を広げて、片足バランスでキープしている。

「───!」

 これはあのポスターで見たシーンで、誰もが息を飲んだ。

「うわぁぁ…」

 歓声が思わず漏れる。

 なつめの真っ白な羽根の舞う衣装。ライトの反射によって、羽根が輝いて宙に舞って見える。バックステップから回転しながら、深沢の腕に支えられて、足交差の大きなロンを繰り返す。激しく大きく動くたびに白い羽根と輝いているシフォンが綺麗に動いて揺れる。そのなかでも、優雅に笑みを浮かべているなつめから、誰も目が離せなかった。

 

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