…………………5-(3)

 公園の遊歩道を歩きながら、まりもは詰めた息を吐き出した。なつめと話をしようとすると言葉が出ない。自分が物凄く醜い気がして、そんな自分がもっと嫌で、いつも逃げ出してしまう。

「私って駄目だ…」

 トボトボと歩いていると、

「あれ? まりもちゃん?」

 辺りをきょろきょろ見渡すと、公園のベンチに転がっている静流を見つけた。

「あなたは…、オーナーと一緒にいた…」

「静流だよ」

 長い黒髪、はっきりした目鼻立ちに、奇麗な人だなって思った。ジッと見つめられると、こっちが恥かしくなる。首に掛けているカメラが似合うような、似合わないような…。

「カメラマンなんですか?」

「うん。アマチュアだけどね…。そう言えば、ユーゴの小間使いしてるって聞いてるよ」

 まりもはぷうと頬を膨らませると、

「物凄くこき使われているんですよ、暇だろうって」

「ははは、ユーゴらしい」

 静流が可笑しそうに笑うと、まりもは肩から力を抜いた。

「ユーゴさんは言いたいことをはっきり言うから、あんまり抵抗なくなってきたんだけど」

「それも凄い事だよ! 人見知りの激しいユーゴがよく自分の部屋貸すって言ったもんだって、こっちが驚いたくらいだよ」

 静流は思い出したように腹を抱えて笑った。

 まりもはつい最近までの自分が、随分昔の事のように感じる程、今の生活に満たされていた。それはとても居心地のいい空間で、いつまでも続けばいいなって思えるほどだった。

「君のさ、その目…」

 まりもは静流を見たが、察するような深い澄んだ黒い瞳に、視線を逸らした。

「僕は、小さい頃から父さんと世界中を旅して回っていたんだ。小さい貧しい村も多い。生きていくのが一生懸命な人、生きていくほうが辛い人、そこで沢山の、君と同じような目をした人たちを見てきた」

「……っ!」

 まりもは拳を握り締めた。

「君にどんな辛い事があったのかは知らないけど、君が乗り越えて行かないといけない事だよね」

「…そうだけど、そうなんだけど。…なつめ君に嫌われる事が怖いし、つらい…」

「それは…。うーん。でもさ、全部を話さなくてもいいんじゃない? 君がなつめ君に話せない事があるように、なつめ君も君に話せない事があるんじゃないかな」

「………」

 唇を噛み締めて、地面を見つめているまりもの姿に、以前よりは生きる活力のようなものを感じた。

「あのポスター…」

「えっ?あぁ、なつめ君のポスター?」

「そう。その言葉がなかったら、ユーゴも動かなかったと思うよ」

 不思議そうな顔で頭を傾げた。

「あれは、僕たちの作品だからだよ」

「僕たち…?」

 首に掛かっているカメラを見ると、静流はニヤッと笑った。

「君の目にどう映ってるかは分からないけど、ユーゴだって、長いスランプを経験してる。僕だって、普通の社会からははぐれ者だよ。なつめ君だって、いろんな事にぶつかりながら、今の場所に必死に立っている。その僕たちの作品に導かれて、君がやってきた」

「………」

「ユーゴの師匠は、運命論者みたいな事を言う人だったけど、ユーゴは何かを感じたんだろうね」

 まりもは静流を真っ直ぐ見ると、

「…私、変わりたいの」

 静流は笑みを浮かべると、空を見上げた。

「まずは、自分を好きになってみるといいよ。自分から逃げても、なんの解決にもならない。自分が変われば、きっと周りも変わって見えるから…」

「…なんか難しそう…」

「当たり前!」

 でも、空を見上げて笑ってみた。その目に見える景色は、以前よりはとても輝いて見えた。


 夕ご飯を作って、自分の分はタッパに入れ、仕事があるって、ユーゴはスタジオに戻って行った。深沢は椎葉と打ち合わせの連絡をしており、まりもとなつめは後片付けをしていた。

「ユーゴさんも、態々夕ご飯だけ作りに来なくていいのに…」

「なつめ君と先生は、おにぎりしか食べないからって、ぼやいていたよ。でも、随分と豪勢なおにぎりだけどね」

 まりもが可笑しそうに笑うから、なつめもつられて笑った。

「…体力が持たないから、どうしても腹持ちのいいお米を食べてしまうんだ。時間がなかったり、時間を忘れてしまうから、どうしてもこんな食生活になってしまって…」

「あぁ、分かる気がする。私、外見ばかり気にして、元々太りやすいから、ダイエットしたり、偏った食事ばかりだった。此処に来て、そんなの忘れるくらい走って動いて、お腹すいたぁって…」

「あはは…」

「誰も私なんて気にしてなくて…」

「いや、皆自分のことで一杯一杯…」

「うん。分かってる。オーナーもね、洗い物手伝ってくれるなら、ご飯食べにおいでって…。ほんとみんな優しくて…」

 まりもは涙を拭うと、

「それが、びっくりするくらい物凄く美味しくて!」

「だろう?」

「食べ物って、とても大切なんだって実感した」

 洗い物を終えると、なつめが炊飯器をセットし始める。

「どうして、こんなに早いの」

 不思議そうに予約時間が六時になっていることを眺める。

「先生は教室もあるから、結構なハードなスケジュールを熟している。俺はやっぱり体力がないから、ランニングを一〇キロやって持久力をつけないとついていけないんだ」

「本当にずっと踊ってるのね…」

「それでも足らないくらいだ…」

 なつめの真剣な視線に、まりもは唇を噛み締め、

「なつめ君、私ショーがみたいんだけど、ダメかな」

「うーん。俺では返事が出来ないよ」

「いいぞ…!」

 深沢が会話を中断しながら叫ぶ。驚いたまりもに笑みを浮かべ、中断した会話に戻った。

「良かったな…」

 嬉しそうなまりもに、なつめは笑みを浮かべた。隣に帰るというまりもを玄関まで送ると、

「あ、あのね、なつめ君。…私、迷惑ばかり掛けてごめん。こんな話も聞きたくないだろうけど…」

「まりも…」

 ジャケットの生地を強く掴むと、

「本当は、父はもう亡くなってて、一時は施設にいたの。支援を受ける事が出来たから、働きながら、夜間の高校をなんとか卒業した。携帯ショップにバイトが決まった時は嬉しかった。携帯が欲しかったし、携帯が好きだったから、勉強も苦じゃなかった。一人で生きて行けそうなくらい少し生活が安定した時、知り合ったお客さんに口説かれて、その人と結婚したの」

「…そうなのか?」

 良かったなぁと言いかけて、まりもの表情が曇った。

「そう思っていたのは私だけ。相手には奥さんも子供もいて、不倫だった。それが露見すると、暴力を振るわれて、会社にまで乗り込んできて、会社にも居られなくなって…」

 まりもの頬を涙が流れる。

「体を壊して一年くらい施設に戻って養生して、漸く働けるようになったから、小さな会社の機器メーカーで仕事をしていていた。今度はその会社の社長から愛人になれって強制されて逃げ出したの。心も体もボロボロで隠れるように生活してた…」

「まりも…」

 本当は何度もなつめの家に行ったが、迷惑はかけられないと遠くから見て帰った。それが唯一の心の支えでもあった。

「私、此処にきて、今がとても楽しいの。だから、なつめ君に話して変わろうと思って…」

 まりもの真っすぐな視線を受けると、まりもと出会った日の宝石店のパンフレットを思い出した。あれから、引き出しの中にしまったまま、見る事さえ出来ないでいる。

「あ、あのさ、まりも」

「…私、もっと強くなるから、一ヶ月の間にとにかく頑張るから。もう少し側にいさせて」

 まりもは苦笑いを浮かべながら、玄関のドアを閉めて出て行った。

「………」

 呆然と玄関に立ち竦しているなつめに、深沢はゆっくりと歩み寄ると、その体を抱き締める。

「…宗司っ…」

「お前がそんなに傷付いたら、まりもちゃんが可哀想だろう」

「でも、俺は何も知らなくて…」

「同情はだめだ。彼女は変わろうとしているんだから、それを信じて支えてやるんだ」

「………」

 リビングに戻り、冷えた体を温めてやる。

「俺さ、言えなかった。まりもがつらい事話してくれても、自分の事は話せない。俺は宗司が好きだって…」

「…それはそうだろう?」

 深沢の言葉に、なつめは驚きに目を瞠った。

「なんで…?」

「俺だって、もしも、お前のお母さんにこの関係を否定されたら、何も言えない」

「…宗司」

「お前の事を一番に考えるならって言われたら」

「いやだ」

「それに、俺の家族の話にまで踏み込まれるのは、正直困る。今はまだ心の整理がつかない」

 深沢が家族と疎遠なのは、潤子から聞いてはいるが、深沢から詳しく聞いた事はない。なつめも、母親の事をあまり話したくないのと同じで、深沢もあえて話そうとはしなかった。

「……っ…」

 なつめは深沢の腕のなかから離れた。

「なつめ…、なつめ!」

 抑えきれなくて、部屋から飛び出していた。

 

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