…………………5-(2)

 十五時を過ぎているので、喫茶店は静かなものだった。四人席のテーブルに座って、なつめとまりもは黙ったままだ。

 まりもとは、小学校以来だから、かなり久しぶりだった。あの後、まりもがなつめの服を掴んだまま、離さなかったため、鷹東が自分の店で話したらどうだと提案してくれた。

「…お前、転校しただろう。…何処にいたんだ?」

「…えっと、福岡」

「今も…」

「………」

 その妙な間に、なつめは眉間に皺を寄せた。

「あのお父さんは…」

「もう家出してから、会ってないから」

「…そうか」

 思い出すのも嫌な記憶に、なつめは押し黙った。

「なつめ君の家に行ったんだけど…」

「えっ? あっ、俺…。今、違う所に住んでるから。母さんもイギリスだし」

「そっか…」

「なんかあったのか…?」

「………」

 喋りたくないようだから、聞かなかった。なつめは時計を見ると、深沢がもうマンションに帰って来ている時間に気付いた。

「あっ、悪い。…折角だけど。会いに来てくれたなら、また次回でもいいか」

「あ、あの…、あのポスターってなつめ君でしょ?」

「えっ、まあ。うん…」

「あれ見たら、無性になつめ君に会いたくなって…」

「………」

 なつめは大きな溜息を吐くと、

「まりも、正直に言え。一体、何しに来たんだ」

 なつめの苛立った表情に、まりもはグッと唇を嚙んだ。

「なつめ君、今何処にいるの?」

「…っ……」

 深沢のマンションに転がり込んでいる身で、居場所を言うわけにいかない。深沢との関係をあれこれ詮索されるのも困る。ふとカウンターから、静流と鷹東が心配そうに見ていることに苦笑した。少し冷静になって、声のトーンを落とした。

「悪いけど、それは言えない」

「………」

 まりもの顔が一瞬強張り、逸らした目が傷付いたように下を向いた。なつめは、携帯に入ってきた深沢からのメールに、素早く返信をすると、まりもが睨んでいることに気付いた。

「なに…」

「連絡先も教えてくれないのに、次回って、体のいい断り文句だよね」

「………」

 なつめは無表情になると、まりもから視線を逸らした。

「俺はこれから仕事があるんだ。用がないなら、もう帰えるぞ」

「ウソッ!」

 テーブルを叩いて、なつめに縋ってくる視線に、眉間に皺を寄せた。携帯が鳴り響いた。なつめは、そっと携帯を耳に当てると、

「あぁ、ごめん。遅くなって…。今、お店にいるんだ。先にスタジオに行ってくれる。すぐに追い掛けるから…」

 深沢の心配そうな声だけど、声を聞いただけでホッとして落ち着いた。

「まりも、携帯の番号は教える。仕事なのは本当だ。だから…」

 まりもは力なく座り込むと、拳を握り締めた。

「…ごめん。でも、仕事もクビになって、住んで居る所も追い出されて、もう何処にも行くところないの。なつめ君しか頼れなくて…」

「あっ? …それなら尚更、俺には何も出来ないよ」

 呆然とまりもを見下ろした。

「ちゃんと仕事も探すから、一ヵ月だけでも泊めて…」

「………」

 なつめは椅子に力なく、座り込んだ。

 すると、ドアのチャイムが鳴り響く。なつめの耳には届いていなかったが、ゆっくりと歩み寄る足音、肩を優しく叩かれた。ふと視線をあげると、

「…っ…!」

 深沢が立っていた。カウンターにはユーゴの姿もある。きっと鷹東が連絡してくれたに違いない。深沢は近くの椅子を引き寄せると、

「…で? どうした?」

「………」

 貴重なレッスン時間を潰してしまった事への申し訳なさで、言葉に出来ないなつめに、深沢は分かってるって優しい眼差しで言葉を待った。

 深沢は腕組をして、話の内容を聞き終わると、まりもを見た。まりもは突然現れたいい男二人に、顔を真っ赤にして俯いた。

「まりもちゃん、話は分かったけど…。俺たちは君を保護できる環境ではない。君には頼れる身内は他にいないのかな?」

 それに答えたのはなつめだった。

「まりもとは、小学校の一から三年まで同じクラスだったんだ。引っ越っていくまでは、うちの近所のアパートに父親と住んで居たんだ。その父親が暴力振るう人で、まりももよく殴られていたし、俺も殴られた事あったな」

「……えっ!」

「当然、父さんが怒って乗り込んで行ったけど、その後だよな。引っ越ししたの」

「……うん」

 複雑な環境を聞き、深沢はなんとなく言葉が出なかった。コーヒーを飲んでいたユーゴが、

「ならさ、俺の部屋貸すよ…」

 深沢となつめは驚いて、ユーゴを見た。

「でもな…」

 深沢の戸惑いをユーゴは笑って交わし、鷹東を見た。鷹東は少しの間考えていたが、

「うーん。まあね、難しいところだけど。僕もまりもちゃんを見ていると、行方知らずの姪の事を思い出してしまったからね。このままほおってはおけない気もするし、ただし、条件付きだ。いくらユーゴ君がいいって言っても、君が言った一ヵ月だ。その間に、仕事を見つけて、きちんと自分の身の振り方を考える。それが出来るかい?」

 まりもが不思議そうに鷹東を見ると、

「マンションのオーナーだよ。まりも、約束は守れるのか?」

「…はい、守ります」

 頭を下げたまりもに、なつめは複雑な心境のまま、

「オーナー、すみません。責任は俺が…」

「いやいや、とりあえずは信頼保障ってことで。僕も了承したし、事務所のほうへは連絡を入れておくよ」

 なつめを信頼しているって言葉に、深く頭を下げた。ユーゴは、話は終わったって顔で、

「…って事だから、俺はお前らの部屋に戻るからな」

「それが狙いかよ…」

 深沢は天井を仰いだ。

「こんないい人に囲まれて、なつめ君幸せなんだ」

 その言葉が、なつめの胸に深く突き刺さった。


 スタジオの中で、サンバ独特の打楽器が鳴り響く。今回の曲は『グレイテスト・ショーマンの主題歌』だ。サンババージョンが何度も繰り返されて流れる。打楽器の陽気なリズムに、聴いているだけでもテンションが上がる。体のバウンス運動しながら、床から足を離さないように踊っていく。なつめの早い回転と、柔軟な伸びに、深沢の際どいタイミングで、二人が入れ替わるのは、見ていても気持ちいい。

 サンバの人気は意外にも高く、ショーでも要望がとても多い。深沢となつめの人気も衰えることなく、何処へ行っても引っ張りだこだ。

 今回の演目は、サンバとパソドブレとルンバだ。サンバとパソドブレを組み合わせ、二曲を繋げている。途中からサンバとパソドブレの独特のリズムが入り乱れて、パソドブレへと変更していく。その入り乱れた部分を編曲で入れているため、なつめを苦しめていた。

「なつめ、俺のカウントを覚えろ! いいか、スローダウンから、ワンエンツーエンスローエンワン、回転してからの組手を変える。すでに、前奏が入ってるからな」

 なつめはゆっくりと焦らず、深沢のカウントを待つ。少しずつ踊りながら歩幅を合わせていく。ギターの音が緩やかに入ると、

「ここからワンで蹴って、ツースリーフォエンドワン…」

 なつめのバランスが傾いた。

「あぁ……」

 深沢は笑いながら、その体を抱き締め、背中を摩ってやる。

「まあ、本当は組み合わせなくても…」

「いやだ…っ!」

 深沢のレベルを自分に合わせて貰うようで嫌だった。なつめはソファに座り込むと、スポーツ飲料を飲み干した。深沢は一瞬驚いたように固まり、カーテンが開いている窓を指さした。

「なつめ…」

 頭を捻りながら、後ろを振り返って、

「うわあぁああ…!」

 驚いて後ろ向きに倒れた。深沢が支えなかったら、ソファから落ちていただろう。

「何してんだよ!」

 教室の窓に張りついているまりもに、大声で言うと、ゆっくりとドアを開けて入ってくる。

「へへへっ…。ごめん」

「あぁ、びっくりした」

 心臓を押さえているなつめに、謝りながらソファに座った。深沢はまりものぶら下げている大きな袋を見た。

「それはユーゴのお使い?」

「はい……」

 大きく頷いて、メモ帳を出すと、言われた通り伝言を言い始める───。

 ユーゴの部屋に、間借りすることになったその日。まりもと一緒にユーゴの部屋に入ると、それは凄い事になっていた。ユーゴは一部屋を開けるために、生地や衣装をリビングへと並べていく。深沢は隣の有様に、

「お前、こんな中で生活していたのか」

 呆れたような言い方に、ユーゴは眉間に皺を寄せる。

「お前らのショーに同行するには、此処に衣装があるほうが便利なんだよ。直ぐに修正出来るしな。こっちは、作業場だから絶対入るな。こっちは使ってないから、ここを使え」

「………」

 深沢は、まりもの視線を感じ、自分も同じ疑問を感じた。

「おい、まさか。お前と共同生活なのか?」

「……えぇ!」

 なつめの驚きの声に、ユーゴは何言ってんだって顔で、

「俺は出て行くなんて一言も言ってないぞ!昼間は事務所か此処で作業しないといけないし、夜はお前らの部屋で寝るんだから、問題ないだろう?」

 問題ないのか?まりもに皆の視線が集中する。

「あ、私なら大丈夫です。問題ないです」

 ユーゴの文句言えるのかって視線で、ビビッて叫んだ。

「ほらな…。ま、気になるなら、鍵掛けとけ…」

「あ? お前が家の鍵持っているのにか?」

「………」

 ユーゴの眉間に皺がどんどん寄っていっている。なつめは複雑な表情でまりもを見つめた。

「まりも、本当に此処でいいのか。お金は貸すから、ホテルでも泊まるか?」

「ううん。文句言える立場でないから大丈夫。部屋を貸してもらえるだけでも有り難いから…」

「お前、今までどんな生活してたんだよ」

「………」

 苦笑いをして、視線を逸らした。

 此処に泊まると言い張るので、とりあえず借りたマットレスを引いて、客用の布団を持ってきた。部屋らしくはなったが、少ない荷物が妙に殺風景で、心引かれるが部屋を後にした。深沢の部屋に戻り、

「あ、忘れてた。まりも、何時に起きるのかな。朝食どうしよう。あの部屋食べ物ないし、俺たちいないよな」

「そうだな。時間だけ聞いとけば、ユーゴに部屋のなかへ運ばせればいいだろう?」

「分かった…」

 部屋を出て、ユーゴがいつも鍵を掛けないので、そのままドアを少し開けると、まりもの何処か自虐的な声が聞こえてきた。

「こんなに沢山の服、こんな所に置いておいていいの?」

「あぁ、構わない」

 まりもが楽しそうにいろんな服を身に着け、

「もしも、私が持ち出ししたら困るでしょ? 有名なデザイナーさんなんでしょ?」

 その言い方に、なつめはドアノブを回そうとしたが、深沢がその手を掴んで首を横に振った。

「構わないって言ってるだろう」

 ユーゴはまりもを睨みつけると、

「俺はお前を信用していない」

「じゃあ、なんで部屋なんて貸すって…」

「俺はなつめを信用してるってだけだ。お前が何をしようと勝手だが、これだけは言っておく。なつめを傷つけたら許さない」

「……っ!」

 まりもは息を飲み込むと、

「きついなあ…」

「当たり前だ。今のなつめを近くで、その曇った目で良く見て見ろって言ってるんだ。一週間もあれば、その屈折した考え方が変わるだろう。変わらなかったら安心しろ。なつめに嫌われても追い出してやる」

「───!」

 深沢はゆっくりとドアを閉めると、なつめを胸に抱えたまま、自分達の部屋へと戻った。胸に顔を埋めて泣いているなつめに、頭を撫でながら、優しく背中を摩った。

「…俺が知っているまりもじゃない」

「…だろうな」

「俺、まりもの何を信じたらいいのか、分からなくなった」

 深沢は大きな溜息を吐くと、

「…なつめの知っている彼女を信じてやればいいじゃないか。あのポスターを見て、なつめを頼ってきたってことは確かなんだし。自分でも変わりたいって思ったんじゃないか?」

「そうかな…」

 不安そうななつめの涙声に、深沢は苦笑した。

 まりもに何があったかは知らないが、変われるといいなと思った。

 それから一週間を過ぎたくらいから、まりもの顔つきが変わってきた。スカートから動きやすいズボンを穿いて、ユーゴのお使い魔となって忙しく動き始めた。

「───なので、スタッフ用のジャケットを作ってみたから、試着してみろって…」

 大きな袋から、ビニール袋に入っている服を取り出す。ユーゴの手書きで、SとNと雑に書かれている。いつもの事なので、それぞれが迷いなく受け取って着る。

「さすが、ユーゴさん。動きやすいうえに軽い」

「あぁ、いいな」

 黒に胸と腕のラインが別布で格子の切り替えに、臙脂えんじ色のラインがとても綺麗だ。少し丈が長めなのが良かった。なつめは格好いいねって言おうとして、深沢を見上げた。

「……っ!」

「先生、格好いい♡」

 まりもがとろんとした目で見ている。なつめはムッと頬を膨らませている。深沢は笑いながら、

「なつめも格好いいな…」

 不貞腐れてご機嫌斜めの様子で横を向いたが、ふとまりもが着ているジャケットを見つめた。

「あれ? それって…。もしかして、ユーゴさんの?」

 色違いの臙脂色のジャケット。まりも用にサイズを調整してあるが、丈の長さが同じということは、元はユーゴが自分用に作ったものだろう。まりもが着ると膝上まで丈がある。

「…うん。始めの段階でこの色だったんだけど、ユーゴさんがいい色なんだが、あの二人が着ると、衣装以上に目立ちそうで嫌だって言いだして」

「なんだ、それは…」

 深沢は呆れたような溜息を吐いた。

「へえぇ、まりもによく似合ってるよ」

「うん! 失敗作だっていうから、貰ったの」

 試作の段階から、ずっと部屋に掛かっていたこのジャケットが気になっていた。綺麗な臙脂色を毎日眺めていた。失敗作だって、ユーゴが放り投げたそのジャケットを手に取ると、

『あっ、あの。これ欲しい!』

 思わず声に出して言ってしまった。物凄い顔で睨まれたが、次の日にサイズを直して、テーブルの上に置いてあった。それが物凄く嬉しくて、それを抱き締めながら、溢れた涙を拭った。

「どうのこうの言いながら、ユーゴとの共同生活は上手くいっているようだな」

「本当に多忙なんだって思った。スタジオに小間使いで来いって言われた時は、殺されるって思ったけど。ユーゴさんは言いたいことをはっきり言うから、かえって楽かな」

 スタジオの中は少ない人数で、皆頑張っていた。あまりにも見兼ねて、お弁当を買いに行った時は、感謝された程だ。

 大体の想像がついたのか、なつめは含み笑いをする。深沢は尾方が泣いている姿を思い浮かべ同情した。

「………」

 言葉を探しているなつめに、まりもはスッと立ち上がった。

「じゃあ、届けたし。また来るね」

「あぁ…」

 そう言って、逃げるようにスタジオを出て行った。その後ろ姿を見て、なつめは悲しそうに溜息を吐いた。

「なつめ、大丈夫か…」

「…うん。宗司、お願いがあるんだけど」

 深沢は笑みを浮かべると、なつめを優しく抱き寄せた。

 

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