…………………4-(5)
あと一日。あと一日で全てが変わる。こんなに真剣に、静流に口説かれるとは思ってもみなかった。まさか、こんな形になるとも思いもしていなかった。一命が亡くなった十年前の約束。
「───うっ、うっ、グスッ」
「こらこら、もう泣くな」
「だって…」
細身の体を膝の上に抱きかかえ、頭を撫でてやる。真っ赤になった鼻と目が可哀想で、どういったら泣き止むのか考える。
「トトがいなくなったよ…」
「そうだな、僕も悲しいよ」
「基さんは、涙は出ないの?」
「僕の涙は枯れちゃっているからね。その分、静流くんが一杯泣いてくれてるだろう?」
「…前にも言ってくれたよね。ずっと側にいてくれるって…」
「覚えていたのか」
「はーちゃんとの約束は忘れないよ」
それでもまだ流れる涙に、その涙を拭ってやり、
「そうだな。これから、いや…。十年後の君の誕生日に、その時静流くんが一番欲しいものをプレゼントするって約束するよ」
一瞬で涙が止まった。
「ほんと?絶対絶対約束だよ!もう指切ったからね」
「あぁ、分かった。その時、君は何を欲しがるのかな。楽しみだ…」
静流は幸せそうに、鷹東を見上げた。
「きっと、今も十年後も変わらないと思うよ…」
その言葉をしみじみを思い出して、鷹東はハッと静流の部屋を振り返った───。
「まさかな…」
その時、いきなり携帯鳴り出した。あざみの名前に、嫌な胸騒ぎがする。すぐさま出ると、
「あざみ、こんな時間に珍しい。えっ、病院?静流くんが…? すぐに行く」
嫌な予感はいつも当たる。財布だけを持って、車を飛ばした。
「もう、大袈裟なんだよ。自転車に突っ込まれて、こけただけだろう?」
元気すぎる声にホッとしたが、一呼吸すると病室のドアをノックした。あざみの声に、ゆっくりドアを開ける。
「静流くん…」
「えぇ、基さんまで呼んだの、母さん!」
「いや、脳震盪だっていうから…」
「マジっ、もう…」
ベッドに突っ伏した。鷹東は安心したように、ゆっくりとドアを閉めた。看護婦に頭を下げると、あざみの差し出した椅子に座った。
「なんで、こんな事に?」
「小学生がさ、自転車で突っ込んできたんだ。ちょうど、曲がり角の直角で、危ない所だから、いつも用心しているんだけど、タイミング悪く…」
「もしかして、公園脇のあの角か?」
「そう!そこ!そして、二度目の不運が…。バランス崩した先が、小さな溝でさ。無様にも踏み外して、頭打って、瘤が出来たって訳」
差し出された頭を撫でると、確かにたん瘤が出来ている。鷹東は大きな溜息を吐くと、
「あぁ、びっくりした」
「ちゃんと検査もしたし、何処も異常なし。肘の擦り傷と肩の打撲、頭のたん瘤だけ以上。帰ってもいい?」
「それだけ喋れるなら、問題なさそうだけど。その事故現場には、僕からも町内へ苦情を入れておくよ。だけど、用心のためにも、今日は此処に大人しくしているか、あざみの所で大人しくしているか、どっちがいいかな?」
静流は眉間に皺を寄せると、
「なに、その選択肢は。基さんのところがいい…」
「駄目だ。こんな時こそ、お母さんを安心させてあげないと。それに具合悪くなって、また駆けつける破目になったら、もっと困るだろう?」
「………」
ムムッと口をへの字にして、あざみを睨みつける。
「そんな顔をしても駄目よ。やりたい放題なんだから、こんな時こそ大人しくしていなさい」
「………」
まだ睨んでいる。そんな聞き分けない所も一命そっくりだった。あざみは負けそうになったが、急に鷹東がそっと立ち上がった。
「じゃあ、僕は帰るよ」
「……っ!」
そう言って背を向けた鷹東に、あざみは思わず声を掛けた。
「基さん、あの、大丈夫?」
その後ろ姿が昔と重なって不安になる。
「えっ、あぁ…。大丈夫だ」
振り返ることもなく、ドアが閉まった。静流とあざみは顔を見合わせると、そのドアを見つめた。
あの雰囲気が昔の記憶を呼び起こした。またよりにもよって、鷹東の両親が亡くなった同じ病院なだけに、あざみは眉間に皺を寄せた。
また心を閉じようとしているのではないだろうか。
思わず見送ってしまったが、二人して大きな溜息を吐いた。
「静流、本当にもう大丈夫なの?」
「当たり前だよ!なんなら、走って帰れるよ」
「頭打ってるんだから、気を付けなさいよ」
あざみは少しの間考えると、
「そう分かった。じゃあ、家に帰ったら、作戦会議よ!」
静流はニヤッと笑みを浮かべると、
「そうこなくっちゃ!」
鷹東を一人にしてはいけない。そう心のなかで警報が鳴っているような気がした。
リビングのソファに座り、鷹東は大きな溜息を吐き出した。不意打ちのようなものだが、やはり病院に行くにはまだ抵抗があった。よりにもよって、両親が担ぎ込まれた病院だとは気が付かなかった。病室に行く時、チラリッと見えたあの待合室は、昔の記憶が蘇るには十分だった。帰りはあえて見ないようにした。
病室に入る時は、静流の声が聞こえてきたから助かった。もしも、静流が眠っている姿と、その傍らにあざみが座っているのを見たら、一命の時を思い出しそうで怖かった。冷静で居られるかどうか分からなかった。
静流の顔を見て、安心は出来たが、あの場に長く居たくなくて,すぐ逃げるように帰ってしまったが、二人は大丈夫だろうか。本当は送って帰ってやりたかったが、そんな余裕すらなかった。
「情けない…」
久しぶりの病院に疲れたのか、今日は珍しく眠れそうだった。軽くシャワーを浴びて、そのままベッドに横になった。
「───」
何かの音に目が覚めた。時計を見ると、まだ二時間しか経っていない。寝返りを打ってみても、目は冷めてしまった。このまま眠れないと長い夜だなと、溜息を抱き出した。部屋から出ると、玄関のほうでまた音がする。
「………」
こんな時間になんの音だと、近くの箒を手にして、玄関へと向かう。
「あれ?可笑しいなぁ…」
静流の声に、呆れた溜息を吐き出した。ゆっくりとドアのロックを外し、ドアを開けると、
「もういつもより眠るの、早くない?」
苦笑いをしながら、見上げてくる。
「何をしているのかな、こんな夜中に…」
「抜け出して来たんじゃないよ。ちゃんと母さんに送ってもらったんだから」
手に鍵を持っているのに、未だに開けられないなんて。カメラは操作できるのに。
「…まったく。しょうがない。そこは冷えるから、早く中に入りなさい」
「は~い!」
元気な声で入っていく後姿に、安堵しながら、ドアのロックを掛ける。
「食事はしてきたのかい?」
「うん!母さんとこで、テイクアウトだけどね」
「………」
あざみはあんまり料理が得意ではない。いつも出来合いを頼んで楽をしてしまうと笑っていたが。忙しいだろうから、仕方がない事にしておいてやろう。
そっと静流が手を繋いでくる。
「どうした?」
「よし!間に合った。ジャスト十二時前」
「まったくだ。こんな時間に…」
「こっちで話そう…」
手を引っ張られながら、
「まだ続けるのか…」
「当たり前じゃないか。今日じゃなきゃ意味がないんだ!」
「なにを…」
また、静流の部屋に連行されるのかと思いきや、鷹東の部屋のドアを開けた。振り返ると、真剣な顔で見上げてくる。
「今日は、僕の誕生日だ。約束したよね。十年後の僕の誕生日に、一番欲しいものをプレゼントしてくれるって…」
部屋のなかに入り、鷹東はドアに凭れ掛かった。腕を組んで、眉間に皺を寄せた。天井を見上げ、大きな溜息を吐き出すと、目を閉じる。
「約束したよね?」
腕を掴む静流の顔を見下ろした。真っ直ぐな黒い目は、ずっと変わらない。その目を見つめたまま、
「あぁ…」
静流は頭を下げた。長い黒髪が流れるように落ちていく。
「…基さんを僕に下さい」
「……っ…」
拳を握り締めると、力なくズルズルと床に崩れ落ちた。静流も床に座り込むと、長い髪が床を滑っていく。思わず、その髪を握り締めた。
「どうして、こんなおっさんが欲しいんだ」
掠れた小さな声で呟いた。正座して、鷹東の頬に手を添えた。そのぬくもりに、静流の顔を見る。
「歳のことを言ってるなら、考えたことないよ。だって、僕はずっと基さんしか見てこなかったんだから。基さんが側にいてくれればそれだけでいいんだ」
「ははっ…、静流らしいな」
その頭を撫でると、真っ直ぐに見つめられる。昔からそう、この目だけが自分を真っ直ぐに見つめてきた。悲しい時、辛い時、一番側にいたのは静流だった。
「君のさ、はーちゃんが一番好きって言われることが、純粋に嬉しかったよ」
静流は笑いながら、
「今でも一番だよ」
「僕はね、一番二番って順番付けるのが好きじゃなかった。でも、それに拘っていたのは僕自身なんだけど」
鷹東は昔を思い出すと、
「あざみは、昔のあざみは今ほど、逞しいイメージじゃなかった。何も言えない。後ろに隠れて、人見知りするような子だったよ」
「全然、かけらもないじゃないか!」
「ははっ…。それが高校に入って、イチメに出会って、三人で過ごす内にどんどん変わっていったよ。イチメの自由奔放なところに、刺激を受けたんだろうね。言いたい事もいうようになったし、イチメとよく喧嘩もしてた」
二人が結婚して、静流が生まれて、結果的にそれは良かったことじゃないかと、今では思える。
「今の仕事だって、イチメが探して来たんだよ」
「へぇ~」
意外な事実に、静流は不思議そうな顔をした。
「でも、僕は二人が結婚するって言った時、正直ショックだった」
「えっ!嘘っ!だって…」
「僕は二人にとって、一番じゃなかったんだと思ってしまったんだ、あの時は」
だから、何も言えなかった。おめでとうって言葉しか出なかった。あの時の二人の妙な顔つきは、自滅したって事だが。鷹東自身もショックだったから、全てが嚙み合わなかったのだろう。二人は自棄になって結婚してみて、子供が出来た辺りから、全ての関係はいい方向へ変わっていった。
「基さん…」
「一線を引いたのは僕のほうだった。今なら、二人の気持ちも良く分かるよ」
「………」
「病院での、僕の様子が気になって、君を送り込んできたのはあざみだろう?」
「まあね。でも、僕も母さんも、基さんを今ひとりにしたら駄目だって思ったから」
「───」
病院からあざみのマンションに帰ってくると、帰りがけに買ったお寿司の持ち帰りセットを食べていた。味噌汁と茶碗蒸しがついたあざみのお気に入りだが、
「お腹が空いていたから、とっても美味しかったわ」
「毎日、こんなのばかりで飽きない?」
「あなたは、基さんの手料理ばかり食べて、ほんと贅沢だわ」
「僕の特権だね!」
思わず殴ろうとして、頭を打っているのを思い出した。お腹が一杯になると、腕を組んで考える。
「私は、基さんが一番辛い時に一緒にいても何も出来なかった。ご両親の時も、イチメの時も、ずっと側にいたのに。背中を向けて去っていくあの悲しそうな姿を、もう見たくないのよ」
「母さん…」
「でも、静流あなたは違うでしょう?」
そう静流が辛い時、悲しい時、いつも鷹東は側にいてくれた。そして、何度か、声を殺して泣いている鷹東を、寝たふりをして見たことがある。決まって、鷹東は背を向けたまま、静流の長い髪を強く握り締めていた。
「…あなたには気を許しているじゃない」
「………」
「悔しいけど、絶対に落としてきなさい!」
「うん!了解!」
勢い込んで帰ってきたまではいいけど、家の鍵が開けられなくて、悪戦苦闘したが───。
「病院は好きじゃないけど、以前ほどの衝撃がなかった事に驚いているよ」
「…なぜ?」
「このひと月、君にずっと口説かれていて、幸せだったからね」
「ほんと?」
前のめりになって抱きついてくる静流を引き剥がしながら、
「君がもしも本気で迫ってきたら、僕は負けるだろうって思っていたからだ」
「嘘っ、ウソッ、なんで?」
「君が十八の時、僕の側に居たいって言った時、素直に嬉しいと思った。そして、その時を境に、君への感情が大きく変わってしまった。駄目だって分かっているのに、気持ちに逆らえないって初めて知ったよ」
「基さん…」
「でも、抵抗してみたいじゃないか」
「なんでだよ」
鷹東は笑いながら、静流の頬に触れた。急に大人びた顔つきに、笑みを浮かべる。そっと唇を寄せてキスをした。
「───!」
目を見開いた静流は、鷹東の手に触れると指を絡めて、深く舌を絡めた。鷹東は思わず離れようとしたが、首に腕を回される。何度も求められるまま、深く口づけた。高まる心臓の音と、触れる肌がとても熱くて、静流は体を摺り寄せていく。
「こらっ、駄目だ」
「なんで…」
「今日は安静にしていろって言われただろう」
「ヤダ、ヤダッ、やっと捕まえたのに!」
ムムッとへの字に口を歪めて、鷹東を睨む。
「気持ちは伝わっただろう?大人しく寝なさい」
「じゃあ、いつならいいわけ?明日?」
「もう明日じゃないかって言うだろう?だから、明後日だ。残った検査で異常がなかったらだ。それまでは駄目!」
「やだ、やだ、やだぁ!」
子供のように駄々を捏ねる様子に、吹き出して笑った。
「僕は何日でも待てるよ。君の気持ちが変わらないなら、僕の気持ちも変わらない」
「なら、楽勝だね」
鼻高だかに嘲笑った。
「そうかい?」
静流の顔を眩しそうに見つめると、
「静流を愛してる」
「うん!僕も」
嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、往生際悪く、抱きついた。
「キスはいいんでしょ?」
「…仕方ないな。でも、君は時々寝ている時にキスしていたじゃないか」
「あれ?バレてる?」
「あんないい匂いさせて、分からないはずないだろう」
「でもさ、知らない振りしてたんだ」
「………」
顔を覗き込んでくる顔に笑いながら、その細い体を抱き上げる。ゆっくりベッドに下ろすと、そのまま唇を合わせた。何度も角度を変えて、深く舌を絡ませる。静流はもぞもぞと腰を動かし、鷹東の太腿に足を絡ませる。
「こらっ!もう勃ってるじゃないか!」
そのまま首を引っ張って、深くキスしながら、鷹東の手を掴み、自分の股間へと導く。鷹東は仕方なく、キスをしながら、スラックスの間から手を入れると、静流自身を握り締める。
「うっ、…あぁ…んっ」
強い快楽に、鷹東の首根っこにキスをする。甘い声に、このままだと流されると感じた鷹東は、スラックスを一気に下げ、立ち上がっている静流自身に唇を寄せた。
「あぁっ…、あっ、やだ…んんっ!」
強く吸い上げると、あっけなく高みへと上がり果てた。
「なんて事すんだよ!達っちゃったじゃないか!」
「さあ、約束だ。もう寝るんだ。疲れているだろう?」
「……っ…」
鷹東にしがみついたまま、目がとろんとしている。力が抜けて、少しずつ目を閉じて抵抗していたが、うとうとしながら眠りに落ちた。その体を愛おし気に抱き締め、長い髪を掻き上げてやる。幸せそうに眠る静流を、ずっと見つめていた。
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