…………………4-(4)
小さなブティックのドアの前で、鷹東は少しの間考えたが、思い切ってドアを開けた。若い店員が珍しそうに見る。
「いらっしゃいませ…」
「あぁ、申し訳ないが、店長の瀬尾さんは居られるかな…」
「はいっ、お待ち下さい」
勧められた椅子に座る気も起らなくて、立って飾られた洋服を眺めた。
「えっ!珍しい。基さんがお店に来るなんて…」
「悪いね、仕事中に…」
「ということは、静流の事ね。少し待ってて。ここじゃあ、あれだから…、話が出来る場所に行きましょう」
「いいのかい…?」
あざみは少し間を置くと、苦笑しながら振り返った。
「何かあったんでしょう?それくらいの融通は利くわよ」
ビルの裏側にある、静かな喫茶店に移動した。お昼が過ぎてる所為か、もうお客はいなかった。少し奥に入った角は、人目に付きにくい個室のような場所だった。あざみはメニュー表を見つめると、
「食事がまだなのよ」
「あぁ、食べていいよ」
「ありがとう…」
鷹東はコーヒーとケーキを、あざみはチキンサンドと生野菜のセット頼んだ。あざみは食事を終え、やっと落ち着いたように、コーヒーを飲み始めた。視線の端に落ち着かないように、何かを考える様子の鷹東を暫く見つめ、
「…それで、何があったの?」
「………」
一瞬押し黙ったが、どうも言葉が定まらず、結局そのままを話すことにした。
「あざみは知っていたのか。静流が賞を取ったのを…」
「うーん。はっきり言って、知らないわ」
あっさりとした言葉に、あざみを凝視した。
「もう!母親かって目で見ないでよ。大体、基さんが知らないことを、私が知っている訳ないじゃない。あの父子は何から何までそっくりなのよ。イチメだって、いつも基さんが一番だったじゃない。静流も基さんが一番だと思ってるわよ」
「…なら、なぜ黙っていたんだ?」
「それで、基さんが喜んでくれるって思ってないからよ。イチメもそうだったでしょ?あの件で基さんが傷付いた事を一番悲しんでいた。それで一線を引かれた事も、仕方ないって思っていたわ」
「あの件を静流が知ってたよ」
「イチメがよく呟いていたからね。あの写真で賞を取っても嬉しくない。基が一番辛い時に側にいなかった。基を悲しませてまで撮った写真を見るのが辛いって…」
「………」
あの時は、一命は写真家であることを、一番に取ったんだと思って失望した。自分は一命にとって、二番目であることが耐えられなかった。こんな思いをするくらいなら、一命の仕事を優先させてやれる親友でいる方が楽だった。だから、一命への気持ちは封印した。そんな思いを抱きながら、あざみの気持ちを受け入れる事も出来ず、結局どちらも選べなかった。
「………」
でも、一番辛い時にずっと側にいたのは、幼い静流だった。冷えて凍りそうな体を温め、自分を見つめる純粋なあの眼差しは、今も忘れられない。
「分かったよ。悪かった…」
大きな溜息を吐いた鷹東に、あざみは残念そうに呟いた。
「あぁ…、やっぱり…。イチメや静流の事になると、あなたは感情的になるのね」
「…そうかな」
「そうよ。羨ましいわ」
あざみは悲しそうに笑った。
公園のベンチで寝転がって、雲一つない空を見つめていた。今まで鷹東と多少の言い合いをすることはあっても、ここまで感情的にぶつかる事はなかった。まさか、出ていけって言われるとは、はっきり言ってショックだった。これだけは絶対にないって確信さえあった。今も振り払われた手が忘れられない。
「あぁ、クソッ。結構くるな……っ」
あんな感情を押し殺したような表情を初めてみた。愛されているって、ずっと側にいるって信じていた。今までの何かが、大きく崩壊した事に項垂れる。
「うーん、負けるな。僕…」
自分を応援してみるが空しいだけで、全く慰めにもならなかった。
「はあああぁ…」
「あれ?静流さん…」
近くで声がして、グルッと辺りを見回すと、自転車を押したなつめがいた。スポーティな服がとてもよく似合う。歩いてくる姿に、すれ違った人が思わず振り返って見ている。
「なつめ君だ!お出掛け?」
「ううん。自宅に着替えを取りに行ってただけ…」
「…って事は、深センの所に転がり込んだ?」
うっと唸ると赤くなって押し黙った。こんな所は純粋というか、一途というか、見ていて微笑ましい。
「じゃあ、深センとはラブラブだね」
「……うん」
素直に頷くのを見て、ベンチに座り直すと、深くもたれかけ空を見上げた。
「…いいなぁ」
「どうしたの?静流さん」
「うーん。好きな人と初めて喧嘩したんだよ」
「えっ!」
驚いたように、静流を見た。
「ふふっ、僕に好きな人がいるのが意外?」
「ううん。その人の事、本当に好きなのかなって」
「………」
ムムッと口元を歪めると、なつめに詰め寄る。
「僕の片思いは筋金入りだよ。ずっとたった一人を思い続けているんだよ!」
「だからかな…」
「えっ……」
なつめは隣に座ると、同じように空を見上げた。
「僕なら、思うだけじゃダメだって思うから。本気なら、全力でぶつからないと伝わらないし、分かり合えないよ。どうしても、その人が欲しいなら、自分から掴み取らないと手に入らない」
なつめの横顔を見つめ、ハッと拳を握り締めた。
「なつめ君って、結構大人?」
「…子供だからだよ。なりふり構わず戦ってる。でも、心が通じ合うと最高に幸せだよ。だから頑張って…」
その言葉が心に深く沁み込んだ。
「どうしたんだい?」
口からエビフライが転がり落ちた。大好物なエビフライに夢中になれない。食事もうわの空で、なつめとの会話を思い出していた。
鷹東は机の上に転がったエビフライを見つめながら、
「君がそんな顔をしているって事は、珍しく考え事かい?」
珍しくって言葉に、ムムッと口をへの字にすると、鷹東に回収される前に、エビフライを口の中へ放り込む。
「あっ、こらっ…!」
「基さん、あのさ…」
食事中に話をするのも、初めての事だ。
「なんだい?」
「お風呂が済んでからでいいから、あとで僕の部屋に来てくれない?話があるんだ」
「…分かった」
意外と落ち着いた声に、あっさりとした返事だった。
でも、視線を合わすこともなく、いつもよりも少ないお皿の中のおかずに箸を止めた。半分も減っていないのに、そのままシンクへと下げてしまう。その後ろ姿を見ながら、静流は完食して、シンクへと持って行った。
お風呂を済ませ、部屋のなかの小さな木彫りの馬に凭れていた。天井を見つめ、大きな溜息を吐くと、コンコンと音がする。
「どうぞ…」
シャワーだけを軽く済ませただけの様子で、首にタオルを巻いている。静流の目の前のベッドに腰かける。少しの間、鷹東を見つめると、鷹東も何も言わず見ている。沈黙の後、
「…僕は、基さんが好きだ」
はっきりした言葉に、鷹東の眉が少し動いた。一瞬、逸らされた視線がもう一度静流を見る。
「それは恋愛対象としてか…」
大きく頷くと、大きな溜息を吐き、
「なら、答えられない」
冷たい言葉だった。
だが、その目はいつもと変わらない優しさがある。静流はそっと側に寄り、目の前の床に座った。両手を掴み、握り締める。
「小さい頃からずっと、今も、基さんだけを見てきた」
指先が微かに震え、静流の指を強く掴む。
「だからだ。君はイチメの大事な忘れ形見だ。傷付けることは、僕自身が許せない…」
真っ直ぐな視線に、静流は唇を噛み締めた。鷹東を見つめる目に涙が溢れる。
「じゃあ、僕はどうしたらいい?」
「………っ」
ジッと見つめると、鷹東の眉間に皺が寄る。
「…僕に、噓泣きは通用しないよ」
「…チッ……」
舌打ちして、むくれた静流にプッと笑った。
「なんで、笑うのさ!」
「君はそうやって突っかかってくる方が、静流らしいよ」
「ホント!じゃあ、好きになってくれる?」
「君の事は好きだよ」
「そうじゃなくて…!あぁ、もう!」
ムムッと口をへの字にすると、鷹東は力を抜いて可笑しそうに笑った。
「納得できない!」
「それも仕方ない。大人の事情だ」
「なにそれ!」
キキーッと怒りに拳を振り上げたが、この前のような拒絶はなかった。言葉は相手にされていないが、その目や雰囲気に嫌われた感じがしない。
「あのさ、僕が納得出来るまで、大人の言い訳を聞いてあげてもいいよ」
「───!」
目を見開いた鷹東の雰囲気が一瞬で変わった。穏やかに見つめられる視線に、思わず、勘違いしそうな、深い愛情を感じる。
「毎晩、此処で…」
「君がそれで納得して、諦める事があるのか」
「それはないね。でも、この前みたいに心がすれ違うのは、もっと嫌なんだ」
「静流……っ」
そっと静流の頭を撫でた。
「君を大切に思っていることに変わりはない。それじゃあ、ダメなのか?」
「駄目だよ。僕は与えられるだけじゃなく、基さんを幸せにしたいんだ」
「………っ」
鷹東の苦しそうに閉じた目に、静流はそっと鷹東を抱き締めた。
「僕の片思いは年季が入っているから、ちょっとやそっとじゃ揺るがないよ」
「それに関しては、きっと僕のほうが…」
「え、なに?どゆこと」
「教えない…」
それからベッドに座り、壁の写真や昔の話をしながら、時に隙あれば口説いてみるが交わされる。そんな事を繰り返しているうちに、眠気が襲ってきて、そのまま眠ってしまった。
「あれ? オーナー、今日調子いいですか?」
「えぇ、そんなふうに見えるのかい?いつも通りの寝不足だよ。静流くんに付き合っているからね」
「そうなんですか」
「まいったなぁ…」
頭を掻きながら、鷹東は苦笑した。もう一週間も続いている静流のラブコールに、寝不足気味だ。今までも不眠だったが、全く気持ちが違った。静流と話疲れて寝落ちてしまっているこの一週間は、確かに短時間でもよく眠れていた。
「枕が変わったからかなぁ…」
カレンダーに視線を送ると、穏やかに笑った。
「もう、母さん、聞いてよ!」
「聞いてるわよ」
あざみは耳を抑えて、静流の顔をあっちに向ける。
先程、店に初めてやってきた静流は、店に入るなり、近くの人に声をかけた。
「あの、店長の瀬尾あざみっている?」
社長に向かって、そう言った息子の姿をみて、驚いたまま固まった。
「───」
あざみは呆然としていたが、社長が笑いながら呼んでいる事に、我に返り、慌てて静流の側に寄った。その頭を殴り、社長に向かって、母子揃って頭を下げた所だ。その光景が、昔の夫とのやり取りと全く同じで、社長も昔を懐かしむように笑っていた。
「あんたって子は、私に恥を掻かせに来たの」
「なんでだよ!」
ムムッと口をへの字にする所もそっくり。
「それで、あんたは基さんに何をしたのよ」
「なんで、あんなに頑固なんだよ!」
あざみは、静流の服を引っ張ると、
「質問に答えなさい…」
本気で怒っているあざみに、頬を膨らませた。
「基さんに告白した」
「そう…、告白?あんたが?」
大きく頷く静流に、信じたくない気持ちで見つめる。親子そろい揃って、同じ人を好きになって、みんな玉砕するなんて。
「…なら、振られたんでしょ。さっさと帰って来なさいよ」
「ち・が・う!」
「えっ?何が、どうなってんの?」
やっと事情が伝わった事に、毎晩夜通し、鷹東の大人の言い訳を聞いて、疲れ果てたら、そのまま一緒に寝るって生活をもう一か月も続けている。隙を見ては、告白をしてみるが、上手にかわされている。静流は拳を握り締めると、
「もういい加減絆されてもいいと思わない?」
「呆れた…。やっぱり、基さんに迷惑しかかけてないじゃない。いい加減諦めなさい」
「嫌だ」
こうなったらきかないだろう静流はいいとして、鷹東がそれに一か月も付き合っていることが、不思議に思えた。明らかに、彼らしくない行動に何か引っ掛かった。
メールの着信音に気付く。日程変更の連絡に、スケジュール帳を出した。開いた今月の十六日に、赤い花丸が付けている。
「ねぇ、今日何日?」
「うーん、十四日」
十六日は静流の二十四歳の誕生日だ。二十四歳?って事は、一命が亡くなって丁度十年目になる。十年目の約束。
「───!」
思い出すと、天を仰いだ。
「あぁ、思い出した」
「なにが…」
きっと本人も忘れている事を、叶えようとしてくれている。
「あんたって、本当に愛されているのね…」
「だから!まだ、相手にもされてないんだよ。基さん、最近、なんだか楽しそうに笑ってるだけで」
「………」
なんとなく、我が子ながら腹が立つので、黙っておいてやる。
「母さん、なんかいい案ない?」
「そんな案があったら、とっくに私が使ってるわ」
「だよね…」
「………」
あと二日悩むといいわ。あざみはつーんと無視し続けた。
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