…………………4-(3)  

 珍しく昼が早く終わってしまい、お店が暇だ。鷹東は呑気に居眠りをしていると、入り口のベルが鳴った。入り口を見ると、辺りを見回している客と目が合った。

「あ、あなたは…」

 鷹東は一瞬、誰だとフル回転して記憶を辿り、肩から下げているカメラケースを見つめた。

「あぁ、この前のパーティに居られたカメラマンの方ですね」

「はい、突然すみません。深沢さんにアマチュアのカメラマンの事を聞いたら、こっちでは答えられないから、保護者に聞いてくれと言われて、このお店を教えて頂きました」

 保護者って…。鷹東は内心苦笑いをすると、カウンター席を勧めた。

「どうぞ…」

「えぇ、でも…」

 コーヒーでも頼もうかと思案している、彼のちょっと人の良さそうな感じに、警戒を少し解いた。

「僕の連れに、どういったご用件かな」

 暗に探りを入れると、彼はメニュー表から視線を上げ、挙動不審に店のなかを見回した。ある一枚の写真に目を止めた。

「………」

 鷹東はその写真を見た彼の次の言葉を待った。

「あぁ、やっぱり。茅野一命の写真だ」

「………」

「俺は相模原 要さがみはらようっていいます。カメラマンとして三年ですが、まだまだ駆け出しです。俺が唯一憧れているのは、茅野一命先生です」

 鷹東は大きな溜息を吐くと、店のドアをClosedに変える。バイトに上がっていいよと伝えると、店を閉めた。

「…いいんですか?」

「今日はお客もいないからね。それに、一命の名前を出されたら、僕にとって君は個人的なお客様だ」

「えっ!」

「一命は僕の大切な親友だ」

「なら、やっぱり!あのカメラの構え方、直感のような場所の選び方、彼女は…」

「あぁ、一つ訂正しておくよ。彼だ」

「えぇ、息子さんなんですか」

 がっかりした様子に、思わず笑いを堪えた。あの容姿なら、どっちにでも見えそうだ。相模原は少しの間、落ち込んでいたが我に返ると、

「一命先生に、お子さんがいるという噂は聞いた事がありました。なんでも世界中を背負って回られたとか」

「…そんな事まで」

「あっ、いえっ、はい。結構有名な話です」

「それで、彼に何を聞きたいんだい?」

 相模原は真剣な顔で、鷹東を見つめると、いきなりカウンターに頭を打ち付けた。ゴンッという音に、鷹東のほうが驚いた。

「大丈夫かい…」

「イテテテテ…」

 涙目で額を摩っている。もう一度、ゆっくりと頭を下げると、

「俺、一命先生の息子さんの弟子になりたいんです」

「………」

 相模原をじっと見た。静流よりも、体格も良く高い身長。一応プロのカメラマンとして仕事をしている彼が、無名のアマチュアの静流の弟子?一命と同じで性格にも難あり。人のいい彼が年上だとしても、平気で顎で使うだろう。教育上良くない環境だ。

「うーん」

 鷹東が大きく唸ると、

「駄目ですか」

「いや、君に全くメリットがないものでね」

「いやいや、あの作品を見たら、是非に…」

「あの作品?」

「ご存じないですか?」

 相模原はタブレットで検索すると、画面を見せた。

「これが茅野ってカメラマンの作品です。突然、現れた謎の多い方なんですが、この作品も茅野さんではなく、映してもらったこの少女が投稿したものが、話題になって、年間のフォトコンテストの金賞に輝いたものです。でも、なかなか茅野さんの連絡先が分からなくて、少女を通して、やっと了解を貰ったらしく、去年の金賞になったっていういわく付きです」

 静流の性格を良く知っている鷹東には、手に取るように状況が飲み込めた。だが、問題はそこではない。

 鷹東はタブレットを返すと、

「とりあえず、彼には話をしてみるよ」

「連絡先を書いておきます。すみませんが、出来ればご連絡をお願いします」

「期待はしないでくれよ…」

 ガックリと肩を落とした様を見て笑ったが、鷹東は胸のざわつきに、奥歯を噛み締めた。


「おかえり…」

 リビングのソファで横になっていた静流は、眠たそうな顔で鷹東を見た。店で作った料理のタッパを冷蔵庫にしまい、大きな溜息を吐いた。

「どうしたの?なんか疲れているよ」

「………」

 側に寄ってきて顔を覗き込んでくる。視線を合わせることが出来なくて、不自然に視線を逸らした。静流は眉間に皺を寄せたが、

「そうだ。この前のなつめ君の写真出来たよ」

 数十枚の写真をテーブルに並べていく。

 鷹東は一瞬躊躇したが、静流の顔を見ずに、ゆっくりとテーブルに歩み寄った。

「結構いい出来だよ…」

 楽しそうに言いながら、静流は鷹東の横顔をジッと見ていた。

「───!」

 一枚一枚を手に取り、その写真に釘付けになった。これはアマチュアのレベルではない。一命の写真と同じ撮り方、視線の位置までほぼ同じだった。少し粗削りではあるが、一命のあえて少し距離を置いた絵ではなく、感情の昂ぶりを追い掛けるような、なつめと深沢の心の交わりの瞬間を捉えているような絵だった。

「静流くん、この時何を考えている?」

「うーん、エッチかな、イテッ…」

 思わず、頭を殴ってしまった。

「でもさ、僕のコンセプトは、幸せの絶頂というか、魂の幸せを感じるその瞬間が、一番ワクワクするし、撮りたいって思う瞬間なんだ」

 深沢となつめのポーズは美しいが、二人の見つめ合う視線の絡みが、確かにエッチを見ているような濃厚さが…。

「………っ」

 鷹東は咳払いをすると、

「コンテストで金賞を取った写真があるんだろう?それも見せてくれ」

「…なんで知ってるんだよ」

「…なぜ隠すんだ」

 睨みつけて言うと、渋々部屋に入り戻ってきた。ムスッとしたまま、差し出された写真を見つめる。中央に映る少女の複雑な表情に驚いた。公園で風船と遊んでいるただそれだけなのに、少女の浮かべている笑みは、どこか儚げでいて、楽しそうに笑っているのに、潤んだ目が不安や寂しさを訴えていて、このアンバランスさが、物凄く心惹かれる作品だ。

「………」

「何怒ってるんだよ…」

「怒ってない」

「怒ってるじゃないか。元々、この写真は撮りたくて撮ったわけじゃない。この子の話し相手になっていただけで、記念に写真を撮ってくれって言うから、撮っただけだ」

 言葉通りだろう、静流にとっては。だが、鷹東は治まらない感情に歯軋りした。

「知らなかった事がショックだったんだ」

「なんだよ、それ!」

 鷹東の腕を掴むと、激しく振り払われる。

「───!」

「こんなにも側にいて、君のこんな才能に気付きもしないで、そんな自分に腹が立っただけだ」

「基さん…」

 静流は迷いながら、再度ゆっくりと腕に触れた。今度は振り払われなかった事に安心して、

「それは仕方ないじゃないか」

「…っ……」

「違うよ、そんな意味じゃない。基さんは、カメラマンとしての僕と一緒にいた事ないじゃないか。写真が好きじゃない事は父さんから聞いてる。その原因が父さんだって事も、父さんは…」

「イチメの話はやめてくれ!」

 背を向け、その拳が激しく震えていた。そういえば、この話は禁句だった。静流は声も掛けられず、押し黙るしか出来なかった。

「………」

 長い沈黙のあと、鷹東は大きく息を吐き出すと、チラッと写真を見た。

「君のその才能は、これからまだまだ開花するだろう。必要とあらば支援をしたいし、紹介もする…」

「…それは、此処から出ていけって言ってる?」

 静流の低い声に、鷹東は目を閉じて何も言わなかった。

「………」

 鷹東の腕を掴んだまま、その手に力を入れる。

「僕はね、諦めが悪いんだ。絶対に手に入れるって思っている事は諦めない。絶対に!だから、此処から出ても行かないし、基さんの側からも離れない。覚悟してよね」

「何を言っているんだ、君は…」

 大きな溜息を吐くと、静流は独り呟く。

「頭いいくせに、なんでこんな事だけ鈍いのかなぁ…」

「なに…!」

「もう!初めて、基さんが僕の写真に興味持ってくれたって喜んだのに!これじゃあ、父さんの時と同じじゃないか」

「───!」

「もういい!基さんの馬鹿!」

 自分の部屋に入ると、勢いよくドアを閉めた。鷹東は、両手で顔を覆うと、昔の記憶と重なって、テーブルに倒れ掛かると、そのままズルズルを座り込んだ。


「イチメ、イチメか?何処にいるんだ」

 病院の待合室でうろうろしながら、やっと電話に出た一命に小声で叫んだ。側には青い顔をしたあざみが座って、鷹東を心配そうに見ている。やっと連絡が取れたことに安堵した。

『あー、悪い悪い。今、空港なんだ』

「…空港って…」

『まあな。これから海外行って来るから、当分帰れないと思う』

「…ちょっと待て。また突然…、あのな」

『もう搭乗手続きが始まってるから、また連絡するよ』

「そう言って、連絡してきたことがあったか?今な…」

『あ、ごめん。急ぐ…』

「一命っ!」

 余裕なく叫んでしまった。今は側に居て欲しい。誰よりもお前にいて欲しい。そう心のなかで叫んだが、言葉には出来なかった。

『……どうした?何か…』

「いやいい。気を付けて、行ってこい」

『おうよ!じゃあな』

 電話は切れた。電話を持つ手が力なく落ちた。あざみは慌てて、電話を掴んだが、鷹東が離さなかった。

「基さん、なんで言わなかったの」

「………」

「すみませんが、鷹東さんよろしいでしょうか?」

 背後に立つ医者の疲れた表情に、鷹東は逃げ出したい心境のまま、ゆっくりと頷いた。

「手を尽くしましたが…、申し訳ありません」

「あぁぁああ……!」

 鷹東の両親が交通事故で亡くなった。土地を巡る争いに巻き込まれ、敵対側の人間から追いかけ回された挙句の事故だ。

 一番側にいて欲しい時に、お前は側に居ないんだな。

心のなかにぽっかりと開いた大きな穴に、鷹東は崩れ落ちた───。

 半年経って、帰国してきた一命があざみから聞いて、鷹東の元へ飛び込んできた。玄関で土下座して謝ってきたが、言葉で許しても、心はもう少しも晴れる事はなかった。

 一命と距離を置き、あざみは静流を抱いて、側にいてくれたが、よりを戻すことはなかった。ほとぼりが冷めた頃、また、一命が静流を抱いて、家に居座り始め、また同居が始まった。

 あとで、一命の写真集が何かの賞を取ったらしいが、一命は鷹東には言わなかった。


 静流の使っている部屋のドアを開ける。一命と静流がずっと使っていたので、この部屋の思い出はそのままだ。静流が十八歳になって一人で使い始めてからは、入ったことはなかった。部屋のなかはあの頃と何も変わらない。壁に貼られたたくさんの写真。昔は写真が増える度に、一命といろんな話をしてよく笑った。カーテンを閉め切ってない所の窓から差し込む月の光で、部屋のなかを見回した。

「………」

 ベッドはものけの空で、目を凝らして探すと見つけた。

「まだ使っているのか。全く…」

 部屋の壁近くに、木彫りでできた六十センチくらいの高さの小さな可愛い馬。静流の七歳の誕生日に、鷹東が知り合いの彫刻家に頼んで作ってもらったものだ。静流があまりにも喜んで乗っていたのを思い出す。両親に叱られると、これに乗って泣いていた。そのまま眠りこけているから、ベッドまでよく運んだものだ。一六五センチの静流にはもう乗れないだろうが、布団を乗せて、首根っこにしがみついて寝ている。

「…こんな表情は、昔と変わらないんだが…」

 あどけない寝顔に笑みを浮かべ、その側に座った。長い黒髪を掴むと、サラッと指から流れ落ちていく。その髪を指で遊びながら握り締めた。

「いつの間にか、成長してるんだな」

「うーん、トトの馬鹿…」

 そういえば、小さい頃は一命の事をトトと呼んでいた。

「はーちゃん、大好き…」

「君の寝言は、はっきりし過ぎていて怖いよ」

「うーん…」

「ほら、ベッドで寝ないと風邪をひく」

 そっと肩を叩くと、薄っすらと目を開けて、両手を差し出す。子供の頃と同じ仕草に苦笑した。仕方なく、細身の体を抱き上げ、ベッドにゆっくりと下ろした。そっと耳元に囁かれる。

「はーちゃん、嫌いにならないで…」

「………」

 目を見開くと、思わずその頭を大切に抱き締めた。静流の匂いと温かさに切なさが込み上げる。力なく引かれるままに、ベッドに倒れ込んだ。

「馬鹿だな、静流は…」

 鷹東は笑みを浮かべると目を閉じた。


「あー、久しぶりに良く寝た」

 静流は大きく伸びをすると、何か暖かい感触に、隣を見つめ固まった。

「………!」

 鷹東の寝ている横顔を見つめ、一体どうしてここで寝ているのか、思案してみるが全く思い出さない。まあ、いいかと、その側にすり寄ろうとすると、スッと逃げられる。

「起きたのか…」

 起き上がり胡坐をかいて、深い溜息を吐いている。そんな鷹東を見ながら、ムムッと不機嫌な顔で、

「不覚…」

「不覚だ…」

 同じ言葉を吐いた。お互いに顔を見合わすと、鷹東はまた溜息を吐いて、

「君の側で寝コケるなんて…」

「どういう意味だよ!」

「あぁ、機嫌は直ったのか」

「あぁ…っ!」

 思い出したのかのように、怒りの表情になる。鷹東は笑いながらベッドから降りて、部屋を出て行く。その後ろ姿を睨みながら、ベッドに力なく倒れた。

「こんなチャンス滅多とないのに、勿体ない…」

 ガックリと首を横に振った。

  

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