…………………4-(2)

「ねぇ、基さん!彼はだれ?」

 珍しく店の奥のドアの隙間から、静流が興奮したように小声で囁く。訝しげに首を傾げて、指刺すほうを見た。

 薄い茶色の髪に、意志の強そうな同色の目、面長のスッとした整った顔。首や手足が長く、店のエプロンが地味に思えるほど見映えする容姿。少し艶のある声で、お客の注文を聞いている。

「あぁ、最近入ったバイト君だよ」

「名前は…!」

 静流にしては、珍しく興味津々に驚きながら、

「なつめ君だよ」

「そうか、名前もいいね!」

「………」

 目が爛々と輝いている。獲物を見つけたライオンのように、ロックオン状態だ。何をするかと不安を感じるくらいの集中だった。途中から、異様な視線を感じたなつめが、ドアの隙間の視線に驚いたように飛び上がった。

「マスター、あの…」

 なんとも表現し難い反応に、鷹東は大きな溜息を吐いた。

「ごめんね、新藤くん。カメラマンの卵なんだけど、君に興味を持ってしまって…」

「あぁ、それでですか…」

 鷹東がおいでおいでをすると、飛び上がってやってくる。なつめは、ドアの隙間から出てきた静流に驚いた。少しオタクな感じを想像したが、優雅に長い艶のある黒髪を揺らしながら、細身の体はとてもスタイルも良く、モデルでも通用しそうだ。綺麗な整った顔に、澄んだ真っ直ぐな瞳。首から掛けられたカメラをとても大切そうに持っている。

「ちゃんとご挨拶しなさい…」

「茅野静流です…」

「あ、新藤なつめです。あの、年上ですか?」

「僕は二十三…」

「じゃあ、二つ下です」

「そうなんだ。でね、写真撮っても良い?」

「………」

 鷹東は頭を抱えた。

「こら、もう少し会話というものを…」

 なつめはクスクス笑いながら、

「…いいですよ」

「ホントに?」

 静流はガッツポーズをした。その天真爛漫というか、裏表のない性格に、嫌いになれない何かをなつめは感じた。思わず笑みを浮かべると、静流も嬉しそうに笑みを浮かべた。

「………」

 二人がカウンターに座ったのを見て、鷹東はホッと胸を撫で下ろした。静流にも同世代の友人が出来ればいいと思っていた。なつめの性格なら、静流が何を言ってもきっと大丈夫な気がした。

 三〇分くらい楽しそうに二人で話していたが、時間が来たので、なつめは帰って行った。

「どう?友達になれそうかい」

「うん…」

 超ご機嫌の静流に、少し複雑な気持ちのまま、苦笑いを浮かべた。自宅に帰ってからも、珍しく静流が考え事をしていた。デザートのメロンが、フォークに刺さったまま宙に浮いている。その光景を眺めていると、

「基さん…。昼にさ、なつめ君と話してて知ったんだけど、あのダンスの先生とパーティでデモをするんだって…」

「そういえば、そんな話を聞いたな…」

 鷹東の顔をジッと見つめ、

「僕は、なつめ君を被写体として撮りたい。彼が踊っているのを見たいんだ。パーティにも行きたいんだけど、どうしたらいい?そこで写真を撮ってもいいかな…」

 その顔は初めて見るカメラマンの顔だった。一命もそうだった。一瞬で感じた直感に恐ろしく正直だった。そのスイッチが入ると、海外だろうと何処だろうと、直ぐ様飛んで行ってしまった。急に置いて行かれる恐怖。いつ帰ってくるのかも分からない不安に、ただ待っているだけの自分に切なさを感じた。

 この子も、その血筋を持っている。

「………」

 それでも、静流の才能や可能性を潰したくない。自由に伸びやかに開花させてやりたい。例え、それが離れて行く事になっても───。胸のなかにジワッとした嫌なものが広がったが、奥歯を噛み締めた。

「…分かった。パーティのチケットは手に入れよう。撮影の許可も深沢くんに交渉しよう」

「ありがとう、基さん」

 抱き付いてくる体を優しく抱き締める。

 この温もりが離れても、耐えられるのだろうか。


 パーティの当日。

 仕事が終わったのが遅かったため、既にディナーの時間を過ぎていた。食事の途中に入るのは少し気が引ける。

「あぁ、静流くん。食事が始まってしまったよ」

「いいよ、別に。食事には興味ないから…」

 車を駐車場に停め、颯爽と降りるとドアをロックする。滅多に着ないスーツを着てきたが、やはり肩が凝る。同じようにスーツ姿の静流に目を奪われる。

「君はイチメよりも、スタイルがいいんだな。格好いいよ」

「えっ、ほんと?」

 満面の笑みは幼いが、大きく頷いてやる。

「基さんって、意外とお洒落なんだ…」

「そう?さて、会場に入ろうか」

 深沢が受付に話をつけてくれていたので、簡単に入れて貰えた。食事が終わりかけなのに安堵して、周りを見回した。さすがに華やかな世界だ。これだけの人数を集めるだけあって、深沢の人気の高さに感心した。何人かは、大物が紛れ込んでいるようだが、そっと視線を送ると、向こうも驚いたように視線を寄越した。お互いに野暮は言いっこなしだ。笑みを浮かべると、互いに視線を逸らした。

案内された席は、隣にカメラマンの脚立がある。どうやら、ここが一番のカメラスポットなのだろう。

 鷹東に荷物をあずけると、静流はそのまま会場をグルッと見回し、テクテクと歩き回っている。何度かカメラを構え、また歩いている。その様子は一命とそっくりだった。

「やっぱり、蛙の子は蛙か…」

 思わず笑みを浮かべた───。

 ゲストの演技が終わると、会場にアナウンスが流れる。これから、深沢となつめのダンスが始まる。あの二人がどんなふうに踊るのか、それはとても楽しみだった。

 ライトが落され、会場に静けさが漂い、期待感に息を飲む。次の瞬間、緩やかに音楽が流れ始める。両開きのドアを開き登場した深沢の姿に、会場に黄色い悲鳴が響く。振り返り手を指し伸ばした先に、優雅に歩いてくるスレンダーななつめの姿に、鷹東は目を瞠った。

「……っ」

 衣装は勿論のこと、面長の綺麗な顔は、内側から溢れる美しさを放っていた。周りから溜息と共に声が漏れてくる。

「綺麗…」

「ほうう…」

 光を浴びて堂々と中央に立ち、優雅に一礼した。深沢の側に立つその存在は、眩しいほど輝いていた。

「これはまた、大した化けようだ」

 鷹東は笑みを浮かべ、なつめを見つめた。でもどこか緊張したように顔がこわばっている。深沢と視線で会話をしていたが、歩き出そうとした瞬間、なつめの腕を掴み、深沢が耳元で何かを囁いた。

「………」

 会場から揶揄するような口笛が響く。深沢を見上げ、大きく頷くと、会場に投げキッスをして笑いを取った。その表情は先程より少し和らいだように見える。

 深沢が手をあげると、陽気なサンバの曲が始まる。

 一瞬にして、二人の顔が引き締まった。リズミカルな音楽に合わせて踊り始める。それは見事なまでに息の合ったダンスだった。激しく入れ替わりながら踏むステップの速さ。深沢となつめの強い一体感、見る者を惹きつける演技に、時間を忘れるほどだった。

 リズミカルな曲へと変わり、二人のダンスの色が変わった。なつめの高速回転の連発と、素早いステップ、動きの切れ味、優雅な足捌きは見事だった。

 曲が終わっても、会場が少しの間、静寂に包まれた。

「………」

 次の瞬間、弾けるような拍手と声援に、鷹東は我に返ると、激しく咳き込んだ。息をするのを忘れていたかのように、おしぼりで口を塞いだ。

「これは…、凄いな」

 二人が直ぐに消えたって事は、まだ終わってはいないのだろう。会場中がざわついている。誰もが何か言いたくて仕方がないが、上手く言葉に出来ない。

 司会者が満面の笑みで、マイクを取った。

「では、着替えが終わったようです。最後はルンバです」

 流れてきた曲は緩やかなバラード。胸に響く低音、オルゴールの音が妙に耳に残り、切なさを感じさせる。

 なつめが真っ直ぐに歩いてくる。赤紫の衣装はなつめの体に沿ったもので、パンツのサイドスリットから見える長い足は、見ている者にチラリズムを引き起こさせる。一歩一歩歩く度に、視線を釘付けにした。

 なつめの背後から現れた深沢の手が、なつめの体のラインに沿って、滑り降りてくる。思わず、生唾を飲み込んでいる者もいた。その体を強く抱き寄せ、深沢は笑みを浮かべた。

「……っ!」

 なつめの柔軟な体は、深沢を支えにして、どんなポーズも可能にする。そのラインの美しさに目を瞠るばかりだ。曲は最後に向かい、なつめの振り上げた足を掴み、腰を抱き寄せる。まさかと皆が思ったが、そのまま一八〇度開脚したなつめの腰を支えると、なつめは両手を離し広げて倒れていく。

『羨ましい』

 誰もが内心そう呟いただろう。

 だが、演技もさることながら、二人の表情も見つめ合う視線も、心のなかの何かが同調するかのように疼いた。二人の思いを側で見守っているような、心地いい空間。その中で妖精のように美しく舞うなつめはひと際輝いていた。

 数分の時間が、とても長い時間のようだった───。

「ふう、思わず見入ってしまった。あれ、静流くんは…?」

 忘れていた事に会場中を見回すと、カメラマンと話してしていた。大丈夫だろうかと見守っていると、こちらに向かって歩いてくる。

「うん、あのアングルのほうが良かったよ。ド真ん中」

「だね。あれは予想外なんだよ」

「…だと思った」

「リハにはなかったからね。残念だよ…」

 カメラマンの残念がってる様子に、静流は笑みを浮かべた。

「君って、凄いアングルを狙うね…。アマチュア?」

「…うん」

「名前聞いてもいい?」

 カメラマンを見上げると、ニヤッと意地の悪い笑みを浮かべた。

「茅野…」

「茅野…?茅野って、もしかしてあの茅野?」

 押し黙ったカメラマンを置き去りにして、静流は鷹東の前に立つ。

「お待たせ!直ぐに帰って、現像したい…」

「そうだと思った。いいものが撮れたかい?」

「最高だよ!」

 満面の笑みに、鷹東はその頭を撫でた。呆然としているカメラマンに会釈をして、そのまま会場を後にした。


 自宅に着くと、直ぐに暗室に入ってしまった。一命が勝手に小部屋を暗室に改造したままのものがある。一命亡きあとは、静流が使っているが入ったことはない。遅くなった食事を用意していると物音がする。

「…静流?」

「うーん。腹減った…」

 そりゃそうだろうと、レンジに入れていたスープパスタをテーブルに置くと、直ぐに食べ始める。温野菜に昨日作り置きしていた一口サイズのビザをオーブンで温めた。出すと同時に、胃袋の中へと消えていく。旺盛な食欲に関心していると、

「お腹が膨れた…。美味しい、ご馳走様」

 手を合わせる行儀の良さ。

 その満足そうな横顔を見つめ、笑みを浮かべた。

「なに?」

「なつめ君は、奇麗だったね」

「うん」

 静流は長い髪を無造作に結い直すと、ゆっくりとお茶を飲みながら、遠い何かを思い出すように、息を吐き出した。

「体のラインがとても綺麗なんだ。まだまだ、残念な部分があるんだけど…」

「残念?」

「うーん。同調?バランス?」

 静流は難しい顔のまま、言葉を選んでいる。

「二人の間に何かが見えるのかい?」

「反対だよ!」

 満面の笑みで吹き出して笑う。

「二人の間の距離が邪魔なんだ。なつめ君を大きな腕のなかで躍らせてるのに、先生の不安が潜んでる。なつめ君の純粋な愛情が伝わらなくて、もどかしく感じる。あの凄い演技の上に、二人の気持ちの同調、絶対的な信頼関係が出来上がると、誰もが目を離せないような演技になるよ。絶対に…」

「……っ…」

 静流の見ている世界観は自分とは別次元だ。レンズを通してそんな事を感じているのか。鷹東は持っていたカップが揺れていることに気付いて、テーブルに置いた。

 この子はやはり一命の子だ。写真家としての天性の感を持っている。一命が見ていた世界を見れるのか。

 鷹東は静流から視線を逸らすと、

「写真が出来たら、見せてくれるかい?」

 静流は驚いたように目を見開いたが、

「うん。一緒に見よう」

 何も言わず、笑ってそう言った。

 一命が生きていた時、彼が見ている世界を見たいと思ったことがある。その時間を共有出来たら、どんなにいいだろうと思った事はあったが、それは叶わなかった。実際はその世界に嫉妬してしまって、見たくなかったのも本音だ。

 でも、今日見た世界を、静流がどんなふうに感じたのか見てみたいと思った。

 

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