第5話 幽霊から離婚を勧められました

 そうでした。

 以前から、私は嫌な気配を感じたり、人の残像のような黒い靄を目にすることが時々ありました。

 子供の頃は無邪気に「視える話」をしていたものですが、皆から熱が高いせいだと笑い飛ばされたものです。


 今も半分はそう思っています。


 私は熱で朦朧として、幻覚を視ているのだと……。

 だけど、ここまで鮮やかに認識してしまうと、自分でも怖くなってきました。


「いよいよ、私もこの世とのお別れが近いってことなんじゃ?」


 ようやく来てくれた侍女に水を貰って、少しだけ声が出せるようになった私は、ガラガラ声でひとりごちました。

 声に出さないと、生きている実感が得られなかったからかもしれません。

 しかし、私が独り言のつもりで零した言葉を、彼女達はしっかり拾ってくるのです。


『そんなことはないわよ。私らの存在だけで貴方を殺すことなんて無理だもの。まあ、死んだとしたら、寿命……でしょうね。仕方ない』

『大丈夫ですよ。お嫁さん。そんなに怯えなくても。死んだら、私達と同類になるだけじゃないですか。友達たくさん、楽しいですよ』


(……それは嫌だな)


 幽霊の友達と楽しい第二の人生なんて……。


「あの……。素朴な疑問なんですけど」


 私は咳払いを一つしてから、幽霊二人に聞きました。


「この屋敷って聖化されていて、結界も張られているのに、どうして、お二人はこちらにいらっしゃるのですか?」

『ああ、それはね。ほら』


 お姉様の方が横に目を遣ると、カーテンが少しだけ開きました。


『これが限界なんだけど』

「いや、充分凄いです」


 幽霊、凄い。

 物質を動かす力もあるみたいです。


「お嫁さん。ちょっと外を見てください」


 赤髪の女の子が指差して、私に訴えかけて来ます。 

 私は彼女の指差した方に、目を向けました。

 窓の外に、手入れの行き届いた庭が広がっていて、その遥か先に、金色のド派手な建物の天辺部分が視えました。


(何と悪趣味な……)


 ――と、最初私はそう思いましたが、よくよく目を凝らしてみると、事実は違っていたのです。

 建物の外装は白でした。

 だけど、私には発光しているように視えたのです。


『あれが「聖化」の成果というわけです』


 可愛い女の子がさらりとそんなことを言ったので、私はおいそれと突っ込むことが出来ず、大仰に驚いているふりをして流しました。


「つまり……。聖化すると、建物一帯がきらきら光って見えるようになるのですね?」

『霊感がないと、そうは見えないから、貴方も、なかなかのもんなのよ』

「そう……なのですか」


 お姉様に誉められてしまいました。

 私は霊感が強いようです。

 高熱の副産物からくる「妄想」でなかったことは、ありがたいのですが……。


(そんな特殊能力一つあったところで、別にどうでもいいことが虚しいわ)


『これが私たちが、ここにいる理由なんです。ほら、小さな虫って、明るい光の方に集まるじゃないですか。私たちもあれと同じ状態なんですよ。とりあえず、光っているところの近く行けば、救われるかなって、ついつい、みんな、ここに集まってきてしまうのです』

「虫に例えるのは、どうかと」


 あどけない顔をして、なかなか過激なお嬢さんです。


『でも、実際そうだし……ねえ』


 年長者のお姉様は何処から取り出したのか、煙管を吹かしながら、のんびり答えました。


『何か惹きつけられて、ここに流れてきたものの、光の中には入ることが出来なくてね、外でうようよしているのよ。まあ、聖化の能力者たるエオール様がここに来たら、私らの存在なんてすぐに見つけて、綺麗にされてしまうのかもしれないけどね。……でも、今のところそういう気配もないし、暗くてじめじめしている「ここ」は、私たちにとって打ってつけの住処ってわけよ』

「……では、お二人は私なんかよりも先に、お住まいになっていたのですね」

『そうよ。でも、私たちはまだまだ新参者。もっといるからね。夜になったら凄いわよ。毎日宴会。貴方も新人歓迎会やって欲しい?』

「一応、まだ私生きていますので」

『そっか……。じゃあ、私たちでやりましょうか』


 賑やかなのは良いけれど、あまり、巻き込まないで欲しい。

 更に私の寿命が縮みそうです。


『でも……。お嫁さんは私たちが視えるみたいですし、うるさくしたら、体が休まりませんから。当分は大人しくしていましょうよ』


 あら、優しい。

 過激なお嬢さんだなんて、前言撤回です。

 若いのに、どうして亡くなってしまったのでしょう?

 

「私、お二人からエオール様の事情を聞くことが出来て良かったです。このままだったら、私、何も知らないままで……一人で死んでしまうところでしたから」


 多分、エオールのことは、私が尋ねたところで、離れの人間は誰も答えてくれなかったでしょう。

 先程の事務的な侍女の態度で分かります。

 彼らは仕事以外で私を気遣いたくないのです。


(当然よね。私と仲良くなんてなってしまったら、お義父さまもお義母さまも良い顔なんてしないだろうし)


 幽霊の噂話で、エオール様のことを知ってしまうというのも複雑な気分ですが、彼には他に好きな人がいるのだと知れただけ、私は良かったのです。


「エオール様はその方と結婚できないから、当面の時間稼ぎの為に私を娶ったのですね?」

『多分。めちゃくちゃな理由だけど、それが罷り通ってしまうのが、現当主の力って奴なのかしらねえ。あーっ。これだから、権力者って嫌だわ。私、大嫌い』


 お姉様は笑っていましたが、両手の拳を強く握りしめていることに、私は気付いてしまいました。


(この人も、生前何があったのかしら?)


 お姉様の怒りは収まらず、次第に口振りにも怒りが込められるようになりました。


『本当、遠路遥々嫁いできた女性に失礼な話よね。相手が断れないのを良いことに、勝手な婚姻を進めて、初日から自分だけは、とんずら……。本来なら昨日が初夜のはずなのよ。最低すぎるわ! 女を何だと思っているの? 貴方ね、そんな奴、とっとと離婚した方が良いわよ。離婚よ、離婚!』


 私の脳内に過っては消えていた「離婚」という単語が、お姉さんに連呼されていました。


 良いですね。

 ――離婚。


 それを怒りに任せて実行できるのなら、どんなに良いことか……。

 だけど嬉しい。

 私一人だったら、きっと今頃、泣き暮れていたかもしれません。


「お嫁さん、どうして笑っているのですか?」


 女の子に指摘されて、私は泣き笑いしてしまいました。


「ありがとうございます。私なんかのために怒って下さって。私、こんなふうに人と話せたの久しぶりなんです。なんか……死んだ後も楽しいのかなって思えました。いや、まだ死なないですけどね」


 生きた人ではないし、未だ私の妄想だったりする可能性も捨てきれないけど、でも、この人達が何だって、私には良かったのです。

 腹の探り合いも、自虐的な気持ちも、罪悪感も持たずに話せる関係。


(そういうのに、私ずっと憧れていたのですよ)


 お姉様の名前はモリン、女の子の名前はミネルヴァというらしく、その後も私の体調を見ながら、お喋りをしました。


『さあ、元気になったら、絶対に離婚してやるって思いで、生きられるだけ生きるのよ』


 モリンの叱咤激励に、私は気持ち半分、笑顔で応じました。

 きっと、もう少ししたら私は彼女たちの仲間入りをする。 


(誰も恨まず、憎まず、旅立てたら良いのだけど……)


 ――なんて。

 私は嫁いだその日から、死ぬことばかり考えていました。

 

 ですが、三カ月後。

 実際、モリンの言う通りの状況を私は迎えてしまったわけです。


 ――神様。

 なぜなのでしょう?

 私はすっかり元気になってしまったのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る