第4話 足のない方々
聖統御三家の一つ、ミノス家は浄化の力を得意にしているそうでして……。
その浄化の強化版が「聖化」なのだとか……。
そんな話を、私はお義父さまが怒鳴り散らしている言葉の中から拾って覚えたわけです。
(ああ、だから……。その能力を駆使したお屋敷だから、ピカピカなんだ)
合点がいきました。
能力なんて持っていない私でも、ミノス邸は聖域にいるような、空気が美味しい感じがして……。
奇跡的に、呼吸が楽になったのです。
もっとも、私がエオールのご両親を怒らせたせいで、すぐさま修羅場となり果ててしまいましたけど……。
お前のせいで、この後の聖化が大変だと、お義父さまがぼやいていたのが、昨夜の私の最後の記憶でした。
結局、私は自分の意思で話すこともままならないまま、昏倒したのです。
そして、意識を取り戻した時……。
私は広いだけの簡素な部屋の寝台に寝かされていました。
(一応、放置はされなかったのね……)
調度品は寝台の横の丸机と、衣裳が数着仕舞えるような箪笥。それと、分厚い葡萄色のカーテンがぶら下っている、実家と変わらない、こぢんまりした部屋。
(だけど、普通そうな部屋で良かったわ)
下手したら、監禁部屋とか、牢屋に幽閉されるんじゃないかって、心配もしていたのです。
それに比べたら、寝台もふかふかだし、掛け布の肌触りも上質。楽園です。
まあ……。
少々、薄暗く、湿っぽいですけど……。
(とりあえず、命はあるみたいだし、もう少し横になっておこう)
眠れる状態の時に休んでおけというのは、病人の鉄則です。
……それに。
どうせ、起きていたって、ロクなことがないのでしょうから。
目を瞑って、懸命に睡魔に引きずられるのを待ちます。
しかし、こんな時に限って、鋭い喉の痛みに、目が爛々と冴えてしまいました。
(……水が、飲みたいなあ)
一口で良い。
口の中を湿らせて、痛みを紛らわせたい。
(それと、身体を拭きたい)
汗でべたべたして、気持ちが悪いのです。
バスタブに浸かりたいなんて、贅沢なことは望まないので、せめて身体を拭いて着替えてしまいたい。
だけど、今の私は声すら出せず、それを誰かに知らせる術もありません。
たとえ、水を用意して貰っても、一人で飲むことが出来るかどうか分かりませんし、手拭いと替えの服を用意して貰っても、一人で着替える自信はありません。
(私の病状を知っている人がいれば、そういうことも想定してくれるのでしょうけど)
惨めでした。
そんな簡単なことすら、一人でこなすことが出来ない自分が情けなくて……。
(神様、私……何か悪いことした?)
兄に捨てられるように、嫁に出されて。
夫は結婚初日、顔を合わせて、わずか数分で去っていき……。
義理の両親に、使えない嫁として、罵倒される。
虚しくて、悔しくて……。
感情を訴えたくても、もはや、そんな元気すらない。
自分の身体もままならず、人生もままならない。
何処に行っても、お荷物扱いされて、皆に死を願われている。
(……私が死んだら、みんな喜んでくれるのかしら?)
なぜ、私は自ら命を絶てないのでしょう?
その勇気すらない、意気地なしなんでしょう?
暗い思考が止まらなくて、本格的に泣きそうになったので、私は考えることをやめて、
五感の感覚を受け流すことに努めながら、固く目を閉じました。
――と、その時でした。
『この子ですかね? エオール様の花嫁って?』
『もう、死にそうじゃないの?』
『そりゃあ……エオール様自身が、こういう人が良いから、娶ったんでしょう?』
人の耳元で、不穏なことを、めちゃくちゃ楽しそうに話しています。
……て、耳元?
明らかに、その娘達の声は、私のすぐ横から聞こえました。
(……嫌だな)
何も聞きたくない。これ以上、嫌なことばかり知りたくない。
それなのに、耳を塞ぎたくっても、身じろぎ一つ出来ない私は、彼女達の遠慮のない言葉の応酬を、延々と聞く羽目になってしまったわけです。
『でも、今回の結婚って、絶対、父君に対する当てつけよねえ?』
『ですよね。離れに来た使用人たちが噂してました。大好きな彼女を愛でていたいから、今は絶対に結婚しないって、子供のように、ごねていたって』
『我儘も良いところよね。ミノス家の当主が結婚しないなんて』
『父君も苦しいお立場みたいですよ。エオール様の聖化の能力が凄まじかったり、陛下からの信頼も厚かったりして。実力行使で、離縁を勧めることが出来ないから』
何だか、怒鳴り散らかしていた父君に対して、私の方が申し訳なくなってしまいました。
(離縁させたくても出来ないなんて……。私は一体、どうしたら?)
しかも。
――大好きな彼女?
(そんなことだろうとは、思っていましたけど)
彼女を愛でたい……ということだから、身分違いの恋かもしれません。
いずれにしても、今回の無理な縁談の理由が分かったのは、良いことなのかもしれません。
……ですが。
どうしてなのか、涙が止まらなくなってしまいました。
先程まで、我慢出来ていたのに。
別にエオール様のことを、私が好きだというわけではありません。
真実を知って、落ちこんでいるわけでもないのです。
(それなのに、私ったら、どうして、ここで泣くのかしら?)
泣けるって場面なら、他にいくらでもあったでしょうに。
自分が自分で腹立たしいのですが、一度溢れた涙は止まることがなく……。
ついに、彼女たちにも見つかってしまいました。
『やだ。この子、泣いているわよ?』
『もしかして、私達の会話が聞こえていたのでしょうか?』
『まさか、そんなこと有り得ないって』
――有り得ない?
(……どういうこと?)
私は目をこじ開けて、彼女たちを凝視しました。
思った通り、二人は侍女では、ありませんでした。
そうですよね。ノックの音一つもしなかったし、噂話をするにしても、さすがに私の枕元は避けるはずです。
揃いのお仕着せではなく、地味なワンピース姿。
長身で茶髪、色気溢れる美人女性と、赤髪を一つに結った素朴な感じの女の子でした。
見た目から、どう考えても共通点のなさそうな二人が、並んで私を見下ろしています。
「えっ?」
『あら』
『……っ!?』
声が出ないのがもどかしいのですが、私だけではありません。
明らかに、二人組の女性は戸惑っています。
あれだけ大声で話していたくせに、私が二人の会話を聞いていたことが、そんなにおかしいことなのでしょうか?
『貴方、私たちのこと視えているの?』
「……?」
極めつけには、謎の一言。
しかし、私は妖艶なお姉様の視線につられるように、彼女達の足元に視線を下ろして……。
――二人の足がないことに、ようやく気がついたのでした。
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