第3話 血も涙もない、綺麗な旦那様
公爵様の名前はエオール=ミノス……。
正式名称はもっと長かったのですが、一度覚えて、高熱に魘されたら、うっかり忘れてしまいました。
その旦那様=エオールは、馬車から引きずり出される私を使用人に命じて、素早く担架で回収しました。
まるで、不用品の回収を生業にしている職人のような無駄のない手際に、私も感服したものです。
(さすが公爵様、仕事が出来る御方なのね)
ああ、ここで私は実験材料にされるのか、家畜の餌にされるのか……。
だけど、そんな懸念どころか、私が意識を取り戻すのを律儀に待ってから、門前でエオールが投げかけてきた言葉は感情の見えない淡々としたものでした。
「ロータス医師から、君の病が重いことを聞いて、是非にと娶ることにした。私はこの家にはほとんど寄りつかない。しかし、一応父母はこの屋敷に住んでいるし、君の看護に関しては丁重にするよう、使用人達にも指示は出してある。君には長生きしてもらいたい。私はもう行くが、何も気にせず、ゆっくり療養に励んでくれ」
――病が重いから、娶った?
――家にはほとんど寄りつかない?
そして、もう行ってしまう??
(たった今、会ったばかりなんですけど……)
せめて重要なところは、もう二言か三言くらい追加説明して話して欲しいのですが、声が出ないので、私は尋ねることも出来ません。
「……う……あ」
なので、呻きながら、潤んだ目で訴えました。
行ってしまうのは仕方ないとしても、頼むからもう少し傍にいて欲しい……と。
ロータス医師と助手さんは、馬車を屋敷内の馬小屋に連れて行ってしまったので、もうここにはいません。
従者の一人もいない私が丸腰で飛び込むには、あまりにも巨大な豪邸です。
――貴方、血も涙もないのですか?
しかし、私は不覚にも少しだけ微笑んでしまったみたいなのです。
至近距離で見た旦那様のご尊顔が、驚くほど、綺麗だったから……。
(何て美しい人。後光が射している神様みたいだわ)
きらきらした夕陽の中で、更に美形が浮き彫りになっていたのでしょう。
青い澄んだ海のような瞳に、高い鼻梁。
残照を受けて、発光する艶やかな金髪は、思わず拝んでしまいそうなくらい、神がかっていました。
男女を越えたこの世のものとは思えない艶やかさ。
(ああ、こんなに麗しい方なのだから、それは当然私のことなんか欠片も思いもしないでしょう)
そんなことを一瞬、考えてしまったことを、見透かされてしまったのか……。
エオールは私に軽く会釈すると、使用人に合図を出して、踵を返してしまったのでした。
「それじゃあ、ラトナ。お大事に……」
(嘘でしょう?)
伸ばそうとした手も虚しく宙を切り、彼は私に一瞥もくれず、颯爽と背中を見せて、大勢の従者たちと歩いて行ってしまいました。
微風に靡く黄金の髪。
翻ったひらひらした白い外套が、ああ、さすが大貴族様は白がお似合いですね……って。
(私の田舎では白い服なんて、砂埃にやられて、真っ黒になってしまいますよ)
……なんて、そんな皮肉ばかり思い浮かべてしまうから、私は酷い目に遭うのです。
思った通りでした。
エオールは面倒事から逃げたのでした。
程なくして、屋敷内に運び込まれた私は、彼の両親が私の健康状態について、まったく聞かされていなかったことを知ったのでした。
(……そこ、一番重要な部分なんじゃ?)
旦那様ったら、おっちょこちょいですね……などと、笑える段階ではなかったですよ。
口髭を蓄えたいかにも保守的なお父様は怒り狂い、くるくるの巻き髪で、手間のかかった髪型をしていたお母様は無言で睨みつけてきて……。
こういう時だけ、私は自分が死にかかっていることに感謝しました。
正気であったら、身を抉る、罵詈雑言も失神してしまえば聞かずに済みますからね。
どうして来たんだとか、妻の実家で式を挙げたと聞いていたのも嘘だったのか……とか諸々。
(そりゃあ、もちろん……。大した説明もせずに一人息子が勝手に結婚して、今にも死にそうな女を嫁だと連れてきたら、怒り狂うよね。当然だわ)
エオールは私に「長生きして欲しい」と仰ってましたが、多分、私……寿命が尽きる前に、この方々に葬られてしまうと思うのですけど、大丈夫なのでしょうか?
(やっぱり、もう駄目なのかな?)
再び気絶してしまった私は、離れの奥棟。日当たりの悪いじめじめした部屋に、閉じ込められてしまったのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます