第28話・生贄

 昨夜、一体何人が犠牲になったかわからない。典之はそう言って肩を落とした。


「私の奥さん……貴子ちゃんのお祖母ちゃんもな。昨夜買い物に行ったまま、戻ってきてへんのや」

「ええ!?」

「他にも、身内で行方不明になったもんが何人もおる。でもって、排水溝や側溝に、人が吸い込まれてまうのを見たって人もな。助かった人は、誰かが襲われてる間に逃げた人か、明かりをたまたま持ってた人だけみたいや」


 そんな、と紬は貴子の方を見た。彼女は泣きそうな顔で、こくりと頷く。

 昨日、少しだけ貴子の祖母、増岡晶子とは話した。人当たりのいい田舎のおばちゃん、といった雰囲気の人だったように思う。まさか、彼女も犠牲になったというのか。

 否。犠牲になったかどうかさえ、確認できない状況なのだろう。

 紬は池に引きずり込まれた、女性従業員を思い出していた。




『やめて、やめてやめてやめて!やめてえええええええええええええ!誰か、誰か助けてっ、誰かああああああああああ!!』




 朝、池の傍を通ったが、泥が這いずったような後はあるのに池そのものは平穏なものだったのだ。透き通るような水、浮かんでいる蓮の葉。昨夜見た時は、まるで汚泥が溜まっているような臭くて真っ黒な水に見えていたのに。

 恐らく、怪異と同時に、池そのものが一時的に変質してしまっていたのだろう。さながら、異次元に繋がるゲートになってしまったかのように。

 大体、人間の体のサイズからして、排水溝のような場所から出てくるのも引きずり込むのも不可能に近いはずなのだ。それを無理やりねじ込むことができたとしたら、“出口”そのものが特殊な存在に変わっていたとしか思えない。

 そして、その場所がそのまま地獄へ繋がってしまっていたとしたら。あるいは、天国でも地獄でもない無の世界へのゲートと化してしまっていたとしたら。

 引きずり込まれた時点でその人間が生きていたところで――戻れる見込みはまったくないのだろう。

 そして死体としても、どこにも出てこない。だから、死んだと言う確証も得られない。なんて残酷な話なのか。


「ずっとずっと、それこそいつなのかもわからないくらいずーっと昔の話です。この下蓋村で、とんでもない災害が起きたことがあったそうよ。これは、下蓋村の人間ならみんな知ってる話なんだけど」


 典之の隣に座ったおばさんが口を開いた。誰だろう、と貴子に視線をやると、“松美おばさんだよ”と貴子が教えてくれた。


「昨日いなかったし、紬ちゃんは知らないか。典之おじいちゃんのお姉さんの娘さんね。えっと、あたしから見ると何になるんだっけ?こういう場合」

「多分従伯母ね。大伯母の娘になるでしょうから」


 松美はさらっと言う。そういえば、伯父、伯母、くらいまでは小説で使うが、それ以上の親戚用語は使われないことが多いような気がする。多分、説明されないと読者もわからないからだろうが。

 そもそも、大伯母=祖父の姉、になることも知らなかった。心のメモにとめる紬である。


「運が悪すぎる年、土地。そういうものはいつの時代もある者よね。雨が降らないがゆえの水不足、それによる凶作。それが収まったかと思えば今度は打って変わって大雨、土砂崩れ、洪水。不衛生による疫病まで蔓延した。当時の下蓋村は……いえ、当地は下蓋村って名前じゃなかったんでしょうけど。何か災いを成す存在が村に棲みついてしまい、そうなったのだと考えたそうです」

「実際に、怪物とか邪神を見たわけじゃなく?」

「村の神社の神主さんがそう言ったってのも大きかったんでしょうね。昔から、幽霊や妖怪の類って“霊能力を持つ一部の人間にしか見えない”ってのがデフォじゃない?だから、多分神職の人がそう言ったら“きっと自分達には見えないけれど、そういうものがいるはずだ”って信じたのではないかしら」


 確かに、そういう認識になるかもしれない。

 紬も、霊能力のありそうな、神社やお寺の人に“あなたは祟られています。だから風邪をひいたんですよ”と言われたら、うっかり信じてお祓いをお願いしてしまうかもしれないと思う。

 多分、そういう人の心理を悪用して、カルト教団が悪さをしたりもするのだろう。

 典之がため息まじりに続ける。


「その当時の神主ってのが言った言葉が、どこまで本当だったかは今となってはわからん。ただ後の調査で二つわかっとることがある。一つは……神主の言葉を、村の人らがみんな信じてしもうたこと。それから……神主が、当時の村の村長とな、ずぶずぶの関係やったっちゅうことや」

「ずぶずぶ……」


 つまり、癒着していた、ということだろう。神主は村長に言われるがままの言葉を喋っていた、そういう可能性も高いということだ。


「神主は言った。村に棲みついたあかん存在を封印するには、生贄の儀式をするしかあらへん、と。天気や病気の知識がない人らが、神主にそないなこと言われてもうたら、そら信じてまうのも無理なかったんやろな。しかも、生贄となる人間は、神主が決めよった。こいつが不義理をしたせいで、村に悪いもんを呼び寄せたって」


 つまり、と彼は言う。


「村に……正確には村長にとって都合の悪い人間が、体よく生贄に指名されたわけやな。一番最初の生贄になった人がどんな人やったのか、大体のところはわかっとる。村長は息子を、とある有力者の娘と結婚させたかった。しかし、息子には既に別に恋人がいて、息子はお見合いを嫌がっとった。あとは、わかるな?」

「元々の……村長の息子の恋人が、生贄にされたと」

「そういうことや。当時の村では、厳格な身分制度が定められとった。村長の息子の恋人は、非常に身分の低い家の娘。それも気に食わんかったんやろな。こいつが息子を無理やり襲った、無理やり自分と結婚させようとしただの……そないなことを言われて、生贄にされてもうた。しかもそのやり方が残酷でな。村の中を馬にひかせた車で引きずって傷だらけにした挙句、水が枯れた古井戸に放り込んだんや。しかもその古井戸をたっぷり、糞尿と泥水を混ぜたくっさい水で満たした上でな。そして投げ込んだ娘が助けを乞うのも厭わず、井戸に蓋をして、漬物石を載せて封じた。娘が……溺死するか、病気になって死んでまうまで」

「そ、それって……」


 思わず、紬は紗知と顔を見合わせた。


「さ、紗知、見ました。ホテルの従業員さんが、池に引きずり込まれて死ぬのを!」


 紗知が声を上げる。


「その時、普段は綺麗なはずの池が真っ黒に染まってて……しかもものすごく臭かったんです。這い出してきた幽霊っぽい人も、可哀想なくらい汚水まみれで。ひょっとして、あ、あの人が、一番最初に生贄になった人、ですか!?」

「そうかもしれんし、そうじゃないかもしれんな」

「というと……」

「生贄の儀式は、翌年も、その翌年も繰り返されたからや。一人目の生贄を捧げたことで天災は収まった。少なくとも村人にはそう思えた。せやけど、地下の怪物を封じ続けるためには、毎年生贄が必要やと神主が言うたんやな。せやから、毎年のように生贄が同じように、汚水まみれの古井戸に投げ込まれたらしいで。……儀式を繰り返す方が、村長の都合が良かったんやろな。自分にとって都合の悪い人間を、ちょうどよく処刑できるシステムやったから」

「ひどい……」


 なるほど。だから、汚水まみれになって死んだ女、が最初の犠牲者とは言い切れないというわけらしい。二人、三人と同じような生贄が増えていったとあっては。


「もっと合理的な方法があるんちゃうか。もっと生贄の苦痛が多い方がええんちゃうか。そう考えて、何度も処刑方法は変わってったそうやで。途中で、井戸やのうて落とし穴を掘ってそこに拷問した生贄を落とし、しまいに生き埋めにして殺すことが増えたみたいや。火あぶりにして火傷だらけにした上で窒息させるとか、全身に細い針を刺して傷だらけにした上で生き埋めにするとか、まあそんなかんじやったって」

「あ、あああ……」


 紗知の顔から、どんどん血の気が引いていく。彼女は掠れた声で、見ました、と呟いた。


「さ、紗知……生きたまま焼かれる、女の人の夢を……ホテルで見たんです。ま、まさか、あれって、あれも……」


 そして、全身に針の方。あれは恐らく、風呂場から這い出してきて自分と紗知を襲った怨霊のことだろう。あれで犠牲になったのは男だったということか。いや、毎年やり方が変わったわけでないのなら、針地獄で死んだ犠牲者も一人ではなかったのだろうが。

 本当に、ぞっとする話だ。人間の悪意とは、どこまで際限がないのだろうか。


「……儀式が決定的に行われなくなったのは、戦争がきっかけやったっちゅう話や。うちの村に空襲の被害はなかったんやけど、赤紙は来て……ぎょうさん村の若いもんが、戦争に連れていかれてしもうたからな。生贄なんかやって、労働力を削ってる余裕がなくなったっちゅうことやろ。でもって、戦後のごたごたもあり、倫理観の問題もあり、そのまま生贄の儀式は完全に途絶した。まあ、戦争の前からほぼやらんくなってて、今の村のもんで儀式を体験した人は一人も残ってへんのやけど」


 なんとなく、彼が言いたいことがわかった。

 邪神がいたか、いなかったか。本当のところは誰にもわからない。ただ、ごたごたと共に生贄の儀式が行われなくなっても、村を災厄を襲うことはなかったということ。それが全てだということだろう。

 彼らが“本当は邪神などいなかったのに、生贄の儀式だけが繰り返されていたのでは”と考えている本当の理由は、きっとそこにあるわけで。


「……生贄の儀式はあかん。せやけど、地下にあかんもんが眠っていて封印されとる……そう思ってる人は少なくなかった。せやから、封印の儀式をお祭りとして残したっちゅうことやな。村の結界を強化して、悪いもんが下から登ってこられんようにするっちゅう内容の。それを、今の神社の神主さんらも引き継いでるわけやけど」


 典之はどこか遠い目をして言う。かつての惨劇に、想いを馳せるように。


「その礎が……壊される事件が起きた。正確には、悪意をもって壊したんとちゃう。たまたま村に来たよそもんの商人が、封印の井戸の井戸の石に触ってしもうたんや。おかしな話やろ、誰にも見つからないように神社が場所そのものを隠しとったし、村人の大半はそれがどこかも知らんかったのに。その商人は入り込んで、石をずらしてしもうたんや」

「それって……」

「今から七十年近く前のこと。私も子供やったから、細かいことまでは知らん。でも、村の大人が、ほんまに大騒ぎしてたのは確かや」


 紬にも想像がついた。

 それが意味するところは、つまり。


「七十年近く前にも、今回と同じような惨劇が起きたってことですか?」


 紬の言葉に。典之は、暗い顔でこくりと頷いたのだった。

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