第29話・七十

 なんとなく、紬にも納得がいった。

 彼らが集まって対策を会議していること、何かを知っているようなそぶり。それは実際、同じことが過去に起きて、それを解決できたという前例があるからなのだと。

 少なくとも、観光客をわんさか呼べるほどここ数十年の下蓋村に異常はなかったわけだ。急場凌ぎかもしれないが、過去と同じ対策を打てば、また騒ぎを収束することはできるだろう。ならば、紬や貴子、紗知も急いで村から出て行かなくても大丈夫なはずだ。


「気づいてる人は気づいてましたよ。“下から来る”ものが、邪神や妖怪の類ではなく……それを封じるという名目で生贄にされた人々だということは」


 はあ、と松美がため息をついた。


「けど、ねえ。薄々気づいていても、みんな公に言うわけにはいかないでしょ。ご先祖がそんな酷いことをしていたこと、邪魔者を消す道具として儀式を利用していたこと。そんなのが知れたら、一気に村の悪評が広まってしまうことになる。現在、儀式を実行した人間なんて誰も生き残っていないというのに。私達としても、看過できない問題だわ」

「それは、そうかもですけど……」

「最後に亡くなった人であってもとうに時効だしね。可哀想だとは思うけれど、それ以上に生きている我々と家族の安全の方が大事なの。冷たいと思うかもしれないですけど」


 彼女も心苦しい気持ちでいっぱいなのだろう。まるで自分に言い聞かせるように、仕方なかったのよ、と繰り返した。

 実際、儀式を使って人々を惨殺した実行犯や、それを指示した人間が生き残っていたら裁きを受けさせることもできよう。しかしそれは数十年も昔のことで、当時は二十歳以上の、実際村の運営の中核に関わっていた人間など誰も生き残っていないとあってはどうしようもない。

 親や祖父母が酷いことをしたとしても。その罪を、何もしていない子や孫にまで背負わせるのは酷だし、本人たちとしても理不尽だろう。理屈は、紬にもわかる。わからなくはないのだが。


「生贄を捧げなくなったことで、新たな怨霊は増えなくなった。しかし、儀式の結界も恐らく綻びやすくはなっていたんやろうな。もしくは……既に生贄の数が多すぎて、生半可な力じゃ封印を保てなくなってたのかもしれへん」


 これは恐らくやけど、と典之。


「七十年近く前のその時、商人が井戸の石に触ってしもうたのは……誘われてしもうたからやと思っとる」

「誘われた?地下にいる者達に、ですか?」

「特に、一番最初に井戸に投げ込まれて死んだ女性に、やな。一番最初の生贄となった彼女が、最も力の強い存在やと神主はんは言うとった。せやから、その井戸を中心に村に結界を貼ったんやって。で、井戸のある場所そのものを念入りに封じて、誰も入れんようにしたし、神職以外の誰も教えんようにした。それでも、封印の礎があるっちゅう噂はどっかから漏れてしもうたみたいやけど」


 それって、と紬は思わず紗知を見る。紗知は青ざめた顔で頷いた。

 そう、紗知とその友人二人と出会った時。友人たちがこんなことを言っていたのだ。




『ここの怪物は、地下に封印されている。その封印の礎が、この村のどこかにあって、それが外れると“下から来る”ようになっちゃうって。その礎って、どこにあるのかってずっと探してるんですけどお……』




 村の人間が噂を外部に流してしまったのか。あるいは、きっとそういうものがあるに違いないと考察した誰かがいたのか。

 何にせよ、隠されているその場所を、“探してやろう”という者が増えてしまったのは実情としてあったのだろう。


「……紗知は、玲愛ちゃんと真織ちゃんが、どこから下蓋村の詳細を調べてきたのかまでは知りません。でも、礎となっている場所はきっと神社の人が隠してるはずだって、神社の裏に秘密の洞窟があってそこが怪しい……みたいな話を観光客さんから聞いて、だから見に行くんだって言ってホテルを出て行きました。そしてそのまま、戻ってこなかったんです」


 紗知が泣きそうな顔で言う。


「二人とも、いくら“映え”のためでも、怪しい封印を破るほど馬鹿だとは思いません。でも、封印が封印だとわからなかったら触ってしまうかも。……ひょ、ひょっとしたら、今回下蓋村の地下から危ないものが出てくるようになっちゃったのは……二人が何かしたせいなんじゃ」

「そうかもしれん。せやけど、その二人も行方不明な以上真相はわからんし……何より、地下に眠る生贄たちが呼び寄せたんやとしたら、あんたの友達が一概に悪いとは言えん。実際、七十年前も今も、神主はんらが絶対入れんようにその場所を隠しとったはず。それでも辿り着けたんやとしたら、人間じゃない力に招かれたとしか思えへん」


 とにかく、と、典之は首を横に振った。


「あんまり自分とお友達を責めたらあかんで。……その友達誘われなかったらきっと、他の誰かが誘われることになっただけやと私は思う。あんまり責任、感じたらあかん」

「おじいさん……すみません。本当にすみません。ありがとうございます……!」

「紗知ちゃん……」


 俯く紗知の背中を、紬はさする。これが言える典之は、立派な大人だと心から想えた。彼も奥さんや親戚がいなくなって、それも死んだ可能性が濃厚で――怒りや悲しみを感じていないはずがないというのに。

 こういう時、毅然とした態度の大人が一人いるだけで違うのだと実感させられる。

 自分も一応年齢の上では成人であるはずだが、まだまだメンタルの上で未熟だ。己の感情のコントロールもままならないのだから。


「七十年前の時も、地下からやってくる者によって……下蓋村では多数の犠牲者が出た」


 典之は話を続ける。


「幸いやったのは、封印が解けたのが夜更けの直前やったことと……明かりを照らすとばけもんを退けられると早々に気付けたことやな。今みたいに、この村に多数観光客がおるような状況でもなかった。おるんは村の人と一部の部外者だけやったから、連携を取るのが早かったっちゅうのはあるんやろな」

「夜明けになったら、怪物はみんな消えたんですね」

「せやけど、夜になったらまた沸いてでてきよった。奴らは明るい光が苦手なだけで、吸血鬼みたいに太陽の光で滅ぶわけやなかったからな。もう一度、奴らを地面の下に押し込んで封じる他ないと、当時の神主はんも言ったし、大人たちもそう考えたらしいで」

「そして、封印に成功したから、昨今の下蓋村は平穏無事だった?」

「そうなる。ただ」


 ちらり、と典之は庭の方を見た。


「どうやって再封印したかについては、私らも方法をよう知らん。神社の関係者と、その人らから聞いた人だけなんとなく知ってる程度みたいやで。せやから今、神主はんらがそのへんの記録を調べに行っとるとこやな。今の神主はんも七十年近く前の頃やと生まれてもおらんかったやろし。ていうか、下手しなくても先代やってたその親父さんも生まれてへんな……」


 道理で、と理解した。この大事な話をする場に、何故神職の人間が一人もいないのか不思議に思っていたのだ。どうやら、再封印の方法を調べに行っているということらしい。

 なんにせよ、一度封じ込められた実績があるというのなら安心だろう。紬もほっと息をついたのだった。


「おじいちゃん、明るい時間帯なら、あの生贄たちって出てこないわけだよね?」


 そこで、貴子が尤もなことを口にする。


「その間にさ。その……紬ちゃんとか紗知ちゃんとか、他の観光客の人とか、村の外に避難させてあげられないの?夜になったらまたあいつら出てくるんでしょ?そうなったら、今度こそ大パニックよ?」


 実に尤もな意見ではなかろうか。正直、できれば紬もそうしたいし、なんなら貴子本人だってそうしたいだろう。いくら封じ込める方法があるからといって、あんな目に遭った村にいつまでもいたくないというのが本音だ。

 勿論、村にいた多数の観光客が一斉に逃げたら、道路も混雑するしパニックで大変なことになってしまうかもしれないが。


「私らもそうしたいのはやまやまなんやけどな。そういうわけにもいかへん」


 典之は困ったように眉を下げた。


「本当のこと知らせて一斉に逃げてもろうたら、みんな大パニックやろ。それに、昼間も実は完全に安全なわけとちゃう」

「というと?」

「日の当たらない、暗い木陰なんかでは襲われた事例があるそうや。それこそ、車出そ思うてアクセル踏もうとしたら、その足を怨霊に引っ張られて引きずり込まれるなんてこともあるかもしれん。車って、足元まで明るいわけとちゃうやろ。でもって、この村から徒歩で出て行くのは危険すぎるし距離も長すぎる。この時期やから熱中症で倒れてまうかもしれんし」


 熱中症。なんだか急に、現実的なキーワードが出て来た。いや、怨霊に殺されるかもしれないという時に、そこまで気にすることなのかと思わないではなかったが。

 ただ、眩しい光がない場所=木陰のような場所でさえ危ないというのなら、車を出す行為も安全ではないというのはわからない事ではない。そう言われてしまえば、紬も黙るしかなかった。


「邪気のお祓いが終わるまでは、できれば観光客さん達にも出て行って欲しくないのよ」


 そう言いながら部屋に入ってきたのは、腰の曲がったおばあさんだった。全員分の湯呑とお茶を持っている。どうやら、わざわざ入れてきてくれたらしい。


「それこそ、下蓋村の怨霊は……今はうちの村だけで被害は済んでるけど。今の状況で村から一斉に人がいなくなったら、そっちを追いかけて外にいってしまわないとも言い切れないわ。そうなったらまさに、世界の終わりよ」

「あ、すみませんお茶。ありがとうございます」

「どういたしまして」

幸江さちえ姉さん、足が痛いんだろう。無理しなくていいのに」


 困惑した様子で典之が声を上げる。姉さん、ということはこの女性が典之の姉なのだろう。つまり、松美の母親ということか。どことなく面差しが似ているような気がする。


――しかし……世界の終わり、なんて。そんなことまで、考えてなかった。


 紬はお茶を受け取りながら、自分の浅慮さを恥じたのだった。己が助かることばかり考えていてはいけないのだ。そう、あの怨霊が東京の町に溢れたら何が起きるか。想像するだけで恐ろしい。


――何か、私にもできることないのかな。……やば、段々頭、回らなくなってきた。


 お茶を一口飲んだところで特大の欠伸が出てしまった。やっぱり相当疲れているらしい。可能なら、少し仮眠を取らせてもらおう。そんなことを思ったのだった。

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