第9話・歓声

「おおおおおおお」


 なんというか。


「うおおおおおおおおおおお」


 なんと言えばいいのか。


「ふぉおおおおおおおおあおおおおお!」


 さっきから、貴子の叫び声が絶妙に煩い。周りでごった返している人々がろくに振り向かないのが唯一の救いか。


「部長ー。率直に申し上げまして喧しいでございます」

「ドストレートにどーも!いやだって、仕方ないじゃん!こんなに賑わってると思ってなかったんだもーん!」


 旅館を出て僅か数分。今、紬たちはたくさんの人で賑わう歩行者天国の道に来ていた。左右にホットドッグやらポテトフライやら焼きそばやら綿菓子やら、とにかくお祭りの定番であろう屋台が所狭しと並んでいる。

 言葉が訛っていない人も少なくないあたり、多分外部の業者も雇っているのだろう。なんというか、田舎の山村の古めかしいお祭りというより、普通の民間人が浴衣着て出歩くお祭りといった雰囲気である。

 紬は、去年行った川越祭の様子を思い返していた。右も左も人、人、人。理路整然と人が並ぶディズニーランドよりさらに混み合った印象が強かったあのお祭り。物凄く楽しかった反面、少し移動するだけで偉く時間がかかった記憶がある。今目の前にある道路の光景は、あれに非常に似通っていると言えた。

 無論、川越祭やディズニーランドと違って人をすり抜けて移動できる分、だいぶマシな混み具合ではあるが。


「あたしが数年前に来た時はこんなんじゃなかったのよ」


 物珍しそうに辺りを見回す貴子。


「屋台はあったけどこんなに数多くなかったし、人も近くの村の人と物好きな観光客がちょっといるかなー程度で。いやぁ、ここまで人が多いとは驚きだわー」

「映画の効果って凄いんですねえ」

「うん。まあ聖地巡礼したいファンの中にはにわかも多いだろうし、来年以降はここまで人増えないだろうけどね。……つか、コレ見越して屋台とか増やしたんなら大したもんだわ。やるなー」


 そんな彼女の視線が一点で止まる。なんだろう、と思って紬は“うげっ”と青ざめた。彼女が見ている先にあるのは、大手ビール会社のトラックである。紬は利用したことがないが、使っている人は見たことがあった。荷台にくっついている蛇口を捻ると、そこからビールがじょぼじょぼと注がれるのだ。お酒好きだったなら一回チャレンジしてみたいやつだろう。

 と、思った矢先に貴子の手が持っていたトートバッグの中に伸びている。しゅばばっ!と自分でも信じられないほどの速度で彼女の腕を掴んでいた。


「駄目です、先輩」

「ま、まだ何も言ってな……」

「今から飲んでどーすんですか!ごはんの席で、べろんべろんに酔っ払った露出狂として登場する気ですか!?やめてくださいよ今日は私他人のふりできないんですよ!?」

「そこまで言う!?」


 確かに、一杯二杯飲むくらいなら大丈夫なのかもしれない。

 が、何がタチ悪いって彼女の場合、確実に“一杯や二杯”で済まないのがわかりきっていることなのだ。絶対、そのまま“もうちょっと大丈夫”とか言い出すのである。そして、あっという間にみっともないへべれけ状態に陥るのだ。

 こんなたくさん人がいる中であんな醜態を晒したら終わりである。下手をしたら、否下手をしなくても公然猥褻で捕まってしまうではないか。今日明日は車を運転することもないだろうから、飲酒運転の心配はないのだとしても、だ。


「ちょっとだけ!ちゃんと一杯で終わらせるから、ね?」


 貴子が縋るような目で紬を見る。


「そのついでにちょこっとおつまみ買うだけで終わらせるから!ね、ね?」

「駄目に決まってんでしょうが!お酒も駄目だしおつまみも駄目です!先輩のおばあちゃん達がお昼も夜もご馳走作って待っててくれるんでしょ!?食べられなくなったらどーすんですか!」

「イケるイケる!あたしなら問題なく食べられる!」

「その分リバースするんでしょどーせ!私は全部見てるし知ってるんですからね!」


 ていうか!と紬は眉を吊り上げる。


「先輩、私の小説のネタ探しに付き合ってくれるんじゃないんですか!?このままだと、普通にお祭りで遊んで終わりになっちゃうんですが!」

「あ、そうだった」


 忘れてたんかい!と思わず心のなかでチョップを決める紬である。この人はいつも、どこまで本気でどこまでボケなのかさっぱりわからない。

 確かなことは、彼女と漫才コンビだけは絶対結成したくないということだった。確実に紬が、ツッコミ疲れして終わるような気がする。


「ごめんごめん。あんまり屋台が多くても面白そうだったからついつい」


 あっはっは、と笑いながら頭を掻く貴子。


「しかし、あたしが思ってたよりずっと観光地になっちゃってたわ、下蓋村。こんなに人が多くて大きなお祭りになってるとは」


 近くで、下蓋祭のガイドマップが配られているのを発見。二人でまじまじと見つめながら言う。村の面積そのものがそう広くはないので、屋台が出ている通りもそう長いものではない。ないのだが、南の村の入口から、北の神社に向けて、真っ直ぐ続く通りが全て歩行者天国になっているようだった。

 石畳で舗装された道の左右に、ずーっと屋台が続いているらしい。最後に神社でお参りして帰るのが一般的なコースであるようだった。

 現在、紬たちがいるのは南端の、出店通りの入口付近である。泊まっていた旅館や、貴子のおじいちゃんの家もこのすぐ近くにある。

 北の方を向けば、後ろに青々とした山を背負う、立派な神社の姿が見えた。神社の前には石造りの鳥居があるが、奇妙なことに鳥居の右側、下の棒だけが中途半端に欠けている。

 鳥居の形は普通、二種類あるものだ。下の棒が両方突き出していて上の棒が湾曲しているタイプ。それから、下の棒がひっこんでいて上の棒がまっすぐになっているタイプである。

 見たところこの鳥居は、上の棒が湾曲しているあたり、前者のタイプだったと思われるのだが。


「気付いた?変な鳥居でしょ、あれ」


 紬の視線の先を察してか、貴子が言う。


「神社ってあたし達は呼んでるけど、実際は神道のそれとは違うみたいなんだよね。なんていうか、村の地下に眠るあやかしを封印するために建てた建造物ってかんじで。祀られてるのはそのあやかしじゃなくて、そのあやかしを封印した伝説の神主さんってウワサ」

「ああ、まあ……人が亡くなったら、神格化してお祀りすることもありますもんね」

「そ。その神主さんのパワーにあやかって、やれ病気治してくださいだの、農作物の実りが良くなりますようにだの、そういうお祈りをする人が多いみたい。あたしも詳しくは知らないんだけどねぇ」


 まあ、貴子もこの村に住んでいる人間ではない。人伝になんとなく聞いた知識なんてその程度のものなのだろう。


「このあと儀式という名の盆踊りがあるけど、それは見てくでしょ?……あんたが望むような、“因習のネタになりそうな寒村”じゃなくなっちゃってたのは申し訳ないというか、小説の役に立つかはわからないけど」

「いえ、見てきます。騒がしい村で、突然悪霊が湧き出してパニックに!とかそういう話もあるし。そっち方面で考えてもいいし」

「それ、なんかハリウッドのゾンビ映画系になっちゃってる気がしないでもないけど」


 確かに、微妙にジャンルが違うかもしれない。バイオハザードも映画とゲームは結構面白いんだけど――なんてことを紬が考えていた、その時だった。


「……!?」


 一瞬、背筋に走った悪寒。紬ははっとして、石の鳥居の奥をまじまじと見る。

 景色に何か変わったことはない。何もおかしなところはない。ただ。


「どしたん?紬ちゃん」

「あ、いや、その……」


 気の所為だろう、きっと。この時は、そう思うことにしたのだ。貴子が反応していないのだから、きっと。


「なんでもない、です。はい」


 そう、思い過ごしに違いない。

 あの鳥居の奥から――女性のうめき声のようなものが聞こえた、なんていうのは。




 ***




 紗知は大丈夫だろうか。

 金子真織はついつい何度も後ろを振り返ってしまった。そのたびに、金色に染めた髪が汗で額に貼り付く。――神社の禁域を調べてみたいと言い出したのは確かに自分である。しかし具合の悪そうな友人を、果たして一人ホテルに置いてきてしまって良かったものか。


「あー!やっぱり、あれですよう、あれあれあれ!」


 そんな真織の気持ちをよそに、もう一人の友人である玲愛ははしゃいだ声を上げた。

 神社の本殿と、その敷地を囲う木製の柵。本殿の裏はすぐ山になっているのだが――確かに岩場の影、ちらりと洞窟のようなものが見えている。わざわざ注連縄までかけられているあたり、重要な場所であるのは間違いないだろう。


「あの向こうに、オバケを封印してるナニカがあるんです!撮影しましょうそうしましょう。バズり間違いなしでしょ!」

「封印を解くとか、さすがにそこまではしたくないからね、アタシ。呪われたいわけじゃないし」

「わかってるってば。でも写真とか動画撮るだけで意味あると思わない?うまくいけば心霊写真とか撮れちゃうかも!今度こそヒット作出したいでしょ、真織ちゃんも!」

「まあ、そりゃそーだけどさ」


 歌い手ではなく、オカルト系ユーチューバー。そちらに舵を切ってからも、イマイチ動画の伸びはよろしくなかった。

 入ってはいけないと言われる藪の中を外から撮影したり、廃病院に忍び込んだりといろいろしたが、やはり自分たちのスキルではまだまだインパクトが足りないらしい。さすがに三桁回転が精々では、広告収入など得られないのが現実だ。

 下蓋村に目をつけたのは自分だし、この村に封印されているというアヤカシについて調べようと言い出したのも自分。ただ、村についてからは妙に玲愛のほうが乗り気であるのが気になった。彼女も例の映画は好きだし、ホラーに興味があるのも確かなことだろうが――彼女がやりたいと言わなければ、自分は神社の禁域まで入ろうととは言い出さなかったかもしれない。

 観光客から聞いた、神社の奥にある“入ってはいけない洞窟”。そこに、怪物を封印するための御神体とか社とか、そういうものがある可能性は極めて高いのは確かだろうが。


「本当に、入る?バレたらマジで叱られると思うけど」


 ここにきて、少し尻込みしてしまっている。今は紗知もいなくて、自分と玲愛の二人だけというのもあるが。


「入るに決まってる!ここまで来て引き返すなんてもったいないでしょ!何より、うちら有名ユーチューバーになるんじゃなかったの?このまま底辺で終わるなんてうちは嫌でーす!」

「あ、アタシもそりゃそうだけど」

「おお!ちょうどいいところに穴発見!まさに入ってくれと言わんばかり!」


 迷っているうちに、玲愛が柵に空いた大きな穴を見つけてしまった。女子高校生二人ならゆうゆう潜れそうな穴だ。なんと都合がいい、と少しばかり呆れてしまった。まるで、自分達を招き入れてでもいるようではないか。


「ほら、神様も入っていいって言ってるよこれ!ゴーゴーゴー!」

「ま、待ってよ玲愛!」


 真織が止めるのも聞かず、玲愛はさっさとしゃがみこんで穴へと体を潜り込ませてしまった。仕方なく、自分も後に続くことにする。

 彼女はこんなに強引な性格だっただろうか――そんなことを考えながら。

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