第8話・火炎

 火を放て。

 男の言葉を、頭が飲み込むまでしばし時間を要した。


「ま、待って!火って、どういうこと、ねえ!?」


 穴の周囲から一瞬人がいなくなったと思いきや、次にそれぞれが手に松明のようなものを持って現れた。まさか、あれを自分のところに投げ込むつもりなのか、と紗知はぎょっとする。

 そんなことされたら大変なことになる。なんせ、自分が今貼り付けられているベニヤ板の下は枯草なのだ。あっという間に燃えてしまうだろう。下手をしたら、油も染み込ませているかもしれない。

 生きたまま、焼き殺される。それがどれほど恐ろしいことなのか、わからないほど子供ではない。


「やめて、やめてよ!紗知が死んじゃう!や、焼けちゃう、焼けちゃうから……!お願い、やめて!そんな、そんな苦しい死に方したくないよお!」


 逃げなければ。とにかく、ここから逃げなければ。

 両手両足をばたつかせるものの、貼り付いた髪と皮膚に激しい痛みが生じるばかりだった。髪の毛どころか、頭皮も一部くっついてしまっていそうだ。なんならお尻も。手足は多少動くが、それだけでは立ち上がることもままならない。


「いけ」


 そうこうしているうちに、男の無情な命令が下った。まるでスローモーションのように、穴の中に落ちてくるいくつもの松明が見える。

 落下した、そう思った次の瞬間――一気に炎は、枯草に燃え移っていた。


「あああああ!熱い、熱い熱い!」


 紗知が置かれたべニア板はすぐに燃えてこない。それでも、周辺が火の海になってしまえばそれだけで十分に熱を感じる。


「お願い助けて助けて助けてえええ!やだ、紗知、紗知なんも悪いことしてないでしょ?な、なんかしちゃったなら謝ります、お願い、お願い助け……ごほっ、げほっ、げほげほげほ!」


 命乞いをしているうちに煙が来て激しく咳き込んだ。自分は、村の人達に恨みでも買ってしまったのか。だからこうして、わけのわからない理由で焼き殺されそうとしているのか?

 確かに、面白半分で下蓋村のオカルトを取材しようとしたのはいけないことだったかもしれない。けれど、現時点で自分達がやったことと言えば、村の人や観光客に“礎の場所はどこ?”と尋ねただけ。そして、その答えを誰からも聞くことができなかったため、実際その場所がどこにあるのか判明しないまま。つまり、村の禁を犯すようなことなど一つもしてはいないというのに。

 大体、自分は好きでオカルト取材をしていたわけではない。玲愛と真織がやりたいというから、仕方なく付き合っただけ。そう、自分はついてきただけなのだ。それなのにどうして、こんな目に遭わないといけないのだろう。


「穴の中が全て焼けるまでどれくらい時間がかかる?」


 そんな紗知の叫びを、人々はまったく気にしていない様子だった。穴の上で、リーダーらしき作務衣の男が他の者達と話しているのが聞こえる。


「あまり短時間で焼けてしまっては、恐らく生贄として強い力を持たないと思うのだが」

「ガソリンのようなものは用いておりませんし、火の勢いも思ったより強くないようです。恐らくそう時間もたたずに燃え尽きるでしょう。多分、生贄が死ぬよりも早く。半死半生の状態の生贄の上から土をかぶせれば、多少時間も稼げると思います」

「なるほど。呼吸を確保するべきか悩むところではあるな。どれくらいの火傷を負うか、死亡までどれくらい時間がかかるかによるか。窒息させるのと、火傷で死ぬように仕向けるのと、どちらの方が時間がかかるのだろうな。医者にそのあたりの相談もしてみるか」

「でしたらお急ぎになった方がよろしいかと。あまり長く燃える火でもありませんし。可能な限り長く苦しめた方が、下から来るものを封じる蓋として効果があるのでございますよね?」

「ああ。場合によっては延命処置をすることも考えた方がいい……」


 長く苦しめる。延命処置。生贄。何を言っているのかさっぱりわからない。

 確かなことは一つ。彼らはどうあっても、紗知を助けるつもりもなければ、楽に死なせる気もないということだった。


「ぎっ」


 そうこうしているうちに、ベニヤ板にも火が移り始めたようだ。さらには髪の毛に燃え移ったらしい。髪と頭皮がじりじりと焦げる嫌な臭いが立ち上り始める。同時に、筆舌に尽くしがたい痛みも。


「いぎいいいいいいいいいいいいい!熱い、熱い熱い熱い熱っ」


 逃れようと暴れた途端、思わず両手を炎の中に突き入れてしまったらしい。じゅう、と肉と皮が焦げ、爪と骨が油れる。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!助けて、助けて助けて助けて助けてええええええええええええええええええ!いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 喉が枯れる限り叫ぶ、叫ぶ叫ぶ叫ぶ!途中から、声は濁ってまともな音を発しなくなった。灼熱の空気を吸い込んで、喉が焦げ始めたのだと気づく。咳き込むたび、肺や気管もじりじりと痛んだ。ああ、わけがわからない。どうして自分がこんな目に遭わなければいけないのか?一人でホテルで待っていたから、それが良くなかったのか?

 いや、そもそも何かがおかしい。この村に、生贄の風習があるなんて話は聞いていない。大体、人が頻繁にいなくなるような事件が起きていたら大騒ぎになっているはずだ。いくら山奥の村とはいえ今の時代は令和。そうそう、警察の眼を誤魔化せるものではないはずなのに。


――もう、わけがわからない、何も考えられない。だいたい、紗知は今どこにいるの?あの田舎の道みたいなのは?あああ、痛い、痛い、痛い痛い、痛いよおおおっ!


 視界がどろどろと溶けていく。眼球も溶けたのか、あまりの苦しみに意識が途切れ始めたのかどちらだろう。

 遠くで、男達が“そろそろ土をかけて埋めろ”と言い始めたのがぼんやりと聞こえた。死ぬ間際まで一番残るのは聴覚だというのは、どうやら本当らしい。


――もうやだ。いたい、くるしい。おねがい、さっさと、殺して。


 そう考えたところで、紗知の意識は完全に闇の中へ――。




「紗知ちゃん、大丈夫?」




 ばちり、と視界を真っ白な光が覆った。はっとして、紗知は目を見開く。


「はあっ、はあっ……へ、へ?」


 明るさに眼が慣れない。慌てて何度も瞬きを繰り返せば、ようやく状況の輪郭が捕らえられた。

 部屋の、LED電球の明かり。丸い提灯を模したような笠がぷらぷらと揺れている。見覚えがあった。自分達が泊まったホテルの明かりだ。

 そして、紗知を心配そうに見下ろしている赤い頭と金色の頭。ユーチューバー仲間の玲愛と真織である。


「すっごい魘され方してましたよお?怖い夢でも見ちゃったの?」


 相変わらず緊張感のない口調で首を傾げる玲愛。その隣で、金髪を揺らしてうんうんと頷く真織。


「ひょっとして、あんた具合悪いの?お医者さん行く?この村にも診療所くらいはあると思うんだけど……。もしくは熱中症だったりする?水飲んだ?」

「あ、あ……だ、大丈夫。その」


 夢。

 さっきのは夢だったのだ。そう思ったら、安心でじわりと涙が滲んだ。本当の本当に苦しくて痛かったけれど、全て夢だったのだと。


「そ、その。こ、怖い夢見ただけだから、大丈夫……」


 オカルトへの忌避感が、あのような悪夢となって現れたのだろう。やけに生々しかったし、本当に死ぬかと思ったけれど。夢だったなら良かった。自分はまだ、五体満足で、どこにも火傷など追わずに生きているのだから。

 そんな紗知の様子を見て、どうやら玲愛と真織も安心したらしい。なんだあ、と安堵の息を吐いて顔を見合わせている。


「その、アタシたちさ、暗くなる前に神社の方に行ってみようと思ってんのね。観光客から面白い話聞いちゃったからさあ」


 真織が続ける。


「神社の奥に、入っちゃいけないって言われてる洞窟があるらしくって。その向こうに……下蓋村の怪物?を封印している礎があるんじゃないかって話で。とりあえずそこの映像だけでも撮りにいこうと思っててさあ。あんた、一緒に行ける?」

「!」




『でしたらお急ぎになった方がよろしいかと。あまり長く燃える火でもありませんし。可能な限り長く苦しめた方が、下から来るものを封じる蓋として効果があるのでございますよね?』




 夢の中の、男の台詞を思い出していた。

 下から来るものを封じる、蓋。きっとただの夢だろうとは思う。思うけれどもしあれが――本当に、この村のナニカに影響されて見たものだとしたら。

 なんらかの、警鐘だとしたら。


「や、やめようよ、そ、そういうの!やっぱ。良くない、し。怖い、し」


 自分にしては、はっきりものを言えた方だとは思う。しかし、語尾は相変わらず尻すぼまりで、自信のないものになっていく。

 だからだろう。あまり説得力を感じなかったようで、大丈夫ですよお、と玲愛が笑った。


「紗知ちゃん、怖い夢見たから怖くなっちゃってるのね。だったら、無理に来なくてもいいって。うちらがばっちり動画撮ってくるから。もちろん、撮影するだけで、何か悪さしようってんじゃないし、ね?きっとバズると思うんですよお。みんな、この村の秘密知りたがってるだろうし!」

「で、でも、玲愛ちゃ……」

「心配しなくてもいいって。まだ顔色悪いんでしょ?アタシたち、晩御飯までには帰ってくるからさ!もうちょっと休んでなよー。んじゃっ!」

「まっ……」


 相変わらず、二人は一度決めたことは覆さない。いや、それ以上に問題なのは、強く止めることのできない自分の方だろうか。


――ど、どうしよう。嫌な予感がする……。


 部屋を出て行く二人の姿を、紗知は泣きそうな気持で見送ったのだった。

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