第10話・洞窟

 許可もないのに、一般人二人だけで注連縄を潜る。どう考えても、見つかったら雷が落ちるどころでは済まないだろう。

 やっぱりやめた方がいいのではないだろうか。どんどん、真織は気持ちが後ろ向きになってくる。自分らしくもない。いつもなら、多少無茶でも突き進んでいくのは玲愛より自分の方だというのに。


「ね、ねえ玲愛。やっぱりやめない?見つかったらやばいって。不法侵入になったらまずいって。アタシらほら、十四歳超えてるしさあ……」


 一応声をかけるものの、玲愛はそんな真織の言葉など聞こえないかのようにどんどん進んでいく。真織は結局、彼女の真っ赤な頭を追いかけるだけで必死だ。

 洞窟は、存外綺麗に整備されているようだった。足元は石畳になっているし、あちこち提灯のような形の明かりがぶら下げられていてそこまで暗くない。懐中電灯を持ってくることを忘れたなと思っていたが、この調子なら問題なく奥まで進めるだろう。

 本当に、そこまで足を踏み入れていいのかは別として。


「ねえ、玲愛ってば……」


 どれくらい歩いたことか。唐突に、玲愛がぴたりと足を止めた。


「あれ」


 洞窟に入ってから沈黙を守っていた彼女の唇が、言葉を紡ぐ。


「ひょっとして、あれじゃないですかあ?怪物だか妖怪だか邪神だかわかんないけど……そういうものを封じている、礎っていうの」

「え、何?何かあるの?」

「うん。なんかいかにもっていうのが」


 彼女に追いつき、ひょっこりとその前を覗き込む真織。そこでようやく、そこが洞窟の終点、突き当りであることに気付いたのだ。

 想像していたのは、大きな社でもあるのではないか、ということ。

 もしくは何かお地蔵さんのようなものが置いてあるとか。仏像だとか、もしくはいかにも怪しげな石碑があるとか。そういうものをなんとなく想像していたのだが。

 そこにあったのは、一般的な“何かを封印していそうなもの”とは少し違っていた。

 井戸だ。

 苔むした、いかにも古そうな井戸が、ぽつんと洞窟の奥に佇んでいるのである。

 上にはべニア板が乗せられ、さらに重たそうな石で蓋がしてあった。なんでこんな洞窟の中に、古井戸なんてものがあるのだろう。井戸というのはその昔、人々が飲み水を得るために使っていたものであるはず。家の近くなど、便利な場所になければ意味がないものである気がするのだが。


「この井戸の中に、何か封印していある……とうちは考えました!」


 嬉しそうに、玲愛は井戸へと駆け寄っていく。そして、べニア板の上に乗っている大きな石に、よいしょ、と手をかけた。

 それは、大きな漬物石くらいのサイズがある。しかも苔だらけで、ぬるぬると湿っているようだった。彼女は何度もそれを持ち上げようとするが、どうやら見た目以上に重たいらしく、ずり、ずり、と僅かに動かすだけで精一杯であるらしい。


「ううううううううん!んしょおおおおおおおお!んごおおおおおおお!……はい、無理です!うちの力では持ち上がらなぁい!ていうか、ぬるぬるしてて手が超滑るんだけどどうしたらいいんでしょ?」

「や、やめなって。触らない方がいいって!ほ、ほら、写真撮るんでしょ?あ、あと動画!」

「おっと、そうでしたあ」


 この手の怪しげなものに触ったら、ろくな結果になどならないだろう。真織が止めると、玲愛はあっさりと引き下がった。そしてスマホを取り出して、目の前の井戸の撮影を始める。


「えっと、動画モード動画モード……。あ、真織ちゃんもその位置からでいいから撮影してね!お化けとか映ったら万々歳!」

「わ、わかったから、あんまり近寄らないで……」


 どうにも嫌な予感がする。背中が汗で冷たくなってくるのを感じながら、真織もスマートフォンを取り出した。玲愛は興味深げに、角度を変えながら井戸に機械を向けている。


「えっと、皆さんこんにちは!赤髪のゆあゆあでーす!えっと、今日はリクエストにもあった下蓋村にやってきていますう!」


 赤髪のゆあゆあ。それが、彼女のユーチューバーとしての名前である。どうやらナレーションを入れているつもりらしい。実際、自分達“カラフルガールズ”のナレーションは、玲愛が担当することが多い。一番声が高くて可愛らしいから、というのが最大の理由だ。

 本当は真織もナレーションに参加したいのだが、自分はやや活舌が悪く、声が掠れやすいという難点がある。実のところ、最初の“歌い手グループをやろう”はあまり乗り気ではなかったのだ。なんせ、カラオケで採点をやっても、ちっとも声を拾って貰えず点数が低くなってばかりなのだから。歌い手動画で失敗したのは、自分としては別方向に舵を切るいいきっかけになったのである。――やりたかったらしい紗知には、少々気の毒なことをしてしまったけれど。

 まあ、とにかく。歌もそこそこ、声質もそこそこ、な玲愛にボイス系は任せることが多いのだった。自分も、まったく参加しないわけではないのだけれど。


「下蓋村の伝説……実は、この村の地下には、恐ろしい悪霊が封印されているっていうアレですね!その正体を確かめようと、今回カラフルガールズが突撃したというわけなんですよう!そして我々は聞き込みの末、この場所に辿り着いたわけです。神社の奥にあった、謎の洞窟……注連縄で入口が封鎖されていました。これは絶対、何かあるってことに違いありませーん!」


 スマホで井戸を撮影しながら、にこやかに喋り続ける玲愛。その姿をやや離れて撮っていた真織は、途中であることに気付いた。

 玲愛は、漬物石(?)を持ち上げることなどできなかったはず。それなのに、最初に見た時とやや位置が違っているような気がするのだ。そりゃあ、多少ずりずりと動かすことはできていたようだが――やや尖っている辺、こちら側に向いていただろうか?

 それだけではない。石の下に敷かれているべニア板。ぴったりと石の井戸に張り付いているように見えたのに、よくよく見ると僅かばかり隙間があるような気がしてならない。玲愛が触った時、穴でもあいてしまったのだろうか。それとも、あれも気づかなかっただけで最初からあったのだろうか?


「この井戸の下に、オバケが封じられてるんじゃないかなと思って撮影してます。今こうして見ているうちの眼には、何も映ってないのですけど……ひょっとしてこの動画を見てる人には、何か見えていたりするのかなってー!」


 ぺちゃり。


――え?


 その時。何やら、濡れたような音が聞こえてきた。洞窟のどこかから、水滴でも落ちてきているのだろうか。最初はそう思って、思わず頭上にスマホを向ける真織。

 しかし、天井の石壁が、特に濡れている気配はない。そもそも、身長164cmの真織が背伸びして手を伸ばせば届きそうなほど天井が低いのだ。何か異変があったら、すぐにわかりそうなものなのだが。


――気のせい?でも……。


 ぺちゃり。ぺちゃり。ぺちゃり。


――ち、違う!気のせいじゃない!何、この音……。


 思わず後ろを振り返る。長靴をはいた誰かが、後ろから近づいてきているのかと思ったからだ。最初、警戒したのは人間の方だった。自分達は多分、絶対に入ってはいけない場所に勝手に入っている。神社の人にでも見つかったらえらい騒ぎになるだろう。叱られて、万が一でも学校に連絡がいくなんてことになったら大問題だ。見つかりそうになったら、何が何でも逃げなければいけない。

 しかし、幸い後ろに何かがやってきている様子はなかった。洞窟は直線距離で、さほど長いものでもない。何よりまだ夕方だ。まっすぐ見つめた先、オレンジ色の光が差し込む出口がはっきりと見えている。自分達以外に誰もいないし、隠れる場所もありはしなかった。坂道でもないから尚更見落とすこともあるまい。

 ということは。


「この井戸の中を撮影したいんですけどね。漬物石みたいなのがすっごく邪魔で、全然持ち上がらないんです。これ、めっちゃくちゃ重いし、ぬるぬるしてて滑っちゃってー!うちの力ではとてもとても。金髪のまるまるちゃんに協力してもらいたいんですけど、なんかまるまるちゃんびびっちゃってて助けてくれそうになくてえ!まあ、仕方ないですよねえ。茶髪のさっちゃんも具合悪くしてホテルで寝ちゃってるし……」


 何やらあまり面白くないナレーションを続けている玲愛。しかし、今はそれを突っ込む気にはなれなかった。

 音が、どんどん大きくなっていく。つまり、近づいてくるのだ。――玲愛には、聞こえていないのだろうか。


「ね、ねえ玲愛、あの……」


 気づいてしまった。

 ぺちゃり、ぺちゃり、というその音は――井戸の中から聞こえてくるということに。

 そして、それが足音ではなく――びしょぬれの何かが四つん這いで、奈落の底から這い上がってくる音に近いことに。


「い、行こうよ、そろそろ。なんか、やっぱり嫌な予感するし」

「ええ?ちょっとまるまるちゃん、いいところなのにい!」


 ナレーションに水をさされた玲愛が、不満そうな声を上げる。ぺちゃり、ぺちゃり、ぺちゃり――音が、こうしている間にもどんどん大きくなってくる。もうすぐそこまで来ている。

 じりじりと、真織は後退りをしながら言った。


「聞こえてないの!?井戸、井戸の中から、変な音が聞こえてんの、さっきから!何か、何か近づいてくるみたいな!!」

「はー?また、そうやってうちをびびらせようとしたって……」

「本当だってば、アタシを信じてよ!お願い、もうやばいから、終わりにして逃げよう!バズりとか取材とかどうでもいいから……!」


 さっさとそこから離れて、と。そう言いかけた、その時だった。


「ひいっ!?」


 真織は、見てしまうことになる。べニア板のすき間から、ぬう、と這い出してきた青白い腕を。そして。


「え?」


 その腕が、すぐ傍にいた玲愛の腕を思い切り掴んだ、その瞬間を。

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