第4話・酒飲

 都市部に住んでいる人間と、そうではない人間には大きな認識の差がある、と紬はそう思っている。

 その最たるところが車の有無だ。

 例えば特定の県や地域だと、一家で二台以上車を持っている家が当たり前であったりするらしい。車を二台買う余裕があり、二台分のがガレージが確保できるというのもすごい話ではあるが、多少お金がキツくても車を複数持つ必要だからそうなっているというのが実情であるようだ。

 つまり、圧倒的な車社会。

 例えば紬のような生粋の江戸っ子だと、人に住所を尋ねる時大抵こう訊く。


『へえ。その〇〇ってところ、最寄りは何駅なんですか?』


 つまり、電車を中心に場所を考えるのだ。何線の、何駅から徒歩何分。それで、おおよそ場所というものを掴む。これが成り立つのは、多くの人が駅にそれなりに近い場所に住んでいるし、電車を利用するのが当たり前だからというのが大きいだろう。少し離れた場所に住んでいる人であっても、精々“バスで何分”みたいな答えが返ってくる。ようは、最寄り駅、という概念がない人が極端に少ないというわけだ。

 勿論、東京でも区外だったり離島だったりすると話はまったく別であるし、首都圏と一言で言っても例えば埼玉県の北部と南部では大きな隔たりがあるがそれはそれ。とにかく、紬が長年家族と一緒に住んでいた家は、少し大きな駅から徒歩十分というそれなりに便利な場所にある。そのため、実家には車が一台しかないし、父親が時々乗る程度の利用頻度だ。父が一定の年齢になったら、多分しれっと免許を返納し、そのあとも特に問題なく過ごすことになるだろう。車がなくても電車があれば、まったく生活に困ることがないからだ。

 そのため紬自身、免許を取ったのは大学生になってからである。そして、取ったはいいがろくに車に乗っていないし、なんなら保険にも入っていない。きっとこのままペーパードライバーになってしまうのだろうし、数年した頃には綺麗にゴールドのままピカピカしているのだろう。現時点でも、ほとんど身分証明書としか使われていない状態である。


「……こういうところに住んでると」


 山の中を、すいすいと貴子が運転する軽自動車が進んでいく。ちなみに、彼女の車は綺麗な空色をしていた。若い女の子にも人気の車種らしい。


「自動車がないと、全然生活していけないとか、あるんでしょうね」

「そうらしいわね。だから、年配者とか全然免許返納できないんだってさ。車無かったら足がなくて困るっていうか」

「都市部と環境が全然違いますもんねえ……」


 今自分達が走っているエリア。最寄り駅だなんて、そんな概念はとうに吹っ飛んでいるのだろうなと思う。ひょっとしたら駅へ通じるバスが出ているかもしれないが、それだって都市部ほどの本数ではないはずだ。さらにいうならその最寄り駅だって、果たして電車が一日何本来るものか。

 そういえば、高校時代に友達と田舎に遊びに行って驚かされたことがあったな、と思い出す。Suicaで乗車したら降りた先の駅で使えず、仕方なく実費で支払う羽目になったのだ。あれはひっくり返った。まさか、今どきSuicaが使えない駅がまだこの日本にあるとは思っていなかったものだから。別に、馬鹿にしていたとか、そういうわけではないのだけれど。


「今から行く“下蓋村しもふたむら”なんだけど」


 左手でハンドルをにぎり、右手で髪をかき上げながら貴子が言う。首筋に汗が浮いている。少し暑いのかもしれない。

 助手席に座れば良かったな、と今更ながら後悔した。そうすれば横からエアコンの操作もできたのだが。なんとなく、家族で乗る時の癖で後部座席に乗り込んでしまってそのままになってしまったのだ。荷物も後ろに置いてしまっている。


「あたしのお父さんとお母さん、二人ともその村の出身でね。結婚と同時に村を出て東京で暮らしてんの。子供の頃から都会暮らしに憧れてたんだってさ。テレビはあるけどコンビニはないし、華やかで派手な都会の生活見てたら憧れちゃうのもわからなくはないよね」

「だから、部長はずーっと都会暮らしだと」

「そうそ。別におじいちゃんおばあちゃん達と仲が悪いわけじゃないから、夏休みと正月には毎年帰ってたかな。ただ、あたしの受験の年あたりから忙しくて帰ってなくて……で、そしたら今度はコロナじゃん?だからそのまま、数年顔を見ない年が続いちゃったというか」

「ああ、なるほど」


 確かに、先輩の年齢を考えるなら、丁度彼女の受験の翌年あたりから例の感染症騒ぎが起きていたはずだ。実際、紬も緊急事態宣言やらなんやらでここ数年祖父母のいる田舎に帰っていなかった。そういう人は少なくないことだろう。


「電話はしてたから、寂しがってるってのは知ってたんだけどね。あたしも久しぶりに会いたいなーって言ったら……じゃあせっかくの夏休みだし遊びに来る?みたいなかんじになって」


 ただ、と貴子は続ける。


「うち、共働きだからさ。お父さんとお母さんは仕事でどうしても都合つかなくって。なら、夏休み前の空いてる時期にあたしだけでも行こうかなあって思ってた時に、あんたがホラー小説で悩んでるって聞いてさ。これ幸いと誘ったわけ。ぼっち寂しいし!」

「あ、はは……いえ、私としても助かります。本当に、因習ネタ書くにしてもイメージ沸かなくて困ってたから。……ホラー書くために田舎の村に取材に行くっていうのが、なんというか不謹慎な気もしますけど」

「大丈夫大丈夫。そういうこと気にするような人達じゃないから。そもそも、最近は“怖い話がある村”ってのをウリにして、観光収入得てるくらいなんだから。超絶不便なところにあるってのにね」


 そうだ。彼女は自分を帰郷に誘う時に言っていた――面白い話がある、と。

 そもそも、下蓋村という名前が結構不思議な印象ではあるが。なんせ訓読みで“しも”“ふた”村。ヘンテコな名前ではないか。


「怖い話って、それホラー小説のネタになりそうなんですか?」


 紬が尋ねると、“その通り!”と貴子は頷いた。ルームミラーごしに視線があう。


「詳しいことは、ついてからおばあちゃん達が話してくれると思う。……下蓋村って名前の由来は、そのまんま“下にあるものに蓋をする”って意味らしいからね」

「下にあるもの?」

「そ。なんでも、下蓋村って、すっごく“良くない場所”にある村なんだってさ。周囲を山に囲まれた、くぼんだ土地で……。山から下りてくる邪気とかが、村のあたりに思いっきり溜まっちゃうんだって。その場所に、怖い神様?だとか妖怪?みたいなのが住み着いて、大昔悪さをしてたっていうのよ」


 なんともありがちな話よね、と彼女は笑った。


「で、それを神主だかなんだか知らないけど……とにかく村のえらーい人が、村の地下深くに封印したんだっての。で、その封印に蓋をする意味をこめて、村の名前を“下蓋村”に変更したんだって。……で、実は少し前にとある映画で下蓋村が取材されたらしくって。聖地巡礼ってことで、その映画のファンが結構村に来るようになって。ついでに、村の風変わりな神社とかお祭りが注目されて、YouTubeとかでも取り上げられてるらしーよ」

「ああ、だから観光収入……」

「そゆこと」


 ファンの聖地巡礼というのは経済面で馬鹿にならない効果があると聞いたことがあるが、下蓋村も例外ではなかったということらしい。

 なんだかなあ、とつい紬は苦々しく思ってしまう。

 そりゃあ、村が栄えるためにお客さんがたくさん来るのはいいことなのかもしれないが。聖地巡礼をする類のファンの中には、マナーが悪い人もいて結構問題になっていたはずだ。それこそ道にゴミを捨てたり、入ってはいけないと言われる神社の敷地に入ってしまったり、大事な遺跡に落書きをしたり。まあ、そこまで悪質なものはそうそう多いものではないかもしれないけれど、人は時に“バズり”を狙うためにとんでもない行動に走るイキモノである。

 実際、少し前にとある観光地の遺跡の入口で小便をした高校生がいて、しかもそれを動画でアップするなんてことをやらかしたものだから大炎上した事件があったはずだ。遺跡を管理する組合から訴訟され、結果数千万円の和解金を払うことになったとかなんとか。――有名になれば、そういう人間が沸く事態も起こり得るということである。

 同時に。紬としては“物静かで閉鎖的な村”というのを期待していた側面がある。ホラーの舞台になるような村というのは、そういう“怪しいお祭り”や“村人たちしか知らない秘密”があってこそ成り立つものも少なくない。

 観光客でごったがえしているようだと、正直イメージが違うと言わざるをえないのだけれど。


「混雑してますかねえ……」


 思わず本音の一部が漏れた。すると、まさかあ、と貴子は明るい声を上げるのだった。


「そんなわけないない。お盆の時期ならともかく、今はまだ一般人の多くは夏休みに入ってない時期だもん。それに、民宿とか小さな宿はいくつかあるけど、そんなに人がたくさん泊まれるような場所でもないというか。お祭りはそれなりに賑わうだろうけど、それ以外は大したことないと思うよ」

「そうですかねえ」

「そうそう。ていうか、一年に一度ディスニーランドに行く人間なんでしょ、アンタ。あそこと渋谷のスクランブル交差点に比べたら、どこもガラガラみたいなもんじゃない」


 なんとも極端な例えだ。まあ、ものは考えようだろう。遊園地と交差点、そして通勤ラッシュ時の電車に比べたらよその混雑なんて大したもんじゃないのかもしれない。

 と、思ったところで急に視界が開けた。急な下り坂になったのだ。低い木々の向こうに、青々とした田んぼと色鮮やかな家の屋根たちが見えてくる。


「あ、あそこあそこ!下蓋村!」


 まっすぐ右手で前方を指さす貴子。


「駐車場借りるから、ちょっと車停めてから歩くことになるけど勘弁してね。宿に荷物置いたら、まずおじいちゃん達に挨拶しないと。あ、おじいちゃん達がさあ、お昼御飯一緒に食べたいって言ってるんだけどいい?」

「え、え、いいんですか?ご馳走になっても?」

「無論オッケ!あ……」


 そこで、彼女の言葉が中途半端に途切れた。そして、やや引きつったような声を出す。


「……非常に申し訳ないんだけど、紬ちゃんに頼みがあります、ハイ」


 彼女は改まった口調で、心の底から申し訳なさそうに言ったのだった。


「……あたしが飲みすぎてそうだったら、全力で止めて。マジで止めて。……久しぶりの親戚の前で醜態晒すのは、ちょっと」

「……わかりました」


 ああ、そういえばそうだった、と紬は遠い目をしたくなる。

 しっかり者で、アネゴ肌で、小説のスキルも高く頭の良い文芸部部長。そんな貴子を心から尊敬している紬だったが、一つだけどうしても看過できない点があるのだ。

 去年の年末の飲み会。彼女はビールをがぶ飲みした挙句、その場で服を脱ぎ始めて傍にいた後輩たちに全力で止められていたのである。男性陣が大慌てで逃げ出し、まさに阿鼻叫喚の騒ぎとなったのだった。なんとか全裸になるのは阻止できたものの、半裸姿の彼女に抱き着かれてキスされまくったのは悪夢でしかなかった。


――……飲みすぎっていうか、先輩は飲んじゃ駄目だと思う。


 さて、親戚のオッチャン達が勧めてくるのをどう止めるべきか。紬は真剣に頭を回し始めたのだった。

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