第3話・報恩

 小説家になりたい。紬がそんな夢を抱いた理由は単純明快だった。小学生の頃から、先生に作文を褒められることが少なくなかったからである。

 授業中、みんなが一行目から悩んでいる横でさっさと書き上げて提出するのが紬の常だった。自分の頭に浮かんだことを、即座に文章にすることが得意だったのだろう。場合によっては授業の間だけで一人で十枚くらい書き上げて、先生を驚かせるようなことも多かったほど。人間、誰しも得手不得手というのはあるものだ。文系科目が全て得意だったわけでもなく、昔から英語や社会といった暗記モノはちっともできなかったというのに。

 特にきっかけとなったのは、国語の授業で出されたある課題。


『ここに、サンプルの物語が載っています。皆さんは、この文章と地図を元に……自分だけの新しい物語を作ってみてください』


 教科書に載っていたのは、一枚の地図のイラスト。

 それは、宝物の在り処を示すもの。その宝の地図をたまたま見つけた小学生の男の子と女の子が、冒険の旅に出発する物語を書けという課題だった。

 国語の教科書は、昔から嫌いではない。進級して新しい教科書が来ると、真っ先に国語の教科書はすべて読破してしまうほどに。だからこそ、その課題を見つけた時は興奮したものだ。いつ、この課題を先生がやらせてくれるのか。この課題を扱う授業が来るのか。毎日毎日、国語のたびにわくわくして待っていたのをよく覚えている。

 そして、訪れた楽しい授業の日。

 紬は先生に予め五枚の原稿用紙を貰っていた。四百字詰め原稿用紙の一枚など、あっという間に消費してしまうのが目に見えていたがゆえに。そして。


『では、書き始めてください。終わらなかったら宿題になりますからねー』


 先生が言うやいなや、鉛筆を走らせていた。心はあっという間に、宝物を探しにいく少年少女の世界に飛び込んでいる。小学校低学年の時から、ノートに短編を書くくらいのことはしていた。でもこんな形で、がっつりとした中編以上の物語に着手するのは初めてだったのである。

 本気で興奮し、楽しんでいた紬の姿は多分鬼気迫るものがあっただろう。五枚の原稿用紙ではまったく足りなかった。がりがりがりがり、と削るように走らせる鉛筆、一枚終わらせるごとに手が痛くなったけれどそれでも止まらなかった。

 襲ってくる暴れ象を、二人で協力してくぐりぬける。

 沼の底に見つける、不可思議な洞窟。水泳が得意と言う設定だから、二人ともきっと到達できるはず。

 落とし穴にはどういうきっかけで気づく?落石のトラップは?ライオンに襲われないようにするにはどうすればいい?溶岩は?竜巻は?ゴリラは?そして、最後に見つける宝物の正体とは?

 課題は終わらなかった。書きたい物語が、原稿用紙十枚を費やしても終わらなかったがゆえに。

 家に持ち帰り、気づけば大量の原稿用紙の予備をもらって、最終的に執筆した枚数は二十枚。台詞の多い小説だったから見た目ほど文字数が多いわけではないだろう。それでも一日で書き上げて先生に提出した時は驚かされたし、内容を読んだあとも手放しでほめられたものである。

 文章力という意味では、小学生らしく実にお粗末なものであったはずだ。それでもきっと先生からすれば、そこまで物語を書くことに情熱を傾けられること、それそのものに感動してくれたというのがあったのだろう。地図という少ない情報だけを見て、そこから細かく設定を拾って物語に組み込んでいった点も含めて。

 そして、先生は紬にこう言ったのだ。


『ねえ島村さん。貴女、小説家目指してみない?きっと才能があると思うの!』


 小説を書くのがものすごく楽しかったこと。それに加えて先生の言葉で、紬はあっさり調子に乗ってしまったというわけだ。

 自分はきっと、物語を書く才能がある。小説家こそ、己の天職に違いないと。それ以降、将来の夢はと聞かれたら必ずといっていいほど“小説家”と書いていた。周囲の大人達は、幼い少女の可愛らしい夢を、微笑ましい気持ちで見守っていたのだろう。凄いね、かっこいいね、なんて言われて余計調子に乗ったというわけだ。

 中学生になってからは、WEBコンテストや公募にも挑戦するようになった。まずは小さなところからコツコツ受賞歴を積み重ねていこう。自分ならきっとそれができるはずだから、と。

 ところがどっこい。

 調子こいて一人でノートに小説を書いていただけの人間が、ちゃんとした講座も受けていない人間が――そうそう、人の心を動かせるような凄い物語なんて書けるわけがなく。ましてやコンテストや公募となれば、百戦錬磨の大人たちも同じ土俵で勝負してくるのだ。

 紬の自信が打ち砕かれるのは、あっという間だった。

 小さなコンテストであっても、ちっとも受賞できる気配がない。入賞どころか、受賞扱いにならない“優秀作品”の欄に名前が載ることさえない。

 もちろんそれは、公募でも同じだった。一次選考くらいなら簡単に通過できるはず、なんてのはあまりにも甘かった。戻山れいざん新人賞。ナックルファンタジー大賞。畑山ノベル大賞。数々の賞に応募したものの、応募総数一度たりとも一次通過者に名前が載ることはなかったのである。

 ひょっとしたら、自分には才能がないのでは。そう思い込んでいただけなのでは。

 あるいは、何か間違った方向に努力をしてしまっているのでは。さすがの紬も段々とそんな気がしてきたのだった。――受賞傾向を研究して、それに合わせた作品を毎回応募しているはずだというのに。


――本当にプロになりたいなら、ちゃんと勉強できる環境を見つけなきゃだめだ。……でも、プロの講座とか言われても、どれを受けたらいいのかさっぱりわかんないし。ていうか、お金もないし。


 紆余曲折を経て、辿り着いたのが今の大学の文芸部だった、というわけだ。

 現部長の増岡貴子をはじめとして、在学中に成果を出している先輩が数多く存在する。どの人も定期的に公募に応募し、同時に互いの原稿にアドバイスをしあってみんなで高め合っている。数多く存在する文芸部の中でもかなりレベルが高いと評判で、紬が今の大学を選んだ理由の一つもそれだったりするのだ(純粋に家から通いやすいとか、小説を学べる日本文学部があったというのもあるが)。

 此処に入ったのは正解だった、と心から思っている。特に、貴子には本当に世話になっていた。アネゴ肌で面倒見のいい彼女は、自分の執筆があるにも関わらず後輩たちの原稿を読んで丁寧な感想や批評をしてくれる。一年生で入った時と比べたら、紬の実力も各段に上がったと思うのだ。まあ――その一年生の終わりに書いた原稿を、つい先日メッタメタにされたばかりではあるけれど。


――今年こそ、一次通過して……先輩たちに良い報告をしたい。追いつきたい。


 貴子の車の中、流れていく景色を見つめながら紬は思っていた。窓の向こうを、青々と茂った緑色の木々が飛ぶように流れていく。七月初旬。まさにこれから夏まっさかりといった時期だ。まだ梅雨明け宣言はでていないが、ここ数日関東は爽やかな晴れの日が続いていた。

 空にはもくもくと、まるで綿菓子のような入道雲が浮いている。今日も暑くなりそうだ。日焼け止めを塗り直した方がいいかな、なんてことを思う。大きな旅行鞄の方に入れてしまったので今はトランクの中だが。


――なんとか、いいネタ、見つけなくっちゃ。……わざわざ部長もこうして気をきかせてくれたんだし。


 次の釜戸ホラー新人賞の締め切りまでもう二か月しかない。その二か月の間にネタを決めてプロットを書き、十万文字以上の小説を完結させなければいけないのだ。既にギリギリのタイミングである。ブラッシュアップの時間を考えるなら、既に諦めなければいけない段階なのかもしれない。

 それでも、ずっと出したいと願ってきた大きな賞だ。色々な公募を選んで、吟味して、釜戸ホラーを選ぶことにしたのである。まだ何も始める前から諦めたくはなかった。先輩たちが応援してくれていると知っているから余計に。

 そしてネタが決まらなくて困っていると、そう言った紬を――今日、貴子が車に乗せて連れ出してくれたというわけである。今紬は、貴子の車で彼女の親の実家に向かっているというわけだった。


『釜戸ホラー新人賞の傾向見たけどね。一次通過一覧を見ても明白なんだけど……明らかにラノベ系の作品は落ちてるわけよ』

『異世界転生とか、そういうのですか?』

『それもそうだけど、わかりやすいデスゲーム系もほとんど通ってないのよね。ということは、ライトすぎる作品はカテエラってことで、一次の段階で落とされるってことだと思うわけ』


 だから、と彼女は指を一本立てて言ったのだった。


『やっぱりここは、因習系で攻めるのが王道なんじゃないかなーって。村の古い風習とか、恐ろしい秘密があるお祭りとかそういうの。でも、言葉でそう言われてもなかなかイメージ沸かないでしょ?』

『はい。ホラーの王道だ、っていうのはわかりますけど……』


 様々なジャンルの小説やアニメを見る紬だが、特にホラー映画は好んでいるという自覚がある。辺境の村の恐ろしい風習、なんてのはホラーとしては相当王道で、題材として扱われることが少なくない。実際、紬としてもそういうものを書こうとチャレンジしたことは何度もあったのだ。

 しかし、いざ書いてみると、どうにも既存作のパクリの範囲を出ていないような気がしてしまう。

 王道なだけに、やりつくされている感が否めない。何より都会っ子の紬には、コンビニもショッピングモールもなく、駅からも遠い辺境の村そのもののイメージに乏しいのだ。

 貴子もそれがわかっていたのだろう。だからこそ、今回提案してくれたわけである――今年、おじいちゃんの家に行くことになっているから、あんたも一緒に来ない?と。


『あたしもここ数年帰ってなくて、結構久しぶりなんだけどさ。免許も取ったから一人で行けるし、そろそろ顔見せに行こうと思ってて。せっかくならあんたも来なよ。ほんっとド田舎の村だからさ、ホラーのイメージわくと思うよ?』

『で、でもいいんでしょうか。その、身内だけで集まりたいかもしれないのに、部外者が紛れ込んで……』

『大丈夫大丈夫!おばあちゃんもおじいちゃんも、面倒見いいし!特に親戚のオッチャンたち、可愛い若い女の子が来たら絶対歓迎してくれるから!そもそも若い人が少なくってさあ。最近ちょっと話題になったらしくて民宿とか増えて、観光収入はあるみたいだけど……』

『話題?』


 なんですかそれ、と紬が尋ねると。貴子は悪戯っぽく笑って言ったのだった。


『後で話すわ。結構面白い話があんの。あんたのネタにもなるかもね』


 ということは、きっと何か面白い都市伝説でもあるのだろう。あるいは、なんらかの映画やドラマの聖地にでもなったのかもしれない。

 東京から、車で走って既に二時間。高速を降りてからはほとんどずっと山道だった。きっと夜にもなったら、この周辺は真っ暗になってしまうのだろう。

 ふと携帯電話を見る。電波は立っているものの、かなり弱くなっているようだった。やっぱり山奥だと、スマホも通じにくくなるものだろうか。


「車の中でスマホ見てると酔っちゃうわよー」


 運転席から貴子の声が飛ぶ。


「あと少しで着くから待ってて。それともトイレ行きたい?」

「だ、大丈夫です。その……」


 緊張はする。それでも、今は未知の場所に行くことへのわくわく感が勝っていた。


「三日間、よろしくお願いしますね、先輩!」

「おうよ!」


 この恩は、原稿で返さなければなるまい。

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