第5話・配信

 てっきりボロボロの民宿しかないと思っていた紬だったが、案内された旅館は存外綺麗なものだった。なんでも、映画の舞台になったと有名になったことで観光客が増加し、慌てていくつかのホテルを改装、または増築したというのである。

 今回紬が泊まることになる“かのきや”も大規模改装したばかりの宿だった。そのため、和風に整えられたフロアは存外綺麗なものである。檜のいい香りがする靴箱に履物を入れ、カウンターでチェックインを済ませる。その間、ずっと貴子はトランクと一緒に近くの椅子に座って待っていてくれたのだった。


「此処、ここで一番いい宿の一つらしいよ」


 興味深そうにきょろきょろする貴子。カウンターの作りがまた興味深いものになっている。壁の上部に、瓦屋根のようなものが設置されていて、まるで小さな小屋のような形になっているのだ。

 そして看板がカタカナや英語ではなく“案内所”となっている。――ホテルのフロントを日本語に直すと“案内所”で正しいのかはやや疑問が残るが、大体意味が通じるからよしとしよう。外国人にはあまり親切ではない仕様だが、筆文字のような看板にはなかなかの味があるのも事実だった。

 恐らく全体的に、高級な日本宿の雰囲気にしたかったのだろう。壁の柱やしきりの多くが木造で、わざわざ障子を使っている箇所もある。カウンターの奥には、何やら意味深な竜の掛け軸まで飾られていた。


「温泉もあるから、夜になったら入ってくるのおすすめー。いいなあ、あたしも泊まりたかった!」

「あの、すみません先輩。ホテル代とか全部出して貰っちゃって……」

「いいのいいの!本当はおばあちゃん家に泊まって貰うつもりだったのが、部屋が足りねーって言われたんじゃしょうがないし。これくらいサービスしないとね。大丈夫、あたし子供の頃からのお年玉、ぜーんぶ使わずにとってあるタイプ。最近あんまバイトしてないけどお金は結構あんのよ?」

「あ、ははは……」


 こういうところがあるから、うちの部活は明るく回ってるんだろうなあと思う紬である。ただ作家志望として力があるだけではない。貴子は本当に後輩の面倒見がいい人ということでも有名だ。小説と無関係なところで、彼女に相談に乗って貰ったという友達は何人もいる。同じ部の友人の一人は、貴子に相談したことでこじれていたという彼氏との関係が解消したらしい。


――そういえば、先輩って彼氏とかいんのかな?


 ついつい、彼女の姿をまじまじと観察してしまう。ポニーテールにした艶やかな長い髪。すらっと高くスレンダーな体。趣味でテニスをやっているということもあって、結構首や肩幅はしっかりしていて、綺麗に日焼けもしている。どちらかというより、運動部にいそうな女性だろう。アネゴ肌だし、友達も多いし、昔からかなりモテたタイプではなかろうか。

 ちらっと自分の体を見下ろして切なくなった。寸胴だし、鏡で見るたび切なくなる丸顔。髪の手入れが苦手で結局髪型はショートのまま。どちらの方が美人であるかなど言うまでもなく明らかだ。


「何、どした?」


 不躾だっただろうか。きょとん、とした顔でこちらを見る貴子。


「あ、いえ、その」


 思わず紬は笑って誤魔化す。


「こういうホテルとか、先輩ならその……彼氏とかと本当には一緒に来たいのかなあ、とかそんなこと思ったというかなんといいますか」

「彼氏……」


 どうやらうっかり地雷を踏みぬいたらしい。貴子はがっくりと肩を落として言った。


「……あたしなんだかんだと処女なわけよ。ていうか、実はまともなキスもしたことなくてさあ。彼氏がいたこと、過去に数回はあったんだけど」

「え、ええ!?な、なんで?先輩モテそうなのに……」

「この性格だから、あんま女として見て貰えないことが多いみたい。あと、直近の彼氏はお酒の席でやらかして逃げられた」

「……今夜、絶対飲まないようにしましょうね。控える、じゃなくてゼロ目指しましょうね、先輩」

「え、それはやだ」

「ヤダじゃないですヤダじゃ!」


 駄目だこりゃ、と柚子は遠い目をしたくなった。お酒でやらかす自覚がある人ほど、お酒を控えることができないのはどういう理屈なのだろうか。この調子では、彼女にまともに彼氏ができるのは当面先になりそうである。

 とりあえず、ホテルに荷物を置いたらさっさと貴子と一緒に親戚のところへ行こうと決める。この時期は貴子の両親の祖父母のみならず、多くの親戚が集まってどんちゃん騒ぎをすることが多いようだ。最初は貴子の父の実家に泊まる予定だったのだが、それができなくなったのも多数の親戚が泊まりにくることが先んじて決まってしまっていたからだという。

 ちなみに、貴子の母の実家はそもそも家が大きくなく、今は叔母と同居しているのでより人が泊まれる余裕がないのだそうだ。


――まあ、綺麗なホテルでもいっか。


 カウンターで差し出されたタブレットにサインをしながら思う紬。


――ぼろい民宿とかの方が、小説のイメージはわきそうであはったけど……こんな綺麗な宿に一人で泊まるような機会なんて滅多にないし。これはこれで楽しんじゃえばいいよね。


 チェックインを終え、三階の部屋に荷物を置いて再び一階へ。靴箱にスニーカーを取りに行こうと思った時、“すみませえん!”と声をかけられた。若い女の子の声だ。


「はい?」


 振り向くと、三人の女の子がそこに立っていた。全員髪を派手な色に染めている。右から順に茶髪、金髪、赤髪。髪型は揃えているのか、全員セミロングに頭の上でお団子を作っていた。茶髪の子が青か緑の髪だったら信号機だったな――ついついそんなことを思ってしまう紬である。

 全員随分化粧が派手だった。揃って紫色の口紅をつけているのが、絶妙に似合っていない。紬より幾分年下なのに、何でそんな台無しにするようなメイクをするんだろう、とついつい心の中でツッコミを入れてしまう。揃ってどこかの高校の制服っぽい服を着ているから尚更に。


「あのお、アタシたちユーチューバーやってまして。この村に、新しい動画撮影しに来たんですよお」


 真ん中の金髪の少女が、甲高い声で告げた。


「お姉さん、村の人ですかあ?それとも観光客?あ、このホテルに泊まってるってことは、観光客さんですかあ?」

「え、ま、まあ……」

「あ、じゃあアタシたちとおそろいですねえ!お姉さんも、映画“のろみさき”を見て此処に来たんでしょ?聖地巡礼的な?」

「え、えっと、そういうわけじゃ……」


 到着の直前、スマホでざっくり下蓋村について調べたのだ。といっても、ネットで出てくる情報の殆どが“呪い岬”の聖地として有名である、と言う話ばかりだったが。

 呪い岬。タイトルだけは知っていたが、まさかこの映画が撮影された場所が下蓋村であったとは知りもしなかった。一か月ほど前に公開され、そこそこ人気を博していたはずである。興味はあったが、金欠のタイミングだったこともあって足を運ぶのを控えていたのだった。まだ感染症が怖くて、なんとなく人が多い場所を避けていたというのもあるのだが。

 内容はざっとこんなかんじ。

 とある辺境の村に暮らしていた平凡な男が、村の外からやってきた観光客の女性と恋に落ちてしまう。その結果、彼女を追いかけて村を出て行く決意をするのだが、それは村の掟に反することだった。村で生まれた人間は、基本的に村の中だけで生涯を終えなければいけない。仕事でちょっと村の外に出るだけならともかく、村の外に行ってよその女性と結婚するなどあってはならない。

 村人たちは男に掟を守らせようと女性を惨殺してしまう。それを知った男は怒り狂い、村に封印された邪神の力を使って村人たちに復讐を始めてしまう――とまあ、こんな話である。

 なんで山奥の話なのに“呪い岬”なんだと思ったら、死んだ女性の名前が“岬”であったという、それだけのことであったらしい。

 切ないラブストーリーとぞくぞくするようなホラー。何より、怨霊となった女性と彼女を妄信する男の迫真の演技に魅了された、という人が少なくなかったという。特に、主演となった男優は、去年デビューした人気アイドルグループのメンバーだった。超イケメンのはずなのに、見事に平凡で狂気に満ちた男を熱演していると大評判になっているとのこと。確かに、面白そうな内容ではあるが。


「呪い岬、で出て来た邪神!そのモデルになった本物の怪物が、この村の地下に封印されてるって話なんですよねえ!」


 赤髪の女の子が、きゃっきゃと軽やかな声で笑う。


「うちらの動画にも、たっくさんリク来てて!この村のことは是非取材しなきゃーって。それで今、村の人とか、観光客の人とかに、片っ端から話訊いてるとこなんですよお。でも、怖そうなオジサンとかに話訊くの怖いし?うちら、女子高校生だから危ない目に遭いたくないしってんで、女の人ばっかりに話訊いてるっていうか?」

「は、はあ……」

「で、お姉さんにも訊きたいんですよお。この村に封印されているっていう怪物?邪神?悪魔?とにかくそういうのについて、詳しいこと知らないかなって。特に、わからなくて困ってることがあってえ」


 少女の眼が、きらりと光る。


「ここの怪物は、地下に封印されている。その封印の礎が、この村のどこかにあって、それが外れると“下から来る”ようになっちゃうって。その礎って、どこにあるのかってずっと探してるんですけどお……」


 いしずえ?

 紬が意味がわからず、首を傾げた時だった。


「紬ちゃん、行こう」


 ぐい、と右腕を掴んで引っ張られた。貴子だ。彼女は険しい顔で少女達を睨みつけると、いつになく厳しい声で告げたのだった。


「あたし達、ほんとたまたまこの村に来ただけなんで。そういう話、全然知りませんから。……貴女たちも、面白がってオカルトに首突っ込まない方がいいわよ。何か起きてからじゃ遅いんだからね。……ほら、紬ちゃん」

「あ、でも、先輩……」

「いいから。行こう」


 有無を言わさぬ口調。とても逆らえず、紬は靴だけ持つと、一応少女達に頭だけ下げてその場を離れたのだった。

 ホテルの玄関を出たところで、貴子に言われる。


「ああいうの、相手にしちゃ駄目。いくら相手が年下の女の子でもね」


 彼女の横顔には、少なからず嫌悪の色が滲んでいる。


「おじいちゃん達から訊いてんの。……面白半分で、この村の“邪神”について調べて、つっつこうとする輩が後を絶たなくて迷惑してるって」

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