捌 店主の置き土産(1)

 翌朝、久しぶりにぐっすり熟睡のできた俺は、最高に心地良い気分で目を覚ました。


 昨夜、店主は俺の前でたじろぎを見せると、御守りを恐れて姿を消した……つまり、ヤツは屈服して逃げたというわけだ。


 前のように身体も重くないし、心に恐怖や不安も感じられない……さすがに今度こそもう大丈夫だろう。


 ただ、昨夜のことを思い出すと、店主が最後に言い残した言葉がなんだかちょっと引っかかる。


〝シカタナイ、キサマラ、マトメテイットウブンデユルシテヤル〟


「マトメテイットウブン……まとめて一頭分っていうことか?」


 まとめて一頭分で許してやる……取り殺さない代わりに、見逃す代金として牛一頭を払えということだろうか? もと焼肉屋の店主的な捨て台詞か?


「ま、いっか……」


 気にならないといえば嘘になるが、その言葉の真意がよくわからなかったし、俺は朝食を済ませて制服に着替えると、愛車に跨って学校へと向かった。


 俺の高校はバイク通学禁止だったが、んなもん当然、守るわけがない。俺達のようなバイク好きなヤンチャくれは、各々近くの駐車場や空き地などにこっそり停めて、そこから徒歩を偽って登校していた。


 真夏といえど、松本は朝夕、多少気温が下がる……今日は寝起きがよかったこともあり、朝の涼やかな風を切って、思いっきりバイクを転がすのはなんとも爽快だった。


 俺の家は少し高台にある……街中へと下りる坂道は交通量も少なく、スピードも出せるので特に気持ちがいい。


 緩やかなカーブになってはいるが、走り慣れた道なので特に問題はない。むしろその多少のスリルが逆に堪らなかった。


 ……だが。


「……っ! え? ……お、おいおい…な、なんだ…!?」


 なぜか、ブレーキがまったく効かなくなったのだ……スピードの出すぎたバイクは、瞬く間に制御不能となってバランスを失う。


「…う、うわああああぁーっ…!」


 俺はバイクごと派手にぶっ倒れると、激しい衝撃を食らって意識を失った──。




「──う、ううん……」


 薄っすら目を開けると、ぼやけた視界には見知らぬ天井が映っている……。


「…………ここは…?」


「ああ! 目を覚ましたのね! よかったあ……」


 朦朧とした頭で周囲を見回していると、母親の顔が視界に入り込んで来て涙ぐんでいる。


「母さん? ……痛っ…!」 


 身体を起こそうとすると、全身のあちこちに打ち身のような痛みが走る……それに、なんだか頭にも包帯が巻かれているような感じがする。


「看護婦さん、息子が…息子が目をさましました!」


 身体の違和感に俺が戸惑っていると、顔をあげた母親が興奮した様子で看護婦を呼んでいる。


 ……そうか。ここは病院か……ああ、そうだ。俺はバイクで派手にコケたんだった……それで気を失って病院へ運ばれたのか……。


「今、先生も来ますからね……大丈夫? 自分の名前はわかる?」


「…グスン……ほんとにたいへんな事故だったのよ? 右手は残念だったけど、とにかく命が助かってよかたったわ」


 駆けつけた看護婦が俺の状態を確認する中、泣き笑いの母親はそう言って俺に語りかける。


 ……ん? 右手は残念だった? どういうことだろう? ……そういえば、なんか右腕の感覚がないな……。


 そう思いながら、俺は右手をあげて寝たままそれを見上げる。


「……!?」


 だが、そこに右手はなかった……いや、右手どころか右腕がない……唖然として腕の付け根の方へ目を向けると、水色の入院着の袖が捲られ、半分から下のない二の腕が白い包帯ぐるぐる巻きにされている。


「う、腕が……俺の右腕が……」


「転倒した時にガードレールに激突して切断したみたいなの。残念だけど、発見された時にはもう手の施しようがなかったのよ」


 慌てふためく俺を見て、看護婦さんが居た堪れない表情を浮かべてそう説明する。


「そ、そんな……」


 ……なんてことだろう……せっかく店主の悪霊から逃れられたというのに……その直ぐ後にこんな大事故を起こしちゃまうなんて……。


 ……いや、そうじゃないのか? もしかして、これはあの店主の仕業なのか?


 俺がバイクで転倒したのは、なぜかブレーキが効かなくなったからだ……よくよく考えてみれば、まったくブレーキに不具合はなかったし、普通ならばありえないことである。


〝シカタナイ、キサマラ、マトメテイットウブンデユルシテヤル〟


 店主が言い残したあの言葉は、この事故のことを予告していたのだろうか?


 けっきょく、俺はあの店主の呪いから逃れることができなかったのだ……。


「……くそう……くそう……」


 俺は残った左腕で目を覆うと、失くなった右腕が見えないようにして嗚咽を漏らした──。

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