第13話 シェルターのふりをした赤黒い触手

 細心の注意を払いながら、真司しんじがサバイバルナイフを振り回す。

 あくまでも、牽制が目的。

 自分たちに近づけさせないための威嚇であって、寮雨転蝉タービュローチャーを撃退しようなぞという、大それた意味合いは持ち合わせていない。


 それでも、貧弱な装備にあっては、やはりパースの生き物が人間を上回る。

 絶妙なタイミングで寮雨転蝉タービュローチャーが放尿したかと思うと、真司しんじの顔面、その左半分に体液がかかってしまっていた。


 一瞬にして、体内へと吸収。

 反射的に目を瞑ったために、左の瞼が開けなくなる。

 まもなく、洞窟の入口が見えて来た。

 愛莉あいりの足が悪かったのが幸いしたのだろう。自分たちは、そこまで大きく拠点から離れていなかったのだ。


「一か八かだ。頭を低くして、一斉にこの中に飛びこむぞ!」


 口の半分が麻痺して動かない真司しんじの声は、いまいち聴きとりにくかったのだが、何を言わんとしているのかは明瞭だった。


 足取りの悪い愛莉あいり翔太朗しょうたろうとの二人を、真司しんじが後ろから抱きかかえるようにして引き寄せると、そのまま洞窟の中へと向かって、倒れこむようにして入っていく。


 それに続いてやって来る寮雨転蝉タービュローチャー

 異界のセミといえども知る由もなかっただろう――ここには、別の主が蠢いているということを。

 頭を低くしたのは単純明快、その植物と接触しないためだ。

 壁なのか、天井なのかはわからないが、寮雨転蝉タービュローチャーが主の巣穴へと侵入したとたん、何かにぶつかる音が響いた。


 祈るようにして、三人が息を潜める。

 やがて、一同の頭上へと、上から干からびた何かが落ちて来た。

 それが寮雨転蝉タービュローチャーの死体だということに、少しの間わからなかった。

 あまりにも形が変わっていたためである。


「……。あの赤黒い植物が、どうにかしてくれるんじゃないかと期待したが……まさか、ここまでとはな」


 真司しんじが恐れを抱いたかのように独り言ちる。

 その触手に血液を丸ごと吸われたのだろう。寮雨転蝉タービュローチャーの体は、サイズが五分の一ほどにまで縮んでいた。


 ほとんど原型をとどめていない。


「うっかり触ったら、俺たちでもアウトか」


 わかりきったことを翔太朗しょうたろうが呟けば、愛莉あいりが怖がるように軽く身を震わせる。


「でも、人じゃなくてよかった」


 ぽろりと愛莉あいりが言葉を零した。

 それを耳ざとく翔太朗しょうたろうが拾って、愛莉あいりへとナチュラルに尋ね返せば、彼女は少し考えた末、何でもないと答えていた。


 間があったのは、おそらく真司しんじを気にしてのことなのだろう。

 聞かれては困ること。

 つまりは、それなりに大事な内容になる。

 無理してまで聞き出すべきものだとも思えないので、一応、自分なりに推測してみようか。

『人じゃなくてよかった』とは、いったいどういうことだろう。

 もしも、この蝉が人だったならば、さぞかしグロテスクな死体を見る羽目になっただろうから、それを回避できてよかったという意味なのだろうか。


 それとも、襲って来た相手がセミでよかった、という意味なのか。⑤班の武器を奪ってしまうような非協力的な人間に、強襲されることでも心配していると言いたいのか。


「……」


 まさか、いくらなんでもそれはない。

 自分たち調査員の目的は、この世界からの帰還にある。日本に帰って、新しい生活を始めることを、誰しもが夢見ているはずだ。


 互いに争っていては、いつまでも帰還の日が遠ざかるだけだろう。

 まったく、真司しんじといい愛莉あいりといい、意味深な台詞ばかりを言って困らせてくれる。

 再び腹が減って来た。

 せっかく補給した熱量も、先の一件ですべてを使ってしまったかのようだ。

 痺れが収まり、どうにか動かせるようになった右腕を、真司しんじに布で巻いて貰いながら、翔太朗しょうたろうは、自分たちがいかにこの世界で非力なのかということを、痛いくらいに噛みしめていた。

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