第12話 武具なしでの戦闘――人よりも大きいセミ

 翔太朗しょうたろうたちは食事に気を取られていたため、その巨大な羽音が近づいて来ていることに、遭遇する直前までわからなかった。


 三人は痛感することになっただろう。このパースにおいて、気を抜く暇なぞ一瞬たりとも存在しないのだ。


 すぐさま、真司しんじたちは固まって辺りを警戒する。

 音がでかい割に、森の中を反響していて、いまひとつ相手の位置が掴みにくい。


(……前後左右から来ているわけじゃないのか?)


 そう思って翔太朗しょうたろうが空を見上げた直後、幹の先端から巨大なセミが、その姿を一同の目に晒していた。


「ひっ……」


 愛莉あいりが小さく悲鳴を上げる。

 このサイズ感だ。

 かろうじて堪えこそしたものの、翔太朗しょうたろうとしても本当は叫びだしたかった。

 その体長は優に一メートルを超えている。

 世界最大のテイオウゼミでさえ、羽を広げた時の長さは、せいぜい二〇センチ前後。

 眼前のこいつであれば、おそらく三メートルに届くのではないか。

 自分たちの知っているセミではない。

 あまりにも、その概念から大きく逸脱し過ぎている。


「ゆっくりだ……」


 このまま、森の中に身を潜めていたほうが安全だろうと、茂みのより深い場所を目指して、足を少しずつ動かしていく。


 だが、何の間違いだというのだろう。

 目を離さずに注意して見ていれば、巨大なセミは羽を器用に操って、森の中へと侵入しつつあるではないか。


 悠長に逃げてなぞいられない。


「走れ!」


 真司しんじの怒声に、愛莉あいりも足の痛みを我慢して駆けだす。

 向かうところなどないに等しいが、とりあえずは、いつもの洞窟にまで戻るよりほかにない。

 仮にも、あそこが自分たちにとっての拠点なのだ。

 引き返す以外の選択肢はないだろう。

 懸命に三人は森の中を走る。

 愛莉あいりに足のハンデがあるとはいえ、これだけ乱雑に木々が生えているのだ。人間よりも幅の広いセミのほうが、どう考えても動きにくいはずであるのに、段々と両者の距離は近づいて来ていた。


 このままでは、遠からずに追いつかれてしまうだろう。

 逃走のための時間を稼ぐ必要がある。

 そう思うやいなや、翔太朗しょうたろうは反転し、手近な枝を乱暴に折ると、セミに対して身構えた。

 このセミが、パース固有の昆虫であることは言うまでもないが、寮雨転蝉タービュローチャーはその見た目に違わず、非常にユニークな狩りを行う。


 要点はセミらしく、尿にあった。

 まもなく、翔太朗しょうたろうと対峙した寮雨転蝉タービュローチャーは、頭上から彼に向って排尿した。

 驚いて枝を前にかざし、顔を守った翔太朗しょうたろうだったが、その結果、右半身には並々と、寮雨転蝉タービュローチャーの体液がかかってしまった。


 ただの威嚇かと、そう思って翔太朗しょうたろうが枝を振りぬこうとすれば、あろうことか右腕がまともに動かない。


(まさか……この尿か!?)


 寮雨転蝉タービュローチャーの現地名は、リョウウマロビゼミ。

 つまり、高所から獲物に尿をぶっかけて、相手を転ばせるという意味である。

 寮雨転蝉タービュローチャーの小水は、皮膚から異様な速度で吸収されるうえに、瞬く間に対象の筋肉を麻痺させてしまう。翔太朗しょうたろうはそんな体液を多量に浴びたのだ。体の半分は、すでに石となっていた。


「まずいぞ! こいつのオシッコは体が動かなくなる!」


 足にまでかかっている翔太朗しょうたろうは、逃げたくても逃げられない。

 少しでも寮雨転蝉タービュローチャーから離れようと、体を精いっぱい前に出すが、思うように走れずに転んでしまった。


 すかさず、寮雨転蝉タービュローチャーは急降下。

 強靭な顎で、翔太朗しょうたろうの前腕に食らいついた。


「うぐぁ!」


 激痛。

 皮膚が裂け、血は飛び散り、肉が骨から剥がれていくのがわかった。

 とっさに駆けつけた真司しんじが、手にしていたサバイバルナイフで寮雨転蝉タービュローチャーを突き刺す。

 狙ったのは、組織の柔らかそうな腹部であったにもかかわらず、堅牢な外殻に覆われていて、刃は僅かに食いこむだけだった。


「マジかよ……」


 思わず、真司しんじも驚きの声を上げる。

 翔太朗しょうたろうが激痛に耐えながら、無防備なセミの顔面を何度も左腕で殴れば、ようやく寮雨転蝉タービュローチャーは彼から離れた。


 腕は両方とも血だらけだ。

 おそらく、翔太朗しょうたろうの殴打が利いたわけではないだろう。

 真司しんじにも体液を浴びせるため、一時的に舞いあがったに過ぎない。

 それがわかっているからこそ、翔太朗しょうたろうは無理やり起きあがると、すぐに歩きだしていた。

 しんがりは真司しんじだ。

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