第8話 でたらめな世界

 日暮れまでに洞窟を発見できたのは、僥倖としか言えないだろう。

 大人三人が、立ったまま余裕で入れるほどの高さと幅。

 ぱっと見る限りでは、獣の巣穴ではなさそうだが、はたして中はどうなっているのか。

 枯れ枝を道案内代わりに、細心の注意を怠らずに真司しんじが一歩、洞窟の内部へと足を進めた。

 まもなく、枝が横の壁に触れたかと思うと、とたんに赤黒い触手が天井から伸びて来て、それを絡めとると、素早く中空へと持ちあげていた。


 不意を衝かれたとはいえ、触手の腕力は、真司しんじが枝を取り落とすほどのもの。

 食捕ヴォルプラントの口と言い、この触手と言い、どちらも植物とは俄かには信じがたかった。


「……中に入るのは、よしたほうがいいかもしれないな」


 呆れたように真司しんじが呟く。

 続けた言葉は、単純な独り言で、他人の返事を期待したものではなかったのだろう。


「改めて、ここがでたらめな世界なんだと、思い知らされた気分だよ」


 とても満足と呼べる代物ではないが、ひとまずシェルターの確保には成功した。

 一応は身の安全が保証されたのだ。次に必要になるのは、火だろうか。

 しかして、翔太朗しょうたろうたちはきりもみ・・・・式による着火を試みたのだが、パースのすさまじい湿気を前に、素人のサバイバル技術では、到底太刀打ちすることができなかった。


 空気が乾燥していれば、まだやりようもあっただろう。少々の砂を混ぜることで摩擦力を上げ、発火しやすくさせられるからだ。


 だが、あいにくとそのような環境にはいない。


「クソっ……。国も真面目に調査させる気なら、せめてファイヤースターターくらい用意しとけよ……」


 ダッフルバッグの中身を、見たからこその発言だろうか。

 翔太朗しょうたろうは一度も目にしていないので、あの中に何が入っていたのかを知らない。

 結局、火の確保は諦めざるをえなかった。

 やがて、日が落ちて辺りが闇に染まると、洞窟の奥で瞬く小さな光の存在に気がつく。

 もちろん、そうかと言って、入って確かめようなぞという気は、間違っても起こらなかった。

 だが、あの光が周囲の虫を惹きつけてくれているのか、幸いにして、翔太朗しょうたろうたちが小さな外敵に襲われることはない。


 いつ擬朝焼ヴァイパーモスキートが来るのか。

 この暗闇の中で、早期に発見することはかなうのか。

 そして、いざ対峙する羽目になった時、自分たちだけで対処することはできるのか。

 さまざまな不安に怯えながら、翔太朗しょうたろうたちは一夜を過ごした。







 眠い。

 当然のように、熟睡することなぞできるはずもなかった。

 睡眠は俄然不足している。

 状況は何も好転していなかったが、一つだけ希望はあると、真司しんじが口を開く。


「紫色の靄も、もう離れたかもしれない。俺は一度、現場に戻ろうと思う。今のままじゃ、手持ちの不安が拭えない」


 靄は移動するのだ。仮に、拳斗けんとを襲った一連の行動を「狩り」と形容するのであれば、いつまでも同じ場所にとどまっているとは思えない。すでに移動している公算がある。


 真司しんじの意見に同調するべきだろうと、翔太朗しょうたろうが同行を提案すれば、愛莉あいりは烈火のごとく怒りだしていた。


「そんなこと言って、私を置いていくつもりでしょう!」


 そうではない。

 不測の事態に備えるためだと、翔太朗しょうたろうは説明を続けたが、決して愛莉あいりは聞き入れようとしなかった。


 仕方なく、翔太朗しょうたろうは一人で向かうことを表明する。すでに通った道であれば、真司しんじでなくとも十分に役割を果たせる。その間に真司しんじには、別の作業をして貰おうという意図からの発言だったが、これについても愛莉あいりは承知しかねる様子だった。


「冗談でしょう!? 私を平気で置き去りにするような人と、二人っきりにしようっていう訳? 馬鹿なことはやめて! 翔太朗しょうたろうがここに残りなさいよ」


 真司しんじが大きく溜め息をつく。もはや隠す気もないらしい。

 歩きだす背中に追い打ちをかけることも、愛莉あいりにとっては平気のようだった。


「ちょっと、何やっているの!? あなたは来た道を戻るだけなんだから、武器なんか要らないじゃない。置いていきなさいよ!」


 ぶっきらぼうに、真司しんじが手に持っていたサバイバルナイフを放り投げる。そのまま、流れるように翔太朗しょうたろうの顔を見つめた真司しんじの瞳は、愛莉あいりを助けて満足なのかと、そう問いたげだった。


 何も言えず、翔太朗しょうたろう真司しんじを見送る。

 こうなることを真司しんじは予期していたというのか。

 後味の悪さだけが、翔太朗しょうたろうに残っていた。

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