第5話 異界の王。そして、手ぶらでのスタート

 ①班が逃げる。

 それを見た②班と③と班も、こちらに憐れむような視線を向けつつ、離れる準備を始めていた。銃弾の雨が止まり次第、動くつもりでいるようだ。


 当然だろう。

 たぶん、翔太朗しょうたろうが同じ立場であったとしても、ほかの調査員を見捨てたかもしれない。それだけ状況は切迫していた。


「俺はてめえみてえにこそこそしているやつが、一番いっちゃん嫌いだよ!」


 拳斗けんとが明後日のほうに向いたかと思うと、そちらに対して警告もせずに銃を乱射した。

 藪の奥で血が舞っている。

 あの様子では蜂の巣。生きてはいまいだろう。


(あんなところに誰かいたのか……。いったい、どこの班だ?)


 そのまま流れるように⑥班を攻撃。

 無防備の状態であんなものを食らっては、どうしようもない。

 自分は真司しんじの援護があったからこそ、助かったに過ぎないのだ。

 おそらく、⑥班は壊滅。

 遠からず、このままでは⑤班も同じ運命を辿ることになる。

 どうにかしなければ――。

 そう思いはするものの、武器の入ったダッフルバッグは拳斗けんとのそば。

 ②班たちの加勢を期待できない今、反撃のための装備は手にいれられない。つまりは、なす術がないと言えた。


 一方的にやられるのを待つだけかと、半ば諦めかけたその時、目線の少し先に上空を漂う紫色の靄が見えた。


(……毒?)


 それにしては容積が些か小さいように思える。

 雲にしては高さの低すぎるその集合体は、やがて拳斗けんとのほうにまで近寄って来ると、彼の頭の周りをくるくると旋回し始めた。


 顔の前まで来れば、さすがに拳斗けんと本人も気がついたようで、鬱陶しそうに手で振り払っている。

 だが、その口元が僅かに開いたとたん、それらは拳斗けんとに吸い込まれるようにして、体内へと侵入していった。


 直後、拳斗けんとがうめき声を発しながら、もがきだす。

 胸を押さえるために両腕を使ったため、手にしていた拳銃を取り落とすほどだ。

 吐血。

 尋常ではない量の血が、拳斗けんとの口からとめどなく溢れていた。

 それと呼応するように、いつの間にか紫色の靄も体外へと吐き出されている。


(……? さっきよりも多いような)


 気のせいなぞではない!

 明らかに容積が先ほどよりも増えているのだ。

 外部から、新たに靄が加わったわけではない。つまり、この短時間で急成長したことになる。


「逃げろ。あれはやばい!」


 何者かの叫び。

 それに釣られて全員が一斉に動きだす。

 装備品の回収なんぞしている暇がなかった。

 あれが生き物なのか、それともパース特有の現象なのかはわからない。

 だが、あれに襲われたら確実に死ぬ。その点だけは不愉快にも明らかだった。

 拳斗けんとが命を落とすまで数秒もかかっていない。したがって、触れることの許されない靄。

 何もかもがでたらめだ。

 各々が好き勝手に逃げたため、かろうじて班の体裁を保ってこそいるものの、調査団としての形はすでに失われていた。


 換言するならば、班ごとに別々の方向へ退散したのである。

 後ろに振り返った真司しんじが、再び怒声を上げる。


「何している、宗一郎そういちろう!?」


 見れば、宗一郎そういちろう拳斗けんとの死体へと近づいていき、あろうことか、その体から漏れだしている靄の一部を摘まんで、自身の口元へと持っていったのだ。


 すぐに、口から唾を吐いて靄を外に出す。さすがに、それ以上は近づけないと思ったのか、死体のそばに取り残された自動小銃を拾うことなく、宗一郎そういちろう拳斗けんとから離れた。


 その一挙手一投足を注視していた翔太朗しょうたろうにも、宗一郎そういちろうの真意はわからない。

 だが、確かに宗一郎そういちろうは、現場で次のように独り言ちていた。


『これは毒の類ではないな』


 そのとおり。

 紫色の靄の正体は生物。

 現地の言葉でアサヤケモドキと呼ばれる、パース固有の蚊――擬朝焼ヴァイパーモスキートである。

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