第21話 二人きりの夜
夜会が終わり、私はルシアに案内されて客間に足を運んだ。今夜の世話係としてセレナがあてがわれた。
「モニカ様。今後、少しずつではありますが、城で過ごす比重を増やしていただきます。一応デビューもしましたしね。目立ちはしませんでしたが。いや、あの目立ち方を今夜の主役と呼ぶには、少し微妙ですが」
恐らくパルティダの茶菓子の件だろうと思った。
「分かりました。ここにいる頻度はどのくらいになるの?」
「週に一度から二度は来ていただくことになります。ここへ移住するには、正式な婚約を発表しなければなりませんから」
「正式な婚約」
「能力のことも加味して、あなたの素性は伏せた状態の方がよろしいですからね。オリバレス家の養女として引き取られたあなたは、今夜のデビュタントで陛下に見初められ、城に滞在。週に一度から二度逢瀬を重ねるようになって、陛下からプロポーズされたといったシナリオがよろしいかと思っております」
あまりに作り話なので、私は思わず笑ってしまう。
「モニカ様。あなたを守るためなのですよ」
「すみません。あまりに現実と違っていて」
「身分の高い人間のシナリオなんて、改ざんし放題ですから、慣れてください。オリバレス家には使用人伝えで、今夜あなたは帰らないことは伝えてありますから、ご安心を。では、セレナ、身支度をして就寝させてください」
「あの、リカルドは?」
「陛下は、別のことで忙しくて、ここには来ないと思いますが、会いたいですか? 明日の朝食は一緒に取っていただくことになるかと思いますので、明日なら確実に会えると思いますが」
「いえ、大丈夫です」
「そうですか」
それだけ言うと、ルシアは部屋を後にした。
「いいの? モニカ。陛下に会わなくて」
セレナに尋ねられて、私は首を横に振った。リカルドが『モニカ、今夜は城に滞在しろ』と言ったはずなのに、会うつもりがないというのに驚いたのだ。
「ううん。いいの」
この国に来てから、リカルドの気まぐれには慣れてきた。あまり追いかけまわすのもよくないような気がしている。
セレナはあまり納得していないようだったが、寝るための身支度を私にすると部屋を後にした。
☼☼☼
慣れない部屋で眠りにつこうとしてもうまく眠りにつけない。
ベッドを抜け出して、窓を開ける。満点の星空がモレスタ王国を照らしていた。私に案内された客間は、城の中でも高い位置にあるので、首都オスランデスの街並みの全体像がよく見えた。区画通りに綺麗に整頓された家たちから、明かりが少しずつ消えていくのが見えた。あまり夜遅くまで起きていないのだろうか。
この国に来てまだ日が浅く、私は何も分からないし、知らない。
リカルドと結婚するということは、この国の王妃様になるということだ。彼の隣で国を治め動かしている自分の姿が全く想像がつかなかった。
文字だって、最近読めるようになったばかりだ。カルに読書を勧められたが、文字を追いかけているより、プーチャと一緒に遊んでいる方が楽しいし、夫人が焼いてくれたケーキを淹れたてのお茶と一緒に食べる方が好きだ。
「私、王妃になんかなる資格ないんじゃないかな……」
小さく呟くと「何、感傷的になってんだ」とリカルドの声が聞こえた。
「リカルド? 今夜はここに来ないんじゃ?」
「俺に仕事をさせたいルシアの勝手な発言だ。お前を城に読んでおいて、放置をするわけないだろう」
リカルドは私のベッドに仰向けになって寝転んでいる。夜会で様々な人を相手にした後、仕事もこなしてきたらしいリカルドは、相当疲れているようだった。
「外で、剣の稽古を一日している方が、まだマシだ。で、なぜ、そんなしおらしい感傷に浸ってた?」
リカルドはからかうような口調で私の方へ視線を向けた。
「だって、私、文字少ししか読めないし」
「これから勉強すればいいだろう。問題なし」
「本を読んでいるより、お菓子食べたり、プーチャと一緒に遊んだりしている方が楽しいし」
「まるで、子どもと同じだな。まあ、お前の境遇を考えたら仕方ない。問題なし」
「王妃になるイメージがつかないし」
「立場が人を作る。以上。問題なし」
私の悩みを強引に解決していくリカルドに「私は、これでもけっこうまじめに悩んでるんだよ」と反抗した。
「モニカ。何事にもチャンスというものがある。努力でどうにかカバーで切る事柄があって、チャンスを与えれた時に、努力をしたくないがために、それを捨てる奴は愚か者だ」
「でも……」
「いいか、モニカ。お前は俺が花嫁にすると決めた女だ。根拠のない自信を持て」
「根拠のない自信を持つとどうなるの?」
「うまくいくことが多くなる。今夜の夜会でお前に変な茶菓子を食べさせたあの女も、自分はいい女だと勘違いしていただろう。ああいうことだ」
リカルドに言われて、パルティダのことを思い出す。
「そうだ。リカルド、どうして私が食べた茶菓子のことを知ってたの?」
「俺は、この国のことならなんでも知ってるからだ」
「なんでも?」
「ああ、なんでもだ。例えば、お前が、ちょっとだけこの窮屈な生活に飽きてきているということとかな」
「確かに、もう少し自由になるとは思ってたけど」
「ちゃんといい子にしていたら、明日、面白い催し物に、お前を連れて行ってやらんでもない」
「面白いものってなに?」
私が尋ねると、リカルドは寝息をたてて眠ってしまっていた。日々の業務で相当疲れているのだろうか。
ぐっすり眠りにつくリカルドの寝顔は、あどけない子供のように見えた。
その表情がかわいく見えて、私は思わずリカルドの頭を優しく触れる。
「おい、勝手に触れるな」
突然リカルドが瞳を開けた。
「リカルド、起きてたの?」
「目を閉じて寝たふりをしていただけだ。寝ていない」
「寝息立ててたよ」
「俺は不眠症だ。そんな無防備に他人の前で眠れるわけがないだろう」
「でも、メトミニーでも寝てたよ。けっこういびきかいて」
「冗談はよせ。モニカ。王である俺をからかおうというのか?」
リカルドに対抗できる珍しいチャンスを得て私は「だって、本当だもん」と笑った。
「そうか。お前がそういうつもりなら、慈悲深い俺にも考えがある」
何をされるのか身構えると、リカルドは私のことをベッドに押し倒し、思い切りくすぐって来た。
「ちょっと! リカルド、だめだって! それ、だめ」
「俺だってやりたくてやっている訳じゃないんだ。分かってくれるか? モニカ」
「アハハハハ! だめだって、くすぐったいよ」
リカルドの仕返しはかなりしつこかった。解放された時には、私がぐったりして起き上がれずに「リカルドのバカ」と呟いた。
「第二弾も必要なら、いくらでも付き合うぞ、モニカ」
「ごめんなさい。リカルド様、太陽王様、ごめんなさい。許してください」
「分かればいい」
満足気なリカルドの隙を狙って、私もリカルドの脇腹をめがけてくすぐった。そして、とあることに気が付いた。
「俺は、くすぐり効かんぞ」
私がリカルドの服の裾をめくると「おい、やめろ」とリカルドは眉を顰めた。
「どうしたの? この怪我の痕」
リカルドは、私の手を振り払い「殺されそうになった時のだ。悪魔の第七王子の存在を気に食わなかったジジイにな」と答えた。
「ジジイって老王アレハンドロ?」
「名前を出すな。思い出すだけでも胸糞悪い。無残な最期にしてやったけどな」
「命がけで生きてきたんだね……」
「それはお前もだろう。楽な人生ではなかったはずだ」
「リカルド、もう一度触っていい?」
リカルドは答えなかったが、それは否定の合図ではないと思ったので、私は服の下に手を入れて傷跡に触れた。
修道院で聞いていた噂以上に酷い怪我の痕だった。
私は鞭でぶたれるようなことはあっても、リカルドほどひどい怪我をしてはいない。
「生きててくれて、そして、私を助けてくれて、プーチャもセレナも助けてくれてありがとう」
「俺をおだてても何も出てこないぞ」
「本心だよ」
「もういい。寝ろ」
怒っているかと思ったが、リカルドの耳の後ろが赤くなっているのを月明かりで発見して、照れているだけなのだと思った。
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