第20話 アイザック・コスタンティーニ

 その夜、最も注目されたのは、未熟なアラティウムの果実が入った焼き菓子を平らげ、社交界にあまり出てこないカルとダンスを踊ったパルティダであった。

 当初の目的を果たせ、さらには注目を浴びて嬉しそうな表情を浮かべるパルティダに「見ていて気分が悪いですね。散々人の悪評を流しておいて、自分が目立って満足するとか最低」とペペが毒を吐いた時だった。


「失礼、お嬢様」と私の目の前に男性が立っていた。


「あなたに壁の花は似合わない。よろしければ、私と一緒に踊ってくれませんか?」


 髭の生え、ウエーブのかかった焦げ茶色の髪の毛を肩まで伸ばした男は、私にひざまづいている。


「……私ですか?」


 私が驚き戸惑っていると男が「あなた以外にお声がけしていませんよ」と目を細めて笑った。

 デビュタントのダンスで男性に申し込まれたら、一度は対応しなさいと教えられていた私は、差し出す男の手を取った。


「よろこんで」


 アイザック・コスタンティーニと名乗る男は、イージェス王国から派遣されてきた貴族らしい。古くからモレスタ王国と親交のあるイージェス王国は、定期的に交流を深めているらしく、今回は国を代表してモレスタ王国に来ているとのことだった。


 あまりに流暢にモレスタ王国の言葉を話すので、はじめモレスタ王国の人間かと思ったくらいだ。 


「モレスタ王国にしかない、ドラゴン貿易に関して、私は非常に強い関心をもっています」


 国土のほとんどが砂で埋もれているモレスタ王国にとって、食用ドラゴン産業は、大きな貿易の手段の一つだ。ホレス家がそのあたりが強いとカルに教えてもらった記憶がある。


「それだったら、あの子の方が……」


 絶対にカルを解放しないとばかりに必死に彼の腕に手を通しているパルティダの方を一瞥して答えたが、アイザックは首を横に振った。


「貿易に対する勉強と、気になった女性に対する行動は別です。あなたのお名前を伺っていませんでしたね」


「私は……・モニカ・マル……オリバレスです」


 今夜はオリバレス家の娘として参加している。本名を答えそうになって慌ててオリバレスと名乗り直した。


「オリバレス家は、海運が強い家でしたね。イージェス王国の周りの海は流れが強くて船が向いていません」


 前に、リカルド達がイージェス王国の方に商船が流れてしまっていたらと真剣に頭を悩ませていたことを思い出す。


「もしかして、フルークトス海流のこと?」


「そうです。よくご存じで。まあ、陸路も大変なんですけどね、フェリモース山脈は魔女の山と呼ばれるほど険しい山脈ですので。モニカ令嬢は、イージェス王国に来たことはありますか?」


「私は……いいえ。外国に行ったことはないんです」


 私の知っている世界はメトミニー修道院と、城の中、そしてオリバレス家のみだ。あまり首都オスランデス内も出歩いたことはない。このデビュタントの準備のために大変だったからだ。


「外国に行ったことはないんですか? もったいない。世界は広いですよ。いろいろ出歩いてみることをおすすめします」


「いつか、行ってみます」


「あなたがよろしければ、いずれ私が案内しましょう。まずは、イージェス王国の王都ロレーザなんかいかがでしょう?」


 甘い言葉が多い男だと思った。言葉の端々に無理な話が多いような気がして、私は曖昧に返事をした。


「いつか、機会がありましたら」


「いつか。そうですね、いつか。あなたは、きっとイージェス王国に来ることになりますよ」


 アイザックは目を細めて微笑んだが、目の奥が笑っていなかった。どうしてだか、とてもその目が怖かった。


 ダンスの音楽が鳴りやんで「すみません。私、喉が渇いてしまって」とダンスを断る際の常套句を口に出した。

 アイザックは「そうですね。何か飲み物を取ってきましょう」と言って私の元から去って行く。その隙に、私は会場から離れた。どうしてだか、ものすごく疲れてしまったのだ。


 ☼☼☼


 人気のないバルコニーに出ると、少しだけ気分が落ち着いた。生ぬるい夜風が気持ちがよい。

 目をつむって深呼吸をすると「モニカ」と小さく私を呼ぶ声が聞こえた。


「セレナ」


「モニカ、久しぶり。ダンスは踊らなかったの?」


 セレナは、王宮のメイド服を着ていた。


「踊ってきたけど、あまり得意じゃなかった。踊るのは好きだけど……」


「確かに、私たちの生活環境から考えて、ここは華やかでおどろおどろしいもんね」


 セレナの言葉は言いえて妙だと思った。


「セレナの言ってること、けっこう当たってるかも。カーテンってまだしまってる?」


「ううん。私が来る前に、かなり城の中の使用人を整理したみたい。なんでカーテン?」


「ううん。私が最初に城に行った時、カーテンが全部しまってたから」


 喪に伏していると言っていた使用人の顔を思い出す。今日来た時には見かけていなかったが、彼はまだ城にいるのだろうか。


「ふーん。ところで、喉乾いてない? お酒かっぱらってきたよ」


「セレナ。ここはメトミニーじゃないよ」


「いいじゃない。デビュタントに来ているお嬢様に給仕したって形とっていればさ」


「なんか、セレナ変わったね」


「変わったのは、モニカだって同じ。綺麗になったよ。本来の姿に戻れてよかったね。あんなところにいる人じゃなかったんだから。戦争で負けた国の人はさ、こんな目にあっちゃうんだって、メトミニーに行った時、正直思ったもん」


「セレナは……どこから来たの? ずっと教えてくれなかったし、メトミニーでは聞けなかったら」


「私? ああ、確かに、あそこで自分の出生を悠長に語っている暇はなかったもんね。私は、モレスタ王国とイントス王国の国境付近で生まれて、口減らしのため売られたってところ。まあ、パウラのババアにももう一度売られたけどね」


 笑いながら、グラスに残っていた酒をセレナは一気に飲み干した。私はたまらなくなってセレナを抱きしめた。


「どうしたの? モニカ」


「私のこと、ずっと守ってくれてありがとう」


「守っていたようで、私もモニカに守られてたよ。ひどい言い方だけど、モニカがあそこで犠牲になっていたから、仕事にありつけて最低限の食事にありつけていた子も多かったと思う」


 セレナは空になったグラスを私から受け取ると「ルシア様に叱られる。あの人厳しいから、そろそろ私のこと探してそう」と言った。


「ルシア厳しそうだよね」


「まあね。メトミニーより、売られるよりずっとマシだけど。ところでさ、宮廷占い師ボバって人から、モニカ占ってもらった?」


 長年足を鎖で繋がれ、リカルドを「悪魔」と言った占い師ボバ。彼女はまだいるのだと知って、リカルドは恨んでいるのに、まだ彼女のことを使っているのだと思った。


「うん。占ってもらったよ」


 静かに私は答えたが、セレナが私とは対照的に嬉しそうにしている。メトミニー修道院では、見たことがなかった表情だった。


「私、これから大恋愛するんだって。誰とは聞かなかったけど、そんな幸せなことが私に待っているんだって思ったら、これから生きるのが楽しみで」


「よかったね、セレナ」


「モニカ。私、あなたのこと、これからずっと支えるために頑張るから、あなたを閉じ込めるために、自分の身を守るために、鍵をかけて知らないふりなんか一生しないから」


 セレナはそれだけ言うと「じゃあ、またね」と給仕の仕事に戻って行った。

 セレナは私を綺麗になったと言っていたが、彼女の方が綺麗に見えた。


 会場に戻るとルシアが私のことを見つけ「どこにいたんですか」と眉を顰めた。


「すみません」


「まあ、いいです。陛下がお待ちです」


 ルシアに案内されて、リカルドが座っている席へと向かう。


「モニカ、今夜は城に滞在しろ」


 リカルドはそれだけ言うと「下がっていい」と言った。どうしてそれだけ言われたのか分からず首を傾げていると、ルシアが「今後についての話をしましょうということです。それにあそこで長話は本来しないものです」と教えてくれた。


 ルシアと歩いていると、酒を持ったアイザックが見えて、私はルシアの後ろに隠れる。


「どうされたんです?」


「あの髭の人苦手で……」


「ああ、イージェス王国からの使者ですね。あの男は、優秀ですよ。モレスタ語、イージェス語を筆頭に、大陸語を複数操りますからね。各国をまわっているので、他国の情勢にも詳しいですし。で、彼がどうかしたんですか?」


「はい。さっきダンス申し込まれたんですけど、なんか雰囲気が変で」


 先ほどの目の奥が笑っていないアイザックの表情を思い出すだけで、また気分が悪くなってくる。


「あまり外国からのお客様を変だとか言うのは、失礼ですよ」


「そうですよね。すみません……」


 私がしょんぼりしていると、ルシアは「あまり他の男に興味がないのも、陛下にとっては都合がいいから、いいでしょうね。まあ、あなたはそのような心配は少なそうですが」とフォローなのか皮肉なのか分からない言葉をかけてくるのだった。

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