第18話 セレナの帰還
次の日の朝、カルが仕事の合間をぬって授業をしてくれるようになった。私ができないところがあると、ミス・ロペスはヒステリックに叱ることが多かったが、カルは論理的に丁寧に教えてくれるので、精神的に落ち着いて勉強を送ることができた。
私とカルがうまくやっているので、公爵も夫人も安心しているようだった。
デビュタントに着るドレスも、靴も準備をした。
銀色のビーズが散りばめられているオーガンジーのドレスは、まるで星空の中にいるような気がして、ドキドキした。動くたびにふわふわ揺れるので、夜会の中でもかなり目立つに違いない。
デビュタントまで、時間は少しであったが、カルがそばにいてくれると思うだけで、精神的な安心感がなぜかあった。
「ダンスの練習もしとかないとな」
昼食を終え、午後の勉強が始まった時、突然カルが言い始めた。手を差し出されて、そっと触れる。白く透き通るような長い指が私の手を優しく包んだ。
「カルの手、大きいね」
「まあ、男だしね。普通じゃない?」
はじめは慣れるために、手を繋いで、足だけステップを踏む。コツコツと私とカルの足音が部屋の中に響いた。
「次は、ターンも入れて」
決まったステップの合間にターンが入った。ダンスは、他の勉強よりも難しくなかった。言われた通りに動けたので、カルは満足そうに頷いた。
「ダンスは、けっこううまいね」
「そうかな?」
「うん。けっこういい線いってると思う」
カルに褒められて嬉しくなっていると、ステップを間違えた。バランスを崩してしまい、まるでカルに抱きしめられるようなかたちになって、身体が密着した。
「気を付けて」
「う、うん。ありがとう」
身体を離すと、カルの手が私の頬にそっと触れる。
開けっ放しの窓から、海のさざ波と、夫人がプーチャに餌をあげる声が聞こえた。
「カル?」
「髪の毛が、くっついてた」
どうしてだか心臓がドキドキと跳ねる。顔が熱くなるのを感じた。
「あ、ありがとう」
「モニカの髪の毛、俺好きだな。赤くて、ふんわりしていて」
「ダンスの続きしよう」
気恥ずかしさが勝ってしまい、私はカルにダンスの続きをしようと促した。カルは「そうだね」と言っただけだった。
静まり返った部屋の中で、私はカルの方を見られなくなってしまい、ダンスの練習が終わるまで、ずっとうつむいてしまうのだった。
それと同時に、カルロス様と呼んでいたあの少女たちの気持ちが少し分からなくもないような気がした。
☼☼☼
カルが王宮で仕事があるので、その日授業は休みだった。
与えられた宿題をやっていると、王宮から使者がやってきた。
「陛下がお呼びです」
リカルドに呼び出されることは今までなかったが、もしかしたらセレナが見つかったのかもしれないと思った。
ペペを連れて、使者が乗って来た馬車に一緒に乗り込んだ。
城へ到着すると、応接間に案内された。
そこには、想像した通り、セレナが座っていた。
「セレナ!」
私が駆け寄ると、セレナは顔を上げて顔を歪め、大きな声で泣いた。
「モニカ! 助けてくれてありがとう」
「生きててよかった」
「パウラ院長が、私を売ったの。船に乗せられて異国に行くところで、ルシア様たち率いる軍が私を買い戻してくれたの。御礼を言ったら、あなたの指示だって。私、あなたにひどいことたくさんしてきたのに……」
震える彼女を抱きしめる。
「そんなことない。食べ物いっぱい分けてくれたじゃない」
メトミニー修道院で、セレナがいなかったら、私は生き延びることができなかった。彼女が生きていてくれて本当にうれしかった。
「感動の再会の途中、失礼します。先日お伝えしました通り、セレナ・アミュタの素性を調べたところ、まあ、特に経歴に問題はなさそうだったため、あなたの侍女にしてもよいと陛下がおっしゃいました」
抱き合って再会を喜んでいる私たちに、ルシアが淡々と口を挟んだ。
「セレナと一緒にいてもいいの?」
「かなり努力をしていただきます。あなたと一緒に公爵邸には行きませんが、しばらく城で修行といったところですね」
私は公爵邸にいなくてはいけないというのに、セレナは城にいられるのか。と心のどこかで言葉が沸き起こったが、慌てて打ち消した。
「分かりました。人生をかけて頑張らせていただきます」
明るい表情で言うセレナに、ルシアは頷いた。そして、私の方を見ると「別件で、陛下がお呼びですので、モニカ様はそのまま陛下の執務室へご案内いたします」と言った。
なぜかリカルドの名前を出されて、途端に後ろめたさを感じる。その理由が私は何か分からなかった。
☼☼☼
リカルドの執務室には、大量の資料が置いてあった。
青色の壁に、黄金の柱。そして、壁には抱えきれないほどの大きな彼の肖像画がかけられていた。
赤茶色の革張りの椅子に腰かけたリカルドは、私の姿を確認すると上機嫌そうに「だいぶあか抜けたな」と笑った。
「今日は、どうされたのですか?」
「随分冷たいことを言うようになったじゃないか。妻になる女の顔を見たがって、何か問題でもあるのか?」
リカルドが手招きして私を呼んだので、私はおずおずと彼の方へと近づいた。
ルシアが「では、私は仕事があるので失礼します」と部屋を出て行く。
「今まで呼ばれたことがなかったから、何か怒っているのかなって」
「怒る? 怒られるようなことをしたのか? モニカ」
リカルドは、私にさらに手招きして、私を近くに呼ぶと、自分の膝の上に座らせる。
褐色の大きな手が、力強く私を抱きしめた。白く透き通るようなカルの手とは正反対だ。大きくてゴツゴツしていて、私の手など握りつぶしてしまえるような手だ。
「リカルド、どうしたの?」
「お前は、赤ん坊のようなところがあるからな。はじめに見たものや感じたものに忠誠を誓うところがある」
リカルドの言っている意味が分からなかった。私は「どうして?」ともう一度リカルドに尋ねた。
「オリバレス公爵邸で、カルロス・オリバレスにいろいろと習っているそうだな。ペペからの報告書で、ダンスまで二人きりでしているとあったが、どういうことだ?」
背筋に寒いものが走った。
別にカルとダンスをするのは、悪いことのはずではないはずなのに、どうしてこんなに悪いものの言い方をされてしまうのだろう。そして、どうして私はこんなに焦ったような気持になっているのだろう。
「カルとダンスをしていたのは、今度のデビュタントにダンスがあるからで」
どうして、リカルドがカルのことを言ってくるのが分からなかった。カルは、ミス・ロペスとうまくいかなかった私に、勉強やマナーを教えてくれているだけなのだ。
そもそも、リカルドが城で教えてくれれば、私は公爵邸に行くこともなかったのだ。
「もう、そんな親しくに名前を呼び合っているのか。ずいぶんと気持ちを入れ込んでいるようだな。俺よりも好きになったのか?」
耳のそばでリカルドが囁く。
「最初から、私はカルって呼んでたよ、リカルド」
声が思わずうわずってしまった。これでは、カルに対して、私がリカルドに向ける以上にカルに対して気持ちがあると証明してしまっているようなものではないか。
私の中でカルは親切なオリバレス家の一員だ。
「ああ、そうだったな。お前は、今度のデビュタントで貴族の娘としてデビューして、俺の婚約者として発表されるのだったな」
リカルドの唇が、私の首筋に触れる。軽くキスされて、私は戸惑った。
力強く抱きしめられているので、身動きが取れない。
「リカルド、離して……恥ずかしいよ」
私が懇願してもリカルドは私の身体を解放しなかった。
「お前に地位も与える。好きな物も与える。お前の言う通りファブラ種のドラゴンだって好きにさせた。だから、お前の心は、俺に寄こしてくれ」
小さく呟くリカルドの言葉に、私の心がズキっと痛んだ。
リカルドは私のことをメトミニー修道院から助けてくれた。
修道院にいた時、リカルドがいつ来るかずっと心待ちにしていたし、リカルドのことは他の人と比べて好きか嫌いかでいったら好きだ。
ただ、この城に来てから、私はリカルドのことがよく分からない。
冷たく突き放してみたりしたと思ったら、助けてくれたり、こうやって縋り付くようなことをしてみたり。
「リカルド。私はリカルドのお嫁さんになるんだよね?」
首を傾げて質問すると、リカルドはしばらく黙っていたが「まあ、通じるわけがないか」と静かに呟いた。
「通じる?」
「他の女を落とすような作戦を使っても、お前は落ちないよなって話だ」
けろっとしているリカルドに「また、からかってたの?」と私は眉を顰めた。それと同時に、身体中の力が抜けて安心するのを感じた。
「からかっていたわけではないが、あのカルロスに習って二人きりでダンスをしていたという報告は、面白くないぞ。俺という人間を忘れないために、ちょっとお灸をすえただけだ」
「なんで、カルにだけそんな風になるの?」
「カルロスだけではないぞ。他の男と同じようなことになったら、何度もお灸をすえてやる。しかし、忘れるな。モニカ。俺は裏切りを許さん。その時は、相手の男だけでなくその家族も根絶やしにする」
雰囲気が重くなったので、この言葉は本気なのだと思った。
「分かってるよ。でも、公爵邸に行かせたのはリカルドだよ」
「そんなことは関係ない。お前の自制の問題だ」
リカルドは私を自分の膝からおろすと、ベルを鳴らしてルシアを呼んだ。ルシアがさっと部屋の中に入ってくると「公爵邸へ」と私を家に連れ帰るように指示をした。
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