第8話 心に住む悪魔

 異様な空気が城の中を包んでいた。

 パウラ院長のように怒鳴ったりする人間は一人もいないというのに、メトミニー修道院の中にいるよりも冷たい空気が流れている気がした。


「ボバに会って来たか?」


 これでもかというほど高そうな黄金の調度品が置かれた部屋で待機しているように命じられてから、長い時間を過ごした後、リカルドが部屋の中へやって来た。


「うん。会ったよ」


「言われた内容は口外するなよ」


「こうがい?」


「言いふらすなということだ」


「分かった。ところで、プーチャに会いたいんだけど……」


「モニカ。忘れたのか? 見えるところでファブラ種のドラゴンと接触するようなことはするなと、言ったはずだが?」


「ちゃんと無事?」


「安心しろ。傷つけたりはしないと約束する。貴重なファブラ種だからな」


 少しだけ安心して、私は「ありがとう、リカルド」と伝えた。


「あと、ボバの足なんだけど……」


 ボバに繋がれた鎖のことを思い出して、彼女の足の鎖についてリカルドに訴えようとした。


「モニカ。騙されるな。あの老婆は、人と同じではない」


 あまりにもリカルドが笑顔で言うので、混乱してしまう。


「でも、あんな鎖で……」


「今日この城に来たばかりだろ? お前が悪いわけではないが、お前は何も知らない」


「知らないけれど、あの鎖で繋ぐのはおかしってことくらいわかる」


「お前も他の者と同じなのか、モニカ」


 リカルルドの纏う空気が変わった。

 背筋が急に寒くなって来て、私は「でも……」と口ごもった。


「一つ賢くしてやろう。無知であることは、最大の罪だ。俺がお前に飽きる前に、これ以上、自分の愚かさをさらけ出すな」


 それだけ言うとリカルドは私のことを無視して、呼び鈴を鳴らした。すぐに扉が開かれ、ルシアが部屋の中へ入ってくる。


「お呼びでしょうか?」


「客間に通せ」


「承知しました」


 ルシアが頭を下げると、リカルドは私の方を見もしないで部屋を出て行ってしまった。


「リカルドはどうしたの……?」


「あれが本性ですよ」


 ルシアが淡々と言うので「どうして? さっきまであんなに優しかったのに」と私は呟いた。


「気まぐれで横暴。優しい顔で近づいて、相手の心が向いたら無慈悲に突き放す。そういう男ですよ。嫌なら、はっきり私のように言い返すことをお勧めいたします。気に食わなければ、命を奪われる可能性はありますけどね」


「どうして、ルシアは、大丈夫なの?」


「大きな貸しがあるからです。これ以上は言えませんが」


 ルシアは「ほら、早く部屋に行きますよ」と混乱している私を席から立ち上がらせた。


 ボバの言う通り、リカルドが本当に悪魔のような性格だったとしたら、プーチャは大丈夫なのだろうかといったことが脳裏に浮かんだ。


「ルシア……プーチャは? プーチャはどこ?」


 息が苦しくなってくる。

 メトミニー修道院では、今までになかったことだ。

 私がもし、私が間違えてしまっていたら、セレナはどうなった? プーチャは、本当に生きているのか。

 全て私のせいだ。私が間違えてしまったかもしれない。


「モニカ様。落ち着いてください。大きく息を吸って」


 ルシアが私の背中をさする。


「プーチャは?」


「ファブラ種のドラゴンは、無事です。希少種ですから、悪い待遇ではありません。不安になる気持ちはよく分かりますが、こんな些細なことで、精神がやられていたら、今後身が持ちませんよ」


 再び椅子に座らせたあと、私が落ち着くのを見計らってルシアは皮肉を飛ばしてきた。


「でも……セレナも、どこにいるか分からないし、プーチャにも会えないなんて……」


 ルシアは苛立ったように私の話を聞いている。


「あなたの態度を見ていると、陛下が冷たくあしらった気持ちも分からなくない気がしてきました。ちなみにモニカ様。あなたはさっき陛下に何を?」  


 私は、ボバの足の鎖のことをリカルドに訴えたことを正直にルシアへ伝えた。

 ルシアは、深いため息をついた後「モニカ様。あなた、絶対言ってはいけないことを陛下に言いましたね」と眉を顰めた。


「どういうこと?」


「モニカ様。あなたは何も知らない。知らないから、嫌がる素振りも見せずに陛下とここへ来ることができた。平穏に暮らしたいのであれば、いらぬ詮索をしないことです」


 納得できないと思ったが、これ以上詮索するのをやめた。


 この城の異様な雰囲気も、リカルドの態度の豹変も、未来を予言する老女も、締め切ったカーテンも全てが奇妙だった。


 ☼☼☼


 案内された部屋は、調度品が全て整えられた美しい部屋だった。


 真っ白の壁に、黄金の額縁に入った油絵が飾られている。見たこともない色艶やかな花が陶器の花瓶に生けられていた。


 着なれないドレスも、無機質な部屋も、綺麗なのに、メトミニー修道院と同じような空間だと思ってしまうのは、なぜだろうか。


 することがないので、ぼんやりと窓の外を眺める。

 部屋のバルコニーの向こうには、広大な海が広がっていた。

 私はベッドから立ち上がって、大きな窓を開ける。はじめはやり方が分からなくて戸惑ったが、開き方のコツはすぐにつかめた。


 海風が部屋の中へ入ってくると、幾分か気持ちが晴れた。セレナやプーチャの無事を、今は祈るしかない。


「失礼します」


 ノックの音がして振り返る。そこには、焦げ茶の髪の毛を短く刈り込み、軍服に身を包んだ女性が立っていた。


「ちょっと! いくら、こんなところに連れて来られたからって、身投げはだめよ!」


 女性が慌てて駆け寄ってきて、私を抱きしめ、ベッドの上に引き寄せた。私は、バランスを崩してベッドの上に倒れ込んでしまう。


「いくら、辛くても、人生生きて行かないといけない時があるのよ! 分かる?」


「あの……」


「分かるわ。ずっと幽閉されていて、今度は新太陽王の花嫁に任命だなんて、自分の人生を恨みたくなる気持ち」


 女性は、窓を閉めると、同時にカーテンも閉じた。


「あなたは、誰?」


 気が付いた時に、口から言葉が出ていた。女性は、慌てたように「大変失礼いたしました。私、ペペ・フロンティーノと申します。しばらく、モニカ様の護衛につくことになりました」と頭を下げる。


 ペペという名前に聞き覚えがあった。そういえばリカルドが城を出てきた時に、城を任せていた人間の名前と同じだと思い出す。


「あと、私は、身投げしようとしていないわ」


「大変申し訳ありません。てっきり、この城に来て、人生に絶望されてしまったのだと勘違いしておりまして!」


 謝罪の言葉を述べるペペの様子を見て、私は思わず笑ってしまった。この城に来て、初めて気が許せそうな人物に出会ったような気がした。


「ありがとう。ペペさん」


「ペペさんだなんて! ペペで大丈夫です。みんなペペと呼ぶのでそう呼んでください」


「分かった。ペペと呼ぶ。どうして、ペペが護衛に来たの?」


「ルシア様からご命令がありまして、陛下はしばらくお忙しいとのことなので、護衛兼、身の回りの世話は私が担当することになりました。女性同士の方が、何かと話しやすいでしょうとのことです」


「分かった。よろしく。あの、ペペ……」


「どうされましたか?」


「ルシアは、知らない方がいいと言うんだけど、どうしても気になるの。リカルドがどうして怒ったのか分からなくて」


 私は、ペペに先ほどから感じている違和感について尋ねることにした。彼女であれば、正直に答えてくれるような気がしたのだ。


 ペペは私の話を聞くと、困ったような表情を浮かべたが「分かりました。私でお話できる範囲であれば、お伝えいたします」と答えた。


「まず、ファブラ種のドラゴンについては、陛下やルシア様のおっしゃる通りです。攻撃性の強いドラゴンですので、危害を加えようとしたら、どうなるか分かりませんので、我々は手出しをしません」


「プーチャはそんなことしない……」


「申し訳ありません。我々は、ファブラ種のドラゴンの情報は知っていますが、接した経験は少ないのです。今も、この城にいると思うだけで、怯える人間は多いかと思います」


「そんなに危険なの?」


「ファブラ種のドラゴンは、ウータルデ火山という大きな火山地帯にある麓、ドラルコの谷に生息しています。ドラルコ谷非常に険しい道で人はあまり近づきません。ただでさえ行くが難しい谷の崖の窪みにこっそり隠れて生息しているのが、ファブラ種のドラゴンなのです」


 プーチャがメトミニー修道院の近くの崖の洞窟で生活していたのを思い出す。あそこにいたのは、ファブラ種のドラゴンの習性だったのだ。


「じゃあ、プーチャ……ファブラ種のドラゴンが、ここら辺にいることは珍しいってこと?」


「珍しいですね。大人になったファブラ種のドラゴンは餌を求めにさまようことがあっても、幼体は成長するまで巣から出て行きません。そして、過去に一度だけ、ファブラ種のドラゴンが、この国へやってきて大暴れした事件があります」


「大暴れ?」


「はい。十年前のことになります。前王アレハンドロの不義理によって小国ウィクスとの条約が破棄されました。怒った小国ウィクスの王、つまりはモニカ様のお父様にあたるブリオ王が、二体のファブラ種のドラゴンを送り込んだのです」


「私の父が?」


「はい。不幸中の幸いではありますが、アシェト草原で多くの兵士たちが命を落とし、ファブラ種のドラゴンがオスランデスに侵入することはありませんでしたが……」


「そんなことがあったの……」


「その時に、陛下リカルド様もご参加されておりました。なので、ファブラ種の威力はよくご存じなのかと思います」


 リカルドは一言もそのようなことを言っていなかった。


「悪魔の第七王子リカルド。王宮占い師ボバ様にそのように命名された陛下の王宮暮らしは、私から見てですが、恵まれているとは言えませんでした」


「だからボバは足を鎖で繋がれているの?」


「ボバ様が繋がれていらっしゃるのは、前王のアレハンドロからです。リカルド様は、自分をあのように予言したボバ様を憎んでおります。彼女の予言は当たる。けれども、自分の人生を狂わせた人間を解放する気が起きなかったのでしょう」


「じゃあ、私がボバを解放してってリカルドに頼んではいけなかったのね」


「そのようなことを、直接言える勇気があるのは、モニカ様くらいでしょう。知らないからできることです」


「それと同じことを、ルシアにも言われた」


「みんな同じ意見を言うと思います。ですが、今話したことは、ご内密ください。本当は、詳しいことを話すなと命令を受けているのです」


「分かった」


返事をすると、ペペは早速私に「では、モニカ様。明日からのご予定を報告させていただきます」と神妙な面持ちをするのだった。

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