第19話 出会い

 帰宅。

 ご飯にする!

 お風呂にする!

 それから――私!

 そして歯みがきよし!

 準備よし――あ、宿題……。

 大急ぎで宿題を片づけた。

「よし、ログイン!」

 ぼふんっとベッドの中の人になったかすみは、プレイヤー・スミカとなって魔法の世界に旅立つ。


 一瞬の暗闇。

 それから、おだやかな声。

 すっと心が落ちついていく。

 アルトよりも低い、コントラルトというのだろうか。

 歌詞があるようなないような、ハミングするような、やさしい歌声。

 すぅっと眠りに落ちていく。

 それから。


 ――ニューラルリンク開始。

 ――ローディング……、……、……。

 ――既知の情報と整合中……、……、……。

 ――完了しました。ログインします。

 ――WBC、Wizard Book Chronicleにようこそ!


 目を開けると、そこは街の中心だった。

 街の中心にある円形広場の一角。

 周囲には冒険者ギルドや商業ギルドなどの建物が建っている。昨日シズキさんが露天をやっていたところでもある。

 さらに中心側には、昨日ニケと見た門……ゲートみたいなのが、これも円を描くように立ち並んでいた。あいかわらずスミカには、門のひとつだけが色づいて見える。その色も、薄いピンクあるいは朱色のような色で、かわりがない。


(朝焼けの色にも見えるなあ……。あれって、どこか……エリアっていうんだっけ? 別のところに行ける門だよね?)

 行き先がどんなところかわからないし、戻り方もわからない。新しい世界が広がっているはず……という予感はあるが、今のところは様子見だ。

 キョロキョロとまわりを見渡す。

 ざわざわと行きかう人々。知らない人たち。


(ニケちゃんは……まだ来てないのかな?)

 プレイヤー同士の位置情報はわかるのだろうか。スミカはまだゲームシステムのすべてを理解しているわけではない。

(シズキさんは……今日はいないみたい?)

 昨日会ったあたりをざっと見まわすが、こちらもそれらしき人影はない。


(本屋……)

 ヴィンセントさんの本屋に行ってみようかな、と思うが、

(しまった! 私一文無しだった!)

 昨日のカフェ代も、全部ニケに支払ってもらっている。さすがに、すかんぴんでお店に入る度胸と勇気は持ちあわせていなかった。


(お金をかせぐって……どうやるんだろ? モンスターを狩るとか?)

 モンスターを狩れば自動的にお金がドロップするのか、冒険者ギルドや商業ギルドを一度経由する必要があるのか。もし後者ならば、ギルドに登録する必要があるわけで……。

(うー。でもギルドって、おっかなさそう!)

 冒険者ギルドの建物は、すぐそこにある。

 すぐそこで、どどーん! と立派に構えているので、いやでも目につく。その堂々たる威容に圧倒されて、スミカは尻込みしてしまっていた。

 では商業ギルドはどうか。

(ちらっ……)

 こちらも、どどーん! 

(無理だよぅ……)

 ということで、しばらく街を散歩してみることにした。

 円形の広場をぐるっとまわるように歩いていく。遠目には地味な建物だと思っていたのに、いざ近くまでくると、シックでおしゃれなお店だとわかったりするのでおもしろい。遠くと近くではずいぶん印象がかわるんだなあと思いながら、ぶらぶらと歩く。

 それから広場からそれた路地の方も、ちょっとだけ首を伸ばしてのぞいてみた。

 つつましやかな通りもあれば、逆にカラフルな小路こうじもある。

 小さな雑貨店や小道具屋みたいなお店がぎゅっと集まっている通りもあれば、特に看板も出てなくて、植木鉢とか園芸プランターが並んでて、緑ばっかりの閑静な生活道みたいなところもあった。


 妙に寂れてみえる通りもあった。砂浜ラーメンとか夜のホルモンとか焼肉砂漠とか草原の焼き鳥とか小さな飲食店がたくさんあるのに、どこも開いている気配がない。よく見るとそれらの看板にまぎれて、無料、お風呂、石鹸、泡みたいな案内も見える。

「へぇ、無料のお風呂屋さんがあるんだ」

 純真無垢なスミカちゃんはまだ知らない。昼間寂れているこの路地が、夜には生き生きとしたピンク色に輝きだすことを……。

「お!?」

 それから何とも興味をひかれる路地を見つけた。どこがどう、とはうまく言えないけれど、こういうのは本人のセンスなのだろうか。嗅覚が告げているのだ「何かおもしろいものがありそう!」と。

(あれ? でもこのゲーム、ちゃんとしたにおいの実装はまだ先って話だし……)

 クンカクンカと街のにおいを嗅いでみるが――やっぱりするような、しないような?

 今スミカが感じているのは、街の気配だった。気配というものは、耳や肌でも感じとれるものである。とぼしい嗅覚情報を補完するかのように、今の彼女はその他の感覚が鋭敏になっていた。

(本屋、あるかなー?)

 スミカはたくさんの本がある大きな本屋も好きだが、コンパクトにきゅっとまとまった小さな本屋も好きだ。限られたスペースで、「ここに置けるのはこれなんだ」と選びぬかれた本たちが居心地よくおさまっている小書店。そんな小さな小さな本屋さんが、あの奥にあるかもしれない。

 そして彼女は、小さな路地へ、その第一歩を踏み出した。一文無しであることを忘れて……。


 数分後――

(困った。迷ったなあ……)

 そしてスミカは迷っていた。

 べつに本屋でおもしろそうなのを見つけて、どれにしようか、どの子をお持ち帰りしようか、ああっ、そんな私の手に吸いついてこないでぇ! と、うれしい悲鳴をあげているわけではない。彼女は一文無しだ。そんなことは起こらない。


 迷っていたのは、道だった。

 ふつうに迷子なってしまったのである。


(う、うぅんっ。この年齢としになって迷子とか! 広場にもどる道がわからなくなっただけなんだからねっ)

 しかし世間では、それを迷子という。

 迷子のスミカさんは、だんだんと心細くなっていった。

 窓際のささやかなディスプレイ、センスのいいお店のドアやプレート、ちょっと味のある意匠などなど、さっきまでフレンドリーな印象をこちらに送ってきていたのが、迷子になったとたんに急によそよそしく感じられる。


(だれか、歩いている人に道を聞いて……)

 しかし間の悪いことに、道から人気ひとけが消えていた。

(どこか、お店で道を聞けば……)

 そしてこういうタイミングに限って、微妙にどのお店のドアからも離れている。どれもピタリと閉じられていて、妙にそっけない。

 ここにきて、人見知りなスミカさんにとって「道をたずねる」という行為の難易度が、雲の上まで跳ね上がってしまった。

(うぅぅ、どうしよう……)

 軽く涙目になりながら惰性だせいで歩を進める。建物の角にさしかかったところで――バフンッ!


(え!?)

 スミカのおなかに向かって、何かが突っこんできた。

「とっ!? とととっ……!?」

 あわてて体勢を立て直そうとしていると、その突っ込んできた何かはスミカの体に跳ねかえされて、飛ばされて、そのまま道の上にバッタリ――

「バタン、キュゥゥゥ……」

 大の字に伸びてしまった……。

 倒れたのは、人だったのである。



 ◇



「……(ドキドキドキドキッ)」

 突然の出来事に、スミカの心臓が早鐘はやがねのように打ちまくっていた。

 街の入口の受付で会った人気ピアニストのココネさんなら、「あら? BPM240くらいかしら。うふふ……」とにっこりしそうな速さの鼓動である。

 スミカの体はそんなに大きい方ではない。背丈はごくごく標準的で、体重はゲフンゲフンだが、人とぶつかって弾きかえせるほどの体幹があるわけでもない。そんな彼女が跳ねかえしてしまうほどの人物とは、いったいどんなものなのか。

 ひとことでいうなら、相手は小柄だった。というか小っちゃかった。子どもだったのである。スミカも——まあ子どもといえば子どもなのだが、今路上に伸びている子は、スミカよりももう何歳か年下とおぼしき女の子だった。


「だ、だいじょうぶ、ですか〜?」

 話しかけながらおそるおそる近づいて、しゃがんで眺める。

 その子は目を閉じ、「ん、ん〜〜〜っ……」とうなり声をあげていた。よかった、打ちどころが悪くて死んだわけではないようだ。

 しかし、これから容態が悪化する可能性もあるわけで……。

(と、とりあえずどこか……寝かせられる場所……!)

 ぐるりと見まわすと、日陰のところにベンチがある。

「よし!」

 スミカはその子をひょいっとお姫様だっこし――

「あれっ?」

 自分が軽々と抱えあげていることに気づいて、びっくりした。

(筋肉がついた? そんなわけないよね……)

 そしてチュートリアルの森を出たあと、ニケを追いかけたときのことを思い出した。あのときもアスリート並みのすごいスピードで森を走った……ような気がする。

 自身の身体能力が向上していることに、まだ無自覚なスミカだ。まあ今考えてもしょうがないよね、と思いつつ、女の子をベンチに横たえた。


(どうしよう……)

 介抱のしかたがわからずあたふたしていると、

「ん……んん〜〜〜っ!?」

 その子が顔をしかめて、

「んぁ、寝てたっ!?」

 あっさり目を開け、上体を起こした。

「よ、よかったぁ〜っ」

 安心したスミカは脱力し、思わずその場にへたりこんでしまった。

 女の子はしばらくキョロキョロとしていたが、なんとなく状況を察した様子で、

「あの……何かに当たって飛ばされた記憶があるのだけれど、もしかしてあなたに?」

「うん……。ぶつかって、飛ばしてしまって……ごめんなさい〜」

 スミカが平謝りに謝る。

「あ、いえ……こちらこそごめんなさいね。まだ目線の低さに慣れてなかったというか……ハッ!? ええと、ごにょごにょ……」

 女の子は、あやしい感じに言葉をにごしている……。


 けれど今スミカが気になっているのは、この子の体調面だった。

「具合とか、だいじょうぶ……ですか!?」

「具合? ええ、問題ないわ」

 なぜかスミカの方が丁寧口調で、女の子がフランクなしゃべり方になっている。

 女の子はベンチに座りなおすと、ほいっと勢いをつけて地面に立ってみせた。

「ほら、ね?」

「よ、よ、よがっだぁ〜〜〜っ」

 地面に女の子座りしたままのスミカが、安心のあまり泣き出しそうだ。

「ちょ、ちょっと!? 泣かないでよ?」

「はぃぃ〜、ぐすん、ぐすん」

「まあこのアバター結構頑丈だから。ちょっとやそっとじゃ大ケガしないはずだし。だいじょうぶよ、うん」

 しっかりした口調で女の子がなぐさめた。ずいぶんとしっかりもののようだ。

「そうなの? 私、始めたばかりで――」

「あら、初心者さん?」

 こっくりとスミカがうなずくと、

「じゃ、あなた、エッチなのね」

 やっぱりスミカはエッチな子のようだ……。

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