不安を胸に

 海に着いて、バスから降りる。俺と咲が、歩いたコースを思い出しながら、咲を探す。


「咲、いないでくれ」


 雨で服が濡れる。濡れた服が、肌にくっついてくる。


「ここには、いないか」


 一通り歩いてみたが、咲らしき人は、いなかった。


「残るは、鯉のぼりを見たところか」


 自分の中で、考えられる場所は、残り一つだった。


 バスに乗り、駅に戻る。びしょ濡れになっているが、気にせず電車に乗った。


『咲、どこにいる?』


 電車に乗っている間に、もう一度メッセージを送る。しかし、目的の駅に着くまでの間、返信は来なかった。


 電車から降りて、駅を出ると、外は暗くなりかけていた。


「鯉のぼりが見られる場所に着くころには、夜になっているのか」


 移動時間で、だいぶ時間を消費してしまった。向かう最中にも、電話をかけ、メッセージを送ったが反応は、なかった。


 咲と鯉のぼりを見に行った場所に近づいてくる。


「すっかり、夜だ」


 空は、黒く染まり、道は街灯で照らされていた。


「あそこ、やけに明るいな」


 俺が向かう鯉のぼり会場だと思われる所が、見てわかるぐらい明るく照らされていた。


「そういえば、夜はライトアップされているのか」


 この前、咲と鯉のぼりを見に行った時、看板でライトアップされているって知ったのを思い出した。


「雨が降っているのに、人も多い」


 もうすぐで、五月中旬が終わろうとしている。それでも、雨の中、鯉のぼりが見られる観光地は、人で賑わっていた。


「咲を探すぞ」


 鯉のぼり会場は広い。咲を見落とさないように、落ち着いて探そう。


「傘差している人、ばっかりだと顔がよく見えないな」


 みんな傘を差している。これだと、人探しどころじゃないぞ。


「それでも、探してみるしかない」


 頑張って咲を探す。俺の心配しすぎかもしれない。ここに、いない可能性も、あり得る。もしかしたら、携帯が壊れて家で寝ている可能性だってある。だけど、あの講義室から見えた雨を見た瞬間、急激に不安になった。


「もしかしたら、依存していたのは、俺の方だったか」


 三日連絡がとれなくなるだけで、電車に乗ってまで探している。今までの俺だったら考えられるか?


「だよねー。わかるー」


 屋台を通り過ぎた瞬間。咲に似た声が聞こえた。


「咲?」


 振り向いて確認したが、知らない女子二人だった。


「さすがに、疲れて来ているな」


 人違いするなんて、小学生の時に親を間違えた以来だ。


「後は、あっちの方か」


 半分以上、見て回った。探してないところを探す。


「ここの屋台は」


 見たことがある屋台だった


「大きい黒い鯉のぼりの看板」


 確か、咲が小さな棒付きの鯉のぼりを買った屋台だ。


『おじいちゃん家に行って鯉のぼりを見るのが毎年の楽しみだった』


 咲と前に来た時、話していた会話を思い出した。


「あの時、咲と座ったベンチ」


 自然と足が、ベンチがあった場所に向かって、動いていた。ここの場所で、一番印象的だった鯉のぼりの大群が見られる場所でもある。


「最初に確認すべきだったとこを見落としていた」


 急いで、ベンチがあった場所に向かう。



 ベンチが見えて来た。雨の中、女性が傘も差さずに一人で立っている。遠くで、顔がよく見えない。


「咲」


 顔は見えないが、一目見て咲だとわかる。


「咲、この雨の中なにしている」


 急いで、咲の所に行かなければ。風邪を引いてしまう。


「咲」


 辿り着いた時、その女性は鯉のぼりを、ずっと見ていた。


「光」


 聞き覚えのある声に、ポニーテールの髪型。その女性が、振り向いて確信する。咲、本人だ。


「光、どうしてここに?」


「なんとなく、三日間も連絡がとれなくて、探している時、ここにいる気がしたから」


「こんな夜になるまで、私を探してくれたんだ。どうして、ここがわかったの?」


「咲が、鯉のぼりが好きなのを思い出した。このベンチがある場所は、好きな鯉のぼりを、幻想的に眺めることができる。咲なら、ここにいると思った」


「うん。光の言う通りだよ。すごいや」


「大学にも行かずに、なにしている」


「わかんなくなったの」


「わかんなくなった?」


「なにもかも、わかんなくなった。私は、ただ純粋に好きだった。いくら殴られても、暴言を言われようとも、好きだったから付き合うことができた」


「咲」


 進が、言っていたアイドルのメンバーが失踪した話を思い出した。咲は、映画館に行ったとき、元カレに出会って、暴言を言われた。


「別れる時も、何日、数週間も悩んで悩んで、周りの友達に相談したんだよ? それだけ、悩むぐらい好きだったのに、なんで『二番目の女』なんて、平気で呼ぶことができるの!」


 元カレから暴言を言われた時、咲の中にある、かろうじて繋いでいた理性の糸が切れていた。俺は、それに全く気付かなかった。いつも通りの咲だと思っていた。


「咲、ごめんな」


「光は、謝らなくていいんだよ? だって、悪いのは、ここまで傷つけてきた元カレ……ううん。元カレの心を入れ替えさせることが、できなかった私」


「違う。咲は、悪くない」


「ううん。私が悪いの。元カレの暴力に耐えられなかった。嫌なことでも耐えることが出来る心の強さがなかった私が悪いの」


「嫌なことは、耐えなくてもいいんだよ」


「ダメだよ。嫌なことに耐えることができなきゃ、恋愛を続けることができない」


「恋愛と、嫌なことから耐えるは、一緒にしちゃダメだ」


「私が、やってきたことは無駄だったの?」


 咲は、冷静じゃない。心の傷が深すぎて、精神が崩壊する一歩手前まで、来ているように思った。


「無駄じゃない。本気で好きを貫いた結果だっただけ。もし、本気で好きになってなきゃ、辿り着けなかった結末だった」


「光。でも、私、ただ遊ばれていただけだよ?」


「それがどうした。相手は、相手。咲は、咲だ。元カレが、咲のことを暴力振った結果、この前、俺が殴る結末がきた」


「光」


「もし、咲のことを大切にしていれば、俺に殴られる未来なんか来なかった」


「うん」


「俺の元カノも、二股をかけていなければ、咲にビンタされる未来なんか、来なかったはずだ」


「そうか、私、光の好きだった人をビンタしたんだった。ごめん」


「怒ってない。言いたかったのは、大切にしてくれる人を存外に扱ったら、それ相応の未来が待っているってことだ」


「うん」


「咲は、元カレと別れてから、元カレ以外で大きく傷つくことはあったか?」


「ううん」


「だろ。このまま、自分の軸を大事にしていれば、報われる時が来る」


「ありがとう」


「落ち着いたか」


「うん。少しだけ、落ち着けた」


 咲は、俺に笑顔を見せた。


「それに、咲には、好きな人がいる。その人は、きっと優しくて、大切にしてくれる人だよ。俺も、リハビリ関係を頑張るから、幸せになれるように頑張っていこう」


 咲には、好きな人がいる。その人は、咲の真面目さを知れば、大切にしてくれると思う。


「あ」


 咲の表情が止まった。


「咲?」


「ねぇ、光」


 咲は、笑顔から再び暗い顔になる。


「どうした?」


「私、光に謝らないといけないことがあるの」


「謝る?」


「実は、好きな人なんていないんだ」


「え?」


 咲は、リハビリ関係を結ぶ前、『好きな人がいる』って理由で、リハビリ関係を持ち込んでいた。それが、嘘だったのか?


「私、光と一緒にトラウマを克服したくて、嘘をついたの」


「そうなんだ」


 びっくりして、返答が上手くできなかった。


「私、最低な女だよね」


「いや、それは違う」


 嘘には、驚いたが、それは違う。咲は、最低な女性ではない。


「そんな、気を使わなくていいよ。だって、私、光に嘘をついていたんだよ?」


「確かに、びっくりした。だけど、咲がいなければ、俺は一生女性と関わらないで生きていたと思う。こんなチャンスをくれたのは、咲のおかげだ」


 これは、本心だ。


「そんな、優しい言葉を言わないでよ」


 咲は、涙を流し始める。


「咲に、好きな人がいても、いなくても、俺は咲に協力していたよ」


「光。ごめん。ごめんね」


 咲が謝りながら泣き続けた。


「いいよ」


 咲が泣き止むまで、待つことにする。


 しばらくして、咲は落ち着いて、俺と会話できるようになった。


「落ち着いたか?」


「うん。ありがとう」


 咲は、頷いて返事をする。


「光」


「ん?」


「これからも、私とリハビリ関係を続けてくれる?」


「あぁ、もちろんだ」


「ありがとう」


 咲は、お礼を言った。そういえば、咲と会話している間に、雨の量が多くなってきている。


「雨が強くなってきたな」


「本当だね」


「帰るか」


「うん」


 咲と俺は、この場を後にした。

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