リハビリ関係を持ちましょう

「終わったー!」


 咲が手をあげて喜ぶ。時計を見ると、時刻は午後三時。俺の予想通りに、夕方前に終わったな。


「休憩してから、帰るか」


 机に広げていた参考書やノートなどを片付ける。一通りカバンに物を入れたところで、無言の時間が流れる。


「なぁ、咲」


「どうしたの?」


「今から言う事は、誰にも話さないでいてくれるか?」


 俺は、言う事を決心した。咲の表情は、その言葉を聞いて真剣な表情になる。


「うん、話さない」


「実は俺、高校生時代に一年半、付き合っていた彼女がいた。その彼女とは、高校卒業まで付き合っていたのだけど、彼女には俺より付き合う前に、他校で彼氏がいたんだ」


「何それ……」


 咲は、俺の話を聞いて悲しそうな声で言う。


「ショックって言葉だけじゃ言い表せない気持ちまで、落ち込んだよ。しかも、別れる時に『あなたの事、彼氏だと思った事ないから』なんて言われてさ、本当に大切にしていたのに」


 話すたびに心が痛んでいく、そんな感じがした。辛い、痛い、悲しい。様々な負の感情が俺の心を染めていく。


「なんで、あっちから好きって言ってきたのに、『彼氏だと思った事ない』なんてワードが出て来るんだよ」


「光」


「あんなに大切にしていたのに、なんで、こんな目に合わなきゃいけないんだ」


「光!」


 机に置いてあった手に、咲が手を重ねて来た。負の感情に支配されていた心から、我に帰る。


 結局、俺は立ち直れていなかった。


 大学生活で、新しい人と出会って話し、こういう風に集まって過ごした事で、過去とは決別ができていたかと思っていた。だけど、一度封印した気持ちの蓋を開けてみれば、俺の心は、まだ深く傷ついて泣いていた。俺は、自分の気持ちを回復させたと思い込ませて、本当の気持ちを無視していたんだ。


「すまない。男なのに、取り乱してしまった」


 俺は、本当に情けない男だ。


「ううん。話してくれてありがとう。そんな辛い思いをしているのに、話してなんて聞いてごめんね」


 咲の頬に涙が流れる。


「話すのを決めたのは、俺だ。咲が悪いんじゃない」


 できるだけ、冷静に返事をする。


「実は……私も高校卒業式の日に彼氏と別れたんだ」


「咲も?」


「うん。光みたいに酷い別れ方じゃないけど、友達の力を借りて、別れたんだ」


「友達の力を借りて?」


「そう。私の元カレ、少し自分に気にくわない事があると、暴力で解決してくる男でね、これを見て」


 咲は、そう言うと着ている白のティーシャツを少しずらして、首の近くを指さした。


「それは、傷跡?」


「そう、傷跡。これ、元カレに付けられたものなんだ。これ以外にも、まだ何カ所かある」


 周りにある皮膚の色と少し同化している。しかし、当時付けられた傷の深さを想像すると、痛々しい事が容易に想像できた。


「すぐ、離れる事はできなかったのか?」


「うん。何回も別れようと思っていたけど、その話をする度に暴力に走ってね。話し合いできなかった」


「だから、友達の力を借りたのか」


「そうなの。友達が仲介役に入ってくれて、やっと別れて縁を切る事ができた」


 咲に、そんな過去があるなんて、思わなかった。何で、怒りという感情が関わってくると、あんなに怯えていたのか、わかった気がする。咲が怒りの恐怖に囚われている理由には、元カレの暴力が深く関わっている。咲もまた、俺と同じように、トラウマを克服できていないのだ。


「本当はね、怖かったんだ。本当の事を話すと、光が私に接する態度が変わる気がして」


「そんな、変わる訳ない」


「うん。信じる。コンビニで、男子に囲まれている時、見捨てないで助けてくれる人が、態度を変える訳がない」


 咲は、自分の過去を話してくれた。だけど、俺は話してない、もう一つの秘密がある。それは、大学生になって初めて知った。トラウマによって、生まれた一つの後遺症。


「咲」


「何?」


「実は、もう一つ話さないといけない事があるんだ」


「うん。辛かったら、無理に言わなくてもいいよ」


「大丈夫。咲」


「うん」


「実は、元カノのトラウマが原因で、女性の事が好きになれなくなっているんだ」


「え」


 一週間前に感じた心の違和感。一週間、女性の事を恋愛対象だと思おうとした。結果は、好きになる事が、出来なくなってしまっていた事に気づいた。まるで、傷ついた心が防衛反応で、恋愛をしないように守っているみたいに。


「おかしいよな」


「おかしくないよ」


 咲は、俺の目を見て言う。こんなに真剣な表情をした咲を初めて見た。


「だって、それだけ光が、その人の事を大切にしていたってことなんでしょ。そんな事をされて、心が壊れて当たり前だよ」


「そうなのかな?」


「そうだよ。私も、内容は違うけど、元カレに暴力振られた事がトラウマになっている。心の辛さは、わかるよ」


「ありがとう」


「光、私に、トラウマを治す一つ提案があるの」


「提案?」


「私と光で、リハビリ関係を築きましょう」


 その後、咲が『リハビリ関係』について、説明する。説明した内容は、俺の予想をはるか上に行く内容だった。

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