第一・五章

咲の後悔

 今日は、光に勉強を教えてもらった。私の予定では、光の事をからかいながら、レポートの内容を教えてもらうはずだったのに。だけど、あの時、思い出してしまった。高校時代の元カレにやられたことを。


『何で、一時間も遅刻したの!』


『昨日、遅くまで友達と遊んで、寝不足なんだ! いらいらしているのに、遅刻したぐらいで、怒るな!』


『デートの時間に遅れたのに、謝罪じゃなくて逆ギレ? 意味わかんない』


『うるせぇ! 黙っていろ!』


『いたっ! 何で、叩くの……』


『俺に説教をするからだ! 彼氏が上だって事をわからせてやる』


『ま……待って……殴るのは……やめて』


『ダメだ。俺が上にいるか、わからさないといけない』


『やめてぇ!』


 はっとして、顔をあげる。湯船につかりながら、ぼーっとしてしまった。


「今日、思い出した事を、また思い出した」


 光に悪い事しちゃった。風呂上がりにでも謝らないと。大学生活に入って、忘れかけていた。なのに、元カレの事を思い出すとは思わなかった。なんで、その時のトラウマを思い出しちゃうんだろう。


「光の優しさなのに」


 恐らく、光が寝不足だと思ったのが、きっかけになってしまった。それだけ、あの時、元カレにされたのがトラウマなんだ。


「初めての彼氏が、短気で、すぐに暴力をしてくる人。なんて、ついてないのだろう私」


 湯船から上がり、バスタオルで体を拭く。ふと、洗面所の鏡を見ると、首の近く、脇腹、太ももの三カ所に、傷跡があるのに目が入る。


「結局、この三カ所の傷は消えなかったか」


 まだ、十代なのに消える事がない傷が三カ所も。どれも、元カレが私を逃がさないために、力任せに掴む、投げ飛ばされた時に切ったりして、付いた傷だ。


 傷跡を指でなぞってみる。もちろん、痛みはない。だけど、心がちくちくと針で刺されるような感覚が襲う。


「心の傷は、まだ治っていないかも」


 身体の怪我は、治ったら、それで終わり。だけど、心の傷は治るのに時間が、かかる。今触っている脇腹の傷も、一年以上前に付けられたもの。だけど、触ってみると、当時の記憶が思い出して、心が痛む。


「この痛み、治るのかな」


 いつ治るのかわからない。数ヶ月後、一年、それとも十年、もしかしたら死ぬまでかもしれない。


 自分の部屋に入り、下着を着て、寝間着に着替える。今日は家に誰もいない。母は、友達と飲み会で外出中、父は一ヶ月の長期出張中だ。兄は、就職先が県外で、一人暮らしをしている。


『光、今日の放課後、いきなり手を弾いてごめん』


 光にメッセージを送り、髪をドライヤーで乾かし始める。トラウマさえ思い出さなければ、今日も楽しく過ごせていたはず。過去の事を忘れる事ができる、発明品出てこないかな。


『大丈夫だよ。それよりも、咲は大丈夫?』


 光から来たメッセージが目に入る。光は、優しい。あんな、ひどい事をしてしまったのに、嫌な顔をしないどころか、心配をしてくれた。


『ありがとう。うん、大丈夫』


 だけど、まだ光には、私の過去を打ち明ける事ができない。私の過去を知れば、接し方が変わってしまうかもしれない恐怖心があった。今の光が、してくれている態度のままが良い。


『そっか。なら、良かった。また明日ね』


 光も、深入りしてこない。多分、光は今日の行動で、私が何かを抱えているのを察したはず。だけど、聞いてこないのは、私に気を使っているからだと思う。


『おやすみ』


『おやすみ』


 メッセージのやり取りが終わる。ちょうど、髪も乾いた。寝るまで、まだ時間がある。そういえば、今日更新される恋愛ドラマが、あったはず。見てみよう。


「よし、更新されている」


 好きな人が異性恐怖症で、それを治すために奮闘するヒロインか。私も、異性恐怖症かもしれない。


「光も何か恐怖症なのかな」


 入学式の日に見せていた暗い表情、人に話しかけられない限り、自分から人と交流しにいかないのは、まるで何かを恐れているように見えた。


「いじめられていた?」


 まさか、光の性格を見ると、いじめられるような性格ではない。なら、なんなのだろう。


「私と同類な気がする」


 異性と何かがあった。そんな考えに辿り着く。 もし、そうだったら、光が抱え込んでいる事を知りたい。そんな気持ちと、今日やってしまった行動の罪深さを考えてしまう。


「もし、光が異性恐怖症だったら、今日私がやった事は、とても傷つく事をやってしまったかもしれない」


 今日の中で一番、大きい罪悪感が襲って来た。私は、とんでもない事をやってしまったかもしれない。メッセージだと、平気そうに振舞えても、実際は傷ついて泣いているかもしれない。


「明日、光にどんな顔をして会えば良いのか、わからなくなってきた」


 ベッドに入って、枕に顔を埋める。光に一生残る傷を負わせてしまったかもしれない。そんな悪い予感が頭をよぎる。


「明日、無視されたらどうしよう……」

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