3 - 4 不田房栄治 ②


 宍戸が言い放った言葉に、不田房・鹿野は大きく目を見開くことしかできなかった。


 稽古後、三人はいつもの韓国料理屋の奥座敷にいた。料理が運ばれてくる前の丸テーブルの上に、宍戸が写真を丁寧に並べる。10枚ぐらいある。すべてに不田房栄治が写っている。

 半裸だったり、全裸だったり、明らかにラブホテルだとしか思えない背景のベッドで眠っていたりする。


「おお……これが、リベンジ、ポルノ……」

「鹿野丁寧に言わないで! 何これ宍戸さん! 怖い!」


 不田房は大して焦っていなかったし、鹿野も同様だった。ただ、世間で話題になっている『リベンジポルノ』というものが目の前で展開されているという衝撃だけがあった。


「俺だって怖いよ。不田房おまえ、心当たりは?」

「ない……と言いたいけど、これは完全に俺ですね……」


 料理と飲み物が運ばれてくる。大慌てでテーブルの上の写真を回収した不田房が、形の良い眉をぎゅっと寄せて自分自身が写っている写真を凝視している。


「ええ〜……なんか妙に画質いいのも怖い……」

「まさかとは思うがな、不田房」


 宍戸が何を言い出そうとしているのか、鹿野にはすぐ分かってしまった。だから、煙草に火を点けて店の天井をじっと見上げた。


「L大学勤務時代に、学生に手を……」

「してない! してません! それだけは!! ねえ鹿野!?」

「知りません」


 殊更冷たく対応するつもりはなかった。だが、鹿野にはそれしか言えなかった。実際、不田房栄治がL大学で講師を勤めたのは七年。鹿野はそのうちの三年間しか彼の授業を受けていない。演出家と演出助手としては十年という日々を一緒に過ごしているが、鹿野が関与していない四年間については何も言うことができない。


「鹿野〜! そんな言い方ないよ! 鹿野以外に誰が俺の無罪を証明してくれるの!?」

「いや、だって、本当に知らない……」

「鹿野、その写真見て何か思い出すこととかないか」


 宍戸が言った。鹿野はチャミスルの瓶を手に取りながら、不田房の手元を覗き込む。過去を記憶するという能力を道端に捨ててきたとしか思えない不田房よりも、鹿野の記憶に頼りたいという宍戸の気持ちも分からぬでもない。

 たしかに不田房が口走った通り、妙に画質が良いのも気になる。仮に不田房が講師を勤めている頃に彼と関係を持った学生がいるとして、その頃の関係を精算したいんだか脅迫したいんだか知らないがこういった写真や怪文書を送ってきているのだとして──こんなに綺麗な写真ができ上がるだろうか? よほど性能の良いデジカメで撮影したとしか思えない。スマートフォンで撮ったとは考えられなかった。スマホのカメラ機能は年々良くなってきているのだから。


「有り得るとしたら七年間の大学勤務時代だと思うんですけど」

「だから有り得ないんだよ鹿野ぉ!」

「大学を辞めて以降の不田房さんの交友関係はすべて把握してますので」

「そうだね! 俺鹿野には全部喋っちゃうもんね!」


 煙草に火を点ける宍戸が目顔で「ほんとか?」と尋ねてくる。鹿野は無言で首を縦に振る。不田房は本当に、お喋りだ。鹿野がまったく知りたくもない恋人の話なんかを五時間ぶっ通しで語ってきたりする。そしてその翌月には恋人と破局した話を五時間聞かせてくる。迷惑極まりない。しかしその迷惑が、この三年間の潔白の証拠になるとは。人生とは良く分からない。


「見た感じなんかちょっと、若い気もしますね」

「そうだな。俺もそう思った。だからこいつが、大学で仕事をしていた時期の写真じゃねえかと思ったんだが」

「この写真はいつ送られてきたんですか?」


 尋ねる鹿野に、


「昨日と今日だ。五枚ずつ」

「どうして分けたんですかね?」

「そこは俺も引っかかってんだよな」

「ねえ! ふたりとも俺が何か仕出かした前提で話すのやめてよ! 俺は何もしてないよ!」


 不田房の叫びは一旦無視するとする。

 この男が──学生に手を付けた? それだけは有り得ない、と鹿野の記憶の一部が声高に主張している。そう。有り得ない。

 では、だけど、だとしたらこの写真は?


「……あ」


 思い出したことがひとつだけあった。

 鹿野素直は記憶力が良いのだ。

 半泣きでチヂミを切り分けている不田房を横目に、「宍戸さん」と鹿野は口を開く。


「これ、Vの映像の切り抜きじゃないですかね」


 Vシネマぁ? と宍戸が素っ頓狂な声を上げた。

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